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その名は怪盗レインジャック
しおりを挟むこの計画は完璧なはずだった。
休日はほぼ計画の為に費やし、平日も仕事が終わった後は真っ直ぐ家に帰りこの計画の為に時間を使った。
「どういうことだよ。よりにもよって怪盗の証であるカードを家に忘れてくるなんて」
致命的なミスだった。
カードが無い。
盗んだお宝の代わりに置くあの【お宝いただきました】的なカードが。
「いや、でもそれは中島さんが『俺に全部任せとけ』って言ってたから」
「それは作戦を遂行する上での話! 誰が何を持ってくるかはもっと事前に話し合ってただろ。つーか中島じゃなくて、俺は怪盗レインジャックだから」
「いい歳してそういう事言うのやめましょうよ。大体僕達、怪盗じゃなくて泥棒だと思うんですよ」
「馬鹿野郎、その為のカードだろ。あれがあれば泥棒だって怪盗になるんだよ」
「そういうものかなぁ」
気の弱そうな男は小さく首を傾げた。
時計は十時五十七分を示している。
「ああどうすんだよ、あと三分しかないぞ。あと三分したら警報装置が鳴っちまう」
「その前に立ち去ればいいじゃないですか。お宝は手に入ったし」
「だーかーらー、カードがないんだっつの」
「でも捕まっちゃいますよ?」
「泥棒になるくらいなら捕まる方がマシだ」
「中島さん……」
「怪盗レインジャック!」
イライラと頭をかく中島の姿に男は言葉を詰まらせた。
中島は本気だ。このまま逃げようなんて微塵も思っていない。あと三分、あと三分で彼の怪盗人生は終わってしまう。
「ふう」
小さなため息をつき、男は顔をあげた。
「じゃあ僕だけでも逃げますね」そう言って立ち去ってもよかった。しかし自分の失態(納得はしてないが)で中島が捕まるというのも後味の悪い話だった。
「わかりました。なんとかしましょう」
男はぐるりと室内を見渡した。
貴重品が飾られた博物館の一室。今回目的だったお宝以外にも色々なものが展示されている。
「カード、作りましょう。今ここで」
男は言った。
===
「紙はどうするんだ」
作るのはカード。その本体ともいえる媒体は必須だった。
「白い厚紙なんてどこにもないぞ」
ここは展示室。白い厚紙など無造作に置いてあるはずもない。
中島は小さな絵画を手に取った。
「これを切り取ってその裏に……いや、カッターが無い!」
「じゃあこっちを使いましょう」
示されたのは展示物案内のプレートだった。名刺サイズのそれにはシンプルに展示品名が記されている。
「紙じゃなくても別にいいでしょう。四角ければ」
「た、確かにそれはそうだが、でもそんなものネジで固定されて外れない!」
「盗んだお宝のプレートを使いましょう。何もお宝が本来あった場所にカード形式で置かなくてもいいはずです。お宝の展示プレートがすり替わってカードになる。それもありです」
「それもありか」
「でも問題はこのプレートに書かれた文字をどうやって消すかです」
【人魚の泣き音】と金色で書かれた文字はひっそりと存在感を示していた。
「絵具で塗りつぶすとか」
「ありませんよ、こんなところに絵具なんて」
「あったぞ」
「あったんですか」
「展示品だけど」
【150年前の画材道具】。古ぼけた木の箱に入れられて筆やパレットがみっしりと並んでいた。その中には絵具のようなものも見える。
「使えるかな」
「やってみましょう」
水が無いので薄めずそのまま使った。ネチョリとした感触は中身が劣化しているからなのか原液だからなのか分からない。絵具がカピカピになっていなかっただけマシか。
「貴重な展示品を使うなんてなんだか気が引けるな」
「怪盗名乗ってる人が何言ってるんですか今更。出来ましたよ」
時計の針は残り一分半を切っていた。
「後は文字を書いてと」
【お宝いただきました 怪盗レインジャック】
文字はこれまた展示品にあった年代物のペンを使った。
黒いインクが白地ににじむ。
「もうちょっと綺麗に字を書けないか?」
「何言ってるんですか、時間がないんですよ。後はマークですね。雨粒の形を描い……」
男がペンで怪盗レインジャックのシンボルを描き加えようとした時だった。
「待った」
「なんですか」
中島は男の腕をがしりと掴んでいた。
「時間がないんですよ」
「分かってる。でもシンボルは、あの綺麗な流線で描かれた雨粒は、俺達の手描きでは表現出来ない」
「分からないじゃないですか」
「いや、分かる」
「面倒臭いなあ」
あと少しだというのに。
変なところでこだわりを見せる中島に、男は内心呆れていた。
「じゃあこれで完成って事で」
「駄目だ。それじゃ怪盗が現場に残すアレにはならない。くそっやっぱり俺達の怪盗業も今日で終わりか」
秒針が刻々と刻んでいる。あと20秒……あと10秒……。
===
ジリリリリリリリ
ウーッウーッウーッ
けたたましいベルとサイレンの音が鳴り響く。
「どうした!?」
部屋に警察服をまとった者たちが次々になだれ込む。
「大変です! 室内に何者かが侵入した模様です!!」
「なんだと、展示品の方は無事か!?」
「あ、あれ……!」
【お宝いただきました 怪盗レインジャック】
「【人魚の泣き音】が盗まれただと!?」
「ええ、でも見て下さい!」
警察官の一人が指し示す先には、怪盗レインジャックの文字。その隣には黒く染められた涙型の物体。
「これ黒くなってますが【人魚の泣き音】じゃないですか!?」
「何い?」
男がまじまじとその物体を確認する。黒くなった涙型のそれには金色でささやかにチェーンが繋がれている。ネックレスになったそれは間違いなく時価数千億のジュエリー【人魚の泣き音】だった。
「ということはなんだ? 悪戯か? レインジャックを名乗る偽物か?」
「いえ、それは本物でしょう! その流線上の雨粒のシルエット、間違いありません!」
「……雨粒のシルエット? そんなものどこにある?」
「はい、今警部の目の前にある黒い【人魚の泣き音】こそがそれかと!」
怪盗レインジャックの雨粒型のシンボル、それはまるで【人魚の泣き音】と同じ形をしていた。黒く染めれば間違いなくそれになる。
「なぜわざわざそんなことを???」
「奴のこだわりでしょう!」
異様にハキハキと受け答えをする部下に警部は頭を抱えた。そしてすぐさま頭を振り声を張り上げた。
「なんかよく分からんが、まだ奴らはこの辺に潜伏しているかもしれん。中島、部下をフル動員し、今すぐ周辺をくまなく捜索しろ!」
「了解しました!」
その声が響く中、端の方にいた一人の男はそっと手に付いた黒いインクを拭った。次はきちんと事前に持ち物確認しようと心に決めながら。
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