悪魔の頁

kawa.kei

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第32話

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 男の言葉に苅谷はゾクリとした寒気に襲われる。
 そして視線を追って振り返ると目を見開く。 彼の真後ろに居たのは半透明の首のない男だった。
 男と分かったのは体格からで、服装からさっき仕留めた魔導書の持ち主だと分かる。

 「そいつがな、言うんだよ。 お前が許せない、殺してやるってな」
 
 それは紛れもない恐怖だった。 人を殺せば無になり後には何も残らないと思っていたからこそ、彼は他者の殺害に踏み切ったのに形はどうあれ、付き纏われるとは思っていなかったのだ。
 頭部がない状態でどうやって喋ったのかという至極真っ当な疑問を抱いたが、そんな事はもうどうでもいい。 一刻も早くこの恐怖から逃れたいと感じた苅谷はパニックになりながらも男を射抜こうと弓を持ち上げたが――

 「遅せぇよ屑が」

 ――放たれるよりも早く炎が苅谷の体を焼き尽くし、その命を終わらせた。


 慈照はたった今、燃え尽きて死んだ男が取り落とした魔導書を拾い上げる。
 主を失った魔導書は彼の物へと吸い込まれて統合された。
 彼が男――苅谷の存在に気が付いたのは少し前だ。

 現在、彼が保有している魔導書は五冊分。 五体の悪魔の能力を手に入れている。
 そのうちの一つ『54/72ムルムル』は死者との交霊が可能だ。
 苅谷に理不尽に殺された男はいつまでも彼を恨んでいたのか、こびり付くように彼に付き纏っていた。

 同時に無念を晴らして欲しいと慈照に接触して来たのだ。
 それにより彼は敵の接近と殺すかそうでないかの見極めを完了させた。
 慈照にとって他者は屑かそうでないかの二択。 前者であるなら容赦なく殺し、後者であるならば見極めてから判断を決める。

 彼の判断基準で言うなら苅谷は自身になんの害も与えていない人間を一方的に殺す屑だったので、始末する対象だった。 死霊は苅谷の接近と慈照を狙っている事を教えてくれたので、来るのが分かってさえいるのなら対処は容易だ。

 分からないように第二位階で呼び出した悪魔を気付かれないように配置し、逆に追い詰める形で包囲。
 行動を起こすのは仕掛けて来てからだ。 苅谷も気付かれているとは思っていなかったので、周囲への警戒が疎かになっている事もこうなった要因の一つと言える。

 慈照は苅谷を屑と断じたが、彼自身の考え方も見方を変えれば同類と判断されかねない危険を孕んでいる。 独善的な考えは狂信とも言える強靭さで当人の正しさを担保していた。
 正確には正しいと思い込ませていたのだが、慈照は自らの考えを心の底から正しいと信じているので既に五人の命を奪っている事に関しても屑を処理したと判断している。

 彼の中では屑は病魔のように他者に害を与える存在なので、早い内に消しておけば被害が減って助かる人間が増えるといった結論が出ているからだ。
 つまり屑を一人消せば消した存在によって被害を受ける一人以上の人間が助かるので、最終的な収支はプラスといった見方によっては悍ましい考えが根底にあった。
 
 宇治守 慈照は狂っている。 いや、既に狂っていたがそれが表面化する事がなかったのだ。
 だが、この変化を当の本人は好ましい物だと受け入れていた。 
 正義の味方になったつもりも法の番人を気取る気もない。 彼にとってこれは公園に落ちているゴミを拾って捨てる事と同一の行為、つまりは単なる清掃作業なのだ。

 この世のゴミを一つ処理した慈照は次の屑を処理しなければと使命感を胸に迷宮を進む。

 
 「あぁ、畜生。 ついてない」

 黒河くろかわ 寛貴ひろきはぶつぶつと呟きながら歩いていた。
 少し前に絡んで来たチンピラを始末して多少はいい気分になったが、現状が解決しない以上はいつまでも持続しない。 今年で三十七歳、独身、会社での出世も恐らく頭打ちと未来に対して夢も希望ももてなかった。 唯一の楽しみは週末に購入する宝くじだ。

 酒を飲んだ後に当たった場合、何を買おうか?何をしようかと考えると睡眠導入剤を飲むよりも気持ちよく眠れる。 同時に翌日は休みなので時間を気にしなくていいというのも大きい。
 元々、小心者、不真面目と性格的に交友関係が築きにくい彼は自分の幸福のみを追求する傾向にあった。 社会、制度、人間関係、職場、様々なものに不満を抱いていたが、はっきりと口に出す事もせず不満ばかりを溜めこんで今に至る。

 そんな彼が魔導書という分かり易い力を得てどうなるのかは考えるまでもない。
 他者を攻撃する事を好まない彼だが、実行した結果を恐れているので行動には移せないが、表沙汰にならないと確信できる状況であるならその限りではない。

 だからこそ殴りかかってきたチンピラもあっさりと殺せたのだ。
 ただ、後で言い訳できるように一度殴らせはしたが。
 
 ――本当についてない。

 本当ならあのフードコートに居る筈がなかった。
 実を言うと今回の一件には彼が仮病を使って取った休暇でショッピングモールに訪れた事で巻き込まれたのだ。 見方によっては自業自得とも言えるが、彼の過失と言うには少し酷な話でもあった。
 
 自分はこんなにも頑張っているのにどうして報われないのだろうか?
 黒河は常々そう思っていた。 同期で入社した者達はとっくに辞めるか自分より上の役職に就き、後輩や部下を顎でこき使える美味しいポジションについている。

 何であんな連中ばかり優遇されて自分はこんな扱いを受けるのだろうか? 
 彼にはさっぱり理解できなかったが、基本的に理不尽な事は運が悪いで片付けるので問題を自覚する事はなかった。

 だからこそこの状況に関しても運が悪いで思考がループしている。
 
 ――ただ、一つだけ分かっている事があった。

 魔導書。 この力を持ちかえる事が出来れば幸せな日常を送れる。
 そんな根拠の薄弱な理想を抱いていた。 何せ、自分だけに与えられた特別な力なのだから、上手に使えば幸せになれるに決まっている。 そう、このクソみたいな人生を魔導書で一発逆転するのだ。

 具体的なプランはないが、様々な能力を持った魔導書の中には楽に答えを出してくれるものもある。
 そう考え、漠然と幸せになった自分の姿を夢想すると少しだけ気分が良くなった。
 魔導書を集める方針は早い段階で決まっていたが、一人殺した事で完全に踏ん切りがついたのだ。

 この迷宮を彼と同様に彷徨っているであろう者達から魔導書を奪う。
 そうすればきっと自分は幸せになれるのだ。
 方針が決まれば気持ちが定まり、気持ちが定まればモチベーションが向上する。

 だから闇の奥から響く物音に対しても特に怯える事はなかった。 
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