アプリで知り合ったイケおじと××する話

市井安希

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アプリで知り合ったイケおじが×××する話

49 夢見た頃が過ぎて

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「それじゃ、田邊の結婚を祝って……カンパーイ!」
「カンパーイっ!」

ガチャンとジョッキをぶつけたのを合図に田邊の結婚祝いと言う名の飲み会が始まった。
俺と光太郎、大河、田邊、篠原、佐々木の高校時代から変わらないいつものメンバーだけど、全員揃うのは久しぶりだ。

毎日放課後の教室や体育館、カラオケやファミレスで何時間もだべっていた少年たちは27歳になって、金曜日の夜仕事終わりに集まって一番の生きがいみたいに酒を飲む立派な「大人」「社会人」になった。

場所は都内の「芸能人御用達で予約が取れない」ことで有名な「隠れ家的創作和食居酒屋」。メディアに紹介され芸能人後用達って知れ渡ってる時点で隠れ家ではないと思うけど、予約が取れないのは事実で、田邊とオーナーと知り合いで結婚祝いならと特別に定休日に店を開けてくれたと言う。
和洋折衷の煌びやかな装飾がされた個室は正直落ち着かないけど、田邊は好きそうだ。

「田邊の紹介じゃねーとこんなところ来れねーよなぁ」
「ホントホントー。いつどこで知り合いになったんだよ?すごいよなぁ~」
「いやいや、別にすごくないって」
「またまたーっ」

田邊は不動産会社に就職し営業のエースと呼ばれてるとか呼ばれてないとか。そして高校生の頃から付き合っていた彼女の奈々ちゃんとめでたく結婚だなんてあまりにも順風満帆すぎる。

「はぁー……俺、結婚すんのかぁ、なんか実感わかねぇな~」
「同棲してるならそんなもんじゃね?」
「んー。だよなー、やっぱ子供生まれたら変わる感じ?」
「生まれた時に変わるのは遅いって!デキた時点で覚悟決めなきゃ」
「覚悟……だよなぁ……」
「なんだよー、しんみりしちゃってさー!今から気にすぎ!!」

主役の田邊はさっきまでハイテンションなフリしてたけど内心は不安なんだろう。ちょっと浮かない顔して、6人の中で一番最初に結婚した佐々木に笑い飛ばされていた。
佐々木は25歳の時、年上の彼女とデキ婚してるから説得力があるというか、どっしり構えてる。妻子持ちは違うなと感じる瞬間がたくさんあるのに、外見は高校の頃とあまり変わってないから不思議な気持ちになる。

光太郎も外見が変わらない。……でも性格はちょっと変わった。

今はみんなのやりとりを見てのほほんと焼き鳥を頬張ってるけど、荒んだ暗い一面が見え隠れするようになった。社会の荒波に揉まれた結果だ。いや、就活の時からちょっと病んでたかな。

変わったのは大河と篠原だ。

大河は着飾るタイプだったけど、今は彼女の影響で落ち着いたシンプルなファッションを好むようになった。無印とか好きそうな感じ。
これはいいとして……問題なのは篠原だ。

会社でパワハラを受け精神を病み退職して、実家に帰って引きこもっていた時期があった。その時は誰も連絡が取れず、母親から容態を聞いていた。
今は別の職種に転職してなんとかやってるというが……かなり痩せてしまい顔つきも変わってしまった。昔の元気な姿はもう見られないのだろうか……。

大声でゲラゲラ笑って大河と競うように酒を飲んでいるが、どことなく無理しているように見えた。

「おいおい、大丈夫かよ、飛ばし過ぎじゃねー?」
「大学生じゃないんだからさー」
「いいじゃん明日休みだし!ってか裕治こそ大丈夫?全然飲んでもないし、食べてもないし……どうしたの?」
「え、別に……」

俺と光太郎が見かねて軽くたしなめると逆に心配されて、視線が一気に集まる。

「こんな高い店中々行かないしさ、味わって食ってんの」
「あはは、なんだ」
「そういうことか」

みんな納得してまた賑やかな雰囲気に戻る。
他愛のない話をして、いつの間にか放送中のドラマの話題になる。

「あ、そうだ。お前ら『アサコイ』見てる?」
「あー、見てる見てる!」
「結構面白いよなー」
「奈々ちゃんめっちゃハマってるわ。面白い?」

思い出したように大河がつぶやくと光太郎と田邊、佐々木が食いつき、篠原が首を傾げる。

『アサコイ』とは放送中のドラマ『朝に恋して』のことだ。
女優を目指すヒロインの朝香(あさか)が売れっ子小説家の真夜(しんや)と付き合うとか付き合わないとかをうだうだ繰り返してるよくある恋愛ドラマだ。

朝香役の新人女優が俺たちの出身校である秀清学園の生徒で、一部の撮影が秀清学園や地元行われている。

アサコイファンが聖地巡礼のために××市に訪れていているとニュースで見た。中でも人気真夜が住んでいる洋館だ。空き家の洋館風の家を監督が買い取って撮影スタジオにしたという。期間限定でサイン入りパネルや小道具が展示されていてるらしい。

「奈々ちゃんが真夜の家に行きたがっててさぁ。ってか××にあんなお屋敷みたいな家あったの知らなかったわ」
「端の方にあるしな。俺も知らなかった」
「えー屋敷みたいな家?何それ」
「ほら、これこれ」

光太郎がスマホで屋敷の写真を篠原に見せてあげる。

……少し記憶とは変わってしまったが、俺はこの屋敷を知っている。何度も訪れた。

「あー、ここかぁ」
「知ってんの?」
「ばーちゃんの家に行く途中に通りかかるんだよ。たまに郵便配達のバイク停まってたから人住んでるっぽかったけど、廃墟っていうかお化け屋敷っぽくてちょっと不気味だったなぁ……」
「へぇー、そんな感じだったんだ」
「そうそう、それでさー……」

酒も進みみんなドラマを交え学生時代の話で盛り上がっている。
俺も調子を合わせて頷き、笑うけどだんだん口の端が引きつってしまう。
なんとか意識をおしゃべりに向けようとするができない。受け入れ難い、ずっと逃げ続けている現実が襲いかかってくる。

トモナガさんは3年前の夏に死んだ。

トモナガさんのLINEアカウントで、甥を名乗る人物から『叔父は事故で亡くなりました。葬儀は身内で済ませました。それだけじゃ叔父が寂しがると思うので、もしよろしければお線香をあげに来てくれませんか』と連絡が来た。

その時は仕事が忙しくてトモナガさんとLINEも電話もしてなかった。精神的にトモナガさんに頼りすぎ、いや、べったりしすぎだって自覚があったからこれも良い機会だと感じていた。
トモナガさんもそれを察したとばかり思っていて、1週間くらい音沙汰なくても何の疑問も抱かなかった。

……信じられなかったけど、こんな悪趣味な嘘をつく必要はない。

指定されたマンションに行くと20代後半か30代前半の男の人が出迎えてくれた。トモナガさんと血のつながりがあるとわかる整った顔立ちだった。

部屋の隅にあるタンスの上に若い頃のトモナガさんの写真と骨箱、線香立ての代わりのインテリア風のお香立てが置いてあった。丁寧に弔うというより形だけの簡素な印象を受けた。

こんな小さな箱の中にトモナガさんがいることを……トモナガさんが死んだことをまだ信じられず呆然としていると、甥と名乗る男は淡々と「反対車線の車が突っ込んで来たんですって。遺体の損傷が激しくて、叔父は親族から絶縁されてたから葬式をしないで直葬しました。入る墓もないし永代供養することになりました。全部俺が手配しました」と告げた。

言葉の節々から「面倒ごとを片付けてやった」という感じが伝わり、嫌でもトモナガさんが亡くなったと思い知った。

泣き崩れて骨箱を抱きしめる俺を見て彼は満足そうに微笑んだ。

「叔父は何人もの男と関係を持っていたけど特にお気に入りの人がいて……。そいつを放って置けないからって俺のことは放って置いて1人で日本に帰りやがった。俺たちの人生をめちゃくちゃにしたくせに約束ひとつ守らなかった。
俺はそいつを探すために交友関係を漁って色んな人をこうやって呼び出してたんです。
……たぶん君だよね、なんか放って置けない顔してる。普通じゃないよ」とー……。

俺がトモナガさんの「お気に入り」「本命」だと思っていた人は彼だった。こんな風に真実を知るなんて思いもしなかった。

トモナガさんはずっと優しかった。

秋雄さんに対する後悔や不安を口にするたびトモナガさんは悲しい顔をするけど否定も肯定もせず黙って抱きしめてくれた。
ひどいことも言った。八つ当たりだってした。
トモナガさんが俺を置いていかなければ、秋雄さんと出会わなかったから。
俺がこんなに苦しんでるのはトモナガさんのせいだって思って本気で恨んだときもあった。
それでも俺を見捨てなかった……。

そんな優しいトモナガさんにも言えないことがあった。

大学2年の時、一度だけ自分を抑えられず秋雄さんの住むアパートに行ったことがある。顔が見たいとか話したいとかそんなつもりなくて、ただ秋雄さんの存在を感じたかった。
……「そんなつもりない」って自分でもストーカーっぽくてキモいと思う。

しかし表札には上西ではなく違う名前が書かれていた。
呆然と立ち尽くしているとレジ袋をぶら下げたあの川瀬という大学生がやってきた。彼はまだこのアパートに住んでいて、俺を覚えていたらしい。
変な顔してそそくさと部屋に入ろうとしたところを捕まえて秋雄さんの行方を尋ねた。
秋雄さんはあの騒ぎの後、「迷惑かけてすみません」とすぐに引っ越したという。
それから秋雄さんがいた運送会社にも行方を尋ねた。制服に書いてある会社名を覚えていたのだ。
電話に出た女性は秋雄さんの名前に驚きつつも悲しげな声色で「色々あったって言って4年くらい前に急に退職して、誰もどこで何をしてるかわからない」と教えてくれた。逆に「私たちもあの人のことを心配してる」「何かわかったら教えてほしい」と頼まれてしまった。

俺がいつか、トモナガさんが望むように未練や思いを断ち切れたら「こんなこともあったんだよ、ヤバいよね」って打ち明けて笑ってもらおうと思ってたのに……叶わなかった。

大切な2人を失ったこの世界はひどく窮屈で虚しくて味気なかった。
何度も死のうとした。……だけどできなかった。
覚悟は決めたはずなのに、いざその時になると色んな人たちの顔が浮かんでは消えた。

……俺には優しい家族がいる。どんな時も俺を責めたり叱ったりしないで支えてくれた。

友達もたくさんいる。秋雄さんとうまくいかなくて八つ当たりしたこともあったけど、何年も同じメンバーで集まって人生の節目を祝っている。これからも変わらないだろう。

良い会社に入って、仕事も人間関係もそこそこうまくやってる。

俺が自ら命を絶ったらこの人たちは優しいから心の底から悲しむだろう。
何が起きたのか原因を探し、自殺の気配に気づかなかった自分を責めるだろう。そんな「迷惑」はかけられない……。

あの時、秋雄さんはどうしてこんな自分を責める悲観的な言い方をするんだろうって思ってたけど、今なら共感できる。

迷惑はかけたくない。
でも、もう楽になりたい。十分頑張ってきたから。

誰かからの『辛かったね』『今までよく頑張ってきたね』とか……『もう苦しまなくていいよ』って……そんな単純な言葉を待ってる。
トモナガさんがいる世界に背中を押してくれるのを願っていた。

秋雄さんもきっと違う世界に行きたかったのだろう。

俺の時間は止まっている。
今はずっと悪夢を見ていて、目が覚めたらトモナガさんと秋雄さんがいる18歳の俺に戻れるんじゃないかって……そんなふざけた妄想に囚われている。
友達はみんな大人になって行くのに俺だけ何も成長してなくて、見た目だけ歳をとっていく。
だからみんなといると自分だけ場違いなようで居心地が悪かった。生きていることへの違和感がどんどん増長していく。そんな胸の内を抱えながら終電を考慮して早めに飲み会は終わった。
気心の知れた友達との飲み会だからダラダラ飲まず解散できる。
みんなのことが好きだから死にたいと思っていても次の約束を重ねてしまう矛盾を抱えた自分がいた。

「じゃあなー」
「おう、またなー」

佐々木と篠原と駅の改札口で別れ手を振る。
結構飲んでフラつき気味の大河とそれを心配した光太郎が一緒にタクシーで帰って、田邊は奈々ちゃんが車で迎えに来てくれた。田邊は「新車自慢したいだけだって」とボヤいていて照れ隠しかと思ったが、ピカピカのゴツい外車に乗って颯爽と現れた奈々ちゃんを見て納得した。

楽しかった。けど、1人になると安心する。酸素が薄い密室からようやく脱出できたみたいで知らず知らず深いため息をついている。
時間通りやって来た電車に乗り込み、座席に座る。車窓に映る俺は間違いなく「井折裕治」のはずなのに見慣れない疲れたような浮かれたような妙な顔つきをしていて、他人に見えてくる。

自分が自分であるのを確認するようにわざとらしく口の端を上げて笑ってみると斜め前に座っていた女が顔をしかめ、視線を手元のスマホに落として俺を見なかったことにしていた。
なんだか馬鹿馬鹿しくなって俺もスマホを眺めることにする。
田邊がさっそくインスタを更新してるからいいねを押しておき、脇ほのかから送られてきたLINEを確認する。

先週から上映している考察系ミステリー的な映画のチケットの写真と「つまんなかった」の一言。それだけだった。こっちも短く「だろうな」とだけ返信してスマホを閉じた。
めんどくさいからあしらっているのではない。俺の正直な感想を書いただけだ。
過去のLINEを読み返しても大体こんな感じでお互いそっけないやりとりばかりだ。

脇ほのかとの関係は卒業や進学でうやむやになり、すっかり記憶から消えていた。
3年前の冬……トモナガさんが亡くなった年の冬のことだ。

何度も襲ってくる諦めと虚しさに疲れて「もうこれで終わりにしよう」と今度こそ覚悟を決めて……飛び込むつもりで駅のホームに立って電車を待っていた時、「大丈夫?すごい具合悪そうだよ」といきなり声をかけてきたのが脇ほのかだった。
ひと目で気づかないくらい太って……いや、「健康的な体型」になっていた。声をかけられたことと体型の変化に驚き一瞬固まると「なにさー、その顔はー相変わらず失礼な態度」とケラケラ笑う。
折れそうなほど細く、モジモジした内気な少女の面影はない。
彼女はすぐ隣にいて、気づかないふりしてやり過ごそうとしていたが、俺の異変に気づき思わず声をかけたのだと言う。
ほぼ他人の脇ほのかに「これから死ぬつもりだった」と正直に白状する気はなかったが、なんとなく「疲れてる」と言ってみた。じゃあ休もうかと2人で駅構内のスタバに誘われコーヒーを黙って飲んだ。気まずい沈黙ではなく、心地よい正しい距離を保った落ち着いた静寂だった。
カップを空にして、また死に損なったとため息を噛み殺していると「何してたの?」と尋ねられた。「そっちこそ」と話をすり替えると彼女は「病院」と呟いた。彼女は摂食障害で太ったり痩せたりを繰り返し、高校の時から通っている信頼できる心療内科に行ってきたと教えてくれた。

つまり、病んでるヤツ同士が惹かれあったってワケだ。

正直に答えてくれた彼女に対し、俺は何も言い出せなかった。
秋雄さんとトモナガさんと過ごした日々を簡単に話せるような思い出にしたくはなかったから。死ぬつもりなのにそんなプライドはあった。

脇ほのかから、別に俺を好きじゃなかったこと、顔だけの冷たい人だと思ったこと、彼氏ができたら自分は変われると期待してたことを聞かされ、本当はおしゃべりで悪口も言う、案外はっちゃけた性格とようやく知る。生存確認のためとLINEを交換して別れた。
それから彼女と一度も会ってはいないが、忘れた頃に生存確認のLINEが来る。
病気は良くなったり悪くなったりを繰り返し少しずつ治ってる、らしい……。

電車が最寄り駅に止まり、音を立ててドアが開く。他の乗客と同じタイミングで立ち上がると視界がグラッと揺れて横によろめいた。ただの立ちくらみだけど、隣にはイヤホンをつけ目を閉じてるおばさんがいた。
ぶつかりそうになって「あっ」と短い悲鳴を上げたのと同時に横から腰をグッと力強く引き寄せられた。
倒れる。そう思ったはずなのにすっぽりと収まるように誰かの腕の中にいる。
懐かしいタバコの臭いと熱い肉体、逞しい安堵感に包まれている。

ずっと求めて焦がれていた感覚に、つい「秋雄さん」と……もはや懐かしい名前を言いかけて、口を閉ざす。

「おっと、大丈夫?」

40手前くらいの背の高い男の人で、平気な顔して俺を支えている。
秋雄さんとは似ても似つかぬ白い肌と小さな唇の持ち主だ。間近で目があって少しドキッとしたけど、すぐに虚しさが込み上げてきた。

やっぱり、いつかどこかで偶然会えるんじゃないかって期待してる……そんな浅ましい自分を思い知らされた。

「あっ……大丈夫です。すみません……」
「具合悪いの?歩ける?」
「大丈夫です、すみません」
「そっか、よかった。」

慌てて飛び退いて、大丈夫とすみませんを繰り返して逃げるよう足速に電車を降りる。
今さら酔いが回ってきて体調も良くはないからタクシー乗り場に向かい、タクシーを拾う。運転手に行き先を告げた頃にはさっき助けてくれた人の顔を忘れていた。

車窓を流れる景色を無関心に見つめながら、取り止めもなく思考を巡らせる。

さっき俺を助けてくれた人が秋雄さんだったら……どうなってたんだろう。
1人うなだれてタクシーに乗ってなかったかもしれない。脇ほのかと出会った時のように、お茶して過去を笑い話にして……。それとも他人のフリされちゃうかな?あんな別れ方したからしょうがないよね……って、いや、そんなことあるわけない。馬鹿馬鹿しい。
いくつか可能性を上げて、打ち消す。
会いたい気持ちとは裏腹にその先の出来事を想像できなかった。白く霞んでハッキリと見えてこない。

窓の外では雨が降り出していた。天気予報は曇りだったのに。誰も傘を持ってなかったな……。

電車で帰る連中の心配をしていると、雨脚はどんどん強くなる。
ガラスにぶつかって弾け、垂れていく雫を自分に重ねて眺める。

「あっ、またか」

信号待ち、運転手のつぶやきに意識を引き戻された。

「……どうしました?」

顔を上げると、反対側の歩道に規制線が張られ、警官数人がシート持ち何かを囲っていた。パトカーが止まっていて物々しい雰囲気を醸している。警官や通行人がしきりに上を見上げビルにスマホを向けて、飛び降りた人がいたのだろうと予測がつく。

「飛び降り……ですかねぇ」
「たぶん……またかっていうのは?」
「この前、ラブホテルから不倫カップルが飛び降りた事件あったじゃないですか。あの現場にいたんですよねぇ。お客さん乗せて別のホテルに行く途中だったんですけど……いやぁ、あれは参ったなぁ」
「あぁ、ありましたね。そんな事件」
「先月も……ってすみませんね。お客さんにこんな話しちゃって。こんなこと続くとなんだか気味悪くて」
「……それは迷惑な話ですね」

運転手はバックミラー越しに曖昧な笑みを浮かべ「迷惑……まぁ、困っちゃいますよね」と言い換えた。
事故現場を横目に車が発進する。
明日の朝にはニュースで事件の詳細を知ることになるだろう。全然興味ないけど。
もう何もかもどうでもよくて、ため息を噛み殺し目を閉じる。
ぼんやりとした暗闇の中、トモナガさんと秋雄さんの顔が浮かんで消える。
鼻の奥がツンとして目頭が熱くなっていく。自分が今、泣きそうになっていると気づいて堪える。
記憶と感情に蓋をして、もう何も考えないようにした。今日は色んなことを思い出して自分に振り回されているって自覚している。だから余計に惨めだ。
目を開けるともうすぐ家に着くところだった。

「頑張ったね」って誰かが耳元で囁いた。
秋雄さんとトモナガさん2人の声が混ざったような優しく低く穏やか声。
妄想や幻聴の類いだとわかってる。
いつもこうやって潰れそうな胸を自分で励ましてる。

「もう頑張らなくてもいいよ」って、あの時秋雄さんに言えなかった一言が聞こえてくるまで、どうにかして生きていくのだろう。
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