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本編
傷も成長
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ピティエは、今日、何だか落ち込んでいた。
竜樹がヤングコーンの皮をむしりながら、農業体験遠足の事を話していて、皆がふんふんと聞いていて。
いつもだったら、ヘェ~、なんて頷きつつ、自分も行ってみられるかな、どんなかな、など、期待も込めて聞いていられるのに。
昨日あった、家での出来事のせいで、内気だった以前の性格が、戻ってきてしまったように感じた。
何もできない自分が情けなくて、でもどうしたら良いのか、分からなくて。
その日、ピティエは新聞売りと撮影隊の寮に泊まらず、家に帰ってきていた。夕飯を家族と。食後の果物を摂りながら、ゆっくりお茶を飲み、歓談する。
ピティエが、色々な事に積極的になり始めてから、このアシュランス公爵家の家族達は、和やかで温かな時間を過ごせる事が多い。日々、ピティエのささやかな失敗や、成功に、一つ一つ寄り添い、嬉しく思いつつ。
「明日の午後、ラジオの試験の録音をするんです。プレイヤードと、アミューズと一緒に。」
「そうなのか。頑張ってな!」
「テレビで放送するのよね。楽しみにしてるわ。それまでにウチもテレビ、買っておきたいわ。」
「うんうん、そうだね母様。それにしても、録音機を借りてから、少し時間が経っているね。吟遊詩人の手配なんかに手間取ったのかい?」
兄のジェネルーの問いに。
「フードゥルの王女様達がいらっしゃった事もあったし、球技大会もあったから、なかなか落ち着いてラジオの試験番組を作る雰囲気ではなくて。でも、竜樹様と子供達の寮も、落ち着いてきたから、そろそろどうかな、って。寮で録音させてもらうんです。使っていない個室があるから、そこで。」
うんうん、とジェネルーは頷きつつ、それにしても球技大会は、素晴らしかったね、と思い出しニコッ。
「ピティエがあんなに、ブラインドサッカーが上手だったなんて!スイスイと走って、翼があるかのようだった!本当に、熱くなったし、良かったなぁ。」
タオルを回すのも、観ている側も参加しているようで、とても楽しかったのだ。
ジェネルーにしてみれば、自分と歳の離れた、小さな小さな弟が。視力も弱くていつも俯いて、ジェネルーの上着の裾を、握ってついてきた子が、ようやくのびのびと成長を見せてくれて、本当に嬉しいのだ。
父も母も、遅くできた末っ子のピティエが可愛くて。でも何も生み出さない子だと、諦めて。今も将来も、面倒を見てやらなければならないはずが、ここにきて、ラジオ番組の試験を受けるなど、希望を見せてくれて、とても嬉しくて。
何故、こんなにも輝いている子を、ずっと家の中で燻らせていたのだろう?
今では、そんな風に思えるように。
「ふふふ。ジェネルー兄様、この間から、そればっかり。竜樹様が来年も、って言っていたから、私もそれまでに、もっと練習して、いい試合をやりますよ!」
「それは楽しみだ!」
その後も、竜樹から示され協力し始めた、遮光メガネやサングラスの事業の事を話したり。釣り用サングラスから、竜樹の世界では、テレビの釣り番組ってのがあるらしい、じゃあもし釣り番組をやるようなら、そこでサングラスの宣伝できるね、竜樹様に資金と人手を協力して、番組作ってもらおうか、などと話は弾んで、しばらく。
ふわぁ、とピティエが、半分降りてきた瞼に、噛み殺しつつも欠伸をした事で。
「もう、おやすみ。眠いのだろう、ピティエ。」
「•••はい。何だか、王子殿下達や貴族の仲間、寮の子と、遊ぶようになってから、夜はとても眠くて。沢山眠れて、頭も身体もスッキリして、気持ち良いのです。」
うんうん。良かったなあ。万感の想いを込めて、家族は頷く。
健康そうな、血色のいい頬のピティエは、今では早寝早起きになったのだ。
「おやすみなさい。」
「ああ、おやすみ、ピティエ。」
「おやすみ。」
「いい眠りを、ピティエ。」
コツン、コツンと白杖を振りつつ、部屋に戻る途中で、衣装部屋に寄り寝巻きと下着を持って。さっと風呂に入り、寝巻きに着替えて歯磨き浄化をし、さっぱりとしたら、フカフカの布団で寝るだけだ。
サングラスをベッドヘッドに置き、白杖をサイドテーブルに。枕のいい塩梅を探して、左右にモゾモゾリ。丁度良くして、秒で眠気に包まれて。
今までは、何もかも、されるがままに支度されていた。やる気もなかった。
だがもう、ピティエは、これだけの事を自分一人で、立派にできるのだ。もちろん、寮にいる時も、子供達に助けてもらいながら、時にはちっちゃい子組のお風呂や着替えを手伝ったりもする。
それはとても嬉しくて、くすぐったい事だった。
侍女のグリーズは、ピティエを囲んで談笑していたアシュランス公爵家の皆を、何でもないような顔をして、心の中で罵倒していた。仕事があった場合に備えて、部屋の隅で控えていながら。
何だっていうのよ。何でピティエが家族の中心になって、和やかに話なんかしてられるのか。ブラインドサッカー?ラジオ番組?知るか!要するに、お貴族様だから、おまけで色々やらせてもらえてるんでしょ。サングラスだって、顔の表情が見づらくなって、じっと見られると、見通されている感じが何だか怖い。
ピティエは人が話す時、見えていないのに、そちらに顔を向けて集中して聞くのだ。
素顔でも何か深淵を感じさせて苦手だったのに、それがサングラスをしていると、何を考えて聞いているのか余計にわかりづらくて、グリーズは知らず恐れていた。
いつか、自分のしていたイジメが、アシュランス公爵家の旦那様や奥様、それから一番厳しいと思われる、ジェネルー様に、言いつけられるのではないか。
そんな恐れもあるが、自分をまるっと見られているような、心地悪さが元々あった。
サングラスなんて、良くないに決まってる!あんな物何がいいのか!
球技大会も観に行かず、ラジオについて、サングラスの意味も良く知らないグリーズは、それでもピティエが着々と自立し、力をつけてきていることを感じて、焦っていた。
このままでは、ピティエ付きの特別報酬がある楽な仕事は、2度と貰えないだろう。しばらくすれば、泣き言を言ってやっぱりグリーズに世話を頼むと思っていたのに。
見られたくはないが、ピティエを見下し利用する事からは、離れられない。グリーズのこの気持ちは、どこからくるのだろう。
執事カフェに、一度行ってしまったのがグリーズの間違いであった。
何せチヤホヤしてくれるのである。
何度でも行きたい。執事カフェは明朗会計、しかし何度も行くには、グリーズの懐は少し痛い。サービスを考えれば妥当なお値段だが。
その上、ファンの女の子達が、こぞって贈り物をするのを知っては、負けてられないと思った。
ただお高い物をあげても、ニッコリと「規則で受け取れません。お気持ちはいただきますね。」と言われてしまう。お手製の刺繍ハンカチなど、高くなくて努力の跡が見える物なら受け取ってくれるが、同じ事をしていても特別にはなれない。
グリーズが入れ込んでいる執事、アロンジェは、紺の髪色で、スラリとしている所も、どこかピティエに似ているのだった。
この間話したアロンジェは、テレビを欲しがっていた。グリーズには、「興味がございます」と控えめに言っただけだが、ならば贈ってやろうと思う。
それに合わせて、アロンジェの1日買い切りをしたい。できるか分からないが、お金があれば大抵の事は可能だろう。ピティエの面倒をみる特別報酬をもらって。
その為には、ピティエが溌剌と生きていては困るのだ。
アシュランス公爵家の皆が、自室に下がる。少し時間を置いて、グリーズはランプを持ち、そうっとピティエの部屋に近づく。
ギュッ、ギュッと、音が出ないように廊下の絨毯の上を歩く。
ノックをせずに、ドアを、ゆっくり、ゆっくり、開ける。
ピティエは、すうすうと、健やかに寝ていた。
何で私に縋ってこないのよ。
グリーズは、更に増してピティエを憎らしく思う。最近、お世話をしていた時よりおしゃれになったのも、腹立たしい。まるでグリーズが手を抜いていたみたいではないか。その通りなのだが、それを明らかにされるのは困る。
背中を丸めて生きていたのに、ピンッと張るようにもなった。嬉しそうで、楽しそうで、輝いて。
まるで、グリーズとは、別の世界に羽ばたき、生きていくと決めたように。
ベッドのサイドテーブルに立て掛けられた白杖を。
取ろうと。
「グリーズ。」
ヒッ
寝ていると思っていたピティエの、突然の誰何に、出しかけた手を、引っ込めて。
何で、私だってわかるのよ!!
こういう所が恐ろしくて嫌なのだ。
声を出しさえしなければ、はっきりグリーズと決めきれないに違いない。ピティエが何を言っても、見られないのだから証拠はない。
ガッと白杖を掴むと、さっきまでのそろりそろりと違い、音が出ようが構わず走って、バタバタとピティエの部屋を出る。
こんな白杖などなければ、またグリーズに頼らなければならなくなる。
そうしたら言ってやるのだ。
あんなに偉そうに、世話がいらないって言っていたのにね、って。
これからは私の言う通りにしてもらいます、って。
ピティエなんかに馬鹿にされて、そのままでいられはしない!
外の庭に駆け出し、白杖を振り上げて、花壇を囲う煉瓦に叩きつけ•••
「何をしているんだ、グリーズ。」
誰!?
白杖を振り上げた手を握り止められて、グリーズはビクッと振り向いた。
冴えざえとした月光に照らされて、そこにいるのは。
「ジェネルー様•••!違うんです、これは、これは!」
「それはピティエの白杖だな。煉瓦に叩きつけて、どうしようと?」
グリーズは一番見つかってはいけない人に見つかってしまった。ジェネルーは、宝物のようにピティエを大事にしている。本当の事を言えば、グリーズはこの家にいられないだろう。
ジェネルーの顔は、険しく、掴まれた手首が痛い。ゆっくり下ろされた手から、白杖がむしり取られる。
「その、あの•••虫!虫がいたんです!私はそれを払っていて!」
「暗い中、用もないのに、わざわざピティエの部屋に?しかも、その細い白杖に?」
「よ、呼ばれたんです!ピティエ様に!そうしたら虫がいて、払ってきて欲しいと!」
焦って嘘を重ねる。
「私、そんな事、頼んでないよ!寝てたんだ。」
寝巻き姿のピティエが、室内ばきのままで、ひょこひょこ庭に出てきた。
ピティエには今の状況が良く分からない。眠っていたのに、ひっそりと歩く足音に、フッと目が覚めた。あの足音はグリーズだな、とピティエには分かる。家の中の者なら全て、体重や、どう足をつくかなど、歩き方の癖で足音が違うから。
仕事をしている時のドタドタした音ではなく、確かにグリーズなのに、いつもと違う潜んでくるのが、気にかかって目覚めたらしい。
庭でもめる、音のする方へ向かってきた。家の中なら、壁を触りながら、ゆっくり出て来れる。
ピティエは、何故グリーズが白杖を持ち出したのか分からなかった。パタパタ、とサイドテーブルを触っても白杖がなくて、庭のやり取りが聞こえて、白杖を取られたのだと。
「ジェネルー兄様。グリーズは、何をしようと?」
険しい顔をしたままのジェネルーは、グリーズの手首を握って離さない。
「白杖を、壊そうとしてたんだ。」
「えええ?な、何で•••。」
訳が分からない。
「グリーズ、何で?私、何もしていないのに。自分で自分の事やってるし、もう面倒もかけていないじゃないか。白杖を壊したら、出かける時に不便で困るよ。」
特に明日は、大事な録音の日なのに。
ピティエには、複雑な悪意が分からない。自分にはないものだから。そして持っていなくてもそれをあるなと理解する程には、まだ心や対人関係の経験が育っていない。自分が何もしていなくても、一方的に悪く思われる事があるなんて。
サングラスをしていないピティエの瞳は、灰緑色が月光に、キラキラとしていた。幼子の、なぜなに、に、大人は全てを答えられない。羽ばたき始めた所だ。まだその時ではないのに、汚してしまうのを恐れて。
ジェネルーは、そんなピティエに、悪意をぶつけるグリーズが許せなかった。
「ピティエに許可をとって、部屋に神の目をつけてある。先ほどグリーズがピティエの部屋で何をやったか、父と、母、執事や侍女頭も呼んで見てみようじゃないか。」
私は、この家でピティエに悪口を言うのが誰か、ずっと探していたんだ。
ニヤリ、と獰猛に笑う。
ピティエは来なくてもいいよ。眠いだろうし、明日は大事な日だろう?
ジェネルーはそう、優しく言ったが、ピティエは、何故グリーズが白杖を壊そうとしたか、知りたかった。
何もしないで、傷を負わないで、ただそっと甘やかされている時期は、終わったのだ。
「自分の事だから、知りたいよ。ジェネルー兄様。」
グリーズの拘束を執事に任せて。
弟の藍色のサラサラした髪を撫で、ジェネルーはため息をつく。
誰がわざわざ綺麗なものに、傷をつけたいだろうか!
しかし、その傷さえも、成長なのだ。
竜樹がヤングコーンの皮をむしりながら、農業体験遠足の事を話していて、皆がふんふんと聞いていて。
いつもだったら、ヘェ~、なんて頷きつつ、自分も行ってみられるかな、どんなかな、など、期待も込めて聞いていられるのに。
昨日あった、家での出来事のせいで、内気だった以前の性格が、戻ってきてしまったように感じた。
何もできない自分が情けなくて、でもどうしたら良いのか、分からなくて。
その日、ピティエは新聞売りと撮影隊の寮に泊まらず、家に帰ってきていた。夕飯を家族と。食後の果物を摂りながら、ゆっくりお茶を飲み、歓談する。
ピティエが、色々な事に積極的になり始めてから、このアシュランス公爵家の家族達は、和やかで温かな時間を過ごせる事が多い。日々、ピティエのささやかな失敗や、成功に、一つ一つ寄り添い、嬉しく思いつつ。
「明日の午後、ラジオの試験の録音をするんです。プレイヤードと、アミューズと一緒に。」
「そうなのか。頑張ってな!」
「テレビで放送するのよね。楽しみにしてるわ。それまでにウチもテレビ、買っておきたいわ。」
「うんうん、そうだね母様。それにしても、録音機を借りてから、少し時間が経っているね。吟遊詩人の手配なんかに手間取ったのかい?」
兄のジェネルーの問いに。
「フードゥルの王女様達がいらっしゃった事もあったし、球技大会もあったから、なかなか落ち着いてラジオの試験番組を作る雰囲気ではなくて。でも、竜樹様と子供達の寮も、落ち着いてきたから、そろそろどうかな、って。寮で録音させてもらうんです。使っていない個室があるから、そこで。」
うんうん、とジェネルーは頷きつつ、それにしても球技大会は、素晴らしかったね、と思い出しニコッ。
「ピティエがあんなに、ブラインドサッカーが上手だったなんて!スイスイと走って、翼があるかのようだった!本当に、熱くなったし、良かったなぁ。」
タオルを回すのも、観ている側も参加しているようで、とても楽しかったのだ。
ジェネルーにしてみれば、自分と歳の離れた、小さな小さな弟が。視力も弱くていつも俯いて、ジェネルーの上着の裾を、握ってついてきた子が、ようやくのびのびと成長を見せてくれて、本当に嬉しいのだ。
父も母も、遅くできた末っ子のピティエが可愛くて。でも何も生み出さない子だと、諦めて。今も将来も、面倒を見てやらなければならないはずが、ここにきて、ラジオ番組の試験を受けるなど、希望を見せてくれて、とても嬉しくて。
何故、こんなにも輝いている子を、ずっと家の中で燻らせていたのだろう?
今では、そんな風に思えるように。
「ふふふ。ジェネルー兄様、この間から、そればっかり。竜樹様が来年も、って言っていたから、私もそれまでに、もっと練習して、いい試合をやりますよ!」
「それは楽しみだ!」
その後も、竜樹から示され協力し始めた、遮光メガネやサングラスの事業の事を話したり。釣り用サングラスから、竜樹の世界では、テレビの釣り番組ってのがあるらしい、じゃあもし釣り番組をやるようなら、そこでサングラスの宣伝できるね、竜樹様に資金と人手を協力して、番組作ってもらおうか、などと話は弾んで、しばらく。
ふわぁ、とピティエが、半分降りてきた瞼に、噛み殺しつつも欠伸をした事で。
「もう、おやすみ。眠いのだろう、ピティエ。」
「•••はい。何だか、王子殿下達や貴族の仲間、寮の子と、遊ぶようになってから、夜はとても眠くて。沢山眠れて、頭も身体もスッキリして、気持ち良いのです。」
うんうん。良かったなあ。万感の想いを込めて、家族は頷く。
健康そうな、血色のいい頬のピティエは、今では早寝早起きになったのだ。
「おやすみなさい。」
「ああ、おやすみ、ピティエ。」
「おやすみ。」
「いい眠りを、ピティエ。」
コツン、コツンと白杖を振りつつ、部屋に戻る途中で、衣装部屋に寄り寝巻きと下着を持って。さっと風呂に入り、寝巻きに着替えて歯磨き浄化をし、さっぱりとしたら、フカフカの布団で寝るだけだ。
サングラスをベッドヘッドに置き、白杖をサイドテーブルに。枕のいい塩梅を探して、左右にモゾモゾリ。丁度良くして、秒で眠気に包まれて。
今までは、何もかも、されるがままに支度されていた。やる気もなかった。
だがもう、ピティエは、これだけの事を自分一人で、立派にできるのだ。もちろん、寮にいる時も、子供達に助けてもらいながら、時にはちっちゃい子組のお風呂や着替えを手伝ったりもする。
それはとても嬉しくて、くすぐったい事だった。
侍女のグリーズは、ピティエを囲んで談笑していたアシュランス公爵家の皆を、何でもないような顔をして、心の中で罵倒していた。仕事があった場合に備えて、部屋の隅で控えていながら。
何だっていうのよ。何でピティエが家族の中心になって、和やかに話なんかしてられるのか。ブラインドサッカー?ラジオ番組?知るか!要するに、お貴族様だから、おまけで色々やらせてもらえてるんでしょ。サングラスだって、顔の表情が見づらくなって、じっと見られると、見通されている感じが何だか怖い。
ピティエは人が話す時、見えていないのに、そちらに顔を向けて集中して聞くのだ。
素顔でも何か深淵を感じさせて苦手だったのに、それがサングラスをしていると、何を考えて聞いているのか余計にわかりづらくて、グリーズは知らず恐れていた。
いつか、自分のしていたイジメが、アシュランス公爵家の旦那様や奥様、それから一番厳しいと思われる、ジェネルー様に、言いつけられるのではないか。
そんな恐れもあるが、自分をまるっと見られているような、心地悪さが元々あった。
サングラスなんて、良くないに決まってる!あんな物何がいいのか!
球技大会も観に行かず、ラジオについて、サングラスの意味も良く知らないグリーズは、それでもピティエが着々と自立し、力をつけてきていることを感じて、焦っていた。
このままでは、ピティエ付きの特別報酬がある楽な仕事は、2度と貰えないだろう。しばらくすれば、泣き言を言ってやっぱりグリーズに世話を頼むと思っていたのに。
見られたくはないが、ピティエを見下し利用する事からは、離れられない。グリーズのこの気持ちは、どこからくるのだろう。
執事カフェに、一度行ってしまったのがグリーズの間違いであった。
何せチヤホヤしてくれるのである。
何度でも行きたい。執事カフェは明朗会計、しかし何度も行くには、グリーズの懐は少し痛い。サービスを考えれば妥当なお値段だが。
その上、ファンの女の子達が、こぞって贈り物をするのを知っては、負けてられないと思った。
ただお高い物をあげても、ニッコリと「規則で受け取れません。お気持ちはいただきますね。」と言われてしまう。お手製の刺繍ハンカチなど、高くなくて努力の跡が見える物なら受け取ってくれるが、同じ事をしていても特別にはなれない。
グリーズが入れ込んでいる執事、アロンジェは、紺の髪色で、スラリとしている所も、どこかピティエに似ているのだった。
この間話したアロンジェは、テレビを欲しがっていた。グリーズには、「興味がございます」と控えめに言っただけだが、ならば贈ってやろうと思う。
それに合わせて、アロンジェの1日買い切りをしたい。できるか分からないが、お金があれば大抵の事は可能だろう。ピティエの面倒をみる特別報酬をもらって。
その為には、ピティエが溌剌と生きていては困るのだ。
アシュランス公爵家の皆が、自室に下がる。少し時間を置いて、グリーズはランプを持ち、そうっとピティエの部屋に近づく。
ギュッ、ギュッと、音が出ないように廊下の絨毯の上を歩く。
ノックをせずに、ドアを、ゆっくり、ゆっくり、開ける。
ピティエは、すうすうと、健やかに寝ていた。
何で私に縋ってこないのよ。
グリーズは、更に増してピティエを憎らしく思う。最近、お世話をしていた時よりおしゃれになったのも、腹立たしい。まるでグリーズが手を抜いていたみたいではないか。その通りなのだが、それを明らかにされるのは困る。
背中を丸めて生きていたのに、ピンッと張るようにもなった。嬉しそうで、楽しそうで、輝いて。
まるで、グリーズとは、別の世界に羽ばたき、生きていくと決めたように。
ベッドのサイドテーブルに立て掛けられた白杖を。
取ろうと。
「グリーズ。」
ヒッ
寝ていると思っていたピティエの、突然の誰何に、出しかけた手を、引っ込めて。
何で、私だってわかるのよ!!
こういう所が恐ろしくて嫌なのだ。
声を出しさえしなければ、はっきりグリーズと決めきれないに違いない。ピティエが何を言っても、見られないのだから証拠はない。
ガッと白杖を掴むと、さっきまでのそろりそろりと違い、音が出ようが構わず走って、バタバタとピティエの部屋を出る。
こんな白杖などなければ、またグリーズに頼らなければならなくなる。
そうしたら言ってやるのだ。
あんなに偉そうに、世話がいらないって言っていたのにね、って。
これからは私の言う通りにしてもらいます、って。
ピティエなんかに馬鹿にされて、そのままでいられはしない!
外の庭に駆け出し、白杖を振り上げて、花壇を囲う煉瓦に叩きつけ•••
「何をしているんだ、グリーズ。」
誰!?
白杖を振り上げた手を握り止められて、グリーズはビクッと振り向いた。
冴えざえとした月光に照らされて、そこにいるのは。
「ジェネルー様•••!違うんです、これは、これは!」
「それはピティエの白杖だな。煉瓦に叩きつけて、どうしようと?」
グリーズは一番見つかってはいけない人に見つかってしまった。ジェネルーは、宝物のようにピティエを大事にしている。本当の事を言えば、グリーズはこの家にいられないだろう。
ジェネルーの顔は、険しく、掴まれた手首が痛い。ゆっくり下ろされた手から、白杖がむしり取られる。
「その、あの•••虫!虫がいたんです!私はそれを払っていて!」
「暗い中、用もないのに、わざわざピティエの部屋に?しかも、その細い白杖に?」
「よ、呼ばれたんです!ピティエ様に!そうしたら虫がいて、払ってきて欲しいと!」
焦って嘘を重ねる。
「私、そんな事、頼んでないよ!寝てたんだ。」
寝巻き姿のピティエが、室内ばきのままで、ひょこひょこ庭に出てきた。
ピティエには今の状況が良く分からない。眠っていたのに、ひっそりと歩く足音に、フッと目が覚めた。あの足音はグリーズだな、とピティエには分かる。家の中の者なら全て、体重や、どう足をつくかなど、歩き方の癖で足音が違うから。
仕事をしている時のドタドタした音ではなく、確かにグリーズなのに、いつもと違う潜んでくるのが、気にかかって目覚めたらしい。
庭でもめる、音のする方へ向かってきた。家の中なら、壁を触りながら、ゆっくり出て来れる。
ピティエは、何故グリーズが白杖を持ち出したのか分からなかった。パタパタ、とサイドテーブルを触っても白杖がなくて、庭のやり取りが聞こえて、白杖を取られたのだと。
「ジェネルー兄様。グリーズは、何をしようと?」
険しい顔をしたままのジェネルーは、グリーズの手首を握って離さない。
「白杖を、壊そうとしてたんだ。」
「えええ?な、何で•••。」
訳が分からない。
「グリーズ、何で?私、何もしていないのに。自分で自分の事やってるし、もう面倒もかけていないじゃないか。白杖を壊したら、出かける時に不便で困るよ。」
特に明日は、大事な録音の日なのに。
ピティエには、複雑な悪意が分からない。自分にはないものだから。そして持っていなくてもそれをあるなと理解する程には、まだ心や対人関係の経験が育っていない。自分が何もしていなくても、一方的に悪く思われる事があるなんて。
サングラスをしていないピティエの瞳は、灰緑色が月光に、キラキラとしていた。幼子の、なぜなに、に、大人は全てを答えられない。羽ばたき始めた所だ。まだその時ではないのに、汚してしまうのを恐れて。
ジェネルーは、そんなピティエに、悪意をぶつけるグリーズが許せなかった。
「ピティエに許可をとって、部屋に神の目をつけてある。先ほどグリーズがピティエの部屋で何をやったか、父と、母、執事や侍女頭も呼んで見てみようじゃないか。」
私は、この家でピティエに悪口を言うのが誰か、ずっと探していたんだ。
ニヤリ、と獰猛に笑う。
ピティエは来なくてもいいよ。眠いだろうし、明日は大事な日だろう?
ジェネルーはそう、優しく言ったが、ピティエは、何故グリーズが白杖を壊そうとしたか、知りたかった。
何もしないで、傷を負わないで、ただそっと甘やかされている時期は、終わったのだ。
「自分の事だから、知りたいよ。ジェネルー兄様。」
グリーズの拘束を執事に任せて。
弟の藍色のサラサラした髪を撫で、ジェネルーはため息をつく。
誰がわざわざ綺麗なものに、傷をつけたいだろうか!
しかし、その傷さえも、成長なのだ。
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僕こと…ディスト・ランゼウスは、経験値を倍増させてパーティーの成長を急成長させるスキルを持っていた。
それにあやかった剣士ディランは、僕と共にパーティーを集めて成長して行き…数々の魔王軍の配下を討伐して行き、なんと勇者の称号を得る事になった。
するとディランは、勇者の称号を得てからというもの…態度が横柄になり、更にはパーティーメンバー達も調子付いて行った。
それからと言うもの、調子付いた勇者ディランとパーティーメンバー達は、レベルの上がらないサポート役の僕を邪険にし始めていき…
遂には、役立たずは不要と言って僕を追い出したのだった。
……とまぁ、ここまでは良くある話。
僕が抜けた勇者ディランとパーティーメンバー達は、その後も活躍し続けていき…
遂には、大魔王ドゥルガディスが収める魔大陸を攻略すると言う話になっていた。
「おやおや…もう魔大陸に上陸すると言う話になったのか、ならば…そろそろ僕の本来のスキルを発動するとしますか!」
それから数日後に、ディランとパーティーメンバー達が魔大陸に侵攻し始めたという話を聞いた。
なので、それと同時に…僕の本来のスキルを発動すると…?
2月11日にHOTランキング男性向けで1位になりました。
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