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{ 皇太子編 }

65. 前世と死

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身体が熱くて熱くてたまらない。
頭はひび割れるように痛くて……全身の骨が砕けたように痛む。
朦朧とした意識の中で、自分が夢の中にいるのか、起きているのかさえわからない。

この酷い痛みは? 私は……あの時死ななかったの?
身体を起こそうとするも、金縛りにあったように重くて……ただ苦しさだけが増していく。
痛みに喘ぐなか……閉じた瞼にうっすらと影がさして、額に触れる柔らかな感触……。

「目覚めたか……」
その声に、必死に瞼を開くと……この世のものとは思えない、とても綺麗な顔があった。
……天使って本当にいたんだ……。やっぱり私は死んだのね……。
歩道橋から足を滑らせて、硬いアスファルトに全身を打って、とても痛くて痛くて、雨に打たれ体は冷えて……次第に痛みも薄れていって……死を認識しながら……最後に全てが無になった。
それなのに、この痛みは何? 早くこの痛みから解放して! どうかお願い……天国でも地獄でも、どこでも良いから、早く連れてって!

「ぁ……」
声を振り絞る……。
「……た、す……けて」

途端、苦痛を感じたようにその表情が歪む……。
……なぜ、そんな辛そうな顔をするの?
話しかけようとするも、頭を突き刺す痛みに襲われ、目を閉じた。
暗闇に飲み込まれながら、耳の奥で声がする。

「あなたは、この家の嫁になるのよ。✖️✖️✖️✖️さんと結婚するのよ」

……養母の言葉。

あぁそうだ。それを聞いて、私はあの家から飛び出した。
頭が割れそうなくらい痛い……。
これは走馬灯だろうか……暗闇の中に幼い頃の記憶が蘇る……。

5歳で、養子として迎えられた家は……代々続く世襲政治家の一家だった。
なぜ私だったかは分からない。
「あら、この子素敵じゃなぁい?ねっ✖️✖️✖️✖️さん」

養護施設で、床に広げた本を読んでいた時だった。
その声に顔を上げると、品の良い女性と、少し年上の男の子がこちらを見下ろしていた。

その後、デパートの売り場で、気に入った物を見つける度に聞いた、養母の同じ台詞。
「あら、これ素敵じゃなぁい?」
私のことも、何となく目について衝動買いのように選んだのだろう。

まるで生まれ変わったように新しい生活が始まった。
高級住宅地の邸宅に住み、名家の子女が集う一貫校に通って、放課後は習い事と勉強に費やして。
休みには、養母にクルーズや海外旅行に連れて行かれた。
それは、とても幸せだった。
一切の自由無く、1分1秒まで管理された生活の中で、努力を怠らず、何か結果を出せば養母は誉めてくれた。
そして、成人を迎えてからは、養母の主催する茶会や婦人会、豪華なパーティーにも連れられて行くことが増えた。
養母は、会う人全てに私を紹介してくれた。

「私の娘よ」

「あぁ例の、養子になさった子ね。……美しいお嬢さんに育ったわね」

「ふふふ、いずれ、この子が私の跡を継ぐわ」

優しい笑顔を浮かべて、いつもそう返事する。
その時は、養母から認められた気がして嬉しかった。
愚かにも、その言葉の真意に気づかずに。

過去の記憶と感情が、心に痛みを伴い蘇る。

私には、夢があった。
一心に勉強を頑張って、大学に合格した。

私は誰かを助けたかった……助けてもらってばかりの人生で……運良く手に入れた幸運を、享受するだけでは気が済まなかった。
……あの養護施設で、たまたま私が拾われた。もしかしたらもっと相応しい子がいたかもしれない、その子の幸せを奪ったかもしれない。
その考えは次第に大きな罪悪感となって自らを苛んだ。

親の勝手で捨てられた子、虐待を受け保護された子、一度も両親に会った事のない子……みんな心に傷を負っていた。
自らも経験したその苦しみ。
そんな子供達を助けたい……専門知識で寄り添って、厳しい社会に出る前に、少しでも子供達の心を癒せるように、私は……児童精神科医なるんだと。
その決意は私の視野を広げ、心を軽くしてくれた……。
私は生涯……子供達、ひいては社会に貢献し生きていきたい……。
その日、何気なく将来の夢と展望を、養母に語った時だった。

「何を言ってるの?あなたは大学卒業後は、家に入るのよ。✖️✖️✖️✖️さんの妻となって、この家を支えていくの」

眩暈がした。

その言葉にショックを受けたが、反面すんなりと腑に落ちた。全てを理解した。この人は、娘を育てていたのではない。
息子の理想の嫁を育てていたのだ。
自分にとって都合の良い『政治家となった、息子の妻』であり、『✖️✖️家の嫁』を……。
理解はできたが、到底、受け入れることなど出来なかった。

「そんな!✖️✖️✖️✖️さんだって私との結婚なんて嫌がるはずです」

「あらっ、✖️✖️✖️✖️さんはもう何年も前から了承済みよ。それに、昔は親の勧めで結婚するのが当たり前だったのよ。この家で、恋愛結婚なんて許されない事、あなたもよく知っているでしょう。職業選択の自由なんてものも、この家には無いわ。どれだけあなたを手塩にかけて育てたと思っているの? そんな勝手をされちゃ困るわ」

養母の一語一句が私の存在を根底から揺さぶって、希望も夢も打ち砕いた。
そのあと、家を飛び出して、ただひたすら歩き続けた。
珍しく、都内に積もった雪……みぞれ混じりの冷たい雨が降る中で、着の身着のまま行く当ても無いまま、寒くてお腹も空いて……でも帰りたくなくて……。
最後は、歩道橋の階段で、ふらついて……足を踏み外した。
私はあの時、確実に死を感じた。
なのに……ここにいる私は何だろう……今どこにいるのだろう……。

痛みに堪えて目を開くも、視界は塗りつぶされたように真っ黒だ。
病院のベッドに磔にされているのだろうか……。
身体は確かに存在するのに、まるで動かない、泥の塊のように重たい。
僅かに保っていた意識さえ、その泥の中に練り込まれるように……次第に全ての感覚が薄れていく。

「あなたの望みは叶わない……傷つかないうちに諦めて……」

その囁き声に振り向くと……暗闇の中に2人の子供が立っていた。
一人は真っ黒な髪に、あざだらけ……もう一人はボロ服に身を包んだ白髪の少女……。
両方悲壮に痩せこけて、なのにそんな子供達が私を憐れむ……。
あぁ、あなた達にも、私は惨めに映るのね……。
その表情はいつまでも暗く、やがてその二人も……闇に溶けて見えなくなった……。



夜が……明けて行く……。
閉じた瞳に感じる僅かな光に、重い瞼を開いた。
目の前の椅子には、召使が腰掛け、うたた寝をしている。

なんだか私が私で無いような……ふわふわとした不思議な感覚……。
身体を起こそうとするも……力が入らず、声を出そうとして、思いとどまった。
じんわりと記憶の紐が解けていく。
そうだ……私は……神性で動物を助けたあの日、熱を出して臥せって……あれから何日経っただろう。

そういえば……16歳の頃、前世の記憶を取り戻したきっかけも高熱だった。
あの物置小屋で、誰にも気付かれないまま三日三晩生死の境を彷徨って……ようやく熱が下がって目を覚ました時、全てを思い出していた。

今回も、熱にうなされながら……ずっと夢を見ていた気がする。
とても苦しくて辛い、嫌な夢……。

途端、自分の置かれた状況を思い出し、胸を引き裂く痛みが走る。
吹き出した冷や汗に、身体が冷えていく。

私の人生に訪れる幸福は……いつも一過性のものでしかない。
いつも何かに縛られて、足掻いてもどうしようもなくて……。
今も……この城から私が出ることは叶わない。

皇太子の側妃になる……それが意味する先のこと……想像するだけで、泣きたくなる。
到底受け入れられないのに、逃げられない。
この気持ちは、前世でも経験した。

苦しい。

死を待つだけの人生に、突如舞い込んだ幸福。夢のような日々だった。
カイラス様……ハンナ……あなた達に出会わなければ、ただ地を這うだけの惨めな人生が、当たり前だと思えたのに。
愛し愛される幸せを知ったばかりに……。

ーーもう、お前は必要ないーー
ーー竜の国では、お前の送還を望んでいないーー

その残酷な言葉が、何度も何度も耳の奥で繰り返される。

私には、あなた達が必要だった!
何が……悪かったの?
愛していると言ってくれた! 思いやってくれた……!
なのに、あれは、そんな儚いものだったの?
助けて欲しい……。私を許して欲しい。
あなた達に……必要として欲しい。
ごめんなさい……ごめんなさい……。

心の中の懺悔は、誰にも届かず……押し殺した嗚咽だけが、自分の耳に暗く響いた。
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