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本編
傷も成長
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ピティエは、今日、何だか落ち込んでいた。
竜樹がヤングコーンの皮をむしりながら、農業体験遠足の事を話していて、皆がふんふんと聞いていて。
いつもだったら、ヘェ~、なんて頷きつつ、自分も行ってみられるかな、どんなかな、など、期待も込めて聞いていられるのに。
昨日あった、家での出来事のせいで、内気だった以前の性格が、戻ってきてしまったように感じた。
何もできない自分が情けなくて、でもどうしたら良いのか、分からなくて。
その日、ピティエは新聞売りと撮影隊の寮に泊まらず、家に帰ってきていた。夕飯を家族と。食後の果物を摂りながら、ゆっくりお茶を飲み、歓談する。
ピティエが、色々な事に積極的になり始めてから、このアシュランス公爵家の家族達は、和やかで温かな時間を過ごせる事が多い。日々、ピティエのささやかな失敗や、成功に、一つ一つ寄り添い、嬉しく思いつつ。
「明日の午後、ラジオの試験の録音をするんです。プレイヤードと、アミューズと一緒に。」
「そうなのか。頑張ってな!」
「テレビで放送するのよね。楽しみにしてるわ。それまでにウチもテレビ、買っておきたいわ。」
「うんうん、そうだね母様。それにしても、録音機を借りてから、少し時間が経っているね。吟遊詩人の手配なんかに手間取ったのかい?」
兄のジェネルーの問いに。
「フードゥルの王女様達がいらっしゃった事もあったし、球技大会もあったから、なかなか落ち着いてラジオの試験番組を作る雰囲気ではなくて。でも、竜樹様と子供達の寮も、落ち着いてきたから、そろそろどうかな、って。寮で録音させてもらうんです。使っていない個室があるから、そこで。」
うんうん、とジェネルーは頷きつつ、それにしても球技大会は、素晴らしかったね、と思い出しニコッ。
「ピティエがあんなに、ブラインドサッカーが上手だったなんて!スイスイと走って、翼があるかのようだった!本当に、熱くなったし、良かったなぁ。」
タオルを回すのも、観ている側も参加しているようで、とても楽しかったのだ。
ジェネルーにしてみれば、自分と歳の離れた、小さな小さな弟が。視力も弱くていつも俯いて、ジェネルーの上着の裾を、握ってついてきた子が、ようやくのびのびと成長を見せてくれて、本当に嬉しいのだ。
父も母も、遅くできた末っ子のピティエが可愛くて。でも何も生み出さない子だと、諦めて。今も将来も、面倒を見てやらなければならないはずが、ここにきて、ラジオ番組の試験を受けるなど、希望を見せてくれて、とても嬉しくて。
何故、こんなにも輝いている子を、ずっと家の中で燻らせていたのだろう?
今では、そんな風に思えるように。
「ふふふ。ジェネルー兄様、この間から、そればっかり。竜樹様が来年も、って言っていたから、私もそれまでに、もっと練習して、いい試合をやりますよ!」
「それは楽しみだ!」
その後も、竜樹から示され協力し始めた、遮光メガネやサングラスの事業の事を話したり。釣り用サングラスから、竜樹の世界では、テレビの釣り番組ってのがあるらしい、じゃあもし釣り番組をやるようなら、そこでサングラスの宣伝できるね、竜樹様に資金と人手を協力して、番組作ってもらおうか、などと話は弾んで、しばらく。
ふわぁ、とピティエが、半分降りてきた瞼に、噛み殺しつつも欠伸をした事で。
「もう、おやすみ。眠いのだろう、ピティエ。」
「•••はい。何だか、王子殿下達や貴族の仲間、寮の子と、遊ぶようになってから、夜はとても眠くて。沢山眠れて、頭も身体もスッキリして、気持ち良いのです。」
うんうん。良かったなあ。万感の想いを込めて、家族は頷く。
健康そうな、血色のいい頬のピティエは、今では早寝早起きになったのだ。
「おやすみなさい。」
「ああ、おやすみ、ピティエ。」
「おやすみ。」
「いい眠りを、ピティエ。」
コツン、コツンと白杖を振りつつ、部屋に戻る途中で、衣装部屋に寄り寝巻きと下着を持って。さっと風呂に入り、寝巻きに着替えて歯磨き浄化をし、さっぱりとしたら、フカフカの布団で寝るだけだ。
サングラスをベッドヘッドに置き、白杖をサイドテーブルに。枕のいい塩梅を探して、左右にモゾモゾリ。丁度良くして、秒で眠気に包まれて。
今までは、何もかも、されるがままに支度されていた。やる気もなかった。
だがもう、ピティエは、これだけの事を自分一人で、立派にできるのだ。もちろん、寮にいる時も、子供達に助けてもらいながら、時にはちっちゃい子組のお風呂や着替えを手伝ったりもする。
それはとても嬉しくて、くすぐったい事だった。
侍女のグリーズは、ピティエを囲んで談笑していたアシュランス公爵家の皆を、何でもないような顔をして、心の中で罵倒していた。仕事があった場合に備えて、部屋の隅で控えていながら。
何だっていうのよ。何でピティエが家族の中心になって、和やかに話なんかしてられるのか。ブラインドサッカー?ラジオ番組?知るか!要するに、お貴族様だから、おまけで色々やらせてもらえてるんでしょ。サングラスだって、顔の表情が見づらくなって、じっと見られると、見通されている感じが何だか怖い。
ピティエは人が話す時、見えていないのに、そちらに顔を向けて集中して聞くのだ。
素顔でも何か深淵を感じさせて苦手だったのに、それがサングラスをしていると、何を考えて聞いているのか余計にわかりづらくて、グリーズは知らず恐れていた。
いつか、自分のしていたイジメが、アシュランス公爵家の旦那様や奥様、それから一番厳しいと思われる、ジェネルー様に、言いつけられるのではないか。
そんな恐れもあるが、自分をまるっと見られているような、心地悪さが元々あった。
サングラスなんて、良くないに決まってる!あんな物何がいいのか!
球技大会も観に行かず、ラジオについて、サングラスの意味も良く知らないグリーズは、それでもピティエが着々と自立し、力をつけてきていることを感じて、焦っていた。
このままでは、ピティエ付きの特別報酬がある楽な仕事は、2度と貰えないだろう。しばらくすれば、泣き言を言ってやっぱりグリーズに世話を頼むと思っていたのに。
見られたくはないが、ピティエを見下し利用する事からは、離れられない。グリーズのこの気持ちは、どこからくるのだろう。
執事カフェに、一度行ってしまったのがグリーズの間違いであった。
何せチヤホヤしてくれるのである。
何度でも行きたい。執事カフェは明朗会計、しかし何度も行くには、グリーズの懐は少し痛い。サービスを考えれば妥当なお値段だが。
その上、ファンの女の子達が、こぞって贈り物をするのを知っては、負けてられないと思った。
ただお高い物をあげても、ニッコリと「規則で受け取れません。お気持ちはいただきますね。」と言われてしまう。お手製の刺繍ハンカチなど、高くなくて努力の跡が見える物なら受け取ってくれるが、同じ事をしていても特別にはなれない。
グリーズが入れ込んでいる執事、アロンジェは、紺の髪色で、スラリとしている所も、どこかピティエに似ているのだった。
この間話したアロンジェは、テレビを欲しがっていた。グリーズには、「興味がございます」と控えめに言っただけだが、ならば贈ってやろうと思う。
それに合わせて、アロンジェの1日買い切りをしたい。できるか分からないが、お金があれば大抵の事は可能だろう。ピティエの面倒をみる特別報酬をもらって。
その為には、ピティエが溌剌と生きていては困るのだ。
アシュランス公爵家の皆が、自室に下がる。少し時間を置いて、グリーズはランプを持ち、そうっとピティエの部屋に近づく。
ギュッ、ギュッと、音が出ないように廊下の絨毯の上を歩く。
ノックをせずに、ドアを、ゆっくり、ゆっくり、開ける。
ピティエは、すうすうと、健やかに寝ていた。
何で私に縋ってこないのよ。
グリーズは、更に増してピティエを憎らしく思う。最近、お世話をしていた時よりおしゃれになったのも、腹立たしい。まるでグリーズが手を抜いていたみたいではないか。その通りなのだが、それを明らかにされるのは困る。
背中を丸めて生きていたのに、ピンッと張るようにもなった。嬉しそうで、楽しそうで、輝いて。
まるで、グリーズとは、別の世界に羽ばたき、生きていくと決めたように。
ベッドのサイドテーブルに立て掛けられた白杖を。
取ろうと。
「グリーズ。」
ヒッ
寝ていると思っていたピティエの、突然の誰何に、出しかけた手を、引っ込めて。
何で、私だってわかるのよ!!
こういう所が恐ろしくて嫌なのだ。
声を出しさえしなければ、はっきりグリーズと決めきれないに違いない。ピティエが何を言っても、見られないのだから証拠はない。
ガッと白杖を掴むと、さっきまでのそろりそろりと違い、音が出ようが構わず走って、バタバタとピティエの部屋を出る。
こんな白杖などなければ、またグリーズに頼らなければならなくなる。
そうしたら言ってやるのだ。
あんなに偉そうに、世話がいらないって言っていたのにね、って。
これからは私の言う通りにしてもらいます、って。
ピティエなんかに馬鹿にされて、そのままでいられはしない!
外の庭に駆け出し、白杖を振り上げて、花壇を囲う煉瓦に叩きつけ•••
「何をしているんだ、グリーズ。」
誰!?
白杖を振り上げた手を握り止められて、グリーズはビクッと振り向いた。
冴えざえとした月光に照らされて、そこにいるのは。
「ジェネルー様•••!違うんです、これは、これは!」
「それはピティエの白杖だな。煉瓦に叩きつけて、どうしようと?」
グリーズは一番見つかってはいけない人に見つかってしまった。ジェネルーは、宝物のようにピティエを大事にしている。本当の事を言えば、グリーズはこの家にいられないだろう。
ジェネルーの顔は、険しく、掴まれた手首が痛い。ゆっくり下ろされた手から、白杖がむしり取られる。
「その、あの•••虫!虫がいたんです!私はそれを払っていて!」
「暗い中、用もないのに、わざわざピティエの部屋に?しかも、その細い白杖に?」
「よ、呼ばれたんです!ピティエ様に!そうしたら虫がいて、払ってきて欲しいと!」
焦って嘘を重ねる。
「私、そんな事、頼んでないよ!寝てたんだ。」
寝巻き姿のピティエが、室内ばきのままで、ひょこひょこ庭に出てきた。
ピティエには今の状況が良く分からない。眠っていたのに、ひっそりと歩く足音に、フッと目が覚めた。あの足音はグリーズだな、とピティエには分かる。家の中の者なら全て、体重や、どう足をつくかなど、歩き方の癖で足音が違うから。
仕事をしている時のドタドタした音ではなく、確かにグリーズなのに、いつもと違う潜んでくるのが、気にかかって目覚めたらしい。
庭でもめる、音のする方へ向かってきた。家の中なら、壁を触りながら、ゆっくり出て来れる。
ピティエは、何故グリーズが白杖を持ち出したのか分からなかった。パタパタ、とサイドテーブルを触っても白杖がなくて、庭のやり取りが聞こえて、白杖を取られたのだと。
「ジェネルー兄様。グリーズは、何をしようと?」
険しい顔をしたままのジェネルーは、グリーズの手首を握って離さない。
「白杖を、壊そうとしてたんだ。」
「えええ?な、何で•••。」
訳が分からない。
「グリーズ、何で?私、何もしていないのに。自分で自分の事やってるし、もう面倒もかけていないじゃないか。白杖を壊したら、出かける時に不便で困るよ。」
特に明日は、大事な録音の日なのに。
ピティエには、複雑な悪意が分からない。自分にはないものだから。そして持っていなくてもそれをあるなと理解する程には、まだ心や対人関係の経験が育っていない。自分が何もしていなくても、一方的に悪く思われる事があるなんて。
サングラスをしていないピティエの瞳は、灰緑色が月光に、キラキラとしていた。幼子の、なぜなに、に、大人は全てを答えられない。羽ばたき始めた所だ。まだその時ではないのに、汚してしまうのを恐れて。
ジェネルーは、そんなピティエに、悪意をぶつけるグリーズが許せなかった。
「ピティエに許可をとって、部屋に神の目をつけてある。先ほどグリーズがピティエの部屋で何をやったか、父と、母、執事や侍女頭も呼んで見てみようじゃないか。」
私は、この家でピティエに悪口を言うのが誰か、ずっと探していたんだ。
ニヤリ、と獰猛に笑う。
ピティエは来なくてもいいよ。眠いだろうし、明日は大事な日だろう?
ジェネルーはそう、優しく言ったが、ピティエは、何故グリーズが白杖を壊そうとしたか、知りたかった。
何もしないで、傷を負わないで、ただそっと甘やかされている時期は、終わったのだ。
「自分の事だから、知りたいよ。ジェネルー兄様。」
グリーズの拘束を執事に任せて。
弟の藍色のサラサラした髪を撫で、ジェネルーはため息をつく。
誰がわざわざ綺麗なものに、傷をつけたいだろうか!
しかし、その傷さえも、成長なのだ。
竜樹がヤングコーンの皮をむしりながら、農業体験遠足の事を話していて、皆がふんふんと聞いていて。
いつもだったら、ヘェ~、なんて頷きつつ、自分も行ってみられるかな、どんなかな、など、期待も込めて聞いていられるのに。
昨日あった、家での出来事のせいで、内気だった以前の性格が、戻ってきてしまったように感じた。
何もできない自分が情けなくて、でもどうしたら良いのか、分からなくて。
その日、ピティエは新聞売りと撮影隊の寮に泊まらず、家に帰ってきていた。夕飯を家族と。食後の果物を摂りながら、ゆっくりお茶を飲み、歓談する。
ピティエが、色々な事に積極的になり始めてから、このアシュランス公爵家の家族達は、和やかで温かな時間を過ごせる事が多い。日々、ピティエのささやかな失敗や、成功に、一つ一つ寄り添い、嬉しく思いつつ。
「明日の午後、ラジオの試験の録音をするんです。プレイヤードと、アミューズと一緒に。」
「そうなのか。頑張ってな!」
「テレビで放送するのよね。楽しみにしてるわ。それまでにウチもテレビ、買っておきたいわ。」
「うんうん、そうだね母様。それにしても、録音機を借りてから、少し時間が経っているね。吟遊詩人の手配なんかに手間取ったのかい?」
兄のジェネルーの問いに。
「フードゥルの王女様達がいらっしゃった事もあったし、球技大会もあったから、なかなか落ち着いてラジオの試験番組を作る雰囲気ではなくて。でも、竜樹様と子供達の寮も、落ち着いてきたから、そろそろどうかな、って。寮で録音させてもらうんです。使っていない個室があるから、そこで。」
うんうん、とジェネルーは頷きつつ、それにしても球技大会は、素晴らしかったね、と思い出しニコッ。
「ピティエがあんなに、ブラインドサッカーが上手だったなんて!スイスイと走って、翼があるかのようだった!本当に、熱くなったし、良かったなぁ。」
タオルを回すのも、観ている側も参加しているようで、とても楽しかったのだ。
ジェネルーにしてみれば、自分と歳の離れた、小さな小さな弟が。視力も弱くていつも俯いて、ジェネルーの上着の裾を、握ってついてきた子が、ようやくのびのびと成長を見せてくれて、本当に嬉しいのだ。
父も母も、遅くできた末っ子のピティエが可愛くて。でも何も生み出さない子だと、諦めて。今も将来も、面倒を見てやらなければならないはずが、ここにきて、ラジオ番組の試験を受けるなど、希望を見せてくれて、とても嬉しくて。
何故、こんなにも輝いている子を、ずっと家の中で燻らせていたのだろう?
今では、そんな風に思えるように。
「ふふふ。ジェネルー兄様、この間から、そればっかり。竜樹様が来年も、って言っていたから、私もそれまでに、もっと練習して、いい試合をやりますよ!」
「それは楽しみだ!」
その後も、竜樹から示され協力し始めた、遮光メガネやサングラスの事業の事を話したり。釣り用サングラスから、竜樹の世界では、テレビの釣り番組ってのがあるらしい、じゃあもし釣り番組をやるようなら、そこでサングラスの宣伝できるね、竜樹様に資金と人手を協力して、番組作ってもらおうか、などと話は弾んで、しばらく。
ふわぁ、とピティエが、半分降りてきた瞼に、噛み殺しつつも欠伸をした事で。
「もう、おやすみ。眠いのだろう、ピティエ。」
「•••はい。何だか、王子殿下達や貴族の仲間、寮の子と、遊ぶようになってから、夜はとても眠くて。沢山眠れて、頭も身体もスッキリして、気持ち良いのです。」
うんうん。良かったなあ。万感の想いを込めて、家族は頷く。
健康そうな、血色のいい頬のピティエは、今では早寝早起きになったのだ。
「おやすみなさい。」
「ああ、おやすみ、ピティエ。」
「おやすみ。」
「いい眠りを、ピティエ。」
コツン、コツンと白杖を振りつつ、部屋に戻る途中で、衣装部屋に寄り寝巻きと下着を持って。さっと風呂に入り、寝巻きに着替えて歯磨き浄化をし、さっぱりとしたら、フカフカの布団で寝るだけだ。
サングラスをベッドヘッドに置き、白杖をサイドテーブルに。枕のいい塩梅を探して、左右にモゾモゾリ。丁度良くして、秒で眠気に包まれて。
今までは、何もかも、されるがままに支度されていた。やる気もなかった。
だがもう、ピティエは、これだけの事を自分一人で、立派にできるのだ。もちろん、寮にいる時も、子供達に助けてもらいながら、時にはちっちゃい子組のお風呂や着替えを手伝ったりもする。
それはとても嬉しくて、くすぐったい事だった。
侍女のグリーズは、ピティエを囲んで談笑していたアシュランス公爵家の皆を、何でもないような顔をして、心の中で罵倒していた。仕事があった場合に備えて、部屋の隅で控えていながら。
何だっていうのよ。何でピティエが家族の中心になって、和やかに話なんかしてられるのか。ブラインドサッカー?ラジオ番組?知るか!要するに、お貴族様だから、おまけで色々やらせてもらえてるんでしょ。サングラスだって、顔の表情が見づらくなって、じっと見られると、見通されている感じが何だか怖い。
ピティエは人が話す時、見えていないのに、そちらに顔を向けて集中して聞くのだ。
素顔でも何か深淵を感じさせて苦手だったのに、それがサングラスをしていると、何を考えて聞いているのか余計にわかりづらくて、グリーズは知らず恐れていた。
いつか、自分のしていたイジメが、アシュランス公爵家の旦那様や奥様、それから一番厳しいと思われる、ジェネルー様に、言いつけられるのではないか。
そんな恐れもあるが、自分をまるっと見られているような、心地悪さが元々あった。
サングラスなんて、良くないに決まってる!あんな物何がいいのか!
球技大会も観に行かず、ラジオについて、サングラスの意味も良く知らないグリーズは、それでもピティエが着々と自立し、力をつけてきていることを感じて、焦っていた。
このままでは、ピティエ付きの特別報酬がある楽な仕事は、2度と貰えないだろう。しばらくすれば、泣き言を言ってやっぱりグリーズに世話を頼むと思っていたのに。
見られたくはないが、ピティエを見下し利用する事からは、離れられない。グリーズのこの気持ちは、どこからくるのだろう。
執事カフェに、一度行ってしまったのがグリーズの間違いであった。
何せチヤホヤしてくれるのである。
何度でも行きたい。執事カフェは明朗会計、しかし何度も行くには、グリーズの懐は少し痛い。サービスを考えれば妥当なお値段だが。
その上、ファンの女の子達が、こぞって贈り物をするのを知っては、負けてられないと思った。
ただお高い物をあげても、ニッコリと「規則で受け取れません。お気持ちはいただきますね。」と言われてしまう。お手製の刺繍ハンカチなど、高くなくて努力の跡が見える物なら受け取ってくれるが、同じ事をしていても特別にはなれない。
グリーズが入れ込んでいる執事、アロンジェは、紺の髪色で、スラリとしている所も、どこかピティエに似ているのだった。
この間話したアロンジェは、テレビを欲しがっていた。グリーズには、「興味がございます」と控えめに言っただけだが、ならば贈ってやろうと思う。
それに合わせて、アロンジェの1日買い切りをしたい。できるか分からないが、お金があれば大抵の事は可能だろう。ピティエの面倒をみる特別報酬をもらって。
その為には、ピティエが溌剌と生きていては困るのだ。
アシュランス公爵家の皆が、自室に下がる。少し時間を置いて、グリーズはランプを持ち、そうっとピティエの部屋に近づく。
ギュッ、ギュッと、音が出ないように廊下の絨毯の上を歩く。
ノックをせずに、ドアを、ゆっくり、ゆっくり、開ける。
ピティエは、すうすうと、健やかに寝ていた。
何で私に縋ってこないのよ。
グリーズは、更に増してピティエを憎らしく思う。最近、お世話をしていた時よりおしゃれになったのも、腹立たしい。まるでグリーズが手を抜いていたみたいではないか。その通りなのだが、それを明らかにされるのは困る。
背中を丸めて生きていたのに、ピンッと張るようにもなった。嬉しそうで、楽しそうで、輝いて。
まるで、グリーズとは、別の世界に羽ばたき、生きていくと決めたように。
ベッドのサイドテーブルに立て掛けられた白杖を。
取ろうと。
「グリーズ。」
ヒッ
寝ていると思っていたピティエの、突然の誰何に、出しかけた手を、引っ込めて。
何で、私だってわかるのよ!!
こういう所が恐ろしくて嫌なのだ。
声を出しさえしなければ、はっきりグリーズと決めきれないに違いない。ピティエが何を言っても、見られないのだから証拠はない。
ガッと白杖を掴むと、さっきまでのそろりそろりと違い、音が出ようが構わず走って、バタバタとピティエの部屋を出る。
こんな白杖などなければ、またグリーズに頼らなければならなくなる。
そうしたら言ってやるのだ。
あんなに偉そうに、世話がいらないって言っていたのにね、って。
これからは私の言う通りにしてもらいます、って。
ピティエなんかに馬鹿にされて、そのままでいられはしない!
外の庭に駆け出し、白杖を振り上げて、花壇を囲う煉瓦に叩きつけ•••
「何をしているんだ、グリーズ。」
誰!?
白杖を振り上げた手を握り止められて、グリーズはビクッと振り向いた。
冴えざえとした月光に照らされて、そこにいるのは。
「ジェネルー様•••!違うんです、これは、これは!」
「それはピティエの白杖だな。煉瓦に叩きつけて、どうしようと?」
グリーズは一番見つかってはいけない人に見つかってしまった。ジェネルーは、宝物のようにピティエを大事にしている。本当の事を言えば、グリーズはこの家にいられないだろう。
ジェネルーの顔は、険しく、掴まれた手首が痛い。ゆっくり下ろされた手から、白杖がむしり取られる。
「その、あの•••虫!虫がいたんです!私はそれを払っていて!」
「暗い中、用もないのに、わざわざピティエの部屋に?しかも、その細い白杖に?」
「よ、呼ばれたんです!ピティエ様に!そうしたら虫がいて、払ってきて欲しいと!」
焦って嘘を重ねる。
「私、そんな事、頼んでないよ!寝てたんだ。」
寝巻き姿のピティエが、室内ばきのままで、ひょこひょこ庭に出てきた。
ピティエには今の状況が良く分からない。眠っていたのに、ひっそりと歩く足音に、フッと目が覚めた。あの足音はグリーズだな、とピティエには分かる。家の中の者なら全て、体重や、どう足をつくかなど、歩き方の癖で足音が違うから。
仕事をしている時のドタドタした音ではなく、確かにグリーズなのに、いつもと違う潜んでくるのが、気にかかって目覚めたらしい。
庭でもめる、音のする方へ向かってきた。家の中なら、壁を触りながら、ゆっくり出て来れる。
ピティエは、何故グリーズが白杖を持ち出したのか分からなかった。パタパタ、とサイドテーブルを触っても白杖がなくて、庭のやり取りが聞こえて、白杖を取られたのだと。
「ジェネルー兄様。グリーズは、何をしようと?」
険しい顔をしたままのジェネルーは、グリーズの手首を握って離さない。
「白杖を、壊そうとしてたんだ。」
「えええ?な、何で•••。」
訳が分からない。
「グリーズ、何で?私、何もしていないのに。自分で自分の事やってるし、もう面倒もかけていないじゃないか。白杖を壊したら、出かける時に不便で困るよ。」
特に明日は、大事な録音の日なのに。
ピティエには、複雑な悪意が分からない。自分にはないものだから。そして持っていなくてもそれをあるなと理解する程には、まだ心や対人関係の経験が育っていない。自分が何もしていなくても、一方的に悪く思われる事があるなんて。
サングラスをしていないピティエの瞳は、灰緑色が月光に、キラキラとしていた。幼子の、なぜなに、に、大人は全てを答えられない。羽ばたき始めた所だ。まだその時ではないのに、汚してしまうのを恐れて。
ジェネルーは、そんなピティエに、悪意をぶつけるグリーズが許せなかった。
「ピティエに許可をとって、部屋に神の目をつけてある。先ほどグリーズがピティエの部屋で何をやったか、父と、母、執事や侍女頭も呼んで見てみようじゃないか。」
私は、この家でピティエに悪口を言うのが誰か、ずっと探していたんだ。
ニヤリ、と獰猛に笑う。
ピティエは来なくてもいいよ。眠いだろうし、明日は大事な日だろう?
ジェネルーはそう、優しく言ったが、ピティエは、何故グリーズが白杖を壊そうとしたか、知りたかった。
何もしないで、傷を負わないで、ただそっと甘やかされている時期は、終わったのだ。
「自分の事だから、知りたいよ。ジェネルー兄様。」
グリーズの拘束を執事に任せて。
弟の藍色のサラサラした髪を撫で、ジェネルーはため息をつく。
誰がわざわざ綺麗なものに、傷をつけたいだろうか!
しかし、その傷さえも、成長なのだ。
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