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12>> 変わるもの 

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 エーは保護された。
 ビャクロー侯爵邸には直ぐに騎士や調査に当たる人々が向かい、エーの専属の侍女やメイドで『エーを愛している者』が居ればエーの傍に呼び寄せようと手配された。
 別邸に居た女が自分がエーの世話をしているメイドだと名乗り出たが、その女に騎士たちは困惑した。侯爵家の令嬢の専属メイドが貧民街の住民などと想像もしていなかったからだ。
 そのエーの乳母改め現メイド、貧民街の住人であるノノンは突然の押し掛けてきた騎士たちに血の気が引きまくっていた。最初に騎士を見た時は咄嗟に謝罪の姿勢を取って何も悪いことなどしていませんと頭を下げた程だった。
 そんな、互いに困惑していた騎士たちやノノンだったが、今日何が起こったかを説明し、エーが聖女であり教会に保護されたと聞いたノノンは泣いて神に祈りを捧げた。

「やっと……やっと助けて頂けたんだね……」

 そう言って号泣するノノンに騎士たちは少しだけホッとしていた。この家にも彼女の味方が一人でも居たことに安堵したのだ。
 直ぐにノノンにエーの側に行ってもらおうと思ったのだが、しかしノノンは顔を暗くした。

「アタシはあの子の世話をしてましたけど、奥様からあの子と話すなと言われていて、ほんとに最低限のお世話しかしてませんでした……引き継ぎした前の人からもあの子のことはお嬢様ともエー様とも呼んじゃダメだって言われてたし……」

 ではどうやって声を掛けていたんだ? と聞かれたノノンは、

「“ねぇ”……と」

 その答えを聞いた者たちは一瞬言葉を失った。
 侯爵家に生まれた娘が、貧民街の住人の女性から「ねぇ」と呼ばれる。この貴族社会で、そんなことが在って良いのだろうかと皆の気持ちをおののかせた。
 ノノンは言った。

「アタシが側に居てもあの子の何の役にも立てないです。毎日顔は見てたけどそれだけ……
 変にあの子と話しをしてるのが奥様にバレたらドヤされるから要件以外の話なんかしたことなかったし……、です。
 だから……あの子が良いとこに行けたのならそれこそそこで良い人たちに囲まれて優しくされた方が良い、です。
 だってあの子は……、あの子は本来アタシなんかが声を掛けちゃいけない筈の生まれなんだから…………」

 そう言ってノノンはつらそうに顔をゆがめた。そんなノノンを無理矢理エーの下へ連れて行こうと思う者は居らず、ノノンはその日の夜には職を解かれ家族の下へと返された。
 ノノンが帰る時、後払いの給金はどうなるのかと青褪めながら聞いてきたのでいくらだと騎士が聞くとあまりにも安い金額をノノンが口にしたので聞いていた騎士たち全員が唖然とする程だった。本来ならば後払いの給金など今の時点で出るはずもないのだが、その金額の低さにその場に居た騎士が自分の財布からノノンに渡してやった。それほどにノノンの給金は低かったのだ。侯爵令嬢の専属のメイドだったというのに……

 ノノンが居なくなればエーが暮らしていた侯爵家の別邸からは人が居なくなる。その誰も居なくなった別邸を騎士たちは隅々すみずみまで調べたが、別邸の部屋の殆どは本邸から出てきたであろう不用品が押し込められていてホコリが積もっている物置と化していた。
 エーの持ち物と思われる物は古くなった衣服だけで、これならまだ貧民街の住人の方が持ち物が多いだろうと騎士たちの気持ちを暗くさせた。
 これがきっとエー嬢の持ち物だろうと思われる物を一箇所に集め、袋に詰める。侯爵令嬢の私物が小さな袋一つに収まるだけしかないことにも騎士たちを嫌な気持ちにさせた。
 それを見ていた現場の隊長が口を開いた。

「……動物であれば、自分の匂いの付いた物が側にあった方が安心するだろうが、それを彼女の下へ持って行って、彼女は本当に喜ぶのだろうか……」

 そう言われてその場に居た全員が沈黙した。
 要らないだろう──
 それが全員の気持ちだった。言葉にせずとも全員の気持ちが伝わり、エーの持ち物として纏められた荷物はまたそっと部屋の隅へと置かれることとなった。
 この別邸にはエーが住んでいた形跡はあるが、愛情と言えるものの形跡は何一つ無かった。そのことにただただ担当した騎士たちの気持ちに影を落とした。





 ◇





 エーは知らない場所に居た。
 そもそもエーが知っているのは“自分が居た建物”の中とそこの窓から見える景色だけなので、それ以外の場所はエーにとっては全てが知らない場所になるのだが、エーはその“知らない場所”でもただ前だけを見てただジッとしていた。
 座ってと言われて座らされた椅子に自分の体が当たる部分がなんだか柔らかくてエーには不思議な感覚だった。
 不意に気になる匂いがした。
 エーは少しだけ視線を下げてその“匂い”への反応を示したが、直ぐに元の視線へと戻した。
 そんな小さなエーの変化を見ていた聖女が悲しげな顔をした。不思議に思うことに『そんな反応しかできない』エーに悲しくなった。

「お腹が空いているんじゃない?
 私はお腹空いちゃった」

 そう言って聖女の一人が大きめの鍋と食器を配膳ワゴンに載せて運んできた。気になる匂いはその上から漂って来ているものだった。

「私もお腹空いてたのよ」

 エーの傍についていた聖女二人も嬉しそうに動き出して皆でテキパキした動きで机と椅子を用意して食事が取れるように場所を作った。
 エーはただただ言われるままに動く。
 気付くとエーと四人の聖女がお互いの顔を見ながら食事を取れるように机を囲んで座っていた。エーの前にはお皿とスプーンと、そしてお皿の中にはエーにとっては初めて見る物が入っていた。

 エーの横に座った聖女が優しく微笑みながらエーの手を取ってエーにスプーンを持たせた。

「これはね、スープにパンが浸されて柔らかく煮てあるの。
 “ゆっくり、食べて”、ね」

 “指示”されて、エーは「はい」と返事をした。
 『食べて』『食べろ』『食べなさい』、そう言われてエーは食事をしてきた。毎日一度出てくるスープの他に、食べた後にお腹が痛くなる物や食べている最中からどうにも喉がせり上がる感じがしてどうしても飲み込めない物など色々あったが、今回の目の前にある皿の中のスープの様な物体は、エーの鼻を刺激して、不意にエーのお腹から音がしてエー自身を驚かせた。

「あら? 可愛い音」
「お腹“空いてる”よね~」
「食べましょ食べましょ!」

 そう言って聖女たちも皿に載ったソレをスプーンで掬ってどんどん口に入れていた。
 エーはそれを見て不思議な気持ちになりながらも自分も指示された通りにスプーンで掬って口に入れた。

「……っ!????」

 スプーンを口に銜えたエーが目を開いた。そしてその目を数回パチパチと瞬きさせるとモグモグと口を動かした後に喉を鳴らし、そしてジッと皿の中にあるものを凝視した。
 その反応に周りの聖女たちは微笑む。
 初めてエーの瞳が煌めいて見えたのだ。

「“おいしい”よね」

 エーに言われた言葉だったが、エーは『自分の名前が呼ばれていないことには自分のことだと分からない』ので、エーはただただ皿の上のスープを見つめてまたゆっくりとスプーンで掬っていた。『ゆっくり食べて』と云われたのでゆっくり食べるエーを皆が見守る。一緒に食べるのは必要以上にエーに警戒心を抱かせない為だった。『エーの為に特別にされた事』ではなく『皆でする自然な事』だと聖女たちは振る舞う。今はまだエーが意図を理解できなくてもいい。これから、始めるのだと……その場に居た全員が考えていた。

「これホントに美味しいわ」

 特別にエーを気にする素振りも見せずに自然な態度で聖女の一人が反応する。それに続くように他の聖女も微笑みながら会話をした。

「えぇ。美味しいですわ」
「おいし~い!」

 聞こえてくる幸せそうな声がエーの頭にも伝わる。
『おいしい』
 おいしい。そう頭で言いながら食べる物はなんだか不思議な感じがしてエーの頬を自然と柔らかく上げさせた。ほんのりと自然な赤みがエーの頬を染めていく。
 口から入った物がお腹の中に届いた頃にエーはなんだか知らない感覚に満たされていた。
 周りを見れば知らない人たちが居て、その人たちが皆柔らかい顔をしている。
 エーを“嫌な顔”で見てこない。
 エーに優しい音で話し掛けてくれる。
 痛いこともまだされない。
 誰も大きな声を出したりしない。
 誰も物を投げたりもしない。

 エーはただただ不思議な感覚の中でそこに居た。
      
      
       
       
        
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