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コザックの第二の人生・前

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 コザックにとって人生で一番輝いていた時間は、イリーナと結婚していた時間だった事は、皮肉な事かもしれない。

 自分が絶対に次期侯爵当主になると信じ、愛しの愛人を秘密の家に囲い、お飾りの妻とは邪魔にならない距離感で生活出来て、それでいて身分は『侯爵令息』のまま、周りは自分に頭を下げた。
 男としての喜びを好きなだけ楽しめたのも良かった。
 愛した女から望んだだけ“愛”を返される。好きなだけ欲を吐き出し、貯まりきる前に愛する女の中に吐き出せる。

 …………幸せだった


 だがそれもでの幸せだった。父から言われた事をそのまま侍従に伝え、侍従が揃えてくれたものを、さも自分がした事の様に受け取っていた。侍従が父を主とするなら、侍従が用意するもの全てが父が用意したものも同じ。
 自分は巣の中で餌が来るのを口を開けて待っている雛鳥そのものだと、コザックは切り捨てられるまで気づきもしなかった。
 ずっと雛鳥では居られないのに、侯爵当主となっても口を開けていれば餌が口に運ばれてくると思っていたコザックの浅はかさに餌を運ぶ者は居なくなった。

 だがそんな雛鳥を両親は見捨てない。巣立ちを放棄したと見なされた雛鳥は巣から飛び立つ事を禁止された。

 離婚から3年後、コザックは自分を平民へ落としてほしいと父に願い出た。
 平民として……一人の男として、誰の手も借りずに生きてみたいと願い出た。

 しかし父アイザックは優しく微笑みコザックを諭した。

「何を言っているんだ? お前にはもう侍従も誰もついて居ないんだぞ? そんなお前が一人になってどうやって生きていくんだ? 誰も頼んだってやってくれないんだぞ? お前自身はちゃんと周りを見ている気でいる様だが、本当にちゃんと見れているのか? その考えは大丈夫なのか? お前は一人では何も出来ないんだから父さんは心配なんだ…… なんでそんな事を言うんだ? また誰かにそそのかされたのか? かわいそうに。お前はここにいていいんだよ」

 幼子に話しかける様に話す父に怒りが湧く事はない。
 うるせぇ黙れバカにするな!と言い返せたらどれだけスッキリするだろう……
 何もかもが自分の幻想だと突き付けられたあの日から、コザックは自分の考えすら信じる事が出来なくて父に何かを言われると何も反論出来なくなっていた。

 ──かわいそうに──
 ──お前だけではすぐに死んでしまうよ──
 ──安心しなさい。私たちはお前を見捨てない──

 自分の人生は『当主となり子を持ち親となる』とずっと小さい頃からそれだけを絶対だと信じて生きてきたコザックにとって、自分が子を残せない体となった事も自尊心を崩壊させる程の衝撃だった。
 しかもそれが父の指示で飲まされた薬によるもので、それはある意味、『自分の息子に薬を使う事すらいとわない』と言われている様なものだった。もし次に飲まされる薬が命に関わるものだったら……。そう思うとコザックは恐怖心を覚えた。
 父は自分をいつでも殺せる。
 その事がコザックから反抗心を奪う。
 それに加えて父を始め周りから『コザックは一人では何も出来ないのだからなんでも周りに話してから行動するんだよ。一人で考えて行動しちゃいけないよ。どうせ失敗するんだから。分かるだろ? また失敗するのかい? 今度はどんな過ちを犯すんだい? 次は許されるかなぁ? 怒られたらどうなるか、身を以て知ってるだろう? コザックが行動するとコザック自身が傷付くんだからみんな心配なんだよ。分かるだろう? それくらいは、分かるよねぇ???』と、そんな風な言葉を色んな人から優しく諭す様に言われ続ければ、コザックの心は萎縮して混乱して、頭もまともに動かなくなった。

 そして時々思い出したかの様に父はコザックに「最近娼館には行っているのか? お前はそういう事ばかり好きだからなぁ。病気には気をつけるんだぞ」と言ってコザックの古傷をえぐる。コザックがもっと短絡的な人間であれば、何も考えずに逃げ出す事も出来ただろうが、地頭は悪く無いコザックはどうしても『逃げた後どう生きる? どうせ何も出来ずに死んでしまう。父の側で従っていれば、優しい父は殺さない。変な事をしなければ、殺されない……』と考えてしまい、動けなくなってしまうのだった……





 そんなコザックが30歳となり、イリーナとの離婚からそろそろ10年にはなろうかという頃。
 前侯爵当主となっていたアイザックに連れられて、コザックはある伯爵家の家へと来ていた。

「ようこそおいでくださいました!! お待ちしておりましたよ!
狭い邸ではありますが、どうぞどうぞ! ご自分の家だと思って滞在して下さいませ!!」

 小柄で小太りな男がアイザックに向けてヘコヘコと頭を下げて愛想を振りまく。
 ハンセル・バイド伯爵。
 ナシュド侯爵家の親類に当たる彼には妻と5歳になる息子が居る。ここに来るまでの道中の馬車の中で父から聞いた情報の中に含まれていた。


『バイド伯爵は不正をしている』

 そんな話を現ナシュド侯爵当主となったフィザックが掴んだ事により今回アイザックは動いていた。不正の証拠を集めるのは既にバイド伯爵家に入り込んでいるナシュド家の手の者が行うが、その間にバイド伯爵の目を他に逸して欲しいそうだ。
 資金繰りに困ってフィザックの元にやって来ていたバイド伯爵に、前侯爵当主が『そちらで別荘を探したいんだが数日泊まらせてくれないか?』と話を振れば諸手もろてを挙げて快諾したらしい。当主から退いたと言ってもアイザックもまだまだ現役で働いている。当主の金は無理だったが前当主が財布を持って現れたとバイド伯爵は思った事だろう。

 金づるがやって来たと嬉しそうなハンセルの露骨な媚売りにアイザックは愛想の良い愛想笑いで返す。

「いや~、済まないねぇ。
 宿を探しても良かったんだが折角親類がいるのだからと寄せてもらったよ。数日厄介になるが、あまり気にしないでくれ。私も隠居したし連れてきた息子も家から離れている様なものだからねぇ」

 アイザックが何気なく言った言葉がコザックに小さく突き刺さる。ナシュド侯爵家の人間ではあるが、昔の様に侯爵家の権力は今のコザックには使えない。家の仕事を手伝ってはいるが、使用人では無い。コザックは何とも中途半端な存在だった。

「そんなそんな! いや~、本家のお二方に来て頂けるなんて、こんな片田舎の分家にとってはそれだけで名誉ですよ」

 ハッハッハ、と笑いながらハンセルはアイザックを連れて邸の中へと入って行く。

 応接室に通された二人はゆったりとソファに座りながら出されたお茶を飲んでいた。
 そこへハンセルが妻と子供を連れてくる。

「アイザック様、コザック様。
 ウチの妻と息子で御座います」

 ハンセルにうながされて妻と呼ばれた女性が目を伏せたままカーテシーをした。

「お目にかかれて光栄に御座います。ハンセル・バイドの妻、キャロルと申します。
 こちらは息子のトイセルと申します」

 母に背を押された小さな少年がアイザックとコザックの顔を怯えた顔でチラチラと見た後、たどたどしい動きで紳士の礼をした。

「しょ、紹介にあがりました、トイせルです……、みなさ、あっ! ……きょお、みな様におあいできて、きょおえつしごくにござぃます
 おしこ、お越しいただき、ありがとぅございますっ、」

 頭を下げたままそんな事を言う5歳児にアイザックは優しい眼差しを向けて
「私も会えて嬉しいよ」
と、返した。
 コザックも2人に軽く頭を下げながら、違和感を感じていた。子を持っていないコザックにははっきりとは言えないが、5歳児とはこんなだっただろうか? と、そんな疑問が湧き上がる。

 トイセルは父に似て少し肉付きの良い丸っとした子供だった。線の細い母親の横にいると一見甘やかされたおぼっちゃまの様に見える。だがその顔に自信は無い。コザックは自分の子供の頃を思い返して、自分の友人たちの事も考えて、やはりトイセルに感じる違和感を強くするだけだった。
 トイセルは伯爵家嫡男だ。嫡男と言えば次期当主だ。コザックの知る嫡男たちは、長男というだけで自信を持っていた気がする。コザックが侯爵家だったから特別だったとは思えない。男爵家の子供でももっと自信があるんじゃないかと思ってしまった。

「ハッハッハ、いやはやお恥ずかしい! まだまだ教育が行き届きませんで!」

 ぐしゃり、とハンセルが軽く息子の頭を撫でたつもりなのだろうが、突然父親に頭を掴まれ回されたトイセルはグラリと体を揺らして痛そうに顔を歪めた。アイザックの方ばかりを見ているハンセルにはそれが見えていない。グッと声を堪えるトイセルを見てコザックは驚いた。
 そんな2人のやりとりを気にしていないかの様にアイザックは愛想良くハンセルに答える。

「いやいや、良く出来た息子さんだ。
 さぁ子供がここにいてもつまらないだろう。下がらせて上げなさい」

「そうですな。ではキャロル、息子を連れてこちらに。
 ……少し場を開けますが良いですかな?」

「構わんよ」

 ハンセルが妻と息子を連れて外へ出て行くのを目で追っていたコザックの肩を突然アイザックが掴んだ。

「なんだお前、トイレに行きたいのか!」

「は?」

 突然の事にコザックは間抜けな顔でアイザックを見返した。そんなコザックに気にせずアイザックは謎の笑顔を浮かべながらコザックを見る。

「まぁ仕方がない、長旅だったからなぁ。今の内に行って来い」

「え? いや、私は、」

「誰か。こいつにトイレまでの行き方を教えてやってくれるか?」

 アイザックの言葉に壁際に待機していたメイドの一人が前に出る。

「分かりました。こちらに」

「いや、子供ではないんだ。一人で行けるよなぁ、コザック」

「と、当然です!?」

 何がなんだか分からないままに、30歳にまでなってトイレに一人で行くだけの事を心配された事が恥ずかしくて勢いのままに答えてしまった。別にトイレになど行きたいとは思わないが仕方なくコザックは応接室を出てトイレまでの廊下を歩く。
 そんなコザックの耳にハンセルの声が聞こえた。

「……な役目すら果たせんのか!」
「申し訳ありません……」

 怒りを含むハンセルの声に謝罪しているのはキャロルの声か……

「恥をかかせるな! トイセル! 分かっているのか! 馬鹿みたいな喋り方をしおって! お前は何の為にここに居ると思っている! 勉強しろ! 優秀になれ! 美味いものを目一杯食わせてやっている恩をちゃんと返せ! アイザック様に孫の様に可愛がって貰うのが今回のお前の使命だと言っただろうが! キャロル! お前の責任だ! 分かってるんだろうな! 妻にしてやり、子を持たせてやった俺への恩を忘れるな!」

「申し訳御座いません、旦那様」

「申し訳御座いません、お父様」

 聞こえてきた会話にコザックは息苦しさを感じて急いでトイレへと駆け込んだ。もしかしたらもっとちゃんと聞くべきだったかもしれないが、それをコザックの心が耐えられそうになかった。
 父が今の会話を聞かせる為に自分をトイレに行かせたのだと直ぐに理解したが、あれだけの会話なのにコザックの記憶の嫌な部分をかき回して聞いて居られなかったのだ。

 ハンセルは妻と息子を愛してはいない?
 トイセルの自信の無さの原因はそれか?
 父や息子が太っているのに母親がやけに細いと思ったが、まさか食事に差があるのか?

 漠然とそんな事を考えて、不意にハンセルの最後の言葉が頭にぎった。

『妻にしてやり、子を持たせてやった俺への恩を忘れるな!』

 自分は1度もそんな事を考えた事は無いのに、何故かコザックの頭にはイリーナの顔が浮かんでいた。
 自分は違う。イリーナに手を出す気なんかさらさらなかった。俺にはリルナだけだった。
 そう思っても頭の中からイリーナは消えてくれはしなかった。

 同じじゃない。
 なのに、何故か昔の自分が思い起こされる。
 それと同時に──最低野郎──そう思った………


 その後、トイレから遅く戻ったコザックは長旅を理由に早目に客室へと入らせてもらい、食事も取らずに布団へと入った。

 何故だかとても疲れていた……



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