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8>>浮気女は現実を知る

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 コザックと想いが通じ合った時、リルナは本当に幸せだった。

 平民の自分が侯爵家の令息、それも嫡男に愛される。こんな夢物語みたいな幸せがあっていいのかと思った。
 平民の女子なら1度は夢に見るだろう。貴族の王子様が自分を見初めて連れ去ってくれる事を。遠くから見る事しか許されないドレスや宝石、それに華やかな夜会にダンス。貴族の世界に憧れない平民などいない。毎日美味しいものをお腹いっぱいに食べて、更に美味しくて甘いお菓子に囲まれる。自分では何もしなくていい。それらが勝手に目の前に運ばれてきて自分は人に指示するだけ。綺麗なお風呂に毎日入って身体をメイドに洗ってもらって髪を丹念に梳いてもらう。華やかに香る香油をふんだんに使って髪を整え、美しく化粧をしてもらう。そしてそんな自分をうやうやしくエスコートしてくれるのはお金に困ることの無い貴族の王子様……。
 それが手に入ったのだと思ったのに…………


 自分を選んでくれた王子様に捨てられた婚約者の貴族令嬢を心の中で馬鹿にして笑った罰がくだったのかもしれない……。
 リルナは今、鉄格子の無い牢屋に閉じ込められている。

 平民にとっては高級なベッドがあったナシュド侯爵家の別邸から連れ出され、連れて来られた場所は平民が住むには広いが貴族が住むには廃れた、屋敷とは言えないような家だった。やけに高く目につく塀が気になったが、ここで3年間我慢すれば侯爵家当主の夫人になれるのだと言われれば舞い上がった。

 平民の自分が侯爵家当主夫人!

 貴族ですら無かった自分が下位貴族からかしずかれる存在となる。そんな夢みたいな事が現実となる!その為なら3年間なんて我慢できるに決まっている。たった3年我慢するだけで夢に見たお姫様になれるのだ!リルナは素晴らしい未来に胸躍らせた。

 しかし現実がそんなに甘い訳がない。

 リルナは直ぐに始まった“侯爵夫人となる為の教育”に全くついていけなかった。
 それもそうだ。平民用の学校に通ったといってもそれは所詮読み書き計算一般常識を教える場所だった。貴族が必要とする知識やマナーや常識などをリルナは20歳になって初めて覚える事になったのだ。基礎すらない脳味噌に膨大な知識を詰め込むことなど無理以外のなにものでもなかった。しかしそれを言ってもリルナにあてがわれた教育係はリルナを冷たい目で見るだけで指導を優しくする事などなかった。
 教育係はリルナに言った。

「貴女が望んだ事です」
「侯爵夫人となるのなら覚えなさい」
「貴族になるのなら常識です」
「侯爵家に恥をかかせる気ですか」
「貴女が選んだ選択です」
「貴女が」「貴女が」「貴女が」

 リルナがどれだけ「違う!」「コザックが!」と反論したところで教育係たちの目が冷ややかになるだけだった。

 メイドに助けを求めても同じだった。

「貴女が望んだ事です」
「貴女の為に時間もお金も掛けられているのですよ。何故喜ばないのですか?」
「貴女の為ですから」
「みんなが貴女の為に手を貸しているのですよ。平民の貴女の為に」

 口元に笑みを浮かべながらリルナと会話するメイドはまさにだった。

 そこで初めてリルナは“”という事に気付いたのだった。特にこんな場面を任せられる『メイド』が平民な訳がなかった。
 メイドだと下に見ていた目の前の女性が自分よりも身分が高かった事に気付いてリルナは絶望した。この人たちじゃ自分の味方にはならない!でもこの家には他に人が居ない!

 門番や護衛の男の人に助けを求めたくて目を向けたところでその人たちは一切リルナと目を合わせようとはしなかった。それどころかリルナが庭に出ると姿を隠し、離れた所からジッとリルナの動きを観察していて怖かった。きっとリルナが近づいたら怒るのだろう。
 リルナが娼婦であったならまた違ったかもしれないが、リルナは商家の手伝いをしていただけの娘だった。コザックが好きだからその身体に触れただけで、同じ事を誰にでも出来るような器用さなどリルナにはなかった。だがきっと、リルナが娼婦の様に門番に媚を売っても侯爵家に雇われている門番や護衛たちがリルナに手を出し心を許す事は無かっただろう。
 下半身で物事を考える男は意外と少ないのだ。

 3年間。
 ただ3年間我慢すればいいと思っていたその3年間がリルナにとっては地獄なのだと、リルナはやっと気付いた。

 当然リルナはコザックに助けを求めた。もうここから自分を助け出せるのはコザックしか居なかった。

 しかし当のコザックはリルナの実状を理解しようとはしなかった。
 リルナが何度「無理」だと言っても「たったの3年だから頑張って」と耳も貸さない。それどころか直ぐに身体に手を出してくる。
 リルナはコザックと話をしたかったがコザックは会えない間に溜まった欲を発散したがった。リルナがどれだけ疲れていると心がツラいと言ってもコザックは「なら慰めてあげる」「癒やしてあげる」と言ってリルナを抱いた。リルナが泣いても勝手に『喜びの涙』だと勘違いしてコザックは喜んだ。
 そんな事をされ続けてリルナの心がコザックから離れない訳がなかった。
 一年も待たずにリルナの愛は死んだ。
 だが「もうコザックを愛していない」と言ったところで誰もそれに耳を貸さない。最初から期限は3年間と決められている。今更リルナが騒いだところでその期限が無くなる事も短くなる事もない。
 きっちり3年間、リルナはこの隠れ家に閉じ込められる。
 それがリルナのした事の結果だった。



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