風になった母…

きっこ

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風になった母…

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7月1日 20時33分
スマホが鳴る。父からの電話であった。
何かあったのか!?

母が緊急入院したとの事…
父は少し動揺していて話す内容に支離滅裂なとこもあってなのか話の全容が全くみえてこない。
妹にまだ話すべきではないと止められていたらしい。ただ私だけが知らされいないのは良くない!と思い…
電話をかける事にしたと言うのであった。

この時の私には母が逝ってしまうなんて一片も思っていなかったのである。


7月2日 20時42分
スマホが鳴る。またしても父からの電話であった。
酔っている感じである…

父は涙声で…
「わしも辛いんよぉ~辛いんよぉ~。」
と言うばかりで殆ど内容がない。

私は今泣くくらいなら…
どうして今まで母の事をもっと大事にしてやらなかっただ!とムッとした。

電話を切るとすぐに妹から電話が入った。
話の内容が唐突過ぎて頭に入って来ない…
本人の希望で延命治療はしない。周囲には知らせないで欲しいとの事であった。
まるで母が今すぐにでもこの世を去ってしまうような言い方に…
えっ!?何を言ってるんだ?
この前、母とは電話で話をしたばかりだぞ!
しかも勤務時間中の携帯に…ではなく
職場の固定電話に…
その時は元気そうに他愛もない会話をしたんだぞ。
後に…
この電話が母からの最期の電話となり
母からの声を聞く最後となったのである。

職場の人達は…
あの電話がかかってきた事には
深い意味があり、電話から大丈夫そうな子供の姿を確認が出来て安心されたんじゃないかな。
と今、そう言われています。


7月11日 12時23分
妹からメールが届く…
母の緩和ケアが始まったとの事。
緩和ケアの意味合いも知らない私には
母が死ぬなんて…
一瞬たりとも思いはしなかった。
弱っている母の姿が想像出来なかったのである。


7月17日 20時46分
スマホが鳴る。
珍しい事に従兄弟からの電話であった。
「おばちゃんが入院したんだってぇ。びっくりしたよ。…っで、あまり良くないらしいね。」
母の容体を私よりも詳しくしていたのである。
母の肺癌が脳まで転移しているとの内容であった。
この時に初めて母の身が大丈夫ではない事に気付かされたのである。

電話を切ると…
今まで母から送られていた受信メールが消えてしまわないように保護をかけている私がいた。
母からのメールがもうじき来なくなる事を無意識の内に感じ取ったのであろうか…。


7月18日 19時29分
スマホが鳴る。妹からである。
母の意識がなくなった…
と言ってきたのである。
「…っで、どの段階でこちらへ来たい?」
と続けて聞いてきた。
危機的な状況を感じさせない声のトーンと緊急性を感じさせない電話の向こう側が落ち着いている雰囲気で状況を軽くとらえてしまったのである。

私は少し考えて…
迷いながら…
母は私にどのようにして欲しいのだろう?
母が望むような形に合わせたい…
と苦し紛れに答えた。
母がすぐに逝ってしまう実感もなく、まだ時間の猶予もあるように感じてしまった私は…
母からの回答を待とう…
と言ったのである。
妹も…
「そう急ぐ事はないので…」
「ゆっくりと考えればいいよ。」と…。


7月18日 19時57分
母の余命が気になり従兄弟へ電話をかけた。
「叔父さんは危篤を告げられて…
どれくらいだった?」との私の問いに…。
「親父の時は一週間くらいだったかなぁ」
と従兄弟は答えた。


7月18日 21時2分
妹からメールが届く。
今、病室で…
母ちゃんと父ちゃんと私…
そして旦那の四人で野球中継をラジオで聞いています。
穏やかな時が流れています。
との文面であった。
この時には付き添いの三人でさえ母の命が分刻みのカウントダウンに入った事に気づいていないように感じさせられる内容であった。

人は意識がなくなってからどれだけ生きれるのか?
色々と書物を物色して調べた。
それから間もなくして母の病室が緊迫した状況に陥った事をこの時の私には知る由もなく後に知る事になる…。


7月18日 22時25分
母永眠…。
(私にはこの時点では知らされていない状況)
この日はなかなか寝付けれずベッドの上で寝返りを繰り返し…
おもむろに起き上がりリビングへ行った。照明を点けて深夜番組を見ようとした。
ふと時計を見ると午前2時を指していた。
丑三つ時かぁ~と思ったのである。
ぼぉ~っとテレビを見つめて2~3分余りの時が流れた。
テレビと照明を消し寝室に戻り横になると…
何故か訳もわからないままに涙が溢れてきたのである。
再びリビングへ行き暗闇の中をキョロキョロと人影を探したのである。意識があまりはっきりとしない中で母の姿を探したのである。
母親とはぐれてしまった幼い子供のように…
リビングの隅々に目をこらして母の姿を追い求めたのである。生き霊?と思ったほどである。
(この時もまだ母が他界している事実を知らない状況である)
母の姿は見えなかったけれど母が別れを告げに来ている感覚があった。意識がはっきりとしていないままではあるけれど…
母が「さようなら」を言いに来ているような感じがしたのである。
不思議な感覚を感じながら…
午前3時頃にようやく眠りにつく…


7月19日 0時9分付けのメールが妹から来ていた事に
目覚めの朝一に気づいた。
内容は緊迫したものではなく…
「大丈夫だから気持ちを楽に…
おやすみなさい…。」
と言う内容であった。
なので…この時にも母が既に他界している事実を知らないままであった。
(後から思うには…
母が既に旅立った後の文章としては変な感じがするし
妹が使うような言葉遣いとは違うような気がする。)
このメールの件は未だ妹に確認をしていない…。


7月19日 
この日は朝からモヤモヤした気分でのスタート。
職場の人達に母が危篤の状態だと告げる…。
息がある内に会っておくべきだ!と言ってくれる人…
早く帰った方がいい!と言ってくれる人…
のんきに構えていた私の中にも
[息がある内に…!]
との思いが…。


7月19日 13時
11時9分付けで妹からメールが来ていたことに気づく…
「夕べ母が旅立ちました。安らかに永眠しました。」
との内容であった。
息がある内に顔を合わせておこう!と考えていた矢先の出来事に信じれない落胆の感覚と悲しみが大き過ぎて表現出来ない心理状況に陥った。心が破壊された音が聞こえた感覚にさえ感じた。
人目のつかない誰も来ない一室で…
ひとり肩を震わせながら溢れる涙と格闘した。
何度も何度も拳で大腿を叩いた…
母が亡くなった事を告げて15時過ぎに早退した。
母の死を受け入れる事が出来なかった私は…
なかなか帰路につけずに寄り道ばかりをして
広島の帰省に向けて仏具屋の梯子をして通夜と葬儀に必要な物を整えていった。

7月20日 葬祭場の諸事情に一日延びての通夜
母は一日長くこの世にいた事になる。
16時30分頃に新幹線へ乗り込む。
記憶が無いほど新幹線の中では無心だった気がする。
従兄弟に駅まで迎えに来てもらい18時前に葬祭場へ入った。懐かしい顔ぶれが募っていた。
半年ぶりに会う父の姿…
年老いたなぁ~と感じた。
私が父のそばへ行くと…
父は嗚咽と涙…。

いよいよ母との顔合わせ…
母の笑顔の遺影写真に違和感を感じる。
棺の中を少しドキドキしながら覗き込む。
えっ!?本当に母なのか?でも母の顔に似ている…
化粧をしていて…(死に化粧の上に妹が通常メイクを施していた)
愛用していた帽子をかぶっているせいか眠っているような錯覚を感じた。
まるで母の蝋人形を見ているような感じがしたり…
様々な感覚が入り乱れた。
涙は不思議と流れなかった。
悲しさを感じなかったのである。久しぶりに化粧をした母の顔は美しくかった。
そして若返ったような顔に見えた。

18時から通夜が始まった。淡々と進行していった…。
お坊さんの法話に父は泣き始めた。
妹も泣き崩れる…。
その中で私だけが平然としていて涙を一粒もこぼさなかったのである。
母が逝ってしまった事の実感がわかない…。
展開が早すぎて心の状態がついていかない…。
何が起きているのか頭の中が真っ白になってしまったのである。
この晩は父と二人で葬祭場に泊まる形となった。


7月21日 12時から葬儀
7時ちょうど…
市長様とセンターの館長様から弔電が届いてます…
葬祭場のスタッフさんが弔電を持ってきた。
今日一日の流れの説明を受ける。

父は…
市長からの弔電で…
またもや涙、涙、涙…。

10時頃から近親者が入館してきた。
父方の妹夫婦が母を顔を見る…
「あらまぁ~綺麗な顔をしていること…」
「何か眠っとる感じじゃねぇ。」
「まだ若いのに…」と呟きながら母の死を受け入れようとしていた。

お坊さんのお経の中…
葬儀と初七日と刻々と進んでいった。
この時も私は平然としており悲しみも寂しさも何も感じる事が出来ない《無》の状態に陥った。

お坊さんが帰り間際に一言…
「寂しくなりましたなぁ~。」
その言葉を耳にした瞬間に父が嗚咽…。
それに引き換え私は…。
お坊さんが私をチラッと見る。
「この子は、どうして涙一つもこぼさずに…」
「悲しそうな表情も一切表さずに…」
と思われたかもしれない…
そのように勝手な解釈をする私がいた。

司会の方が最後のお別れの時を告げる言葉を…。
この瞬間私は、緊張しているのと似たような感覚に襲われた。花を一輪一輪、棺の中へ収めていき始めると急に涙がこぼれてきた。
この時の心理状態を思い出せないほどの衝撃が一気に降り注いできたのである。突如涙が流れてきた記憶しか残っていない…。
(人は悲しみ大き過ぎると記憶に残らないのでしょうか?)
ここから深い空虚感に襲われる。例える事が出来ない衝撃と悲しみを通り越したほどの無限の悲しみが身体を突き抜けたのである。今まで体験した事がない無限の悲しみを…。

母の棺を霊柩車へ収める。胸が痛い!胸が大泣き状態…
霊柩車の中でスマホを取り出し私が演じた曲を母が眠っている後部座席に向けて流した。インターチェンジで急に天候が変わる。バケツをひっくり返したかのような激しい雨が降り始める。母の涙なのか…。

火葬場へ到着。火葬場の職員さんに導かれお別れの室へと…。
これで本当に最後…
これから先、母の顔がもう私の瞳に映る事がにない。
そう思うとさっき花を収めた時よりも…もっと大きな悲しみに叩きのめされた。
もう箍がはずれてしまった私は人目を憚らず泣いてしまっていた。次の瞬間、周囲の人達の表情や様子さえもわからないくらいに自分の殼に閉じ籠ってしまう状態に陥った。涙を堪えようと歯を食いしばり太ももをガンガンと叩きながら…
「泣いたらいけん!我慢しないと!」と言ってたらしい。(記憶に残っていない…)
弟が…
「我慢せんでも泣いても ええんじゃけぇ」
「泣くんは、ちっとも悪いことじゃないんじゃけぇ」
「泣くことでお母ちゃんの弔いなるんじゃけぇ」
後色々と声をかけてくれていたのだが意識が飛ぶほどの衝撃が身にふりかかり子供がえりをしてしまったらしい…。後追いをする子供のように母が眠る棺を火葬炉の真ん前まで後追いをしたらしい…。
スイッチが押され…
炉の扉が閉まる瞬間まで子供っぽい不安な表情を浮かべ見送ってたらしい。

(この頃から記憶が残っている)
お別れの室から退室する時には力が抜けきってひざまづいてしまった。
従兄弟に抱き抱えられ、妹には背中を支えられ二人に寄りすがる状態で退室した。完全に心が破壊された廃人になった気分である。
弁当が出されたけど…。

母の話題が出る…
いつか迎える死期に備えて…
一万円札、五千円札、千円札がバラバラの組み合わせで
五十万円分に分けられた封筒が数袋出てきたらしい…
母はせまりくる死期と闘いながら一人で色々と用意してたのかと…そう思うとなかなか帰郷出来なかった自分自身が腹立たしかった。
生前の最後の顔合わせになってしまった半年前の元旦
帰り際の…
「ほんじゃ!またね。」と言った母の姿が今でも目に焼き付いている。
5月…私の携帯にではなく職場の電話にかけてきた時も
これが最後の肉声になる事が母にはわかっていたのか!と思うと胸が苦しくなる。その時も…
「ほんじゃ!またね。」と言った母の声が耳に響く…
控え室でも私の演じた曲を一人で流していた。母が生きている内に聞かせて上げたかった…。

火葬が終わりました…との呼び出しアナウンスが流れる。
お別れの室へみんなで向かう。
目の前には骨になった母が…
その瞬間、一瞬だけ子供がえりが…
妹の横で「ああ~あ!」と…
声がもれてしまったのである。子供みたいになった私を見て妹がクスッと笑う。淡々と係の女性が身体の部位を説明してくれているのを聞きながら骨壺に収めていく…
頭も小さいし母は小柄だったんだなぁと感じた。最後に喉仏を喪主が入れて蓋となった。
骨壺を父が…
遺影を私が持つ形でバスへ乗り込む。
葬祭場へ着くとすぐに岡山へ帰る着替えをした。
父は私の姿が見えなくなった事で
「何処へ行ったんじゃろ?帰ったんか?」聞いていたらしい。部屋へ戻るとほとんどの人は帰っていて寂しい感じになっていた。

従兄弟の送りで広島駅へ…
葬祭場での帰り際に妹が…
「帰るん?」
「何逃げよぉるん!あんただけ楽をしようとしょぉるじゃろ!」と言われた。
今の精神状態で母のいなくなった家で父と二人きりで過ごせる自信がなかったのである。今日は実家には泊まれないと感じた。新幹線の中では廃人のようになっていた。きっと私の表情には生気がなかったであろう…。

岡山へ到着する。
母が逝ってしまったという事象が現実から離れていく…
広島での出来事が嘘のよう…
夢を見ていたような感じがした。


一日のインターバルを得て英気を養い広島へ入る。
実家では…
近所の人々が弔問に訪れる。そこで聞かされる母の話題は、ここ数ヵ月前の私の知らない母の姿があった。
「捻挫がなかなか治らんのよ…」と言いながら接骨院へ行っていたとか…。歩き辛そうに歩いてたとか…。
一人で色々な病院を探しては出向いていたとか…。
私の知っている半年前とは違う母の姿であった。
誰にも語らず一人で病と闘っていたのかと思うと胸が締め付けられる思いがした。
母が元気な内に帰郷をして母と会っておけば良かった…
と後悔するばかりであった。

26日の晩…
妹が母の遺言書を見つける。平成25年11月11日に書かれたものである。
この頃から体調の異変に気づいていたなんて…
全く気づけなかった自分自身が情けない。


8月21日 11時 三十五日法要
20日の夕刻より広島へ…
今回は二泊三日の広島滞在である。妹と共に二泊する。

母が命を削ってまで残した贈り物は…
人と人とのつながり《絆》であると思います。
今まで疎遠になっていた妹と子供の頃に戻ったように仲良く出来ています。布団を並べて寝るくらいに…。
その晩は夜遅くまで談笑をした。


8月22日 正午
岡山へ帰る前に…
母が逝く一ヵ月前の足跡を妹の説明されながら辿ってみた。妹が暮らしているマンションで母が寝泊まりしていた部屋を見たり、いつも座っていた椅子…。
母の面影をイメージしてしまい思わず涙で頬を濡らしてしまった。
妹に母とよく行っていたデパートへ連れて行ってもらった。書店の奥にある喫茶店で母が腰掛けていた座席でお茶をした。母との思い出話に耳を傾けながら窓から見える風景をぼぉ~と見つめていた。
母とはもう逢えないのか…
そう思うと悔しい気持ちでいっぱいになった。母にしてやれなかった事を考えてしまい自分自身を責めてしまいました。

妹に背中を見送られながら改札をぬけ、新幹線に乗り込む。妹から聞かされた言葉が胸に刺さる…
「いつも私が岡山へ帰る時は寂しかった…」

もうじき9月4日…四十九日
母は緑色が好きでした。緑色は平和を象徴する色です。
母にぴったりの色です。
母がこの世を去った後に《和》と言うものを置き土産にくれました。
疎遠になっていた親族との再会…
希薄になっていた妹とは濃密に…
険悪になっていた人との和解…
頑固で堅物であった父でさえ母が去った後は
「ありがとう」とよく言っている事に気づきました。
母がいなくなった事で様々な人へ影響を与えています。

母は命をはって
《人はいつか死ぬもの…》と言う事を改めて思う機会を与えてくれました。残される者に対しての気遣いの参考になりました。この世を去った時の為に色々と準備していた事に驚かされました。
流石です。

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再び貴女の顔が私の瞳に映る事がない
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これから先…
私はふと我に返った時に貴女の事をいつも考えていた自分に気づく事もあるんでしょうね。
今まで照れ臭くて、なかなか言えなかったこと…
いくら言っても言い尽くせないほどの
「ありがとう」と「ごめんなさい」
私の人生の終着駅には…
きっと…
風になった母が待ってくれているんでしょうね。
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