逢魔の霧

kawa.kei

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8周目②

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 「――つまり織枝はこの街に来てから何回も死んでやり直していると?」

 私の話を一言で要約したのは多代だ。 他の二人は何とも言えないといった表情で首を傾げる。
 大きく頷いて見せると文江は困惑を強めた。 

 「うーん。 ちょっと言っている事が良く分からないなぁ。 どっきりか何か?」
 「残念ながら大真面目よ」
 「まぁ、真偽はさておき、織枝の話が本当なら下にその怪物が居るって事?」
 
 多代は半信半疑の表情でちらりと入って来た扉に視線を向ける。

 「この時間なら四、五階の辺りに確実にいるわ」

 時刻表示はとっくに二十時を越えていた。 このタイミングで降りたら絶対に出くわす。
 多代は内容が内容なので疑っているけどかなり具体的だったので判断に迷っているようだった。 

 「……その話を信じるとして私達にどうして欲しいの?」
 「信じて欲しい。 下に平気で人を殺す怪物が動き回っているこの話を」
 「じゃあちょっと私が見て来るって感じでどお?」

 言うと思ったのでそれに対するカウンターも用意してあった。

 「二回目の時にあんたそれをやってバラバラにされていたわ。 思い出しただけでも吐きそうになる」
 「うげ、それマジ?」
 「信じなくてもいいから言う通りにして欲しいの。 いい? 私は七回死んでこれで八回目なの」

 死ぬのなんて一回で充分なのにもう七回もやっている。
 いい加減にうんざりだ。 意地でもこの悪夢から逃げ切ってやる。 その為にできる事をやるのだ。
 
 「取りあえず話を纏めるとまずはこの街のあちこちには正体不明の怪物がいて織枝はそいつらに何度も殺されて気が付けばバスの中に戻っていると」
 
 ここまではいい?といった視線を向けて来るので私は無言で頷く。
 
 「八回目って事は既に七回も殺されてるって事ね。 で、こんな所に私達を連れて来たって事は逃げるのに失敗したか、私達の説得に失敗した感じでいい?」

 説得はそんなにしていないけど逃げるのには失敗している。

 「逃げるのはそんなに難しいの?」
 「正直、無理なんじゃないかと思ってる」
 「……つまりはやり過ごす判断をしたと」

 しばらくの間、多代は黙って考え込んでいたけどややあって小さく頷く。

 「まずは完全に信じるのは難しい事は分かっているのよね?」
 「えぇ」
 「うん。 それを理解しているならいい。 信じないけど言う通りにするわ」
 「多代?」

 呑み込みが悪い二人に多代は肩を竦めて見せる。

 「織枝がこんな冗談をいう子じゃないのはあんた達も知っているでしょ? で、その織枝がわざわざ面倒な手順を踏んで大掛かりな事をしている。 流石にこれで冗談なら性質が悪すぎて今後の付き合いを見直すレベルよ。 つまりは本当かどうかは別でも本気である事は間違いないわ」
 「多代……」
 
 彼女は私に向けて小さく笑って見せる。
 取りあえずは信じてくれるみたいだ。 その様子を見てほっと胸を撫で下ろす。
 私達のやり取りを見て文江と星華もつられて笑う。
 
 「分かった。 私も信じるよ。 ――それで? これからどう動く感じ? 危ないのが居るならどうにか逃げないと不味いんじゃない?」 
 「分かった。 私も信じる」

 信じると口々に言う二人にも頷きで返し、私は事前に持ち込んで置いた街の地図を広げる。
 
 「まずはこれを見て欲しいの。 街の地図なんだけど、出るには街の四方にあるハイキングコースからの山越えとバスで通ったトンネル。 最後に駅から伸びる線路。 私が見た感じでは抜ける為の道はこれだけね」 
 「なるほど――ってか用意いいな。 逃げたいのは分かったけど、楢木を待った方が良いんじゃない?」
 「楢木はもう戻って来ないわ。 今頃トンネルの前で死んでる」
 「……何があったの?」
 「トンネルまで行ったらバスが塞ぐ形で横転していたから、多分だけど死んでるし、通るのも無理ね」
 「もうちょっと詳しく」
 「なにか巨大な影みたいなのがいたみたいだけどあっさり潰されたからバスもそいつにやられたんじゃないかって事以上は何とも……」
 
 多代は街の地図に黙って視線を落としていたけど、私に確認を取るように質問を重ねる。

 「織枝、何処で死んだのか詳しく教えて貰ってもいい?」
 「ホテルで二回、トンネル前で一回、南と東のハイキングコースで一回ずつ、街中で一回、
最後にコンビニで一回の合計七回よ」
 「それって全部違う怪物?」
 「ホテルとコンビニは同じだと思う」
 「街中って言ってたけど店って開いてた?」
 「開いてたけど誰も居なかったわ」

 多代はそこまで聞くと「そう……」と小さく呟く。
 恐らくだけど逃げるのが難しいと判断したのかもしれない。

 「ここに避難したって選択の理由には納得いったけど、実際にここって大丈夫だと思う?」
 「分からない。 一応、さっき鍵は掛けたけど、破られても驚かない」
 「なるほど、楽観は危険、と。 この霧で視界も効かないし、様子を見た方がいいか……」

 私は柵を掴んで街並みを眺める。 濃い霧の所為でどんなに目を凝らしても建物の輪郭しか見えない。
 本当に何なんだこの霧は。 いくら何でも濃すぎる。 
 濃すぎて建物の下すら見えな――

 ――不意にガラスが砕ける音が響き、下の階から何かが飛び出す。
 一瞬だったので自信はなかったけど恐らく学生服を来た人間に見えた。 人影は音もなく霧に吸い込まれるように落下し、ややあってべしゃりと湿った雑巾を叩きつけるのに似た音が響いた。

 「え? は? 今のなに?」
 
 音に驚いて三人が弾かれたように身を乗り出して下を見るけど霧の所為でよく分からない。
 文江は困惑を口に出し、星華は不安な表情を浮かべ、察した多代は顔を青くする。

 「多分だけど、誰か落ちたと思う」
 
 流石に今のを見て平静を保てなかったのか私も無意識に声が震えていた。
 少し遅れてブツリとホテルの窓から漏れていた灯りが一斉に落ちる。
 
 「停電?」
 「違う。 よく見て、街の灯りは消えてないからホテルの電源が落ちたんだと思う」

 電気が消えるのは経験済みなのでそこまでの驚きはなけど、他の皆はそうでもないのでそれぞれが困惑と不安を浮かべている。 今頃、下は酷い事になっているのだろうけど、霧の所為なのか音が伝わって来ない。 何が起こっているのかが察せられるだけにこの無音は不気味だった。

 しばらくの間、下の様子を窺っていたけど特に気配はしない。 この様子だと気付かれていないようだ。
 下手な事をしなければ上がって来る事はないと思いたい。 私はほっと息を吐くと座り込んで柵に背を預けた。
 

 ここで粘る事が決まってしばらく何もせずに屋上で留まっており、スマホの時刻表示は21:45。
 もうこんな時間か。 振り返ってみると今までで一番長生きとなった。
 
 「ねぇ、いつまでここに居るの?」

 文江が沈黙に耐えかねたのかそう呟いた。 大声じゃないのは状況に配慮しての事だろう。
 
 「今は何とも言えないわ。 でも、いつまでもという訳ではないと思うけど……」

 目途が立たないのが本音だ。 状況が変われば動く選択肢もあるけど、この暗さで霧の中を歩き回るのは自殺行為という事は散々、痛い目に遭って来たので理解している。
 問題は本当に状況が変わってくれるのかといった事だ。 文江達と同じで私も強い不安を抱いていた。

 最悪、朝になれば霧も晴れるんじゃないかといった事と、居なくなった事に気が付いて誰かが探しに来てくれるのではないかといった期待があった。
 霧が晴れないにしても朝になれば比較的、視界も効くはずなので動き易くはなる。

 ただ――私は小さく身を震わせる。 この寒さだ。
 今までは走り回っていた所為であまり気にならなかったけど時間の経過と共に気温が下がって冷えて来た。 息が白くなる程ではないので凍死するような事にはならないと思うけど――内心で首を振る。

 どうしようもない。 コンビニに行ければ何かしらあるだろうけど、この状況では外に出られないのでここは我慢するしかなかった。
 
 「寒いんだけどやっぱり朝まで我慢――」
 「ちょっと待って。 何か聞こえない?」

 文江に被せるように多代が異変を訴える。 気が付かなかったので耳を澄ましてみれば確かに変化があった。 何かが聞こえて来たのだ。

 「カラスの鳴き声?」

 一番近いのはそれだった。 朝に家の近所にあるゴミ捨て場を漁っている黒い鳥。
 その鳴き声にそっくりだ。 さっきまで全く聞こえてこなかったのにこんなタイミングで聞こえて来た事を考えるとただのカラスじゃない。 それにさっきからどんどん近づいて来る。

 最初は耳を澄まさなければ聞こえなかったのに今でははっきりと鳴き声と認識できてしまう。
 空を見上げるけど夜の闇と霧の所為で何も見えない。 それでもだんだんと近づいてきている事だけは分かる。 声の大きさに比例して恐怖心が大きくなっていく。

 駄目だ。 ここを離れた方がいい。
 ――ここから逃げよう。 そう口にしかけたけどそれは言葉にならなかった。

 「ねぇ、おかしくない? カラスってこんな高く飛べ――」

 それが文江の最後の言葉だった。 軽い風切音と同時に彼女の顔面に何か棒状のものが突き刺さったからだ。 確認するまでもなく即死だけど倒れる事は許されなかった。
 貫通した棒が地面に突き刺さって彼女の身体を固定しているからだ。 

 「え? ちょっ、ふみ――」
 「ひっ!?」

 二人も状況を認識し、反応が追いついたが状況には追いつけなかったようだ。
 それは私も同様で、動く前に無数の風切音。 全身を何かに貫かれる感覚と激痛。
 とどめにガツンと頭部を殴られるような衝撃。 それが私の感じた最後の感触だった。
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