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3巻
3-2
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だって聖遺物と並び称されるって、凄いことですよ!
セイルレーン最高神様によって神々が地上へ降りることを禁じられる前、地上には多くの神様がいたそうです。
やがて地上から神様がいなくなっても、神様が使っていた品物の一部は、地上に遺されたみたい。それらは不思議な力が込められているものばかりで、聖遺物と呼ばれています。まぁ、忘れ物とも言うけれど……
神様も、うっかりさんですよね。
お父様は私の顔を見つめて、口を開く。
「その仮面は、身につけた者が望む姿に外見を変化させることができるそうだよ。顔の造作はもちろん、異性の姿になることもできるらしい。だから、その仮面は幻影の仮面と呼ばれている」
「幻影の仮面……」
いとも簡単に、容姿を変えてしまう仮面。
もしその仮面があれば、私の瞳と髪の色を変えることができますね……
私は思わず、自分の髪に触れる。
「ねぇ、リリアナちゃん。その幻影の仮面、欲しくない?」
お母様は、まるで今日の天気でも尋ねるように、軽い調子で言う。
「もちろん欲しいです。だけど、そんなの……無理に決まってます」
仮面を身につけたら、堂々と外に出ることができる。
でも、聖遺物みたいだって言われるほど、誉れ高い仮面ですよ。
そんな凄いもの、私のような小娘が手にできるとは到底思えません。
「うん、そうね。幻影の仮面は、セイルレーン教会が聖遺物に違いないって無茶な理由をつけて、回収しちゃったらしいわ」
ほらっ、やっぱり無理じゃないですか。
ただ、幻影の仮面を手に入れることが不可能でも、一度くらいこの目で見てみたかった。
教会に回収されてしまったあとでは、その願いも叶いそうにありませんが。残念です。
とはいえ、ここで教会が出てくるとはビックリ。
教会は、魔石の市場も独占しています。魔力が封じこめられた魔石は教会が管理していて、入手するためにはお布施が必要になる。
教会って、意外と俗っぽいところがありますよね。
私がそんなことを考えていると、お母様はにっこりと笑いながら言う。
「でも、すぐに無理だって決めつけなくてもいいんじゃないかしら? 仮面は教会に回収されちゃったけれど、手に入れる方法はあるわよ」
いやいや、無理でしょう、お母様。
だって、教会に保管されているんだよ。合法で手に入れるのは、無理だと思うんです。
合法じゃ無理……ハッ!?
まさか盗みとか、悪いことをしようってわけじゃないですよね!!
ダメですよ、悪いことは! ストップ犯罪!!
「お母様、悪いことをしちゃいけません! 私のために、犯罪に手を染めないでください!!」
私は拳を握りしめながら、力説する。
どうか、私の説得がお母様に届きますように!
だけど、私の言葉を聞いたお父様とお母様は目を点にしたあと、大爆笑しながら机に突っ伏した。
あれっ、どうして爆笑されるの!?
ここは、説得後のしんみりした雰囲気にひたるところじゃないの?
私達のまわりで遊んでいたラディとレティも、両親の姿を見て不思議そうにしている。
「どうして、わらってりゅの?」
「どーちて?」
ラディ、レティ、それは姉様が一番知りたいですよ。
ひとしきり笑ったお父様とお母様は、顔を上げる。その目元には、うっすらと光る涙が。
そんなに笑わなくても……
「うふふ、私の言い方が悪かったから、リリアナちゃんは仮面を盗むという意味で捉えちゃったのね。安心してちょうだい。そんなこと、決してしないわ」
私は恥ずかしさに、顔が熱くなる。
両親が犯罪行為をするんじゃないかと思うなんて、誤解とはいえ酷いですよね。誰か、数分前の私を穴に埋めてください。
「勘違いしちゃって、ごめんなさい」
私がしゅんと肩を落としながら謝ると、お母様は綺麗な銀色の髪を揺らして首を振る。
「いいのよ。気にしないでちょうだい。私が言いたかったのはね、グエルに頼んで新たに仮面を造ってもらうことができるんじゃないかしら、ということ」
「えっ!?」
お母様の言葉に、私は思わずポカンとしてしまう。
「幻影の仮面を、新たに造ってもらう……」
確かに、そうすれば犯罪に手を染めることなく、幻影の仮面を手に入れることができますね。その発想はありませんでした。
希望の光が見えたような気がしたけれど、すぐに重要なことを思い出す。
「でもグエルさんは、遠く離れたカイウェル王国にいらっしゃるんですよね……」
子供の私がカイウェル王国に行くには、たくさんの人に助けてもらわなくちゃならない。
それに、この外見で異国まで旅をするなんて不安だ。セイルレーン創造神様と同じ色を持っている以上、きっと危険がつきまとう。
あるいは、代理の誰かに行ってもらうとか?
仮面の製作をグエルさんにお願いし、造ってもらって帰ってくる。
言葉にするのは簡単だけど、どれほど時間がかかることか……
一年くらい? それとも二、三年? ううん、もっとかかるかも。
随分と先の長い話だし、代理の人にも迷惑だよね。
頭では難しいことだとわかっているけれど……幻影の仮面は欲しい。
子供の間は領主館に閉じこもっていて問題はないものの、成長したらそうも言っていられないんです。
成人とみなされる十六歳になると、王都で開かれるイベントに呼ばれる。
それは、初花の儀。
成人の年を迎えた貴族の子息や令嬢は、必ず参加しなくちゃいけない。つまりは、強制参加。
儀式に参加するときには、嫌でも外に出る必要がある。
私は、もう十二歳。タイムリミットは、刻一刻と近づいてきています。
それまでに魔法でなんとかできたらいいんだけど……
瞳と髪の色を変えるべく、魔法の特訓を始めて二年半。その成果は、今のところ二、三分の持続時間。この計算だと、十四歳で六分、十六歳で九分でしょうか。
うん、絶望的です……
十六歳になる頃、瞳の色だけであれば、半日くらい変えられるようになるかもしれない。
儀式の日は鬘で髪の色を誤魔化して、魔法が解けないか不安と戦いながら、王宮に向かうことになりそう。
……考えてみたら、私はこの先、ずっとそんな生活をしなければならないのかもしれない。
きっと、家族や大切な人達に迷惑がかかることだって、たくさんあるだろう。
そんなの、嫌です。
うん、やっぱり私は、幻影の仮面を手に入れたい。
だって、それ一つでお悩み解決なんですから。
自分の魔法をあてにするより、幻影の仮面のほうが確実だよね。
私、決めました!
幻影の仮面、なんとしてでも手に入れてみせます!!
「お母様、グエルさんに幻影の仮面の製作をお願いしたいと思います! カイウェル王国がどんなに遠くても、私は行きたいです!!」
「うふふ、リリアナちゃんはついているわよ。なんと今、そのグエルはシェルフィールド王国の王都にいるんだから!」
「えぇーーーーーー!!」
「おめでとう、リリアナちゃん」
お母様は、うれしそうに拍手をする。それを見ていたラディとレティも、真似してパチパチと手を叩いた。
私の聞き間違いじゃないですよね?
今、グエルさんがシェルフィールド王国の王都にいるって、言いました!?
「なっ、なんでこの国にいるんですか!?」
そんなに都合がいいことって、あるんでしょうか?
「それはね、グエルの評判を聞きつけた国王陛下が、王太子様の剣の製作を依頼したからだよ。グエルは、王太子様の人柄を見て剣を造るかどうか決める、と言って、遥々シェルフィールド王国まで来てくれたんだ。王太子様は立場上、そう簡単にカイウェル王国まで行けないからね」
凄い! 私は本当についていますね!!
「じゃあ、王太子様の剣を造り終わったら、幻影の仮面の製作をお願いすればいいんですね!」
「そうだね。ただ、一つ問題があるんだ。実は先日、使者を立ててグエルに仮面の製作をお願いしたんだけれど……」
さすがはお父様! 仕事が早いですね!!
「それで、どうなったんですか?」
私は手に汗を握り、お父様に尋ねる。
「残念ながら、断られてしまったよ」
「そんな!」
せっかく幻影の仮面を造ってもらえるかもしれないと思ったのに、すでに断られていただなんて!
「リリアナ、それには理由があるんだ。グエルは物を造るとき、依頼人を見てから造るかどうかを判断するらしい。王太子様の剣もそうだ。でも、依頼人であるリリアナは彼に会っていないよね?」
なるほど……。そういうことですか。
「つまり、私がグエルさんに会いにいかなくてはいけないってことですね!」
「正解だ。リリアナを王都に連れていくのは心配だけど、それ以上に得るものは大きいと思う。判断は、リリアナ次第だよ。さぁ、どうするかい?」
依頼するにしても、依頼主である私が出向かないなんて、失礼な話だもんね。
答えは、決まっています。
「私、王都ローレリアに行きます!」
私達を乗せた馬車は王都に辿り着き、私はお父様と一緒に王宮へやってきました。
私は広い廊下を歩きながら、落ち着きなくあたりを見まわす。
「リリアナ、そんなに上を向いて首が痛くないかい?」
「だって凄いです! 大迫力です! どこを見ても、王宮はキラキラしているんですね!!」
案内役の女官のお姉さんは、微笑ましそうに私を見つめている。
フッフッフッ、そんなに見られても問題はありませんよ。私の変装に、抜かりはないからね。
先ほど魔法をかけたから、瞳は淡紅色に変化している。
頭には白金色の鬘を被って一つに纏め、その上にはドレスキャップを装備。ドレスキャップが飛ばないように紐を顎の下でしっかり結んでいるので、完璧です。
ちなみにこのドレスキャップは三角巾みたいな形で、リボンやレースがついていて、とても可愛い。なにより、髪の毛がすっぽりと隠れる素敵なアイテムなんですよ。
今、王都では帽子が大流行中。中には、ベールを被っている人もいる。
だから、便乗させてもらいました。
本当はベールで顔をすっぽり隠してしまいたかったけど、我慢しました。さすがにお城では怪しまれると思うし、これから会うグエルさんにも失礼だよね。
なにはともあれ、帽子を流行させてくれたあの子に感謝です。
お父様は、女官のお姉さんに向かって微笑んだ。
「すまないね。娘は初めて王宮に来たものだから、興奮しているんだ」
「とんでもございません」
さすがは女官のお姉さん。にっこり笑顔で、私達を案内してくれます。
やがてお姉さんは、ある扉の前で立ち止まった。
「オリヴィリア伯爵様、リリアナお嬢様。こちらがグエル様の部屋にございます」
お姉さんはそう言いながら、一礼する。
ここにグエルさんがいるんですね。緊張します。
オリヴィリア領から、王都に来ることになった目的の人。
今回、お母様と可愛い双子の弟妹は、オリヴィリア領でお留守番です。
そのかわりに、お父様とミーナちゃん、シリウス先生、お父様の補佐官であるアレスさんが一緒に来てくれました。持つべきものは、友ですね。
グエルさんは、王太子様と会って剣を造ることに決めたんだって。
なので賓客という扱いで王宮に滞在し、鍛冶場で剣を造っているらしい。
私とお父様は幻影の仮面の製作を依頼すべく、ここまでやってきました。
はじめは王宮に入ることができるか心配だったけど、お父様が伯爵だからなのか、楽々だった。貴族でよかったな、とつくづく思います。
「お姉さん、ありがとうございました!」
私がお礼を言うと、お姉さんは驚きの表情を浮かべた。だけど、すぐに微笑む。
「いえ、こちらで少々お待ちくださいませ。グエル様の様子をおうかがいしてまいります」
女官のお姉さんは扉を軽くノックして、中から現れた金髪の侍女さんに、私達の訪問を告げる。
私は、お父様に小声で話しかけた。
「ねぇ、お父様。グエルさんは、引き受けてくれるでしょうか?」
依頼人を見てから、引き受けるかどうかを決めるというグエルさん。
果たして、私はそのお眼鏡にかなうのでしょうか……
私は、緊張から汗ばむ手を握りしめた。
「リリアナ、さっきの元気はどこにいったんだい?」
「だって……」
不安にもなりますよ。それ次第で、私の将来が変わるのだから。
私は眉を寄せて、お父様を見上げる。
「大丈夫だよ。真心を見せたら、きっとリリアナの思いに応えてくれるよ」
お父様は私を安心させるように、ふんわりと抱きしめてくれた。
その優しい温もりに、不安でいっぱいだった心が軽くなっていく。
「お父様、ありがとうございます。そうですよね。当たって砕けろですよね!」
「砕けちゃまずいんじゃないかい?」
お父様は私の耳元でクスクスと笑うと、そっと身体を離す。
「あっ、そうでした! じゃあ、当たって受け入れてもらいますね!!」
行動する前からクヨクヨしていてはダメですよね。
どうか、グエルさんが引き受けてくれますように。
そうこうしていると、準備が整ったようで、金髪の侍女さんが声をかけてきた。
「お待たせいたしました。どうぞ、お入りください」
私達は侍女さんのあとについて、部屋へ入る。
するとそこには、一人の男性が立っていた。
夜の闇みたいに真っ黒な髪と、濃い茶色の瞳。
まるで日本人のような色の組み合わせに、どこか懐かしさを感じる。
目鼻立ちははっきりとしていて、精悍な印象。ちょっと強面かも。
年齢は、三十代半ばくらいかな?
「ようこそお越しくださいました。炎と鍛冶の男神様が加護するカイウェル王国より参りました、グエル・プロイスと申します。以後、お見知りおきを」
グエルさんはそう言って、私達に礼をする。
「はじめまして。私はルイス・ル・ディオン・オリヴィリア。今日は時間を作っていただき、感謝する」
お父様が挨拶をすると、グエルさんは「ディオン……」と呟いた。
ディオンは、美と愛と豊穣の女神様の血を引くシェルフィールド王家と、アルディーナ大公爵家の直系だけが名乗ることを許されている名前。
グエルさんも炎と鍛冶の男神様の血を引くプロイス家の生まれだから、なにか思うところがあったのかも。
「はじめまして、娘のリリアナ・ラ・オリヴィリアと申します。グエルさん、よろしくお願いいたします」
礼をして頭を上げれば、グエルさんが私をまじまじと見ていた。
うわぁ、どうしよう。もう試されているのかな?
私がどぎまぎしていると、グエルさんは視線を外して私達に椅子をすすめてくれた。
私とお父様は椅子に腰を下ろし、グエルさんも向かい側に座る。
「では、さっそく話を始めようか。使者からも聞いていると思うが、君の造った幻影の仮面――それを、娘のために造ってほしい。どうか、この依頼を受けてはもらえないだろうか?」
そう切り出したお父様に、グエルさんは小さく息を吐いて言った。
「……申し訳ありません。まさか実際に私を訪ねるわけがないと思い、依頼主が私のもとへ来るのであれば考える、と使者に伝えました。そう言えば、諦めると思ったのです。あのときは、私がシェルフィールド王国を訪ねることになるなど、夢にも思っていませんでしたから」
「その言い方は、まるで……」
私の呟きに、グエルさんは同意するように頷く。
「その通りです。私は、そもそもこの依頼を受ける気はありませんでした。申し訳ございません」
「どうしてですか!?」
思わず大きな声を上げると、グエルさんは静かに語り出した。
「幻影の仮面。あれは、とても危険なものです。仮面を被れば、いとも簡単に容姿を変えることができる。悪しき思いを持つ者は、仮面を犯罪に用いるかもしれない。手にした者の心によって、使い方は善にも悪にもなるのです。オリヴィリア伯爵様の他にも、幻影の仮面を製作してほしいという依頼はたくさんありました。しかし、いくら金を積まれようと、その依頼はお受けできません」
確かに、幻影の仮面さえあれば、心ない人達は罪を犯してしまうかもしれない。
この世界には、指紋鑑定やDNA鑑定なんてもちろんない。
手がかりといえば、外見の特徴くらい……。それが変化していたら、犯人を捕まえることはできない。最悪の場合、実在の人物になりすまして罪を犯し、冤罪が生まれる可能性だってある。
私、考えが甘かったようですね……
グエルさんの意思は、鋼鉄のように固そうです。
私は自分のことしか考えていなかった浅はかさに、顔を強張らせた。
グエルさんは、さらに続ける。
「見たところ、リリアナお嬢様に幻影の仮面が必要だとは思いません。顔をさらせないほどの火傷や傷があるわけでもありませんし……。ですから、申し訳ないのですが、幻影の仮面は諦めてください。しかし、せっかくここまで来てくださったのです。お詫びとして、他の品物をご用意いたします」
グエルさんは椅子から立ち上がり、私達に頭を下げた。
うぅ、他の品物では意味がないんです。幻影の仮面じゃなきゃ……
どうしよう。このままじゃ、幻影の仮面を造ってもらえないよ。
だけど、私がいくらお願いをしても無理そうですね。実際に、あれを見なければ。
グエルさんの言うことはもっともだと思うけれど、こちらだって簡単に引き下がれませんよ!
この部屋には、グエルさんとお父様しかいない。
かくなる上は――
「解除」
そう呟くと、私を覆っていた魔力が霧散する。
隣に座っていたお父様は、私の行動に目を見開きながらも、小さく頷いた。
「頭を上げてください、グエルさん。グエルさんの言いたいこともわかります。だけど、私にも幻影の仮面を欲している理由があるんです。決して、遊び半分で欲しがっているわけではありません!」
私はドレスキャップの結び目をほどき、勢いよく鬘と一緒に取り払った。
すると、私の銀色の髪が流れるようにこぼれ落ちる。
瞳にかけた魔法も解いたから、紫水晶色に戻っているだろう。
私は、グエルさんに本当の姿をさらした。
「なっ、まさか!?」
顔を上げたグエルさんは、大きく目を見開いた。
「私のこの姿をどう思いますか?」
この姿を見せずに済むのであれば、そうしたい。
だけど、それじゃダメだと気づきました。
嘘偽りのない姿と心でぶつからなければ、グエルさんを動かすことはできません。
それに、権力者に屈しないグエルさんは、信頼できると思った。
だから、ありのままの私でお願いしよう。
室内は、沈黙に包まれた。
私は緊張から、こくりと喉を鳴らす。
静寂を破ったのは、グエルさんだった。
「銀髪に紫水晶色の瞳……まさか、本物なのか……」
嘘だと思うのも仕方がないですよね。長い歴史を紐解いても、この二つの色を持っていたのは、セイルレーン創造神様とアルディーナ様だけなのだから。
「残念ですが、これは私が生まれ持った色彩です。この色彩故に、私は外出することもままなりません。本来の姿を知ると、人々は私を神の娘と呼ぶ。神々の一族の末裔なのだから、奇跡を起こせるだろうと、すがってくるんです……」
脳裏には、瘴気に冒された人達の姿が浮かぶ。
私は震える身体を、自分でぎゅっと抱きしめた。
「私には、奇跡なんて起こせません。ただの人なのですから。けれど、神々の一族の末裔という言葉を否定できない事情もあるんです」
私は、ただの十二歳の女の子なのに。
まぁ、前世の記憶を持っている分、ちょっぴり他の人とは違いますけどね。
「なるほど……。だから、伯爵はディオンを名乗ったのですね」
グエルさんは、得心のいった様子で頷いた。
お父様は意味深な笑みを浮かべて、私の言葉を補足してくれる。
「カイウェル王国は遠いから、シェルフィールド王国の貴族の家事情までは知らないだろう? 私はね、アルディーナ大公爵家の嫡子として生を受けた。だがすべての権利を放棄して、大公爵家の分家にあたるオリヴィリア伯爵家を継いだんだ。娘は、美と愛と豊穣の女神様の血を引いている。君になら、その意味がわかるはずだ」
「私、外に出るときは変装をして過ごしてきました。私の魔法の持続時間は、とても短いんです。そして、できるだけ家に閉じこもっていました。だけど、私はずっと悩んでいた……そんなときです。グエルさんの――幻影の仮面の話を聞いたのは。私、とってもうれしかったんです。勝手な話ですが、幻影の仮面があれば、私のせいで皆に迷惑をかけなくてすむかもしれないって思いました。グエルさんの造り出す幻影の仮面だけが、私の希望なんです! お願いです! 幻影の仮面を造ってください!!」
私は、思いの丈をグエルさんにぶつける。
どうかお願いです。グエルさんが、幻影の仮面を造ってくれますように。
私は、祈るように両手の指を組んだ。
「……リリアナお嬢様の事情は、わかりました。しかし、それでも私はこの話を受けることはできません」
「どうしてですか!?」
そんな! 私には、グエルさんだけが頼みの綱なのに!!
「リリアナお嬢様の気持ちは、痛いほどわかります。しかし、私は二度と幻影の仮面を造らないと神に誓ったのです。一つでも前例を許せば、他の者が納得するはずがありません。だから私は、たとえどんなに辛い境遇の者であろうとも、どんなに金を積まれようとも、この件に関して請け負わないと決めているのです」
つまり、私がこれ以上お願いしても、結果は変わらないと言いたいんだね。
グエルさんは自分の意見を曲げない、清廉な人でした。その姿勢は、素晴らしいと思います。
……難攻不落の要塞みたいで、お手上げですよ。
セイルレーン最高神様によって神々が地上へ降りることを禁じられる前、地上には多くの神様がいたそうです。
やがて地上から神様がいなくなっても、神様が使っていた品物の一部は、地上に遺されたみたい。それらは不思議な力が込められているものばかりで、聖遺物と呼ばれています。まぁ、忘れ物とも言うけれど……
神様も、うっかりさんですよね。
お父様は私の顔を見つめて、口を開く。
「その仮面は、身につけた者が望む姿に外見を変化させることができるそうだよ。顔の造作はもちろん、異性の姿になることもできるらしい。だから、その仮面は幻影の仮面と呼ばれている」
「幻影の仮面……」
いとも簡単に、容姿を変えてしまう仮面。
もしその仮面があれば、私の瞳と髪の色を変えることができますね……
私は思わず、自分の髪に触れる。
「ねぇ、リリアナちゃん。その幻影の仮面、欲しくない?」
お母様は、まるで今日の天気でも尋ねるように、軽い調子で言う。
「もちろん欲しいです。だけど、そんなの……無理に決まってます」
仮面を身につけたら、堂々と外に出ることができる。
でも、聖遺物みたいだって言われるほど、誉れ高い仮面ですよ。
そんな凄いもの、私のような小娘が手にできるとは到底思えません。
「うん、そうね。幻影の仮面は、セイルレーン教会が聖遺物に違いないって無茶な理由をつけて、回収しちゃったらしいわ」
ほらっ、やっぱり無理じゃないですか。
ただ、幻影の仮面を手に入れることが不可能でも、一度くらいこの目で見てみたかった。
教会に回収されてしまったあとでは、その願いも叶いそうにありませんが。残念です。
とはいえ、ここで教会が出てくるとはビックリ。
教会は、魔石の市場も独占しています。魔力が封じこめられた魔石は教会が管理していて、入手するためにはお布施が必要になる。
教会って、意外と俗っぽいところがありますよね。
私がそんなことを考えていると、お母様はにっこりと笑いながら言う。
「でも、すぐに無理だって決めつけなくてもいいんじゃないかしら? 仮面は教会に回収されちゃったけれど、手に入れる方法はあるわよ」
いやいや、無理でしょう、お母様。
だって、教会に保管されているんだよ。合法で手に入れるのは、無理だと思うんです。
合法じゃ無理……ハッ!?
まさか盗みとか、悪いことをしようってわけじゃないですよね!!
ダメですよ、悪いことは! ストップ犯罪!!
「お母様、悪いことをしちゃいけません! 私のために、犯罪に手を染めないでください!!」
私は拳を握りしめながら、力説する。
どうか、私の説得がお母様に届きますように!
だけど、私の言葉を聞いたお父様とお母様は目を点にしたあと、大爆笑しながら机に突っ伏した。
あれっ、どうして爆笑されるの!?
ここは、説得後のしんみりした雰囲気にひたるところじゃないの?
私達のまわりで遊んでいたラディとレティも、両親の姿を見て不思議そうにしている。
「どうして、わらってりゅの?」
「どーちて?」
ラディ、レティ、それは姉様が一番知りたいですよ。
ひとしきり笑ったお父様とお母様は、顔を上げる。その目元には、うっすらと光る涙が。
そんなに笑わなくても……
「うふふ、私の言い方が悪かったから、リリアナちゃんは仮面を盗むという意味で捉えちゃったのね。安心してちょうだい。そんなこと、決してしないわ」
私は恥ずかしさに、顔が熱くなる。
両親が犯罪行為をするんじゃないかと思うなんて、誤解とはいえ酷いですよね。誰か、数分前の私を穴に埋めてください。
「勘違いしちゃって、ごめんなさい」
私がしゅんと肩を落としながら謝ると、お母様は綺麗な銀色の髪を揺らして首を振る。
「いいのよ。気にしないでちょうだい。私が言いたかったのはね、グエルに頼んで新たに仮面を造ってもらうことができるんじゃないかしら、ということ」
「えっ!?」
お母様の言葉に、私は思わずポカンとしてしまう。
「幻影の仮面を、新たに造ってもらう……」
確かに、そうすれば犯罪に手を染めることなく、幻影の仮面を手に入れることができますね。その発想はありませんでした。
希望の光が見えたような気がしたけれど、すぐに重要なことを思い出す。
「でもグエルさんは、遠く離れたカイウェル王国にいらっしゃるんですよね……」
子供の私がカイウェル王国に行くには、たくさんの人に助けてもらわなくちゃならない。
それに、この外見で異国まで旅をするなんて不安だ。セイルレーン創造神様と同じ色を持っている以上、きっと危険がつきまとう。
あるいは、代理の誰かに行ってもらうとか?
仮面の製作をグエルさんにお願いし、造ってもらって帰ってくる。
言葉にするのは簡単だけど、どれほど時間がかかることか……
一年くらい? それとも二、三年? ううん、もっとかかるかも。
随分と先の長い話だし、代理の人にも迷惑だよね。
頭では難しいことだとわかっているけれど……幻影の仮面は欲しい。
子供の間は領主館に閉じこもっていて問題はないものの、成長したらそうも言っていられないんです。
成人とみなされる十六歳になると、王都で開かれるイベントに呼ばれる。
それは、初花の儀。
成人の年を迎えた貴族の子息や令嬢は、必ず参加しなくちゃいけない。つまりは、強制参加。
儀式に参加するときには、嫌でも外に出る必要がある。
私は、もう十二歳。タイムリミットは、刻一刻と近づいてきています。
それまでに魔法でなんとかできたらいいんだけど……
瞳と髪の色を変えるべく、魔法の特訓を始めて二年半。その成果は、今のところ二、三分の持続時間。この計算だと、十四歳で六分、十六歳で九分でしょうか。
うん、絶望的です……
十六歳になる頃、瞳の色だけであれば、半日くらい変えられるようになるかもしれない。
儀式の日は鬘で髪の色を誤魔化して、魔法が解けないか不安と戦いながら、王宮に向かうことになりそう。
……考えてみたら、私はこの先、ずっとそんな生活をしなければならないのかもしれない。
きっと、家族や大切な人達に迷惑がかかることだって、たくさんあるだろう。
そんなの、嫌です。
うん、やっぱり私は、幻影の仮面を手に入れたい。
だって、それ一つでお悩み解決なんですから。
自分の魔法をあてにするより、幻影の仮面のほうが確実だよね。
私、決めました!
幻影の仮面、なんとしてでも手に入れてみせます!!
「お母様、グエルさんに幻影の仮面の製作をお願いしたいと思います! カイウェル王国がどんなに遠くても、私は行きたいです!!」
「うふふ、リリアナちゃんはついているわよ。なんと今、そのグエルはシェルフィールド王国の王都にいるんだから!」
「えぇーーーーーー!!」
「おめでとう、リリアナちゃん」
お母様は、うれしそうに拍手をする。それを見ていたラディとレティも、真似してパチパチと手を叩いた。
私の聞き間違いじゃないですよね?
今、グエルさんがシェルフィールド王国の王都にいるって、言いました!?
「なっ、なんでこの国にいるんですか!?」
そんなに都合がいいことって、あるんでしょうか?
「それはね、グエルの評判を聞きつけた国王陛下が、王太子様の剣の製作を依頼したからだよ。グエルは、王太子様の人柄を見て剣を造るかどうか決める、と言って、遥々シェルフィールド王国まで来てくれたんだ。王太子様は立場上、そう簡単にカイウェル王国まで行けないからね」
凄い! 私は本当についていますね!!
「じゃあ、王太子様の剣を造り終わったら、幻影の仮面の製作をお願いすればいいんですね!」
「そうだね。ただ、一つ問題があるんだ。実は先日、使者を立ててグエルに仮面の製作をお願いしたんだけれど……」
さすがはお父様! 仕事が早いですね!!
「それで、どうなったんですか?」
私は手に汗を握り、お父様に尋ねる。
「残念ながら、断られてしまったよ」
「そんな!」
せっかく幻影の仮面を造ってもらえるかもしれないと思ったのに、すでに断られていただなんて!
「リリアナ、それには理由があるんだ。グエルは物を造るとき、依頼人を見てから造るかどうかを判断するらしい。王太子様の剣もそうだ。でも、依頼人であるリリアナは彼に会っていないよね?」
なるほど……。そういうことですか。
「つまり、私がグエルさんに会いにいかなくてはいけないってことですね!」
「正解だ。リリアナを王都に連れていくのは心配だけど、それ以上に得るものは大きいと思う。判断は、リリアナ次第だよ。さぁ、どうするかい?」
依頼するにしても、依頼主である私が出向かないなんて、失礼な話だもんね。
答えは、決まっています。
「私、王都ローレリアに行きます!」
私達を乗せた馬車は王都に辿り着き、私はお父様と一緒に王宮へやってきました。
私は広い廊下を歩きながら、落ち着きなくあたりを見まわす。
「リリアナ、そんなに上を向いて首が痛くないかい?」
「だって凄いです! 大迫力です! どこを見ても、王宮はキラキラしているんですね!!」
案内役の女官のお姉さんは、微笑ましそうに私を見つめている。
フッフッフッ、そんなに見られても問題はありませんよ。私の変装に、抜かりはないからね。
先ほど魔法をかけたから、瞳は淡紅色に変化している。
頭には白金色の鬘を被って一つに纏め、その上にはドレスキャップを装備。ドレスキャップが飛ばないように紐を顎の下でしっかり結んでいるので、完璧です。
ちなみにこのドレスキャップは三角巾みたいな形で、リボンやレースがついていて、とても可愛い。なにより、髪の毛がすっぽりと隠れる素敵なアイテムなんですよ。
今、王都では帽子が大流行中。中には、ベールを被っている人もいる。
だから、便乗させてもらいました。
本当はベールで顔をすっぽり隠してしまいたかったけど、我慢しました。さすがにお城では怪しまれると思うし、これから会うグエルさんにも失礼だよね。
なにはともあれ、帽子を流行させてくれたあの子に感謝です。
お父様は、女官のお姉さんに向かって微笑んだ。
「すまないね。娘は初めて王宮に来たものだから、興奮しているんだ」
「とんでもございません」
さすがは女官のお姉さん。にっこり笑顔で、私達を案内してくれます。
やがてお姉さんは、ある扉の前で立ち止まった。
「オリヴィリア伯爵様、リリアナお嬢様。こちらがグエル様の部屋にございます」
お姉さんはそう言いながら、一礼する。
ここにグエルさんがいるんですね。緊張します。
オリヴィリア領から、王都に来ることになった目的の人。
今回、お母様と可愛い双子の弟妹は、オリヴィリア領でお留守番です。
そのかわりに、お父様とミーナちゃん、シリウス先生、お父様の補佐官であるアレスさんが一緒に来てくれました。持つべきものは、友ですね。
グエルさんは、王太子様と会って剣を造ることに決めたんだって。
なので賓客という扱いで王宮に滞在し、鍛冶場で剣を造っているらしい。
私とお父様は幻影の仮面の製作を依頼すべく、ここまでやってきました。
はじめは王宮に入ることができるか心配だったけど、お父様が伯爵だからなのか、楽々だった。貴族でよかったな、とつくづく思います。
「お姉さん、ありがとうございました!」
私がお礼を言うと、お姉さんは驚きの表情を浮かべた。だけど、すぐに微笑む。
「いえ、こちらで少々お待ちくださいませ。グエル様の様子をおうかがいしてまいります」
女官のお姉さんは扉を軽くノックして、中から現れた金髪の侍女さんに、私達の訪問を告げる。
私は、お父様に小声で話しかけた。
「ねぇ、お父様。グエルさんは、引き受けてくれるでしょうか?」
依頼人を見てから、引き受けるかどうかを決めるというグエルさん。
果たして、私はそのお眼鏡にかなうのでしょうか……
私は、緊張から汗ばむ手を握りしめた。
「リリアナ、さっきの元気はどこにいったんだい?」
「だって……」
不安にもなりますよ。それ次第で、私の将来が変わるのだから。
私は眉を寄せて、お父様を見上げる。
「大丈夫だよ。真心を見せたら、きっとリリアナの思いに応えてくれるよ」
お父様は私を安心させるように、ふんわりと抱きしめてくれた。
その優しい温もりに、不安でいっぱいだった心が軽くなっていく。
「お父様、ありがとうございます。そうですよね。当たって砕けろですよね!」
「砕けちゃまずいんじゃないかい?」
お父様は私の耳元でクスクスと笑うと、そっと身体を離す。
「あっ、そうでした! じゃあ、当たって受け入れてもらいますね!!」
行動する前からクヨクヨしていてはダメですよね。
どうか、グエルさんが引き受けてくれますように。
そうこうしていると、準備が整ったようで、金髪の侍女さんが声をかけてきた。
「お待たせいたしました。どうぞ、お入りください」
私達は侍女さんのあとについて、部屋へ入る。
するとそこには、一人の男性が立っていた。
夜の闇みたいに真っ黒な髪と、濃い茶色の瞳。
まるで日本人のような色の組み合わせに、どこか懐かしさを感じる。
目鼻立ちははっきりとしていて、精悍な印象。ちょっと強面かも。
年齢は、三十代半ばくらいかな?
「ようこそお越しくださいました。炎と鍛冶の男神様が加護するカイウェル王国より参りました、グエル・プロイスと申します。以後、お見知りおきを」
グエルさんはそう言って、私達に礼をする。
「はじめまして。私はルイス・ル・ディオン・オリヴィリア。今日は時間を作っていただき、感謝する」
お父様が挨拶をすると、グエルさんは「ディオン……」と呟いた。
ディオンは、美と愛と豊穣の女神様の血を引くシェルフィールド王家と、アルディーナ大公爵家の直系だけが名乗ることを許されている名前。
グエルさんも炎と鍛冶の男神様の血を引くプロイス家の生まれだから、なにか思うところがあったのかも。
「はじめまして、娘のリリアナ・ラ・オリヴィリアと申します。グエルさん、よろしくお願いいたします」
礼をして頭を上げれば、グエルさんが私をまじまじと見ていた。
うわぁ、どうしよう。もう試されているのかな?
私がどぎまぎしていると、グエルさんは視線を外して私達に椅子をすすめてくれた。
私とお父様は椅子に腰を下ろし、グエルさんも向かい側に座る。
「では、さっそく話を始めようか。使者からも聞いていると思うが、君の造った幻影の仮面――それを、娘のために造ってほしい。どうか、この依頼を受けてはもらえないだろうか?」
そう切り出したお父様に、グエルさんは小さく息を吐いて言った。
「……申し訳ありません。まさか実際に私を訪ねるわけがないと思い、依頼主が私のもとへ来るのであれば考える、と使者に伝えました。そう言えば、諦めると思ったのです。あのときは、私がシェルフィールド王国を訪ねることになるなど、夢にも思っていませんでしたから」
「その言い方は、まるで……」
私の呟きに、グエルさんは同意するように頷く。
「その通りです。私は、そもそもこの依頼を受ける気はありませんでした。申し訳ございません」
「どうしてですか!?」
思わず大きな声を上げると、グエルさんは静かに語り出した。
「幻影の仮面。あれは、とても危険なものです。仮面を被れば、いとも簡単に容姿を変えることができる。悪しき思いを持つ者は、仮面を犯罪に用いるかもしれない。手にした者の心によって、使い方は善にも悪にもなるのです。オリヴィリア伯爵様の他にも、幻影の仮面を製作してほしいという依頼はたくさんありました。しかし、いくら金を積まれようと、その依頼はお受けできません」
確かに、幻影の仮面さえあれば、心ない人達は罪を犯してしまうかもしれない。
この世界には、指紋鑑定やDNA鑑定なんてもちろんない。
手がかりといえば、外見の特徴くらい……。それが変化していたら、犯人を捕まえることはできない。最悪の場合、実在の人物になりすまして罪を犯し、冤罪が生まれる可能性だってある。
私、考えが甘かったようですね……
グエルさんの意思は、鋼鉄のように固そうです。
私は自分のことしか考えていなかった浅はかさに、顔を強張らせた。
グエルさんは、さらに続ける。
「見たところ、リリアナお嬢様に幻影の仮面が必要だとは思いません。顔をさらせないほどの火傷や傷があるわけでもありませんし……。ですから、申し訳ないのですが、幻影の仮面は諦めてください。しかし、せっかくここまで来てくださったのです。お詫びとして、他の品物をご用意いたします」
グエルさんは椅子から立ち上がり、私達に頭を下げた。
うぅ、他の品物では意味がないんです。幻影の仮面じゃなきゃ……
どうしよう。このままじゃ、幻影の仮面を造ってもらえないよ。
だけど、私がいくらお願いをしても無理そうですね。実際に、あれを見なければ。
グエルさんの言うことはもっともだと思うけれど、こちらだって簡単に引き下がれませんよ!
この部屋には、グエルさんとお父様しかいない。
かくなる上は――
「解除」
そう呟くと、私を覆っていた魔力が霧散する。
隣に座っていたお父様は、私の行動に目を見開きながらも、小さく頷いた。
「頭を上げてください、グエルさん。グエルさんの言いたいこともわかります。だけど、私にも幻影の仮面を欲している理由があるんです。決して、遊び半分で欲しがっているわけではありません!」
私はドレスキャップの結び目をほどき、勢いよく鬘と一緒に取り払った。
すると、私の銀色の髪が流れるようにこぼれ落ちる。
瞳にかけた魔法も解いたから、紫水晶色に戻っているだろう。
私は、グエルさんに本当の姿をさらした。
「なっ、まさか!?」
顔を上げたグエルさんは、大きく目を見開いた。
「私のこの姿をどう思いますか?」
この姿を見せずに済むのであれば、そうしたい。
だけど、それじゃダメだと気づきました。
嘘偽りのない姿と心でぶつからなければ、グエルさんを動かすことはできません。
それに、権力者に屈しないグエルさんは、信頼できると思った。
だから、ありのままの私でお願いしよう。
室内は、沈黙に包まれた。
私は緊張から、こくりと喉を鳴らす。
静寂を破ったのは、グエルさんだった。
「銀髪に紫水晶色の瞳……まさか、本物なのか……」
嘘だと思うのも仕方がないですよね。長い歴史を紐解いても、この二つの色を持っていたのは、セイルレーン創造神様とアルディーナ様だけなのだから。
「残念ですが、これは私が生まれ持った色彩です。この色彩故に、私は外出することもままなりません。本来の姿を知ると、人々は私を神の娘と呼ぶ。神々の一族の末裔なのだから、奇跡を起こせるだろうと、すがってくるんです……」
脳裏には、瘴気に冒された人達の姿が浮かぶ。
私は震える身体を、自分でぎゅっと抱きしめた。
「私には、奇跡なんて起こせません。ただの人なのですから。けれど、神々の一族の末裔という言葉を否定できない事情もあるんです」
私は、ただの十二歳の女の子なのに。
まぁ、前世の記憶を持っている分、ちょっぴり他の人とは違いますけどね。
「なるほど……。だから、伯爵はディオンを名乗ったのですね」
グエルさんは、得心のいった様子で頷いた。
お父様は意味深な笑みを浮かべて、私の言葉を補足してくれる。
「カイウェル王国は遠いから、シェルフィールド王国の貴族の家事情までは知らないだろう? 私はね、アルディーナ大公爵家の嫡子として生を受けた。だがすべての権利を放棄して、大公爵家の分家にあたるオリヴィリア伯爵家を継いだんだ。娘は、美と愛と豊穣の女神様の血を引いている。君になら、その意味がわかるはずだ」
「私、外に出るときは変装をして過ごしてきました。私の魔法の持続時間は、とても短いんです。そして、できるだけ家に閉じこもっていました。だけど、私はずっと悩んでいた……そんなときです。グエルさんの――幻影の仮面の話を聞いたのは。私、とってもうれしかったんです。勝手な話ですが、幻影の仮面があれば、私のせいで皆に迷惑をかけなくてすむかもしれないって思いました。グエルさんの造り出す幻影の仮面だけが、私の希望なんです! お願いです! 幻影の仮面を造ってください!!」
私は、思いの丈をグエルさんにぶつける。
どうかお願いです。グエルさんが、幻影の仮面を造ってくれますように。
私は、祈るように両手の指を組んだ。
「……リリアナお嬢様の事情は、わかりました。しかし、それでも私はこの話を受けることはできません」
「どうしてですか!?」
そんな! 私には、グエルさんだけが頼みの綱なのに!!
「リリアナお嬢様の気持ちは、痛いほどわかります。しかし、私は二度と幻影の仮面を造らないと神に誓ったのです。一つでも前例を許せば、他の者が納得するはずがありません。だから私は、たとえどんなに辛い境遇の者であろうとも、どんなに金を積まれようとも、この件に関して請け負わないと決めているのです」
つまり、私がこれ以上お願いしても、結果は変わらないと言いたいんだね。
グエルさんは自分の意見を曲げない、清廉な人でした。その姿勢は、素晴らしいと思います。
……難攻不落の要塞みたいで、お手上げですよ。
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