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Side: イリーナ

5>> ねがい 

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「先日ぶりだね」

 ディオルドに会う為にヤーゼス公爵家を訪れていたイリーナにディオルドが笑いかける。
 公爵家のテラスに用意されたお茶の席で、離れた場所には執事も侍女もメイドたちも並んでいる。婚姻前のデリケートな時期の女性と二人で会う為の配慮だ。二人で会ってはいるが、決して“二人だけではない”。これが出来ていない時点でコザックには不貞行為の言い逃れが出来ないのだ。

 イリーナは自分を笑顔で迎え入れてくれたディオルドに淑女の礼と笑みで返して挨拶から軽い世間話を少ししてから本題を切り出した。
 緊張で指の先が冷たくなっていたが震える事だけは抑える事が出来た。

「…………ディオルド様は、再婚のご予定はありますか?」

 先程まで浮かべていた微笑みが消えて、緊張した面持ちでそう訪ねてきたイリーナにディオルドは不思議に思ったが隠す事もはぐらかす事もないので世間話をする様に答えた。

「恥ずかしながらそういう話はないんだ。周りからの急かす視線には気付いているんだけどね……

 ネミニアが行ってしまってからもう3年……だけど、まだ3年しか経ってなくて…………
 公爵当主として血を残さなければと分かってはいるんだけどどうしても新しい女性といちから始める気にはなれないんだ……

 ほら……再婚になるだろ?
 後妻にどうだって勧められる女性の大半が、問題があって離婚した女性だったり、逆に婚約者が決まる前の若過ぎる子だったりしてね……

 ネミニアが儚くなったと聞いた途端に自分の婚約を解消して公爵家当主の後妻の座を狙ってきた女性とかもいてね……どうにも疑って見てしまう様になってしまったんだ……」

 眉尻を最大限に下げてディオルドは苦笑した。このままではいけない事はディオルド自身にも分かってはいる。

 ネミニアと結婚して直ぐの頃、ネミニアに言われた言葉をディオルドは忘れずに覚えている。
『わたくしに子供が出来なかったら別れましょう。貴方は公爵家当主です。貴方の血を残す事を1番に考えなければなりません。その為ならわたくしは貴方を捨てる事もいといませんわ』
 真剣な目でそう言ったネミニアは美しかった。
『俺が捨てられるのかい?』
 そう返したディオルドにネミニアはフフっと笑ってこう言った。
『えぇ、わたくしが捨てて、わたくしが次の女性にディオを譲るの。貴方の為ならそれくらい出来るのよ? わたくしの愛は』
 捨てるなんて言いながら愛を囁き優しく抱き締めてきたネミニアをディオルドは生涯忘れる事はないだろう。でもだからといって、“彼女の為に一生一人で生きる”とは言えないのがディオルドの立場だった。それをする気ならもうとっくの昔に爵位を捨てて平民へと落ちている。彼女を愛しているが自分の生まれた家やそれらを自分に残してくれた家族や関係者たちを裏切る事は出来ない。ディオルドは今の地位を引き継いだ時から覚悟は出来ていた。
 ……だが、だからと言って『子供が作れるなら次の相手は誰でも良い』なんて言えないのが心情だった。最低限公爵家の夫人としての教養とマナーがあってネミニアとの思い出を蔑ろにしなくて男遊びとかしなくて金遣いが荒くなくて子供をちゃんと愛してくれて……考え出したら最低限の条件が“最低限”にならなくて余計次の妻への条件が厳しくなって行く気がした……
 

「……わたくしでは駄目でしょうか?」


「え……?」

 イリーナから言われた言葉が一瞬理解出来なかった。

「自分にはまだ大人の女性としての魅力が無い事は分かっています。ディオルド様からすれば全然子供だと思います。ですが3年後っ、3年後ならどうでしょうか?! わたくし、これから頑張りますので、わたくしをディオルド様の後妻に娶ってはくれないでしょうか!」

 両手を胸の前で握って必死な顔でそんな事を言い出したイリーナに慌てたのはディオルドだった。
 目の前の令嬢はもうすぐ結婚する予定では無かったか?! それがどうして後妻の話に?!
 3年後、という期間に思い当たるものはあったが、まず冷静にいちから話を聞かないと駄目だとディオルドは少し興奮気味のイリーナにお茶を勧めて落ち着かせると何故そんな話になったのかを順を追って説明してもらった……。





「……酷いな……」

 イリーナの話を聞いて最初に出てきた言葉はそれだった。
 浮気をしている事だけでも最低な行為なのにさらに結婚して3年も彼女の人生を縛った後に別れて自分は愛人と結婚する気でいる。貴族の世界では聞かない話ではないが、まさか自分の身近にそんな事を考える人がいるとは思わなかった。ディオルドにとってイリーナは妹の様な存在だった。だからこそ余計にコザックのしようとしている事は許せそうになかった。

「……でも何故それが私の後妻の話に繫がるんだ? まだ結婚してはいないんだ。色々違約金は発生するだろうがそんなのは全部相手側に払わせれば良い。領地が隣だからと言ってイリーナが犠牲になる事はない。ナシュド侯爵はとても尊敬出来る人だ。息子の不貞を隠して貴女の所為にしたりはしないだろう。
 今からでも婚約を解消すればいい」

「それでは駄目なのです」

 ディオルドの言葉をイリーナは即座に否定した。その強さにディオルドは驚いて目を見張る。

「何故?」

 当然の疑問にイリーナは肩を落として下を向いた。

「ロデハン家とナシュド家は今、共同で河川工事をしているのです」

 イリーナのその言葉にディオルドは苦い物を噛んだ様な顔をして理解した。

「そういえばそうだったな……」

「あの話は下流にあるロデハン家から持ち上がった話なのです。ロデハン家の領地内の川だけ整えても上流で氾濫しては被害はロデハン家の方が大きくなる。だからナシュド家の協力は絶対に必要でした。国からも援助金が出てさらに橋を掛ける事にもなりました。
 ……そんな事をしている時に違約金や解約料など、決して安くはない出費を出している場合ではないのです……」

「ロデハン家から持ち上がった話だからこそ、イリーナの婚約者も自分の方にがあると理解している訳か……」

「……婚約が解消され両家の仲が悪くなれば困るのはこちらです」

「いや、ナシュド家も相当痛手を負うだろう。何より婚約が解消された場合、解消理由は明確にナシュド家の令息の不貞行為だと世に知られる事となる。家の信頼にも関わる」

「……わたくしはそんな事は望みません。元々政略結婚として結ばれた婚約です。わたくしにも貴族の娘としての覚悟は出来ていますもの。
 ……ですが不貞行為をされたままで泣き寝入りの様な事はしたくはありません。わたくしにもロデハン家の娘としての矜持があり、それを穢す事は出来ません。
 でもどうすればいいのかと思っていたところにコザック様がわたくしとの婚姻を“白い結婚”にするつもりかもしれないと聞きまして」

「あぁ、だから3年なんだね」

「はい。コザック様が“白い結婚”を望まれているのであれば、それはそれで良いのではと思いましたの。
 侯爵家の娘が初婚で後妻に入ると何か問題があるのではとあらぬ噂をされるかもしれませんが、『白い結婚後の再婚』であれば、後妻に入っても“良くある話”だと考えてもらえるんじゃないかと思うのです」

 イリーナの目に決意が見える。
 ディオルドはその思いを真剣に受け止めた。



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