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四章 魔界を駆け抜けて

二十二 たぶんこれが最後

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1・

ソヨンさんの作戦を他に知っているのは、僕を救出しに後から過去に来たウィリアムさんだろうか。
思った以上に感情が顔に出やすいロレンスさんとレオネルさんは、知らない可能性がある。

そしてタイミングから言って、本来の任務は過去の魔界から帰還させるのではなく、現代の魔界、トリスタン大魔王のもとからミネットティオルに帰還させるものだろう。
実際、少しばかり険悪なムードになっていた事だし。

この作戦が本当にあるとするならば、僕やソヨンさんの本音はどうであれ、帰還すればこの関係は無くなる。

ウィリアムさんから聞き出した本音の通り、僕はファルダニア様と婚約でもさせられるかもしれない。

ウィリアムさんがこちらに来てすぐには、僕にその本音を伝えなかったのも、今はソヨンさんに興味を集めさせておいて、絶対に一緒に帰らせたいと思わせるように仕向けているからか。

麒麟の護り人というのが、どういうものか。
今ようやく、身に染みて分かってきた。

僕がこうして思い悩み、周囲の雰囲気をどんよりさせている間にも、馬車は大魔王領の西の山地にある麒麟の森に近づいて行った。

ここまで来る間、多くの魔人たちと出会っては、人間を連れていることで奇異の目を向けられた。

それでもシェリクさんに会いに麒麟の森に行くと言うと、誰しも距離を置くか、丁寧な対応をしてくれた。

そんな彼らに、僕らが嘘を言っていると思わないのかと一度質問した。
聞かれた魔人は、嘘でも大魔王の関係者の名前を使うだけ勇気があると取ったのだと返した。

やはり大魔王や時空召喚士は、それだけ恐れられ、かつ影響力があるようだ。
今の僕はそれだけ恐れられたり崇められる価値があるのかと、旅の中で何度も考えた。

そして麒麟の森が近付き、とうとう明日にも到着できる距離までやって来た。

そこには一つの素朴な村があり、晩夏のお祭りが開催されているところだった。

周囲を彩る花々が美しいし、村人たちも楽しそうで、僕も久しぶりに楽しい気分になれた。

たぶん、これが最後のチャンス。

そう感じたので、僕はソヨンさんの手を引いて人混みの中に混ざり込んだ。

村人たちはエルフのソヨンさんにも、良くしてくれた。

麒麟の森の周辺は、そういう名前になる前から時空召喚士たちの領地だった。
人間の守護者の異名がある通り、彼らはずっと弱き者に親切にした。
その心意気が文化となり、この周辺の差別心を消した。
村人たちは、そう教えてくれた。

未来ではこの思想が全土に広がるから、今よりも安全な魔界になって、宇宙港も複数建築されるんだろう。そう思えば、ここは始まりの土地かもしれない。
僕らにとっては最後の地だけれど。

僕とソヨンさんは、この村の音楽で楽しく踊ってみたり、人形劇を見たりした。

幾つかの軽食を買い食いしたし、綺麗な泉で魚が泳いでいるのを一緒に眺めた。

そして誰もいない村はずれの広場でベンチに並んで座り、周囲の自然をノンビリ眺めた。

広場の隅にある東屋が、屋根に穴が開き、風雨にさらされて風化寸前なのが見える。
崩れそうなものの、蔦が全体に絡まっていて内部に日光が差し込み、良い雰囲気でもある。

「……ソヨンさん、行こう」

「えっ?」

僕はソヨンさんの手を引いて、一緒にその東屋の中に入った。

手を離してから、蔦の隅っこをちぎって小さく丸く結んだものを二個作った。

一つを僕の左手薬指に入れ、もう一つをソヨンさんの左手薬指に入れた。

驚くソヨンさんを、大事に抱きしめた。

「今日が最後だ。明日からは、素直になれる時間はもうないだろう。だから今日ばかりは、自分の心以外の余計なことを全部忘れて、素直になってくれないだろうか。任務のことなんか、捨て去ってくれ」

ソヨンさんはビクッとし、身を硬くした。
泣き出したから、抱きしめるのを止めて、ソヨンさんの涙を指で拭ってあげた。

「ノア様……その、私は――」

「僕はそれでも、ソヨンさんが大好きだ。ソヨンさんは?」

「……」

ソヨンさんは答えないまま、顔を赤くして大粒の涙をこぼした。

僕はソヨンさんの頬に手を当てて、今までで一番思いを込めてキスした。

それから手を離し、一歩下がった。

「今日が終わるまでは、僕と一緒にいて欲しい」

ソヨンさんに向けて、右手を差し出した。

ソヨンさんは震えながらも手を上げて、僕の右手を取ってくれた。

深夜になり、僕らは村の宿屋に行った。

僕らをおいかけるのを諦めている面々のいる部屋に入り、取りあえず言った。

「僕ら、今日でもう別れることにしました」

「……そうですか」

意外そうな口調のウィリアムさんを見た。

「でも出来る限り帰るように努力しますし、自由意志で良いなら必ず帰ります。それでいいですよね?」

「……はい」

ウィリアムさんは、少し緊張した。ロレンスさんとレオネルさんは、不思議そうだ。

僕はため息をつき、僕の部屋がどこか聞いてから一人で歩いて行った。

2・

借り物の馬車での、旅の最終日。

僕は御者台に座り、緩やかな山の斜面の道を力強い足取りで進んでいく馬を眺めた。

森の様子は魔界と思えない穏やかさが昨日よりも増し、魔物はおらず小動物たちが幸せそうに活動をしている。

植物も青々として美しく、病気の様子は見られずしっかりと根を張り元気そうだ。

麒麟がいたのは何年前か分からないけれど、彼は信念通りに仕事をこなしていたようだ。

沈みがちな心の中で、僕もそうしたいと思った。

道が緩やかになり、五つほどの家屋がある小さな集落に到着した。

大型の馬車が入れる道があるのがここまでなので、馬車を止めて降りて、集落の人に話しかけに行った。

この集落は、この先にあるシェリクさんの別荘の管理をする人たちだった。

僕らがいつか来るという連絡を受けていたとのことで、別荘まで案内してくれることになった。
馬車は、彼らが返してくれる事になった。

涼しいそよ風の吹く森林の道を歩いて行き、一件の古びた屋敷に到着した。

シェリクさんの別荘というからには、しっかりした建築物で真新しく維持されているんじゃないかと思っていたのに。実際の屋敷はいつ崩れてもおかしくない、すすけて古びた屋敷だった。

管理人さんが玄関扉を開けてくれて、中に入った。

玄関ホールの真正面の奥に、動いていない柱時計が一個ある。

すり切れた玄関マットや色あせたカーテンなどを見て、屋敷の全てが麒麟の彼の遺品なのだと気付いた。とすると、ここを所持するシェリクさんは……。

管理人さんに案内され、一階の広間に向かった。やはり古びた家具や調度品しかないものの、古き良き雰囲気と柔らかな自然の香りがして、ここにいることがとても心地よく思え始めた。

後でシェリクさんが来るとのことで、僕らは取りあえず適当なソファーや椅子に座り、待つことにした。

もう傍にはいてくれず遠くにいるソヨンさんを、一度だけ見た。でもそれからは、視線を送らなかった。

出してもらえたお茶が冷めた頃、予告なく広間の扉が開いた。

セシリア王女が小走りで飛び込んで来て、彼女の名を呼んだルナさんに抱きついていき泣き始めた。
婚約者の筈の陸君のことは、全く気にしていない。

遅れてシェリクさんもやって来て、全員が部屋にいるのを確認すると言った。

「これが最初で最後となる、全員での作戦会議になる。話すべきことは話し、決定すべき事は必ず決定してくれ」

僕は頷いて言った。

「しかし、ここでの話は父に知られませんか?」

「影を全て置いて来たが、どう隠したところで、いくらかは知られることになると覚悟してもらいたい。けれどセスは、こちらが卑怯な真似をしなければ、ある程度の作戦ならば知らぬ振りをするだろう。ただ、フラウのことのみは、絶対に触れさせようとしない。先に彼女の事を話し合おう」

「フラウとは、父の婚約者の名前でしたか?」

「ああ。今年でまだ八歳の人間の少女だ。セシリア王女が来てくれたとはいえ、セスは彼女を手放そうとしない。いくらか話を聞いてみたものの、セシリア王女と結婚しても、フラウを人間の世界に戻すつもりはないようだ」

シェリクさんがそう言うと、セシリア王女が涙を拭きつつ言った。

「フラウは、いつどこの世界からやって来たのですか? 彼女を帰すのに、どこの門を使用すれば良いのですか?」

「君たちと同じ門を通過してきたと思われる。時代も国も、同じだろう」

僕は、その方がやりやすいかと思った。

「とすると、日本人なのでしょう。僕らが連れて帰れば、親御さんを探せると思います。しかしそうするには、父から同意を得なくてはいけません。僕が何とか……決闘を申し込んで勝ちますから、それで助けましょう」

「だが……ノア君。君はセスに勝てないと思う。彼は実質的に、魔界一の魔術師だからね」

シェリクさんが言いにくそうにした。僕も自覚があることだが。

「その、分かってはいます。今の僕では、父に勝てません。経験不足が身に染みています。だけど、それ以外に方法はありますか?」

「うん、まあ……無いこともない」

シェリクさんは、何故か遠い目をした。

「それは何ですか?」

「……私は、先代の大魔王が引退する時に、セスと決闘して勝った。それで、お前が大魔王になれと命令した」

「……おじさん、何故大魔王にならなかったのですか?」

「戦えるが、戦いたくない性分だから」

開き直ったシェリクおじさんの気持ちが、痛いほどよく分かった。
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