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四章 宇宙の龍神様
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1・
「……そうか」
「はい」
ルルケは視線を逸らしたままで言う。
絶対に俺とは結婚したくないだろうが、表向きだけでも子供の戸籍が貰えたら嬉しいと思うようだ。
「でもさ、俺は普通の人間じゃ無くなったんだ。俺が子供の父親だって認知したら、ルルケたちは普通の生活が出来なくなる。悠々自適の暮らしじゃなく、大勢に護られて何も出来ずに生きていくしかなくなる。これは利用できて便利な立場なんてものじゃない。子供の将来も狂わせる蛮行としか言いようがない。だから、もう一度しっかりと考えてみてくれないか」
「……はい」
よく考えた上での結論を既に言ったのかもしれない。でもきっと絶対に、後悔して泣く日が来る。
いや、もしかしたらそれよりも底辺で日々を生きる苦しみの方が辛いのかもしれない。
「俺、着がえてくるから、少し待っててくれ」
水着で砂まみれのまま立っている訳にもいかないので、言い残して風呂場に行った。
シャワーを浴びながら、色々と考えた。
今という時代は戦争もなく平和な世の中だし、生活に必要な物は一部、工場での自動生産で賄われていて、人の労働時間は文明が進んでいなかった頃よりもかなり少なめだという。
それでも、機械の全自動やロボットで賄えない部分も沢山ある。そこで生きる者の生活がどんなものかは、俺がいたルハイドでもよく目にしていた。
だからルルケに男親になっても良いって言ったのは、底辺で生きる者が弱者としても手を取り合い生きていく道を示しただけ。
普通に外交官の秘書ぐらいになれて、普通の結婚をする男として、過去に一人ぐらい隠し子がいても良いっていう感覚の上でのこと。
元からこんな権力の持ち主だったら、絶対に申し出てない。あまりに危険すぎる。
でもだったら、俺から断ればいいのか。
それよりも、廊下で知らぬ顔で通り過ぎれば良かった。こうして部屋に連れ込んだだけでもう色々とややこしい問題が発生してしまっているだろうから。
後悔しまくりながらシャワーを終えて着がえを探し、ないのに気付いた。持ってきてないから当然だ。
誰かが持ってきてくれるような生活に馴染んでしまったせいで、バスローブしかない。物凄くまずい。
が、仕方ないのでそれを着て部屋に戻り、俺の着がえがありそうなクローゼットの方に向かった。
そして遠目に見えてしまっているんだが、ベッドに座るルルケに服を着ろと連呼した。
クローゼットにたどり着いて何か他の服がないか確認しようとしたら、部屋の扉がノックされた。
「エリック様、失礼します。ロック様よりお電話です」
マルティナの声がした。クローゼットから見えない場所だからセーフ……な訳ない。
「スマホをそこに置いて、出て行ってくれないか」
気まずすぎて、思わず追い払ってしまった。しかし天の助けは残した!
マルティナが立ち去ってから、預けてあった俺のスマホを拾いに行った。
絶対にロックじゃないと思って電話に出ると、ロックだった。
「ホルンはどうした!」
「まだ自宅謹慎中なんだ」
「ちくしょう、あいつのせいで俺のじ……いや何でも」
ルルケに聞こえているから止めた。
「こっちから、かけてみる」
「ああそうしろ。というか普通に自分で乗り越えろよ?」
「あー、そういう手もあるな」
嫌々だが認めた。泥沼なのは俺のせいだ。
電話を切り、スマホを置いてクローゼットや別の荷物を漁ってマシな服装に着替えた。
そして、服をとりあえず着てくれたルルケとソファーに並んで座った。
「やっぱり、ルルケとの約束は守れない。ここに連れてきただけで、きっともうルルケの身の安全が保障できなくなっただろう状況だ。俺はいま、大勢から命を狙われているんだ」
「え、でも、龍神様なのにですか?」
ルルケは何も知らない者の表情をした。それを見て、俺は気付いた。
世界の全員が全員、毎日政治ニュースを見て生きている訳じゃないと。
ルルケは普通の女子だ。俺が龍神になったのはきっとルハイドでも大騒ぎしたから知っているんだろうが、それ以降のことは、生きるのに必死で知らないかもしれない。
ルルケが頼ろうとしているのは、世界を二分する国の頼れるトップであり、触れたら危険な劇薬ではない。
だけど……。
「ルルケ、正直に答えてもらいたいんだが」
「はい。何でしょうか?」
「誰に手引きされて、ここで働き始めたんだ?」
「それ……は、エリック様の知らない方です。前の仕事で、知り合いました」
「ルルケの子供は、今どこにいるんだ」
ルルケは俺の言葉に激しいショックを受け、顔を歪めて大粒の涙を流し、声を上げて俯いた。
まずいと思った俺は、みんなの協力を仰ごうと走って扉を開けにいった。
そして笑顔の面々の中で、マルティナが黒髪の赤ん坊を抱いているのを見た。
俺に差し出してきたので、受け取って部屋に引き返した。
「ルルケ! この子だろ?」
泣きじゃくるルルケに赤ん坊を差し出すと、彼女は気付いて顔を上げ、得も言われぬ喜びの表情で受け取り抱きしめた。
良かったと安堵しつつも、何故こういう手はずが整っていたのか分からなくて大人たちの方を見た。
「我らは、そう無能ではありませんよ」
謙遜の一言を発して笑うグラントに、マルティナと名前を知らない護衛たち。
俺は既に解決済みの問題に、最後に首を突っ込んだのだと理解した。
「俺を、ルルケと会わせて良かったのか? 彼女の背後に誰がいたか知らないが、彼女自身も危険かもしれないのに」
「しかし、龍神様の意向には逆らえませんので」
……事情を知っているようだ。きっとシナモン辺りからの情報だろう。
そりゃ、現実味がなかったといえども、俺が結婚するかもしれなかった女性だ。俺に会わせずに逮捕や処分はできまい。
でももう断った。かばう為の結婚に意味はない。いや、もうルルケには必要がない。
だって、あんなに我が子を抱いて幸せそうな笑顔を見せているんだもの。俺じゃなくても、絶対にいい人が見つかるって。
少し羨ましい気持ちを抱え、ルルケとその息子の身の安全を保障してもらい、連れて行ってもらった。
2・
夜になり、少なめの夕食を取った後で、レナト王から電話があった。
ルルケは、俺とのつながりがあったのは事実だから、バンハムーバ本国に引っ越してもらった上で就職の斡旋までして配慮するということになった。
ルルケを利用してた奴らは、危険を犯してまでも龍神の権力を入手しようとした犯罪者集団だという。その動きを察知したバンハムーバ政府は、ここのリゾートホテルに協力を仰いで、今回の罠を仕掛けた。
俺がどう反応するかで最終的な対応は変わったようだが、結果として敵を一網打尽にできた。
その報告をしてくれたバンハムーバの若き王様は、元気出して下さいねと、ねぎらいの言葉を残して電話を切った。
今まで数度話してみた印象として、レナト王はとても心優しい人だ。一言でいうと、悪意のないホルンだ。信頼できる。
そんな失礼なことを考えても、ホルンからは連絡が来ない。自宅謹慎万歳。
そうして自由を喜びつつ、まだ夜も浅いものの疲れたから寝ることにした。
グラントに帰ってもらい、ベッドに入って毛布を被り、眠ろうとした。
でもふと、ルルケとその子供の様子を思い出した。
実の親にあんなに大事にされている子供は、とても幸せだろうなと思う。
俺も小さな子供の頃は、寂しがり屋だったからよく母を追い掛けていた。そして世話を焼いてもらった筈なのだが、何故か親切にされた思い出がない。
確かに世話はされていた。だが、こちらが懐くだけしかしておらず、向こうの愛情を覚えていない。
一応、母親の愛情というのがあって、それはさっきのルルケのように心からの正直さと共に発揮される素晴らしいものだとは分かる。そういう風に周囲の人たちが言うし、テレビドラマとかでも見た。
でも実体験を覚えてないから、完全に同調はできない。きっと俺の母も一応は俺を大事にしていて、俺が肝心なところを忘れているだけなんだと思うんだけども。
愛情なんて全然覚えてないし、今日みたいに可愛がられている赤ん坊を見て、本気でそれが羨ましいと思ってしまう。
……もう就職した一人前の大人の筈が、俺はまだ人より圧倒的に足りない部分がある。
それを、自覚できた。
考えるのが辛いからもう眠りたくて、目をきつく閉じ続けた。
眠れないまましばらくして、部屋の中に風の動きを感じた。
目を開けると、まだ落とされていない庭の照明の光で、ベッド脇にいる人物の姿が見えた。
私服を着たミラノが、微笑みつつ俺を見下ろしている。
クロが励ましにでも来たなと思った。
「エリック様、今日は色々とあってお疲れですか?」
「うんまあ、もう活動する気にはなれないな」
「もうちょっと、お話しません?」
ミラノはベッド隅に腰掛け、振り向く方でこちらに視線をやった。
やっぱり、気を使ってもらえているようだ。
ちょうど良いから、聞いてみるか。
「く……ミラノは、子供の頃に母親に可愛がられたことを覚えてるか?」
「あ、はい。母は今も存命ですので、覚えていますし、今もとても可愛がられています」
ミラノっぽく笑ってる姿を見て、彼女っぽいなあと思った。
「俺は……あんまり覚えてないんだ。今日、ルルケとその子供の姿を見て、羨ましいと思うぐらいに覚えてない」
ミラノが真顔になった。
「……エリック様の母君は、既に――」
「いや、今も生きて物凄く楽しく人生を送ってると思う。ただ、兄弟が多くて忙しくて、俺に手がかけられなかっただけだ」
「ああそれは、仕方がない環境だったのですね」
「うん。仕方がない。親父とは時折一緒に遊びに出掛けた記憶があるんだけど……彼も基本的に仕事人間だから、可愛がられた記憶があまりない」
いや、連れ歩いてくれていたから、可愛がられてはいた。でも……。
俺は起き上がり、ベッドの上で座った。
「可愛がられたといえば、一度だけ強く印象が残ってる思い出があった。ギュッと抱きしめられて、物凄く嬉しかった。幼稚園から集団下校している時に、道路の側溝の蓋がちょっとだけ大きめに開いていて、片足が見事にはまって抜けなくなった」
「お怪我されましたか?」
「いや、全然。でも自力で抜け出すどころか身動きも取れなくて、呆然としてたらギュッと抱きしめて拾い上げてもらえたんだ。それが物凄く嬉しくて、今でもこうして思い出すんだ。物凄くおかしい事なんだけれどな」
「おかしくないです。大事な思い出なんですよ」
ミラノに笑顔が戻った。
「そうか……大事なんだな。どこの誰だか今でも知らない、男の人なんだけど」
「え?」
「一体、何が違うんだろう? きっと俺と一緒に帰ってた園児の父親だったんだろうけど、拾い上げられる時に抱きしめてもらえて、物凄く嬉しかった。圧倒的な安心感みたいなものがあって、ずっと抱きしめられたままでいたかった。それきり二度と会うことはなかったけど、現場を通る度にその手が暖かかった事を思い出した」
自分の手を見た。なんか涙が出てきた。
「俺の親父はいい人だ。彼に抱きしめられた思い出は、幾度かある。でも一度としてそんな安心感が無かった。……何故か分からないが」
本当に分からない。気のせいなのか。
ミラノがまた表情を凍らせている。
「あの……お聞きしても宜しいでしょうか? 実の親子……なんですよね?」
「そうだよ。でも何というか、気が合わなかったんだな。母親ともそうで、それと同じ頃に家に母の友人が遊びに来たんだけど、その人が俺を見て可愛らしいって言って、頭を撫でて一緒に来るかって言ってくれて。俺、本気にして泣いてその人に縋り付いた。今思えば、母はとてつもなく恥ずかしかっただろうな。悪いことをした」
「……いえ、エリック様は、悪くないと思いますよ?」
ミラノは、顔を背けて言った。
「そんな訳がない。実の息子が、泣いて他人の家に逃げようとしたんだぞ。俺だったら、そんな事されたら、とてつもなく恥ずかしくなるけど」
「ええでも、悪くないと思いますよ? ところでそのあと、お母さまはエリック様に何かしましたか?」
「いや何も。普通に生活してただけだ。世話をされていた」
「何も変わらなかったんですか?」
「ああ。変わる必要ないだろう? 両親共に、やっぱり忙しかったしな。きっとすぐ忘れたんだろう」
「……」
マジでよく分からない状況だが、ミラノ……クロの背中からの威圧が凄い。
「エリック様……」
「はい」
敬語で答えねば殺される雰囲気だ。
「親の愛って、何だと思います?」
「え? それは……」
答えなければ屠られる。
「ええと、無償の愛……か?」
そういうイメージはあるので言ってみた。
するとミラノがスクッと立ったので、俺はぎくっとした。
「済みません。もう失礼します」
「ああうん」
ミラノは一度も振り向かずに、足早に立ち去っていった。
俺は一度洗面所に顔を洗いに行き、戻ってから本当に眠った。
あまりいい夢を見られなかった気がする。
「……そうか」
「はい」
ルルケは視線を逸らしたままで言う。
絶対に俺とは結婚したくないだろうが、表向きだけでも子供の戸籍が貰えたら嬉しいと思うようだ。
「でもさ、俺は普通の人間じゃ無くなったんだ。俺が子供の父親だって認知したら、ルルケたちは普通の生活が出来なくなる。悠々自適の暮らしじゃなく、大勢に護られて何も出来ずに生きていくしかなくなる。これは利用できて便利な立場なんてものじゃない。子供の将来も狂わせる蛮行としか言いようがない。だから、もう一度しっかりと考えてみてくれないか」
「……はい」
よく考えた上での結論を既に言ったのかもしれない。でもきっと絶対に、後悔して泣く日が来る。
いや、もしかしたらそれよりも底辺で日々を生きる苦しみの方が辛いのかもしれない。
「俺、着がえてくるから、少し待っててくれ」
水着で砂まみれのまま立っている訳にもいかないので、言い残して風呂場に行った。
シャワーを浴びながら、色々と考えた。
今という時代は戦争もなく平和な世の中だし、生活に必要な物は一部、工場での自動生産で賄われていて、人の労働時間は文明が進んでいなかった頃よりもかなり少なめだという。
それでも、機械の全自動やロボットで賄えない部分も沢山ある。そこで生きる者の生活がどんなものかは、俺がいたルハイドでもよく目にしていた。
だからルルケに男親になっても良いって言ったのは、底辺で生きる者が弱者としても手を取り合い生きていく道を示しただけ。
普通に外交官の秘書ぐらいになれて、普通の結婚をする男として、過去に一人ぐらい隠し子がいても良いっていう感覚の上でのこと。
元からこんな権力の持ち主だったら、絶対に申し出てない。あまりに危険すぎる。
でもだったら、俺から断ればいいのか。
それよりも、廊下で知らぬ顔で通り過ぎれば良かった。こうして部屋に連れ込んだだけでもう色々とややこしい問題が発生してしまっているだろうから。
後悔しまくりながらシャワーを終えて着がえを探し、ないのに気付いた。持ってきてないから当然だ。
誰かが持ってきてくれるような生活に馴染んでしまったせいで、バスローブしかない。物凄くまずい。
が、仕方ないのでそれを着て部屋に戻り、俺の着がえがありそうなクローゼットの方に向かった。
そして遠目に見えてしまっているんだが、ベッドに座るルルケに服を着ろと連呼した。
クローゼットにたどり着いて何か他の服がないか確認しようとしたら、部屋の扉がノックされた。
「エリック様、失礼します。ロック様よりお電話です」
マルティナの声がした。クローゼットから見えない場所だからセーフ……な訳ない。
「スマホをそこに置いて、出て行ってくれないか」
気まずすぎて、思わず追い払ってしまった。しかし天の助けは残した!
マルティナが立ち去ってから、預けてあった俺のスマホを拾いに行った。
絶対にロックじゃないと思って電話に出ると、ロックだった。
「ホルンはどうした!」
「まだ自宅謹慎中なんだ」
「ちくしょう、あいつのせいで俺のじ……いや何でも」
ルルケに聞こえているから止めた。
「こっちから、かけてみる」
「ああそうしろ。というか普通に自分で乗り越えろよ?」
「あー、そういう手もあるな」
嫌々だが認めた。泥沼なのは俺のせいだ。
電話を切り、スマホを置いてクローゼットや別の荷物を漁ってマシな服装に着替えた。
そして、服をとりあえず着てくれたルルケとソファーに並んで座った。
「やっぱり、ルルケとの約束は守れない。ここに連れてきただけで、きっともうルルケの身の安全が保障できなくなっただろう状況だ。俺はいま、大勢から命を狙われているんだ」
「え、でも、龍神様なのにですか?」
ルルケは何も知らない者の表情をした。それを見て、俺は気付いた。
世界の全員が全員、毎日政治ニュースを見て生きている訳じゃないと。
ルルケは普通の女子だ。俺が龍神になったのはきっとルハイドでも大騒ぎしたから知っているんだろうが、それ以降のことは、生きるのに必死で知らないかもしれない。
ルルケが頼ろうとしているのは、世界を二分する国の頼れるトップであり、触れたら危険な劇薬ではない。
だけど……。
「ルルケ、正直に答えてもらいたいんだが」
「はい。何でしょうか?」
「誰に手引きされて、ここで働き始めたんだ?」
「それ……は、エリック様の知らない方です。前の仕事で、知り合いました」
「ルルケの子供は、今どこにいるんだ」
ルルケは俺の言葉に激しいショックを受け、顔を歪めて大粒の涙を流し、声を上げて俯いた。
まずいと思った俺は、みんなの協力を仰ごうと走って扉を開けにいった。
そして笑顔の面々の中で、マルティナが黒髪の赤ん坊を抱いているのを見た。
俺に差し出してきたので、受け取って部屋に引き返した。
「ルルケ! この子だろ?」
泣きじゃくるルルケに赤ん坊を差し出すと、彼女は気付いて顔を上げ、得も言われぬ喜びの表情で受け取り抱きしめた。
良かったと安堵しつつも、何故こういう手はずが整っていたのか分からなくて大人たちの方を見た。
「我らは、そう無能ではありませんよ」
謙遜の一言を発して笑うグラントに、マルティナと名前を知らない護衛たち。
俺は既に解決済みの問題に、最後に首を突っ込んだのだと理解した。
「俺を、ルルケと会わせて良かったのか? 彼女の背後に誰がいたか知らないが、彼女自身も危険かもしれないのに」
「しかし、龍神様の意向には逆らえませんので」
……事情を知っているようだ。きっとシナモン辺りからの情報だろう。
そりゃ、現実味がなかったといえども、俺が結婚するかもしれなかった女性だ。俺に会わせずに逮捕や処分はできまい。
でももう断った。かばう為の結婚に意味はない。いや、もうルルケには必要がない。
だって、あんなに我が子を抱いて幸せそうな笑顔を見せているんだもの。俺じゃなくても、絶対にいい人が見つかるって。
少し羨ましい気持ちを抱え、ルルケとその息子の身の安全を保障してもらい、連れて行ってもらった。
2・
夜になり、少なめの夕食を取った後で、レナト王から電話があった。
ルルケは、俺とのつながりがあったのは事実だから、バンハムーバ本国に引っ越してもらった上で就職の斡旋までして配慮するということになった。
ルルケを利用してた奴らは、危険を犯してまでも龍神の権力を入手しようとした犯罪者集団だという。その動きを察知したバンハムーバ政府は、ここのリゾートホテルに協力を仰いで、今回の罠を仕掛けた。
俺がどう反応するかで最終的な対応は変わったようだが、結果として敵を一網打尽にできた。
その報告をしてくれたバンハムーバの若き王様は、元気出して下さいねと、ねぎらいの言葉を残して電話を切った。
今まで数度話してみた印象として、レナト王はとても心優しい人だ。一言でいうと、悪意のないホルンだ。信頼できる。
そんな失礼なことを考えても、ホルンからは連絡が来ない。自宅謹慎万歳。
そうして自由を喜びつつ、まだ夜も浅いものの疲れたから寝ることにした。
グラントに帰ってもらい、ベッドに入って毛布を被り、眠ろうとした。
でもふと、ルルケとその子供の様子を思い出した。
実の親にあんなに大事にされている子供は、とても幸せだろうなと思う。
俺も小さな子供の頃は、寂しがり屋だったからよく母を追い掛けていた。そして世話を焼いてもらった筈なのだが、何故か親切にされた思い出がない。
確かに世話はされていた。だが、こちらが懐くだけしかしておらず、向こうの愛情を覚えていない。
一応、母親の愛情というのがあって、それはさっきのルルケのように心からの正直さと共に発揮される素晴らしいものだとは分かる。そういう風に周囲の人たちが言うし、テレビドラマとかでも見た。
でも実体験を覚えてないから、完全に同調はできない。きっと俺の母も一応は俺を大事にしていて、俺が肝心なところを忘れているだけなんだと思うんだけども。
愛情なんて全然覚えてないし、今日みたいに可愛がられている赤ん坊を見て、本気でそれが羨ましいと思ってしまう。
……もう就職した一人前の大人の筈が、俺はまだ人より圧倒的に足りない部分がある。
それを、自覚できた。
考えるのが辛いからもう眠りたくて、目をきつく閉じ続けた。
眠れないまましばらくして、部屋の中に風の動きを感じた。
目を開けると、まだ落とされていない庭の照明の光で、ベッド脇にいる人物の姿が見えた。
私服を着たミラノが、微笑みつつ俺を見下ろしている。
クロが励ましにでも来たなと思った。
「エリック様、今日は色々とあってお疲れですか?」
「うんまあ、もう活動する気にはなれないな」
「もうちょっと、お話しません?」
ミラノはベッド隅に腰掛け、振り向く方でこちらに視線をやった。
やっぱり、気を使ってもらえているようだ。
ちょうど良いから、聞いてみるか。
「く……ミラノは、子供の頃に母親に可愛がられたことを覚えてるか?」
「あ、はい。母は今も存命ですので、覚えていますし、今もとても可愛がられています」
ミラノっぽく笑ってる姿を見て、彼女っぽいなあと思った。
「俺は……あんまり覚えてないんだ。今日、ルルケとその子供の姿を見て、羨ましいと思うぐらいに覚えてない」
ミラノが真顔になった。
「……エリック様の母君は、既に――」
「いや、今も生きて物凄く楽しく人生を送ってると思う。ただ、兄弟が多くて忙しくて、俺に手がかけられなかっただけだ」
「ああそれは、仕方がない環境だったのですね」
「うん。仕方がない。親父とは時折一緒に遊びに出掛けた記憶があるんだけど……彼も基本的に仕事人間だから、可愛がられた記憶があまりない」
いや、連れ歩いてくれていたから、可愛がられてはいた。でも……。
俺は起き上がり、ベッドの上で座った。
「可愛がられたといえば、一度だけ強く印象が残ってる思い出があった。ギュッと抱きしめられて、物凄く嬉しかった。幼稚園から集団下校している時に、道路の側溝の蓋がちょっとだけ大きめに開いていて、片足が見事にはまって抜けなくなった」
「お怪我されましたか?」
「いや、全然。でも自力で抜け出すどころか身動きも取れなくて、呆然としてたらギュッと抱きしめて拾い上げてもらえたんだ。それが物凄く嬉しくて、今でもこうして思い出すんだ。物凄くおかしい事なんだけれどな」
「おかしくないです。大事な思い出なんですよ」
ミラノに笑顔が戻った。
「そうか……大事なんだな。どこの誰だか今でも知らない、男の人なんだけど」
「え?」
「一体、何が違うんだろう? きっと俺と一緒に帰ってた園児の父親だったんだろうけど、拾い上げられる時に抱きしめてもらえて、物凄く嬉しかった。圧倒的な安心感みたいなものがあって、ずっと抱きしめられたままでいたかった。それきり二度と会うことはなかったけど、現場を通る度にその手が暖かかった事を思い出した」
自分の手を見た。なんか涙が出てきた。
「俺の親父はいい人だ。彼に抱きしめられた思い出は、幾度かある。でも一度としてそんな安心感が無かった。……何故か分からないが」
本当に分からない。気のせいなのか。
ミラノがまた表情を凍らせている。
「あの……お聞きしても宜しいでしょうか? 実の親子……なんですよね?」
「そうだよ。でも何というか、気が合わなかったんだな。母親ともそうで、それと同じ頃に家に母の友人が遊びに来たんだけど、その人が俺を見て可愛らしいって言って、頭を撫でて一緒に来るかって言ってくれて。俺、本気にして泣いてその人に縋り付いた。今思えば、母はとてつもなく恥ずかしかっただろうな。悪いことをした」
「……いえ、エリック様は、悪くないと思いますよ?」
ミラノは、顔を背けて言った。
「そんな訳がない。実の息子が、泣いて他人の家に逃げようとしたんだぞ。俺だったら、そんな事されたら、とてつもなく恥ずかしくなるけど」
「ええでも、悪くないと思いますよ? ところでそのあと、お母さまはエリック様に何かしましたか?」
「いや何も。普通に生活してただけだ。世話をされていた」
「何も変わらなかったんですか?」
「ああ。変わる必要ないだろう? 両親共に、やっぱり忙しかったしな。きっとすぐ忘れたんだろう」
「……」
マジでよく分からない状況だが、ミラノ……クロの背中からの威圧が凄い。
「エリック様……」
「はい」
敬語で答えねば殺される雰囲気だ。
「親の愛って、何だと思います?」
「え? それは……」
答えなければ屠られる。
「ええと、無償の愛……か?」
そういうイメージはあるので言ってみた。
するとミラノがスクッと立ったので、俺はぎくっとした。
「済みません。もう失礼します」
「ああうん」
ミラノは一度も振り向かずに、足早に立ち去っていった。
俺は一度洗面所に顔を洗いに行き、戻ってから本当に眠った。
あまりいい夢を見られなかった気がする。
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