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11>>そして3年が終わり…

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 その日もいつもと変わらない一日のはずだった。

「リルナさん」

 朝食が終わったリルナをメイドが呼び止めた。いつもは朝食が終わると部屋で教育係が来るのを待つリルナだったがその日はメイドに呼ばれて応接室のソファに座った。
 向かいにはこの3年間、毎日ずっと顔を合わせていたのに全く親しくなる事はなかったメイドが座っている。メイドはソファに座ったままで二人分の紅茶を入れ、1つをリルナの前に差し出して1つをそのまま自分で飲んだ。リルナもそれに習って紅茶を一口飲む。
 その間に別のメイドが部屋に入ってきてリルナの前に座っているメイドに何か袋を渡してまた出て行ってしまった。出て行ったメイドの横顔を見たリルナが違和感を覚える。今の人……先生に似てた……? そんな疑問が浮かんだリルナの前にゴトリと音を鳴らして先程持ってこられた袋が置かれた。
 ローテーブルの上に置かれた袋の中からジャリリと金属の音が微かに鳴った。

「リルナさん、3年間お疲れ様でした」

「え?」

 メイドから言われた言葉にリルナは目を開いて驚いた。
 3年間。それはコザックが言っていた『正妻と別れる白い結婚の期間』だとリルナは一瞬分からなかった。リルナはこの3年間、日付を調べる術がなかったからだ。メイドや教育係に聞いても教えてくれなかったのでリルナには今がいつなのか分かってはいなかった。
 それをいきなり言われたのだ。リルナは目の前のメイドが何を言い出したのかさっぱり分からなかった。

「今日、無事にコザック様とイリーナ様は離婚されます。ですのでリルナさんがここで学ぶ事も終わりです」

「え? え……?」

「つきましては、イリーナ様より3年間頑張られたリルナさんへの労いの意味も込めてこれを預かって参りました」

 そう言いながらメイドが目の前に置かれた袋の紐を引くと中から数枚の金貨が溢れ落ちた。
 え? と目を見張るリルナの目には袋に詰まった金貨が見える。袋の中身が全て金貨ならば相当な金額となるだろう。リルナが見たこともない様な金額だった。

「イリーナ様はこれを全てリルナさんにお渡しするとの事です」

「な、なんで……?」

「3年間頑張られたリルナさんへのイリーナ様からの贈り物ですよ。気にせずお受け取りなさいませ」

 何か裏があるんじゃないかと怯えるリルナにメイドは貴族の女性らしい微笑みを浮かべて笑いかける。その顔がまた怖くてリルナの体からは血の気が引いていた。
 しかしメイドは気にする事無く話を続ける。

「これから数日間、コザック様も忙しくなるのでこちらには来ないでしょう。わたくしたちもこの屋敷を離れる為の準備をしますので、リルナさんもそのお金でお買い物でもされてはどうですか? 3年間外出出来なかったのですから、久しぶりに外を楽しんで来られれば宜しいかと思いますよ」

 微笑みながら告げられた言葉にリルナはまた驚いてメイドの顔を凝視した。

「……そ、外に出てもいいのですか?」

「えぇ。もう3年経ったのですから、リルナさんはですわ」

 メイドの細められた目の中にある、言葉にはされない言葉に、リルナは心臓が止まりそうな程に驚き、そして、歓喜した。

 何も言えなくなり、ただ唇を震わせて驚いた顔をしているリルナに改めてニコリと笑顔を向けたメイドが静かに立ち上がる。

「それではわたくしはこれで。今日は門番も忙しくしているので声を掛けなくてもいいですよ。いつお戻りになるか一言メモを残しておいてくだされば良いので。
 ……大金ですので、お金の扱いだけは気をつけて下さいませね?」

 フフフ、と笑ってメイドはリルナを一人部屋に置いて出て行った。
 リルナは突然の事にただ呆然とそこに座っていた。

「…………」

 目の前に置かれた金貨の詰まった袋。誰も居なくなった部屋。終わった3年間……。

 ──リルナさんは自由ですわ──

 その言葉が不意に耳に蘇ってリルナの心を支配した。

「……っっ!!」

 リルナは矢庭やにわに金貨の袋を掴んで落ちた金貨も全て残らず袋に詰めて胸に抱えた。そして直ぐに自分の部屋に戻ると紙にこの3年間で覚えた美しい字でメモを残した。

『馬鹿で浅はかだった私をお許し下さい
 無知な女がお伽噺の世界を夢に見たのです
 二度と戻らないと誓います
 申し訳ありませんでした』

 リルナはベッドのシーツを剥がして丸めた布の真ん中に金貨の入った袋を入れて、シーツを器用に結んで袋の様に持つと、3年間押し込められていた屋敷を出た。

 侯爵家の関係者が後をつけていてるかもしれなくてもどうでも良かった。自由にしていいと言われたのだ。コザックへの愛が冷めきっていたリルナにはもう引き止めるものなど何も無かった。
 ただこの地獄から逃げたいとそれだけ思った。


「母さんっ!!父さん!!!」

 3年間呼べなかった言葉を口にすればリルナは自然と泣いていた。
 3年前と変わらない場所にあった家はリルナの目には何十年も離れていた場所に見えた。引っ越していたらどうしよう、侯爵家の関係者に何かされていたらどうしょうとずっとリルナは心配だった。馬鹿な自分が恋に浮かれてしでかした事が恋を理由に許される事ではないと知ったのは自分が閉じ込められてからだった。
 平民が……貴族の、それも上位貴族の侯爵家の嫡男に手を出したのだ。その所為で家族に何か起こってもそれは全部リルナの所為であり、そんな娘を育てた親の所為だった……。
 馬鹿だったんだと……後悔するには相手が悪過ぎたのだと、リルナはずっと絶望していた。
 今となっては、何故自分が侯爵家の嫡男の夫人となれると思ったのかリルナにも理解出来なかった。

「っっ!?!? リルナ!!?!」

 3年前に行方不明になっていた娘が突然帰って来て母は驚きそして号泣してリルナを痛いくらいに抱きしめた。

「あぁ!! リルナ! リルナっ!! あんたどこに行っていたの?! 心配したんだからっ!!」

「ごめんなさい! ごめんなさい母さん!!」

「っ……生きて……っ、生きてるって信じてたっ!! このバカ娘がっっ!!」

 怒りながらももう二度と離さないと言う様にギュッとリルナを抱きしめる母の温もりにリルナはただただ泣いた。

「ごめんなさい……っ、ごめんなさいお母さんっ! 私がバカだったのよっ……バカだったのよ……っっ」

 玄関を開け放ったまま抱き合って泣く親子の姿に直ぐに近所の人が気付き、ずっと行方不明だった娘が帰って来たと騒ぎになって、仕事をしていた父の元にも直ぐに知らせが走った。直ぐに戻ってきた父と抱き合って泣いたリルナは自分がしでかした事を全て隠さず両親に話し、貰った金貨で直ぐにこの街を離れると伝えた。リルナの両親は話の全てに驚き怒ったがリルナを突き放したりせずに直ぐ様引っ越しの準備を始めた。
 次の日にはリルナと母は簡単な荷物を持って街を離れた。父は色々片付けてから直ぐに後を追うとリルナを名残惜しそうに送り出した。
 ナシュド侯爵とイリーナの実家のロデハン侯爵の領地とは離れた、両家とは関係がないと思われる領地を選んで引っ越す事を決めた。父は商人だったので、どこででも仕事は出来るとリルナに笑ってみせた。申し訳ない気持ちで泣くリルナだったが、それでも両親と離れる気にはならずに両親の言葉に甘えた。
 金は貰った金貨がある。心配なのは自分が壊してしまった2つの侯爵家から何か言われる事だった。恋に浮かれている時は何も心配していなかったのに、恋が冷めてしまうと見えてきたものに心底心が恐怖する。ただの平民が何故上位貴族に横槍を入れてお咎めがないと思えたのか……無知はなんて幸せなんだろうかと3年前の自分をリルナは恨み続けた。
 もう馬鹿な事は絶対にしない。
 自分の身分を自覚するっっ!!
 リルナは母の手をギュッと握って心に誓った。

 それから一生リルナは貴族に怯える人生となったが、リルナが引っ越した後を誰かが追ってくるという事も無かった。
 心を入れ替えたリルナは『浮気は罪』だと時々口にしながら親の仕事を手伝い、平凡だが優しい男と巡り合って平凡だが思いやりのある家庭を築いた。

 それが出来たのもコザックの父と本妻となったイリーナとその実家が優しかったお陰だとリルナとその家族はしっかりと理解していた。

 貴族の婚姻を邪魔した平民が3年閉じ込められただけで許されるなど普通はあり得ない。それも手切れ金(?)さえ貰えて……。

 平民の家族を一つ居なかったことにする事など、本来なら侯爵家にかかれば簡単な事なのだ。



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