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1.鬼の追跡
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「は…はぁ…はぁ」
日出は全力で、冷たい廊下を駆けた。無理やり履かされた足袋と木の床の相性は最悪で、何度も転びそうになる。
「は……は…ぁ…っ」
こんな厄介なものは脱いでしまえばいい…。それなのに彼がそれをしないのは、いや出来ないのは、着せられた服のせいだった。
「っ…」
日出の着ている服は、女性が成人式に着るような振袖。帯は広く、服は重く、袖は長く…大層動きづらい。
もちろん、うまく屈む事など出来るはずもなく、当然足袋も脱げない。
それならこの振袖を…着物を脱げばというのは、日出も考えた。
しかし構造をよくわかっていない彼に、複雑に結ばれた帯をとく事は出来ず、なんとかしようと裾や端を引っ張った結果は、見るも無残だった。その哀れに乱れた着物にも、また足を引っ張られる。
いっそ弄らなければよかったと後悔したが…もう遅い。
「は……はっ」
何分たった。あと何分で次の日を迎える?日出は時計を見ようと、近場の広間へと駆け込む。
「…っ…」
古く大きな柱時計は日出の望む時刻の、十分前を指している。
「………っは」
この残り時間なら、他へ移動するより…ここに留まったほうがいいだろう…。そう考えた日出は、乱れた息を抑えながら…、広間の階段下にある隙間に身を隠した。
あんなに走っていたというのに…体温が上がった気がしない。
広大で旧式なこの日本家屋は、昔ながらの造り故に恐ろしく冷えた。
しんしんと足から冷気が上がってくる。
先程も寒かったのに…とまった今…感じる寒さは刻一刻と増していく。
室内にもかかわらず息は白い。その息をかじかむ手にはぁっと…吹きかける。
「ふ……」
温かさは一瞬で消え、熱は芯まで届かない。…僅かな水蒸気に、余計寒さを煽られる結果となった。
ガチガチと歯が鳴る。
もう…終わりにしたい…。心の中で、弱音が漏れる。
しかしここで終わりにするという事は、日出が逃げている相手に捕まり、その相手に好き勝手されてしまうという事なのだ。
それは、日出の望むところではない。特に今のままでは……それは絶対にしたくない。
「……は………っ」
体は一向に回復せず日出の肺は、きしきしと刺すような痛みを訴える。
そうこうしているうちに、隠れていた日出の耳に、ギシ…ギシ…と目の前の階段からの音が届く。
「っ!」
治まらない乱れた呼吸を少しでも隠そうと、日出は自身の口を両手で塞ぐ。
触れた手は…まるで自分の手ではないような…手で触れた口は、まるで自分の口ではないような……。
合わさったのは確かに日出の体の一部同士だというのに、寒さがそれを否定させる。
「っ……」
ギシ…ギシ……ギシ…。
足音は徐々に日出へと近づいてくる。
大丈夫、大丈夫。この階段の下は、陰になっている。静かにしていれば、気がつかれない…。
自分にいい聞かせるように、日出は何度も胸中で大丈夫を繰り返す。
そうして軋む階段を祈るように見つめる。
階段の隙間から…相手の足袋が見えた。
ギシ……っ。
ひときわ大きく、階段が鳴く。
「姫…見つけた」
最後の段を下りた…足は、そのまま迷わず、日出が隠れていた階段の下……大丈夫だと信じていた影へと近づいてくる。
「!?」
「姫」
姫と呼ばれ、日出が声を上げる。
「っ姫じゃない。おれは姫なんかじゃない」
「姫……」
日出の否定を聞き、冨治が切なさそうに目を眇める。
まるで恋した相手に拒絶されたようなその仕草が、日出の心を一層逆立てた。
「おれは男だ!」
「いや、性別の話では…」
「おれが…おれが福姫の家の者だから…?だから冨治は、おれを姫って…呼ぶの?」
「そうだよ」
「なら他の姫でもいいだろう。おれは冨治の姫になんかなってやる気はない」
「年頃の福姫の家の者は、今一人しかいない」
「っ…おれしかいないから?」
「そうだよ」
「っ………」
「お願いだ…姫。人助けだと…いや鬼助けだと思って協力してはくれないか?」
「…い、やだ…」
「そんなに私と寝るのは嫌なのか?」
「………」
「幼い頃は共に…楽しく遊んでいただろう?」
冨治の言葉に、日出は…つらそうに、ぎゅと手に力を入れる。
俯き、服を掴むその様は、子どもが駄々をこねているようにも見えた。
実際に、そう見えた冨治は、子どもをあやすような声音で日出へと話し掛ける。
「あの頃は楽しかった…」
「っ」
「姫。どうか昔、仲良くしてくれたよしみで…慈悲をくれないだろうか?」
「…」
「姫?」
「ああいう儀式は……」
「?」
「好き同士でやる事だ!」
「儀式をしてから…互いに好きになっていけばいい」
「互いに…ね……って事は、冨治は、おれの事…好きじゃないって事でしょう?」
「姫の事は好ましいと思っている。幼い頃から家族のように…」
「もういいっ」
「…姫」
「姫って呼ぶなっ!!」
「すまないけれど…儀式を終えるまではやはり姫と…そう呼ばせて欲しい」
「じゃあ何…おれもそっちを…冨治を、鬼って呼べばいいの?」
「ああ。そうしてくれ」
「このっ時代錯誤の石頭!」
日出の叫びに答えるように、ボーーーーーンと、柱時計が音を立てる。
「!」
時計は、深夜を気にせず、大きな音で十二回鳴いた。
針は長針も短針も真上。
零時。
日付が変わった…。
「時間か」
「賭け通り…逃げ切ったから。今年もなし!」
日出が冨治へと持ち掛けた賭けは、日付が変わるまでに、冨治に見つからなければ、今年の儀式はしないというもの…。かくれんぼのようなそれは、この広い家でなら、簡単に勝てると思った。
しかしいざ始まってみれば…日出の隠れた場所は、簡単に見つけられ、何度も何度も走って逃げるはめになった。
幾度目かわからない逃げた先が、さっきの階段の下だ。
「逃げ切った?」
「捕まっては…ない」
「本来なら、見つかった地点で終わりのはずでは?」
「でも、捕まってない!」
屁理屈だ、それは日出にも、わかっている。けれど素直に負けを認める事はしたくない。
「……今年も姫を逃せというのか?」
「………」
「また一年待てというのか?」
「…」
じり…じり…と冨治が迫る。
「こない…で…」
「姫…福姫…。どうか…哀れな鬼たちに…慈悲を、福を授けてはくれませんか?」
日出の冷えた手を引き、階段の下から冨治が姫を…己が姫を陰から連れ出す。
「や……いやだ」
「姫……」
「やだ…ぁ……っ…っ」
日出の冷えた体が、がたがたと震える。だというのに、日出の顔には、朱がさしていた。
熟れた顔で、ぼろぼろと涙は流す姿は…やはりどこか子どもの駄々に見え、それが日出を年齢以上に幼く見せる。
「成人までは、嫌だといった」
「……っ…」
「だから待った。そして成人したかと思えば…。今度は体調が悪いと逃げまわった」
「………ひ…く」
「いい加減にしびれを切らした周りが用意してくれたのが、…この家だ」
「………っ」
「この機会を逃す程、私は気長ではない」
「………ひっく」
目の前にいる冨治を、日出は涙をためた瞳で睨む。
「姫…いい加減に…」
冨治も日出の態度に焦れ、機嫌がいいとはいえない。
険悪なこの空気は、新しい年…目出度いはずの正月に、ふさわしいものとは真逆だった。
日出は全力で、冷たい廊下を駆けた。無理やり履かされた足袋と木の床の相性は最悪で、何度も転びそうになる。
「は……は…ぁ…っ」
こんな厄介なものは脱いでしまえばいい…。それなのに彼がそれをしないのは、いや出来ないのは、着せられた服のせいだった。
「っ…」
日出の着ている服は、女性が成人式に着るような振袖。帯は広く、服は重く、袖は長く…大層動きづらい。
もちろん、うまく屈む事など出来るはずもなく、当然足袋も脱げない。
それならこの振袖を…着物を脱げばというのは、日出も考えた。
しかし構造をよくわかっていない彼に、複雑に結ばれた帯をとく事は出来ず、なんとかしようと裾や端を引っ張った結果は、見るも無残だった。その哀れに乱れた着物にも、また足を引っ張られる。
いっそ弄らなければよかったと後悔したが…もう遅い。
「は……はっ」
何分たった。あと何分で次の日を迎える?日出は時計を見ようと、近場の広間へと駆け込む。
「…っ…」
古く大きな柱時計は日出の望む時刻の、十分前を指している。
「………っは」
この残り時間なら、他へ移動するより…ここに留まったほうがいいだろう…。そう考えた日出は、乱れた息を抑えながら…、広間の階段下にある隙間に身を隠した。
あんなに走っていたというのに…体温が上がった気がしない。
広大で旧式なこの日本家屋は、昔ながらの造り故に恐ろしく冷えた。
しんしんと足から冷気が上がってくる。
先程も寒かったのに…とまった今…感じる寒さは刻一刻と増していく。
室内にもかかわらず息は白い。その息をかじかむ手にはぁっと…吹きかける。
「ふ……」
温かさは一瞬で消え、熱は芯まで届かない。…僅かな水蒸気に、余計寒さを煽られる結果となった。
ガチガチと歯が鳴る。
もう…終わりにしたい…。心の中で、弱音が漏れる。
しかしここで終わりにするという事は、日出が逃げている相手に捕まり、その相手に好き勝手されてしまうという事なのだ。
それは、日出の望むところではない。特に今のままでは……それは絶対にしたくない。
「……は………っ」
体は一向に回復せず日出の肺は、きしきしと刺すような痛みを訴える。
そうこうしているうちに、隠れていた日出の耳に、ギシ…ギシ…と目の前の階段からの音が届く。
「っ!」
治まらない乱れた呼吸を少しでも隠そうと、日出は自身の口を両手で塞ぐ。
触れた手は…まるで自分の手ではないような…手で触れた口は、まるで自分の口ではないような……。
合わさったのは確かに日出の体の一部同士だというのに、寒さがそれを否定させる。
「っ……」
ギシ…ギシ……ギシ…。
足音は徐々に日出へと近づいてくる。
大丈夫、大丈夫。この階段の下は、陰になっている。静かにしていれば、気がつかれない…。
自分にいい聞かせるように、日出は何度も胸中で大丈夫を繰り返す。
そうして軋む階段を祈るように見つめる。
階段の隙間から…相手の足袋が見えた。
ギシ……っ。
ひときわ大きく、階段が鳴く。
「姫…見つけた」
最後の段を下りた…足は、そのまま迷わず、日出が隠れていた階段の下……大丈夫だと信じていた影へと近づいてくる。
「!?」
「姫」
姫と呼ばれ、日出が声を上げる。
「っ姫じゃない。おれは姫なんかじゃない」
「姫……」
日出の否定を聞き、冨治が切なさそうに目を眇める。
まるで恋した相手に拒絶されたようなその仕草が、日出の心を一層逆立てた。
「おれは男だ!」
「いや、性別の話では…」
「おれが…おれが福姫の家の者だから…?だから冨治は、おれを姫って…呼ぶの?」
「そうだよ」
「なら他の姫でもいいだろう。おれは冨治の姫になんかなってやる気はない」
「年頃の福姫の家の者は、今一人しかいない」
「っ…おれしかいないから?」
「そうだよ」
「っ………」
「お願いだ…姫。人助けだと…いや鬼助けだと思って協力してはくれないか?」
「…い、やだ…」
「そんなに私と寝るのは嫌なのか?」
「………」
「幼い頃は共に…楽しく遊んでいただろう?」
冨治の言葉に、日出は…つらそうに、ぎゅと手に力を入れる。
俯き、服を掴むその様は、子どもが駄々をこねているようにも見えた。
実際に、そう見えた冨治は、子どもをあやすような声音で日出へと話し掛ける。
「あの頃は楽しかった…」
「っ」
「姫。どうか昔、仲良くしてくれたよしみで…慈悲をくれないだろうか?」
「…」
「姫?」
「ああいう儀式は……」
「?」
「好き同士でやる事だ!」
「儀式をしてから…互いに好きになっていけばいい」
「互いに…ね……って事は、冨治は、おれの事…好きじゃないって事でしょう?」
「姫の事は好ましいと思っている。幼い頃から家族のように…」
「もういいっ」
「…姫」
「姫って呼ぶなっ!!」
「すまないけれど…儀式を終えるまではやはり姫と…そう呼ばせて欲しい」
「じゃあ何…おれもそっちを…冨治を、鬼って呼べばいいの?」
「ああ。そうしてくれ」
「このっ時代錯誤の石頭!」
日出の叫びに答えるように、ボーーーーーンと、柱時計が音を立てる。
「!」
時計は、深夜を気にせず、大きな音で十二回鳴いた。
針は長針も短針も真上。
零時。
日付が変わった…。
「時間か」
「賭け通り…逃げ切ったから。今年もなし!」
日出が冨治へと持ち掛けた賭けは、日付が変わるまでに、冨治に見つからなければ、今年の儀式はしないというもの…。かくれんぼのようなそれは、この広い家でなら、簡単に勝てると思った。
しかしいざ始まってみれば…日出の隠れた場所は、簡単に見つけられ、何度も何度も走って逃げるはめになった。
幾度目かわからない逃げた先が、さっきの階段の下だ。
「逃げ切った?」
「捕まっては…ない」
「本来なら、見つかった地点で終わりのはずでは?」
「でも、捕まってない!」
屁理屈だ、それは日出にも、わかっている。けれど素直に負けを認める事はしたくない。
「……今年も姫を逃せというのか?」
「………」
「また一年待てというのか?」
「…」
じり…じり…と冨治が迫る。
「こない…で…」
「姫…福姫…。どうか…哀れな鬼たちに…慈悲を、福を授けてはくれませんか?」
日出の冷えた手を引き、階段の下から冨治が姫を…己が姫を陰から連れ出す。
「や……いやだ」
「姫……」
「やだ…ぁ……っ…っ」
日出の冷えた体が、がたがたと震える。だというのに、日出の顔には、朱がさしていた。
熟れた顔で、ぼろぼろと涙は流す姿は…やはりどこか子どもの駄々に見え、それが日出を年齢以上に幼く見せる。
「成人までは、嫌だといった」
「……っ…」
「だから待った。そして成人したかと思えば…。今度は体調が悪いと逃げまわった」
「………ひ…く」
「いい加減にしびれを切らした周りが用意してくれたのが、…この家だ」
「………っ」
「この機会を逃す程、私は気長ではない」
「………ひっく」
目の前にいる冨治を、日出は涙をためた瞳で睨む。
「姫…いい加減に…」
冨治も日出の態度に焦れ、機嫌がいいとはいえない。
険悪なこの空気は、新しい年…目出度いはずの正月に、ふさわしいものとは真逆だった。
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