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23>> 新しい場所……そして
しおりを挟むエーは今、王都から離れた自然豊かな場所に居た。
森、平原、湖に暖かく柔らかな風。花々や木々の香り、生物たちの様々な声。
エーはそんな場所で生活することになった。
側には“新しい家族”。
事故で子供を亡くした30代の夫婦がどうしてもエーの側に居たいと教会に乗り込んで来たのだ。亡くした子供の代わりにする気はないが、子供を虐待する親が絶対に許せなくてそんな親に育てられた子供に『そんな奴らは親ではない』と教えてあげたいのだと目に涙を浮かべながら力説した。
エーを保護している教会側も、エーには『彼女だけに寄り添える存在』が必要だと考えていたのでここは一つ頼ってみようと夫婦をエーの養父母になることを認めた──当然、身元調査はしっかりとされている──。
王都では人が多く、新しい聖女であるエーを人々が放っておけないだろうということで、住まいも自然豊かな辺境地が選ばれた。エーを守ると誓った夫婦は側にある教会の仕事や少しの農作業をしながらエーを支え、見守っていくことが決まった。教会には時々聖女もやってくる。聖女は一箇所にずっと居ることはできないが、教会の側ならば顔を出しやすくなると聖女たちも納得した。
だからエーは今、養父母たちと、そして柔らかい毛が特徴の愛玩生物であるムロフン──犬──の一匹と生活している。
そしてもう一つ変わったのが、
エーの名前だった。
エー。
この世界の文字列の最初の一文字の音。
ペットにすら付けないような『名前』。
エー本人が自分を『エー』としか認識していなかった為に皆が『エー』と呼ぶしかなかったが、その名前を呼ぶ度に皆なんだか気持ちが暗くなる気がした。『あだ名』であれば気にならないのに、これが『本来の名前』だと思うと、皆が悲しい気持ちを覚えた。
エー本人がそれを何とも思ってはいなくとも、このままではいけないと皆の気持ちが一致して、エーは改名することになった。
そして付けられた新しい名前が
『クレア』
可憐で美しい見た目の小さな白い花の名前だった。
それをエーは新しい名前として貰った。
「貴女の名前はこれから“クレア”よ。
“エー”ではなく“クレア”。
貴女が覚えられるように、これからはみんなが貴女を“クレア”と呼ぶからね」
そう言われたその日から、“エー”は”エー“と言う音を殆ど聞かなくなった。
え~っと……、っと言うのはどうやら自分を呼ぶ音ではないようだった。
クレア。
クレア。
クレア。
自分を見ながら皆がそう口にする。その時の自分を見る“人”の目が温かいと“クレア”は思った。
◇
クレアの1日は義母に起こされることから始まる。
最初はベッドの上では眠れなかったエーだったが、「ここで寝るのよ」と義母に言われてベッドの上に仰向けに寝かされると、その左右に義母と義父が横になり、強制的に寝る態勢にさせられた。2人はクレアに「おやすみ、クレア」と言って目を閉じる。そんな二人に挟まれて、クレアはただ横になった。
二人はクレアに眠りを強要しない。目を閉じろとも言わない。ベッドに仰向けになることだけを、クレアにさせた。クレアはただ天井を見上げる。そして聞こえてくる二人の寝息に、クレアの瞼は自然と下がった。
そんな日が何日か続くと体の方が自然に馴染んだ。
ベッドの上で誰かが横に居ても、気付けばクレアは眠りに落ちていた。隣から規則正しく聞こえてる他人の寝息が、いつの間にかクレアも眠りへと連れて行くのだ。
クレアは目を閉じた“他人”がスウスウと規則正しく息をしているのが不思議だった。時々義父の身体がビクウッと跳ねたり義父の口から謎の言葉が発せられてクレアを驚かせたが、ビックリするだけで、クレアは自分の心が震えていないことに不思議がった。
「ワン!」
朝はペットのムロフン(犬)が必ず一鳴きした。義母や義父はムロフン(犬)に毎日「ワン。おはよう」と言ってムロフンの頭を撫でた。
ワンと言うムロフンのことをクレアは『自分の名前を言う存在』と認識していた。クレアが『“ワン”と自分の名前を言っているのではなく、ワンと鳴くからワンと名付けられた』と気付くのはまだ先だったが、クレアはムロフンのことを気付けばちゃんと『“ワン”という名前』だと認識していた。
ムロフンはクレアがここに引っ越して来た次の日に様子を見に来た近所の牧場主が連れてきていた牧場犬の一匹だった。
ワンはクレアを見つめてその匂いを嗅ぐと何故かクレアから離れようとはしなくなった。とても賢い子なのだと牧場主は言っていた。クレアの事情を聞き、それならばムロフン(犬)が側にいた方が心に良いと力説してクレアの養父母を説得した。教会の司祭からもむしろ有り難いと喜ばれてムロフン(犬)の“ワン”がクレアの家族となった。
余談だが、ワンの正式名は『ワンドリアド=ガロム』だ。3匹兄弟の長男で、次男は『ワンレディア=ジオン』、三男は『ワンジュラルダ=ゼダス』という名前だった。飼い主である牧場主(名付け親)から最初にワンの名前を聞かされた時、クレアはそもそも聞き取りすら出来なかった。牧場主は正式名で呼んで欲しそうだったが、流石に無理だとなり(誰も覚えられない)、『ワン』となった。ワン当犬も“ワン”と呼ばれる方が嬉しそうだったのが印象的だと義父母は思っていた。
そんなワンはクレアに預けられた時から常にクレアの側から離れなくなった。
何かを察しているのだと皆が分かった。
クレアがワンの名前を呼ぶことはまだなかったが、クレアもワンが側にいること、ワンのフワフワモコモコの体毛が自分の身体に触れていることを好んでいるように見えた。
一人と一匹はそれからずっと一緒に居た。
ワンはクレアの護衛騎士だなと皆が微笑ましく思った。
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