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Side: イリーナ

13>> イリーナの幸せ 

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 家に帰ってきた娘と久しぶりの父娘の語らいをしたそうにソワソワしていた父ゼオを兄と母がササッと連れて行き、イリーナとディオルドは二人だけでロデハン家の庭園を歩いた。

「……やっと終わりましたわ」

 ディオルドにエスコートされながらイリーナが呟く。

「3年が何事もなく終ってホッとしているよ。コザック氏がイリーナの魅力に気付いて離婚を拒否するかもしれないと少し心配していたんだ」

 そんな事を言うディオルドにイリーナは苦笑して口元を手で隠した。

「そんな事は起こりませんわ。だってあの方はわたくしに興味がありませんでしたもの」

 クスクスと笑うイリーナのその言葉にディオルドも苦笑する。

 ただ興味がないだけであったならどれだけ良かったか……。コザックはイリーナに興味が無い訳ではなく『都合良く使える相手』だと考えていた。
 ナシュド家とロデハン家が共同事業をしていて物入りだからと言って絶対に婚約解消が出来なかった訳ではない。結婚式に向けて準備していた事への解約金や無駄になった衣装代など、払おうと思えば払えたのだ。ロデハン家への違約金など後払いにするとかその分のお金を事業に多目に出すとか色々出来た。実際ナシュド侯爵は最初その方向で考えていた。少し金銭面で大変になっただろうが、コザックが誠意を見せて自分から婚約解消すると言い出していれば、3年の期間も要らなかったのだ。
 だがコザックは3年の白い結婚を望んだ。イリーナを3年間縛り、自分たちは愛人関係を楽しみ、3年後にイリーナを捨てて自分たちは正式に結婚して侯爵家で自由を謳歌する気でいた。
 それをただ『婚約解消』するだけで事に出来る程、イリーナは気が弱く優しい女ではない。

 コザックの考えに乗った事。
 それは『この未来はコザックたちが望んだ事』だと、本人たちに身を以て理解させる為のイリーナからの意趣返しでもあった。

 父親が健在で弟も居る状態で、『自分が侯爵家を継いで愛人の教養も無い平民女性を正妻にする』なんて事が障害もなく叶うと思えた事がそもそもイリーナには不思議だった。イリーナたちが事前にコザックの不貞に気付かなかったとしても、その夢が叶っていたとは思えない…… 
 恋に浮かれて盲目的になる事の恐ろしさ見せられた気がした……

「……コザック様は愛に対してはとても誠実でしたわ……」

 それが一方的な愛だったとしても、ただ一人だけを愛した事には変わりはない。

「愛も地位も何もかもを手に入れようとしなければ、少しは尊敬出来たかもしれないな……」

 愛に生き、義務や使命を捨てた貴族は居た。その後にその者たちがどうなったかを誰も知る事はないが、その行為を『愚か』だと全ての人が評価する訳ではない。一部の者はその行為に憧れさえ抱く。
 ……抱くが、それを実行する者は殆ど居ない。自分の全てを捨てて、命をかける程に恋い焦がれる相手に出会う事は、海の中に投げた石を見つけるのとどちらが簡単だろうか……

 ディオルドはイリーナの手を取って足を止めた。
 不思議に思いながらディオルドを見上げたイリーナの目に真剣なディオルドの顔が映り込む。

「私も……何かを捨ててまで君を愛する程の愛を捧げる事は出来ない。
 私には大切なものが多いからだ」

「……理解しておりますわ」

「……一人目の妻を……ネミニアを忘れて君だけを見つめる事も出来ない」

「そんな事をされたら、わたくし怒りますわよ? ニア姉様はわたくしにとっても大切な方ですもの」

 頬を小さく膨らませたイリーナにディオルドは眉尻を下げて苦笑した。

「……もしかしら、私たちの愛は他の人たちとは違うものになるかもしれない……
 だが、私は君となら信頼し合った家庭を築けると思えるんだ……」

 そう言って、ディオルドは地面に片膝をつき、イリーナを見上げた。

「イリーナ・ロデハン侯爵令嬢。
 私は貴女を慈しみ、守り、その瞳から悲しみの涙が流れない様にすると約束しましょう。貴女がこの先も笑顔で居られるように、私は努力すると誓う。その為にも、私に貴女の隣にいる権利を頂きたい……

 家族に、なっていただけますか?」

「……はい……
 わたくしの方こそ……宜しくお願い致します……」

 ディオルドの手に両手を添えたイリーナが頬を染め、微笑みながら返事をした。

 その時、2人の側にあった白い花が風に吹かれて白い花びらを数枚空へと飛ばし、2人を祝福するかの様にイリーナとディオルドの頭上から舞い降りて揺れた。
 驚いた2人の目にゆっくりと揺れる白い花が映る。

 ネミニアが好きだった白い花の、どこか楽しげに揺れるその様子を、イリーナと立ち上がったディオルドが寄り添いながら見つめていた…………





   ◇ ◇ ◇





 離婚後直ぐに再婚する訳にもいかないので、イリーナの離婚から一年と半年の期間を開けたのち、イリーナとディオルドは婚姻関係を結んだ。

 お互い再婚なのだからと全てを内々に済ませばいいとイリーナは思っていたのだが、周りは『不幸に見舞われ傷心していた公爵当主の再婚』と『離婚した長年の婚約者と“白い結婚”だった侯爵令嬢の再婚』話に盛り上がり、内々に済ませて終われる状態ではなくなってしまった。
 再婚といえども公爵家。結婚式をしない訳にもいかないと、イリーナは恥ずかしながら2度目の婚姻衣装を着て、神の前でディオルドとの誓いのキスをした。
 ヤーゼス公爵領の領民とロデハン侯爵領の領民と何故かナシュド侯爵領の領民も祝賀に浮かれて盛り上がり、景気が良くなった。
 遠い地域の貴族や領民からは何故離婚した前の夫の関係者まで? と疑問に思ったが、イリーナとディオルドの結婚式で元しゅうととなるアイザック・ナシュドがイリーナの父であるゼオ・ロデハンと肩を組みながら泣いていたらしいという話を聞いて、色々複雑なんだなぁと察した。

 忌まわしき初婚時の初夜と違い、2度目の初夜はイリーナはずっと恥ずかしさに心臓がドキドキしっぱなしだった。

 結婚式が終わり、ヤーゼス公爵家での披露宴を行う最中さなか、ディオルドはずっとイリーナの側を離れずに居た。そして披露宴も終盤となる中、公爵家の家令に促されてイリーナは一人、皆の前から退席して、たくさんのメイドや侍女たちに美しく磨かれて夜の準備をする。
 イリーナの為に新しく用意された夫婦の寝室にナイトドレスを着せられて連れて来られたイリーナは、甘やかな香の香りが漂う仄かに照らされた寝室のベッドの端に腰掛けてディオルドを待った。

 2度目の結婚の筈なのに、その全てがイリーナには初めての事だったので、イリーナは緊張しっぱなしだった。侯爵令嬢なのだから、メイドや侍女に世話をされるのは慣れきっているはずなのに、たくさんの人がまだ宴会場に居る中で、自分だけが湯浴みをして薄い夜着に着替えてディオルドを待つ為に寝室に居る事に、イリーナはとてつもない恥ずかしさを感じた。

「こ、……これが、本来のしょ、や、なのね………」

 ただ待つだけが何とも心許なくて、でも立って部屋を彷徨うろつく訳にもいかなくて。イリーナは薄暗い寝室を見るでもなく見渡しながら気を落ち着けた。

「済まない。待たせたね」

 扉の開く音と共に現れたディオルドにイリーナの心臓が跳ねる。
 湯浴みをしてきたディオルドのまだ少し濡れた髪が目に入り、イリーナはサッとディオルドから目を逸した。
 ベッドの端に座るイリーナの横にディオルドも腰掛け、イリーナの手を取った。

「っ……」

 壊れたかの様な速さの心音を感じる。手を取られただけでこれでは、この先どうなってしまうのかとイリーナは慌てた。

「イリーナ……」

 ディオルドに呼ばれてイリーナは小さく肩を揺らしてその目を見た。

「は、はいっ、ディオルドさまっ」

「ふ、……落ち着いて……
 少し……話をしようか?」

「え?」

「疲れただろう?
 もっと楽な姿勢になろうか」

 柔らかく笑ってディオルドはイリーナをベッドの端から、ベッドヘッドや枕を背もたれにして座る様に促した。緊張して少し挙動不審になっていたイリーナもそれには少し拍子抜けして肩の力を抜いた。

 ディオルドの肩に頭を預けながら、寄り添い、2人の手に互いに触れ合いながら、今日の話をゆっくりと交わした。ディオルドに肩を抱かれ、その体温を感じて、その手で腕を優しく撫でられると……イリーナの体からは緊張が抜けて、穏やかな気持ちになれた……

「リーナ……」

 ふと、ディオルドの声が変わった気がしてイリーナは顔を向けた。

「……ルド様」

 名を呼んだ声が、自然と甘くなる。

 2人の唇が重なったのも、とても自然な事の様にイリーナには感じられた。





  ◇ ◇ ◇





 イリーナは無事に娘と息子を産んだ。
 一人目の娘の名は「リセニア」
 二人目の息子は「ロナルド」

 娘の名を聞いて公爵家の前妻の名を思い出してイリーナの事を不憫がる人もいたが、イリーナは気にも止めなかった。

 子供の名前はディオルドと二人で名付けた。

 ネミニアがイリーナとディオルド2人の大切な人である事が変わる事はなく、そんな“愛”がおかしいと人から言われ様とも、イリーナたちにとっては、それが自分たちの愛なのだと、胸を張れる。

 イリーナはイリーナの愛を胸に、愛し愛される、幸せな家庭を築いた。









[了]

 ───────
※最後に【コザックの第二の人生】 前・中・中Ⅱ・後編・激変で終わります(前後編予定が増えた!)。よろしければもう少しお付き合い下さいませ。
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