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3>>怒りに任せて父の元へ

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 ナシュド侯爵家の現当主、コザックの父アイザック・ナシュド侯爵は朝から慌ただしく父親の執務室に乗り込んできた長男を眉を寄せて迎え入れた。

 時間はまだ朝食を食べる前だ。
 いつもの様にコーヒーを飲みながら朝のひと仕事を片付けようとしていたところに乗り込んできたバカ息子に侯爵は呆れる。
 ──ちゃんと教育はした筈なんだがなぁ……──
 侯爵が内心そんな事を思ってるなんてコザックは想像すらしない。

「父上! イリーナに何を吹き込まれたのですか!? 契約とは何ですか?!
 あの女は初夜にも関わらずしおらしくベッドで夫を待つ事もしていなかったのですよ?! その上、自分の夫となった男に『気持ち悪い』などと言ったのです!! 信じられますか!? 長年の婚約者であり結婚したばかりの夫を気持ち悪いなどと!!
 イリーナがあんな女だとは思いませんでした!!」

 顔を赤くしていきどおるコザックが父親の執務机に両手を置いて怒りを表す。
 バンっと大きな音が鳴った。
 その事にナシュド侯爵は更に眉間にしわを寄せた。

「……イリーナの部屋に行ったのか?」

「行きましたよ!? 当然でしょう! 初夜なのですから!! 夫が新妻の寝床に行かない方がおかしいでしょう!?」

「普通は“夫婦の寝室”なのだがな」

「え?」

 ナシュド侯爵から出た言葉にコザックは一瞬思考が混線する。
 夫婦の寝室???
 聞き覚えのない単語に動きを止めるコザックにナシュド侯爵は問い掛けた。

「お前には手紙で伝えた筈だが?」

「え? 手紙??」

 手紙ならいくつか貰っている。それも最近の忙しさ(リルナとの逢瀬の時間を含む)の為にちゃんと読んではいなかった。父からの手紙など、本当に重要な事なら口頭で伝えてくる筈だ。同じ敷地内にいるのだから。わざわざ手紙で書いてくるの内容なら見る必要もないだろうとコザックは思っていた。

「なんだ? 手紙をちゃんと読んでいないのか? 執事はちゃんとお前に直接手渡したと言っていたぞ? 直ぐに目を通す様にと伝えた上でな」

 ジロリと細められた父親の視線に気圧されてコザックは焦った。意味の無い言い訳が無意識に口から漏れてしまう。

「ぁ……、いや、……忙しかったので……
 手紙で伝える程度の事であれば、急ぎではないと……、落ち着いたら読む予定でした……」

「お前………」

 コザックの言い分にナシュド侯爵は目を見開いて驚く。自分の長男の出来がここまでとは流石に思いもしていなかった為に叱る気にすらならない。呆れから目眩がしそうでナシュド侯爵はこめかみを押さえた。

「伝えていただろう。
 これは“政略結婚”だと。

 そしてお前もはっきりと言っていたではないか。
 『自分には最愛の女性が他にいる』と」

「そ、それは……」

「お前が何を言おうと、婚約者がいる身でありながら他の者を愛する行為は不貞だ。
 不貞を働く者は何故か総じて“真実の愛”だ”運命の人”だと言ったりするが、その行為が不貞である事は何も変わらん。
 愛を正当化したければまず筋を通すべきだ。
 そう思わんか?」

 ギロリと父親に睨まれてコザックは何も反論出来ない。

「ぁ…………」

「本来ならばお前たちの婚約はこちらの有責で解消され違約金を払わねばならなかった。
 だが、あちらにも理由が出来てな、このまま婚約を継続し、二人を結婚させ、両家の契約を遂行する事で話はまとまったのだ。
 有り難い事だよ。
 危うくロデハン侯爵家と共に行っていた事業が頓挫する可能性だってあったのだから」

「は……?どういう………」

「婚姻は成された。その後にお前たち二人の間で何が起ころうと夫婦間での問題だ。そこに家は関わらない。
 昔と違って『離婚は家の恥だ』と言われる事もないしな」

「そ、……え?」

「離婚後に後妻に入る事も後妻を取る事も周りは気にしない。好きにすれば良い。

 お前が望んだ通り、3年後イリーナと離婚すれば平民の女性と結婚すればいい」

 そこで言われてやっとコザックは口が動いた。

「ち、父上はどこまで知っているのですか……!?」

 自分には婚約者以外の最愛の人がいると父親には伝えた。そこで父が婚約を解消すると言ってくれればコザックはイリーナと結婚する事はなかった。だが父は婚約を解消させるとは言わなかった。だからコザックは自分とイリーナの結婚は絶対に必要な事なのだと思った。
 コザック自身からは一度も『婚約を解消したい』とは伝えていない。コザック自身も侯爵家のに平民の女性がなれるとは思ってはいなかった。平民の女性がなれるのは所詮『居なくなった妻の代わりの穴埋め』という立場でしかない。それをコザックも分かっているから自分から率先して婚約解消したいなどとは言い出さなかったのだ。
 コザックからすればイリーナとの婚約が解消されなかった事は好都合だった。3年我慢すれば誰にも何も言われることなく胸を張ってリルナを妻に迎える事が出来る。白い結婚の事も『イリーナの我が侭で夜を共に出来なかった』のだとでも言えばいいのだ。男として不能だったのではなく『あくまでも閨事ねやごとに怯える妻をおもんぱかった結果』だと触れまわればいいだけだ。
 だがそれはコザックが考えていた事であって、誰にも伝えてはいない。リルナにだって詳しくは伝えていない事だ。それなのに父からは自分の意図を知っているかのような話が出てくる。
 都合が良い。
 喜ぶべき話である。
 だが、だからこそ気持ちが悪い。余りにもコザック自身に都合が良くて裏があるようにしか思えない。
 顔色が悪くなってきたコザックを気遣う事なくナシュド侯爵は話を続ける。

「『どこまで』がどこまでを指すのか分からんな。
 だがお前の望む通りになっているであろう?
 イリーナに感謝する事だ。彼女はちゃんとお前のを3年間やってくれると約束してくれている。
 にな。
 だからお前も3年間、彼女と適切な距離を取り、彼女の夫としてのをこなせ。彼女をこれ以上わずらわせる事はこの私が許さん」

「お、夫の役などと……、俺はあいつの正式な夫となったのですよ?」

「正式な夫がまともな神経をしていれば結婚前から愛人を囲ったりはせん」

「うっ……」

「ナシュド家がお前のせいで『浮気男の実家』としてのイメージを付けられたら私やお前の弟の名誉にまで傷がつくのだぞ。それが分かっているのか?」

「それは……」

 二人の婚約が解消されていれば、周りはその理由を知りたがっただろう。
 イリーナは自分の名誉の為にコザックが他の女を好きになった事をはっきりと周りに伝えるだろうし、隠したところでどこからか話が漏れてしまうのも貴族社会では良くある事だ。
 ナシュド侯爵家が違約金を払ったのがバレればその流れでコザックの不貞が外に漏れ、それがそのままナシュド侯爵家と結び付けられるのは目に見えている。浮気男の父、浮気男の弟、そんな目で見られるだけで不名誉以外の何物でもない。
 その事に今初めて気づいたコザックは何も言い返せずに黙り込むしかなかった。

「3年だ。3年経てば自由の身になれる。

 だがお前にとっては短いかもしれんな」

「はい?」



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