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{ 皇太子編 }

63. 少年と竜

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あぁっ……またお月様が雲の後ろに隠れちゃった。
昼間に降った大雨のせいで出来た泥の水たまりを、目をこらしてよけながら……暗くなった道を、宿の明かりをめざして歩いていく。
近づくと、いつものように開いたまんまの小さな窓から、大きな笑い声が聞こえてきた。
店の前の泥のぬかるみには、たくさんの大きな足あとがついている。
高い石段に足をのせて、扉の持ち手をにぎって、勢いよく後ろに体重をかけて、その重たい扉を開いた。

「おーーー坊主!よくきたな! オヤジさんはあそこにいるぞ!」

「おいおいヘインズ! 息子が来たぞ」

店主のおじさんが呼びかけた方向を見ると、今にも椅子から落ちそうになった父さんが、樽ジョッキ片手に真っ赤な顔で笑った。

仕事終わりに、この宿に立ち寄っては酔っ払って、帰り道で転んで怪我しちゃう父さん。
あんまりに心配だから、母さんから迎えに行くように言われて、最近は毎晩こうだ。

でも僕はここが嫌いじゃない。おやじさんはいつも肉の切れ端をくれるし、父さんの呑み友達はみんなそろって陽気で優しい。

そのなかの一人が、紙を片手にほおづえをついて、そこに描かれた人をながめている。
ここ半月ぐらい、まちのあちこちで見かける張り紙だ。
そこには、いかにもなお嬢さまの顔が描かれていた。
優しそうな笑顔の女の人。この女の人はどんな瞳の色をしているんだろう?
文字がたくさん書かれているが、僕は読めない。
僕の父さんだって母さんだって、この町外れのオンボロ宿に集まる大人の誰一人、字なんて読めない。
そこには、たくさんの数字の0も書かれている。

「ハハッ!よう坊主!お前も薬草集めなんてやってねーで、このお嬢さんを探しな! 見つけてみろ! いっきに大金持ちだぜ!」
そう言うと、父さんの横の男は、虫歯だらけの歯をのぞかせて笑った。

「おおがねもち?」
もしそうなったら……クリームの入った白いパンを山盛り食べれるのかな?

「いやいや、その女の名も依頼主も秘密だろーー?そりゃ怪しすぎる。お貴族様の騒動には、首突っ込まん方が身のためよ」

「そうそう、こないだ隣町の金貸しに寄った時にな、この張り紙に書かれてあること聞いたんだよ。……この一番ふてぇ字は『この女の身の安全を何より最優先にすること』だってよ! ほんで、この女ときたら、青目に白髪だってよ! とんでもねぇ、そんな奴いたら街中でとっくに噂になってるわいな。諦めろ諦めろ、逃げたか攫われたかはわかんねぇが、とっくに遥か遠くにいっちまってるわい」

「僕! その人見たよ!!」

その声に、おおさわぎしていたみんなが、そろってこっちを向いた。
宿中シーンと静かになって、みんながまん丸な目をしてこっちを見てる。

ドダンッ!

あぁ! 父さんが椅子から転がり落ちたっ!


……何だかとんでもないことになっちゃったみたい。
昨日の夜、僕が言った事のせいで、今朝早く、うちにたくさんの人がやってきて、あれこれ聞かれて……さらに昼近くになってやってきたこの人達と、モクゲキした場所まで来る羽目になった。
街の砦を出て、原っぱを歩きながら、その人達をながめる。
いつも胸をはって大きな声で職人をまとめている父さんが、それはそれはちっちゃくなって腰を丸めておじぎして……この人達は一体誰なんだろう。
おじさんたちの言ってたオキゾクサマ?……もしかしたら、王様の住む、山のお城からやって来たのかもしれない‥‥。

騎士様が二人と、とても高そうな服を着た茶色い髪の男の人。
そして、黒い大きなマントをかぶった、一番身体の大きな人。
みんな、そのマントの人を、ちょっと怖がってる。
僕は小さいから、見上げるとその人の顔がとてもよく見える。まるでお日様みたいな色をした目だったけど、お日様とは違ってとても冷たくて怖い感じがしたから、目を逸らした。

「坊や、どこで見たのか話してごらん?」
茶色い髪の男の人が、優しく声をかけてくれて、安心した。

「うん、ここにシラクサをとりにきた時だよ。……夜露にぬれたシラクサはね、その葉っぱのチクチクした表面が、月の光を反射して、銀色に光るんだよ。だから、他の雑草と見分けやすくなるきれいなお月様が出た夜は……ここでシラクサ摘みを夜中までしているの!」

シラクサは熱を下げるお薬になるから、とても高く売れる。いつもそのお金で家族みんなの分、ちょっと特別なパンを買って帰る。
男の人は、うなずきながら僕の話を聞いてくれる。

「で、その日はね……ずっと遠くのあの山の真ん中辺りにあるお城……昼間は見えないけどね。夜になって、いつもよりもとても明るく輝いて、まるで一番星みたいに光っていたの! 父さんはタイカンシキだからだって言ってたよ。 それでね、草を摘んでたらねっ、そしたら急にね、青色に光ったの! そう、あのあたりだよ。そいでね、そこからいきなり人が現れたのっ!」

途端、男の人の顔から笑顔が消えた。

「本当だよっ! 嘘じゃ無いよっ!」

指差した先にみんなで行くと、そこには、つるりとした六つの角のある石が地面に埋まっていた。
そして丸い2重の輪っかの間にきれいな模様が描かれている。

「座標石ですね……おそらく城からここまで転送移動したのでしょう。部屋に残された魔具の稼働の痕跡……その方角が合致します」

茶髪の人はお城のある山の方を向いた後、黒いマントの人に向けて、小さな声でよくわからない事を話していた。

僕は、あの日、あんまりにびっくりして、砦の影になっているところにあわてて隠れた。
何だか見つかるとよくない事が起きる気がしたから……。
だってその人は……何だかとても怖く見えた。

「あのね、その男の人は何かを抱っこしてたの。両手でこんな風に」

僕は両腕を前に伸ばして、少し丸めて見せた。

「灰色の布でくるまれていたんだけど、ちょうど僕の3番目の姉さんくらいの大きさだったよ! 裾から金色の模様がキラキラ光るとても綺麗な布がはみ出てたの。それにね、その男の人が歩くとね、反対の裾から、とても長くて白いものが落ちてきたの。……月の光でちょっと青白く見えたけど……初め糸束かと思ったんだけど、そうじゃないよ! ……あれはきっと髪の毛だったんだよ。真っ白な! だから、きっと皆んなが探しているあの女の人だよ!」

父さんが頭を押さえた。
「坊主……そんな事だけじゃ、分からんじゃないか……」
がっかりしてため息をつく父さんの姿に、僕もしゅんとしてしまった。

『その男はどこへ行った?』

初めてマントの人が喋った!
その声は、父さんよりもずっと低くて太い声だった。

「あっ、あっち!お迎えの馬車が来たら、それに乗ってすごい速さで行っちゃったよ!」

馬車の走り去った後ろ姿を思い出して、その方向へ指差した。


『よくやった。それだけ分かれば充分だ』

僕の頭の上に、その人の手がそっと置かれたその途端、目の前が真っ暗闇になった。
一瞬世界が消えて僕一人になったかと思った瞬間、父さんの悲鳴とそれをかき消すほどの大きな音と一緒に、地面がゆれた。
竜巻みたいに激しい風が吹きつけて、地面に突っ伏した!
音と風が少しずつ小さくなる中で、目を開けると、まだ黒い霧が広がる中で、目の前には、真っ黒に光る何かがそびえ立っていた。
それは生き物の足のようで、僕とそう大きさの変わらない太くて尖った爪が地面に食い込んだその時、また猛烈な風が吹いた。

「陛下ぁああああーーーーーー!」
茶髪の男の人の叫びに応えるように……地面が大きく揺れて裂け、巨大な生き物が飛び上がり、砂つぶが舞い上がった。

必死に上を見上げると……そこには……お日様の光をさえぎる、黒い巨大な影があった。
大きな翼を広げ、空に舞い上がった……その生き物。

「リュ、リュ、竜だぁああーーーー」
尻餅をついた父さんが叫んだっ!

びっくりしすぎて、しばらく呆然としていた僕は………父さんのその言葉を理解した途端、感動で全身がしびれた。

今……僕の……目の前に……竜がいた……。
竜人族の竜が、いた……。
なんて……なんて……凄いんだ!

寝物語で小さな頃からきいてきた、僕の憧れの……竜!
魔物を追い払い、人々を守り、この王国を作った竜人族の竜!
母さんは、もう竜になる力は失ってしまったなんて言ってたけど、嘘だったんだ!
やっぱり竜人族は竜になれるんだ!!
すごい! すごい! すごいー!!

竜の王様はこれからお姫様を助けに行くんだ!
悪者に拐われた、お姫様を取り戻しにいくんだっ!

「かっこいーーー!!!!」

その翼を大きく広げ、真っ直ぐに飛び去った黒竜!
とっくに豆粒みたいに小さくなったその姿を見つめながら…………頭を抱え、天を仰ぐ茶髪の人の隣で、……僕は、歓喜の叫び声をあげながら、飛び跳ね続けた!
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