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本編
償うけれども
しおりを挟むサパン公爵家当代ヴァーチュは、家に帰って、愛しの妻、エグランティエがソワソワと出迎えるのを、何とも言えないふにゃりと情けない顔で受け止めた。
「ヴァーチュ、どうだったの?そのお顔では、やはり•••。」
思わしくない結果になったのでは?とエグランティエは、口をムグッとつぐみ、夫のヴァーチュが話し出すのを待った。
ぼろ、ぼろぼろっ。
ヴァーチュは涙を、いきなり大玉で溢した。エグランティエは、やはり!とハラハラして、慰めなど何もならないが、それでもハンカチで一生懸命に涙を拭いてやる。この、我慢強い人がこんなにも。やはり。私は一生この人といる。一緒にやっていく。どんな罰が下されたとしてもーーー。
ぐす。ずずっ。
鼻を啜った後、ヴァーチュは、エグランティエを、はしっと抱きしめて。
「•••幸せに、なりなさい、って言われたんだ。」
「え?」
「竜樹様が。父の償いを、本当にしたいなら、ちゃんと、幸せに、なりなさい、って。それを、続けなさい、って!」
うっ、うっうっ!
ぼろぼろぼろっ!
若い青年を過ぎ、もういい歳の、働き盛りとなった夫の、男泣きの様子に、エグランティエは驚き、けれど希望の一条を感じて、ぶるり!と奮い立った。
「•••まあ、まあ、まあ!それは、それは、大変なお話を聞いてこられたわね!•••こんな所で聞くお話ではないわ!お部屋に行きましょう、レーヴ、レーヴ、旦那様をお迎えする、お部屋の準備は出来ている?他言は無用、お前以外、誰の耳もあってはダメよ。そして、落ち着くように、お茶を淹れて頂戴!」
冷血の父ナルから、息子ヴァーチュを可愛がり守ってきた、頼り甲斐のある執事、レーヴは、しっかと用意を済ませていた。
「かしこまりましてございます。お部屋は準備出来ています。私がお茶を淹れましょう。ささ、ヴァーチュ様、奥様、お部屋に。」
促されて、夫婦はしっかり手を繋いだまま、小さな寛げる、けれど密室性の強い会談部屋へと向かった。
護衛を連れて、ドアの前に立たせる。閉めれば例え壁に耳を付けても、防音魔法で聞こえない。
ドアを閉めて、鍵をかけ、植物模様の美しいソファに隣り合って座ったサパン公爵家当代の夫婦に、執事レーヴが、恭しく香り高いお茶を淹れた。
涙を拭き、赤い顔をしたヴァーチュは、お砂糖とミルクを多めに入れたお茶を、一口、飲むと、ふーっ、と息を吐いた。
エグランティエも、そっとお茶を飲み、ヴァーチュの顔を見て、手を握り直した。
それに促されて。
「私は、まずは、シャルルー子爵バヴァール様の娘、コリエ嬢に、頭を床に付けて謝った。」
公爵家の当主が。彼の立場なら、誰に憚ることもない、それほど高い身分であるが、彼はそうは思わない。
「それくらいしか、出来なかった。だって相手は、当事者の父親、バヴァール様は、未だ罪人として働いているし。彼女は、私の父ナルのせいで、花街に落とされて、好きな人と結婚出来なかったんだ。一夜の夢と過ごして恋人とできた、可愛い子供も養子に出して、離れ離れで、長らく花街で働いてきた。何が言える?謝るくらいしか。」
「ええ、ええ。私たちには、それしかありませんわ。」
むぐり、むじむじ、と、血が滲む程に唇を噛むヴァーチュを、痛ましくエグランティエは見つめる。心の優しい人なのだ。冷血な父親のせいで、長く、彼も他人に虐げられてきた。息子だからといって、父ナルは、ヴァーチュを可愛がりはしなかったのだから、余計である。執事のレーヴが、影になり日向になり、庇って愛してやらなければ、ヴァーチュも大分、捻くれて育った事だろう。
「今回、そんな彼女を、長年支えて借金を一緒に払ってきた、ベルジェ伯爵家ジャンドル君が、困難を乗り越えて、コリエ嬢と結婚されようとしている。それは、良かったけれど、それで罪は消せない。2人は、何も言わなかったよ。ただ、床からお立ち下さい、顔を上げて下さい、としか。許すとも、許さないとも。」
「ええ•••なかなか、どちらも言える事ではないでしょうものね。」
ヴァーチュの様子を、竜樹とハルサ王、マルグリット妃は、何とも言い難い表情で見ていた。止めるには彼の父親の罪は重く、そしてそのままにするにはやりきれない。許されるなら土下座くらいしても、と見込んでの態度かと思えなくもないが、そんな事で許されはしないのは分かりきっている。
そして調査からも、これまでの付き合いからも、ヴァーチュの人柄は知っていて。
大体、ナルの悪事を、今の状態を、調査され問われたからといって、それを上回る秘密を自分から告白してくるくらいだから、腹芸でどうにかしよう、なんて一欠片も思っていないのだ。ただ、これからを、心配に思うあまりに。
公爵家は王族とも血筋が近く、何代か前の姫が降嫁したりもしているため、親戚付き合いしてきた。王様と王妃様2人は悲しい顔をして、小さく丸まるヴァーチュを見ているしかなかった。
「ヴァーチュ様。」
竜樹が、そっと、厳しい声で呼びかけた。
「は、はい!」
かしこまって、ビクリと応えるヴァーチュに、竜樹は怖い顔をしたまま、こう言った。
「そのままでは、冷静にお話出来ないでしょう。罪の呵責はあるでしょうが、あなたは公爵様。領民達の生活や命も預かる身分です。謝るのは良い。償いも、当然です。でも、ちゃんとそこの所、今日はお話ししましょう。考えながら、誰にとっても、痛みはあれど、これならば、という考えを、お互いに出し合って。•••さあ、立って。コリエさんとジャンドル様も、貴方の父親のナル公爵になら土下座もされたいでしょうが、息子の貴方のそんな姿を、望んではいないと思いますよ。」
厳しい言い方だけれど、優しい、とヴァーチュは、ホッと心が緩むのを感じた。
話をして、くれるんだ。
コリエ嬢とジャンドルを見れば、2人も、うんうんと頷き、さあ、お話しましょう、とコリエは手を取ってくれさえした。市井の、泥に塗れる事もある花街で、花などやっていれば、悪い奴にはごまんとぶつかる。だから、誠意のある謝罪は、コリエの心を打ったのである。
身分からいえば、許しもなく、平民のコリエが公爵のヴァーチュの手を取る事はありえないが。この場では、コリエの精一杯の譲歩でもあった。それをヴァーチュも、感じ入り、有り難く感じた。
皆で椅子に座り、ふーと息を吐く。
「•••さあ、どうしましょうか。ヴァーチュ様、貴方はナル公爵の罪を償いたい。でも、公爵家を潰してしまう訳にはいかない。これは、良いですね?」
竜樹が、サクリと話を進める。
いっそ、関係がなく、他人で平等に評価できる竜樹の方が、冷静に判断できるのだろう。また、誰もが口を開きにくい心情であった。コリエは今までの事を、水に流す事はできない。未だに父親が冤罪で罪人として、働いているのだから。
「はい。コリエ嬢には申し訳ない事ですが、償いは何らかの形でしたいです。ですが、どうか、私や父ナルを許すではなく、我が領の、領民達の事だけは、何とかお許し願いたい。長く、父の、人を陥れた甘い汁で潤ってきた領民ですが、誰もそんな事望んでいなかったし、何なら父ナルは、領民には無関心だったので、大多数の者は、良い思いなどしていないんです。」
ヴァーチュの願いに、うん、と一つ、頷いて、竜樹がコリエを見れば、またコリエも、うん、と頷く。
「コリエさんも、償いはしてもらうが、公爵家を潰したいとは思わない。これで、良いですね?」
「はい。父バヴァールさえ、今の状況から助かるのならば。」
「お母様は、どうされたのですか?」
竜樹の疑問に、ハッ!と吐き捨てたコリエは、急に皮肉っぽい表情になり。
「あの人は、父の罪が、ーー冤罪でしたけどーー明らかになった時、とっとと離縁して、実家に帰り、今は他の家に後妻に入っています。充分幸せですから、話もしなくて良いでしょう。•••そもそも、花街から人が来て、私が連れて行かれる時にも、『私は関係ない!娘が償うわ!娘を、コリエを連れて行ってよ!罪人の父親と血が繋がっているんですから!こんな人と結婚するんじゃなかった、私は実家へ帰ります!』って言っていましたからね。•••それまで、私は過不足なく、幸せだと、両親に愛されていると思っていたけれど、愛してくれているのは父親だけで、母は自分の方が可愛かったみたいです。」
それはコリエの傷なのであろう。娘時代についた傷は、きっと柔らかな心を裂いたに違いない。
ジャンドルがコリエの手をぎゅっと握り、コリエはそれを、もう片方の手で押さえて握り返し、血の温かさを分け合って。震える唇で、コリエは続ける。
「父は、バヴァールは、娘を連れて行かないでくれ!と叫んでいました。自分も戒められているのに、私が償うから、娘を、妻を!と。そしてさっさと離縁する妻に、顔をくしゃくしゃにしていたけれど、それでも必死で、私の事を案じていた。花街は、時々こういうやり方をするんです。目の前で家族を壊し連れて行く。心をへし折り、そして、そんな中でも思ってくれる残った家族の事を思えば、娘は言うことを聞きますからね。」
淡々と話すコリエに、ヴァーチュは言葉もない。
「•••そう。さぞかし、さぞかし、お辛かったでしょう。何の罪もない子爵令嬢が、ある日から突然、花街に行くんだものね。家族と引き離されて、思ってくれる父親は罪人で、母親は、その、そんなふうにだったんだね。それは、それは、だね。」
竜樹は思いやりのある声で、コリエを労る。マルグリット妃も、そしてハルサ王も、沈痛な表情で、頷いている。
「では、お母様の事は、今回関わる気持ちに整理がついているんだね?」
気を取り直して竜樹が問えば。
「はい。むしろ、これから関わってほしくないです、母には。優しそうな顔をして、私と父が復活すれば、マルグリット妃様の後援で結婚式を挙げるなどとなれば、さも自分も被害者だったと、擦り寄ってきそうな人ですから、それも悪気なくね。2度と母には、会いたくないです。」
「それはそのように、こちらで押さえておこう。それくらいは、させておくれ。」
ハルサ王が、うん、と一つ頷いて、一つの事が片付いた。
「バヴァールの事ですが、勿論、罪人扱いは、即刻取りやめさせ、あの脱税事件は書類の誤りであったと、部下の下級税務官クリムが、画策した事だと、公表します。借金は払い終えているし、それも、誤りだったのだから、返還されます。もう働く事はないでしょう。と、言いたい所なんですけれど。」
マルグリット妃が、躊躇いながら、頬に指を沿わせ、首を傾げる。
「バヴァール、罪人の腕輪をして、民間の代筆店で、招待状や正式な書類の、筆耕をやっていたのよ。美文字で有名な方だったそうね。そして、何ていうか、馴染んでるのよ。」
「「馴染んでる?」」
コリエとジャンドルが、不思議そうに問い返す。
「ええ。罪人だけど、人を傷つけたりした罪じゃないのは、腕輪を見ればわかるわ。だから、危険だとも思われなくて、そして長年働いて人柄も知れて、段々と仕事場で、本当に必要な人として、馴染んでるのよ。みんな、バヴァールさん、何をやったんだい?きっと上司にでも言われて、断れなくて罪でも犯しちゃったのだろう。って。全く的外れでもない所が、侮れないわよね。それで、本人は、『私の罪で、娘が花街へ行ってしまったから、早く借金を返して、娘が老後安心して暮らせるくらいのお金を、貯めてあげたい。』って、一生懸命なのが、また、周りで切ないって言ってねえ。沢山仕事をしてるから、今や、職場で頼りにされて、仕事も速いし上手いし、引っ張りだこなのよ。」
キョトン、とした顔をしていたコリエだが。
うふふふふ!と笑って。
「ふふ、ふふふ!父らしいわ!あの人は、いつでも皆を味方にしちゃうの。今でもぽっこりお腹なのかしら?愛嬌もあるから、誰も憎めないの。罪人になってまで、なんて、父らしい。うふふ、では、職場から引き上げさせたら、皆が、可哀想ね。ふふふ、ふふ!」
多分そういう所が、ナル公爵の勘に触ったのだろうなあ、と。バヴァールが酷い目に遭っていなかった事を、本人の努力で受け入れられてきた事を、微笑ましく思いながらも、竜樹はしみじみと感じた。
そしてヴァーチュは、ほっとしながらも、自分たちの償いの話になかなかならない事を、申し訳なく思っていた。
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