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{ 皇太子編 }

57. 庭園と出会い

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窓辺から空を仰ぐ……。うつむくと、遥か下には……風にそよぐ木々と、迷路のような庭園が広がっていた。
そして左には、狩場に続く真っ直ぐな遊歩道……その途中に、灰色の屋根の召使い専用宿舎が見える。裏手に拡がる鬱蒼とした雑木林……木々に覆われ見えないが、そこにあの物置小屋があるはずだ。

飢えと孤独に満ちたその場所を……今はこの部屋から見下ろしている。
私は何も変わっていないのに。……天と地ほどの差だ。
『砂上の楼閣』……ふとその言葉を思い出した。
気まぐれな権力者の一存で、この楼閣は跡形もなく吹き飛んで……後に残るのは、丸裸にされた無力な私だ。
ため息をつき、窓を閉める。

側に控える召使に目をやる。
まともな仕事着を着ているのだから、この者達は高位の召使だろう。
だが、俯くその表情は暗く……その理由はよく知っている。
皇城で仕える者のほとんどは、囚われの身だ。
この皇城に捧げられた他種族の女達は、一切の自由なく、死ぬまでこの皇城で服従と労役を強いられる。
それは皇族を神格化させ、神秘のベールで覆い隠す為の犠牲に他ならない。

召使の宿舎で育てられた幼少期、自らの境遇を嘆く召使達に、その吐口とばかりに暴言を受け虐められた。
だがあの家畜小屋と大差のない宿舎でも、自由に悪態をつけるだけマシだったのかも知れない。
ここでは誰が聞き耳を立てているか分からない。もし不穏な言葉を口にして、それが露見すれば、親兄弟の知らぬ間に、その娘は首を吊られるだろう。
それに不満を抱いて、精人族を裏切って、捕虜となった主人公を手助けしたのは、この皇城の召使だった。

「ねぇ、外に出てもいいかしら?」

「……はい。許可は出ております。……ご用意致しますので、しばらくお待ちください」

予想外の返答に驚き、慌てる。
駄目と分かっていて、何気なく尋ねただけだった!

「な、何も用意など、不要です! このまま少し庭園を散策したいだけだから……」

「申し訳ございません。どうか……しばらくお待ちください」

召使は、その身を縮め、顔を伏せたままに小さな声で応えた。
使用人達は、皇族の顔を直視する事を固く禁じられている……でも、私にまでこの態度はおかしい。
この部屋で目覚めてからずっとこうだ。
以前のように、侮蔑や嫌悪の表情を向けられるのも辛いが……話す相手の顔を見る事が出来ないなんて……人として何か大事なものを削がれるようだ……。

萎縮したその様子に、強く迫る事も出来ず、仕方なく了承の返事をした。

「姫様、どうぞご案内いたします」
戻ってきた召使のその声に……私の髪に、余念無く櫛を入れていた小間使いが手を止めた。
召使が退室し……先ほどの許可は有耶無耶になったのではないかと、心配になる程の待機時間。
安堵し立ちあがろうとした矢先……今度は小間使いが手に持つ物におののいた。
一体どこから取り出したのか! 銀製の葉のレリーフに、真珠が散りばめられた冠!
頭の上に掲げられ、慌てて身体を反らせ、手で制する。

「それは、必要ありません!」

そのまま身体をひねらせ立ち上がり、逃げるように部屋を出た。
あの部屋の衣装室に並べられた数多の宝飾品類……勝手に身につけ、咎められ、また泥棒のそしりを受けてはたまらない。

召使の後に続き、永遠と続くかのような階段を降りていく。……もう2度と、この皇城に足を踏み入れる事は無いと思っていたのに……生き延びたと思ったら、また戻ってくる羽目になるなんて……。

薄暗がりの広間を進み、奥の扉を開けると……途端、清涼感に満ちた風が吹き抜けた。陽の光に、眼が眩む。
ゆっくりと目を開き、辺りを見渡すと……そこは、鮮やかな色と光に満ちた、美しい庭園だった。

思わずため息が漏れる。
石畳に連なるアーチには、幾重にも花弁の重なった多色の花が咲き乱れている。
蔦の這う石垣に沿って、細い水路が続いて行く。生垣は、大小様々な形体に刈られ、迷路のように道を作り、花壇や花鉢には、満開の花々が寄せ植えされていた。

私は前に、一度だけこの庭園を訪れたことがある……。
竜の国へ送られる事が決まり、皇帝に謁見を終えた後……部屋に案内されるまでの僅かな空白時間、夕暮れ色に染められたこの庭園を……ただ一人ぼんやりと歩いた……。
だが今は、明るい日差しの元、花々が咲き乱れ、甘い香りに誘われて、蝶が舞う。
その時とはまるで別世界のようだ。
地面から爽やかに立ち上がる、土とハーブの香りを、めい一杯に吸い込んだ。

私は大丈夫……。ここまで生き延びたのだから、今回もきっと乗り越えられるはず。

水の行方を追うように、水路に沿って歩を進める。花木かぼくのトンネルをくぐると……小屋が見えた。

こんなところに、収納庫かしら?
近づくと、木の格子戸の奥で、何かが動いた。

「えっ?」

暗がりの小屋の中……それは思いがけない再会だった。

前世のウサギやモルモットに似た小動物……毛の長いもの、短いもの……垂れ下がった耳や、丸い耳、小さな角を持つものも! それらは紛う事ない、あの雑木林で出会い、共に長い時間を過ごした友達だった!
小屋に敷かれた藁の上で、その身体を寄せ合って……私の声に、皆一斉にこちらを見上げ、鼻をひくつかせた!

胸が熱く締め付けられ、同時に、指先が痺れるこの感覚。
昔この子たちを抱きしめる度に感じた、不思議なこの感覚に至る感情の名を……今は知っている……『愛おしさ』だ。

久しぶりに味わう感覚に、懐かしさが混じり、更に気持ちがたかぶって、瞳が潤む。
あの雑木林での過酷な日々を耐え抜けたのは、この子達がいたからだ。
近づくと、彼らもかけ寄ってきた。格子の中に指を入れると、クンクンと匂いを嗅ぎ、顔を擦り付け甘えてくる。
細い格子戸の隙間からめいいっぱい指先を伸ばし、鼻先を順に撫でてやると、何度か瞬きしながら気落ち良さげに目を閉じた。

「あなた達、なぜここにいるの?」

「飼っている」
その声に慌てて辺りを見回すと、花木のトンネルの側に、声の主が立っていた。

「好きなのか?」

「あっ……その」

立ち上がり、後ずさるが小屋を背にしてそれ以上動けない。
辺りを見渡すも、先程まで側にいた召使は1人もいない。
ここは……袋小路じゃないか……。

男は無表情のままこちらに近づく。
迫り来る恐怖に耐えきれず、目を閉じ、身を固くした…………が何も起きない……。

「はぁ」
小さく息を吐く音が聞こえ、同時にカチャリと音がした。

目を開けると、こちらに構う様子もなく、皇太子は小屋の扉を開け、手に持つ小さな籠をおろした。
その蓋を開けると、小さな動物が、鼻を震わせながら顔を覗かせた。
手で掬い上げるように持ち上げ、藁の上に降ろすと、ゆっくりとその背を撫で続ける。

その一連の動作に、目が釘付けになる。

「ここで飼っている」

「皇太子様が……ですか?」

男は振り向いたが、何も答えない。

「狩りのため、ですか?」

無表情に、その視線だけが鋭さを増しながら、首をゆっくりと振る。

「お前が考えているようなものではない。ただ、飼っているんだ」

この男は何を言っているの?
無類の狩り好きで、皇城一帯の動物達の虐殺者の頂点に君臨する皇太子が?
この動物たちの遺体を、私の目の前に投げ捨て去って行ったこの男が?
飼っている?この小さくて可愛らしい生き物たちを??
何の為に?

「しょ、食料になるのですか?」

途端、驚いたように目が開かれた。
立ち上がり、真正面に向き合うように立つ。
こちらを見下ろす視線が痛い。

「お前は、私を何だと思っている……」

その視線に耐えきれず、項垂れ、目を閉じる。
男が、長く息を吐く音が聞こえた。

「鍵はかけていない。好きなら、いつでもここに来ればいい」

「……?」

見上げたその顔は、変わらず無表情でいて……どこか不満気だ。

「それに、言ったはずだ……。もう手荒なことはしないと。だから……」

「えっ……」

「少し……話せないか。時間は、十分にあるだろう……」

そう言うと、唐突にその右手の平を上に向けた。

「??」

また神性の確認だろうか?でも結局どれだけ試してみても、自らの意思では出せなかった……。
同じように手の平を差し出す……。

「あの、神性はまだ思うように出せません……」

「……そうではないだろう?…………チッ」

し、舌打ちした??

「……もういい……着いてきなさい」


……一体なぜこうなったのか。庭園に逃げ混んで、今日こそは、この男と顔を合わせずに済むと思ったのに。
まさかこんな風に向かい合って、お茶を飲むはめになるなんて。

庭園の人工池の淵に、浮かぶように造られたガゼボ。透かし彫りの柵が、床に複雑な影を落としている。
このいたたまれない空間で、水のせせらぎだけが大きく聞こえる。

そして、こちらの緊張とは正反対に、落ち着き払った様子で、その名画のような風景に溶け込む皇太子。
足を組み、目を伏せ、カップに口をつける様はとても優雅だ……。
神様が、丹精込めて彫り上げたような、その顔立ち。
……心は悪魔なのに、見た目はずっと変わらず、天使のようだ……。
この人の残忍な本性を知っているのは、私だけなのだろうか?
胸が軋む。

かつての残酷な仕打ちを忘れたかのような、振る舞い。時折、こちらを気遣うようなそぶりさえ見せる。
今更、良好な関係を築こうとしているのだろうか?
いや!そんな事を期待してはいけない……。この人はいつも気まぐれに構い、もてあそび、捨て去るのだから。
この人にとって、私は取るに足らない虫ケラだ。

「食べないのか?」

ふと、我に返る。男はカップを手に持ち、気怠げに首を傾げる。
目を逸らし、卓に並べられた品々を見る。
目の前の硝子皿には、色鮮やかな果実の飾り切りが、蜜を纏い、盛り付けられ……菓子台には、焼き菓子や果実のスプレッド、工芸品のような飴細工が並べられたいた。
それらは素晴らしい味わいに違いないが……この人を前にして、とても口に運ぶ余裕はない。

「あの……あまり食欲がなくて」

「なぜだ?」

「少し具合が悪くて……」

男は眉根を寄せて、明らかな不快感を示した。

「……先ほどまでは、元気に見えたが」

「ですが……」

「食べなさい……」

「本当に……食べられないんです」

「命令だ……食べなさい」

穏やかな様相が一変し、静かな声音に威圧感を感じる。
なぜそうも食べさせようとするのか……。
食べることさえ自由に出来ないの?
この人は……なぜこうも私を支配しようとするのか。
その理不尽さに憤り、悔しさで、涙が込みあがる。
慌てて首を振る……。この人の前で、涙は見せたくなかった。

「なぜお前はそう意固地になる。好きだろう……」

「??」
私の事など何も知らないくせにっ!なぜそんな事が言えるのか?

「お前の為に準備させ」

「ふっ!……太るからですっー!」
咄嗟に口をついて出たその陳腐な言い訳と、声の大きさに自分でも驚いた!
思わず口を塞ぐ。
時間が止まったように感じたその間……呆気に取られこちらを見つめる男の表情が、徐々に崩れる。

カチャンッ!
男が、乱雑に置いたカップから紅茶が溢れ、その袖口を濡らす。

お、怒らせてしまった!
背筋に戦慄が走る。

だが、男は俯き加減で目を細めると、途端、その口元が綻んだ。

「フッ……クッ………」

口元を隠すように手を添えて……途端、弾けるような声が響いた。

「ククッ……ハハハッ」

それは笑い声だった。男の常日頃の印象とは乖離した……その明るい笑い声。
信じられない光景に、混乱し、訳も分からぬままに鼓動が早くなる。

「ハハハッ、ハハッ!……ッ、クッ……ククッ、お……前の………どこに太って困るほどの肉がある?」

苦しげに笑いを堪えながら、絞り出されたその言葉に、顔が熱くなる。

男は言葉尻に笑いを含んだまま、なんとか続く笑いを堪えようとするも……またこちらと目が合うと、糸が切れたように笑い出した。
その笑い声は、水音をかき消して……晴れ渡った空に、鐘の音のように響き渡った。
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