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{ 皇太子編 }

55. 目覚めて

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薄く開いた瞼の先……ぼんやりとした視界の中に、色鮮やかな光が漂う……。

あれは……そうか……。やはり私は皇城に戻ってきたんだ……。
身体をよじらせ、手で顔を覆うも……吸い込んだ新鮮な空気と、身体を包む柔らかな布の感触に違和感を感じる。
眩しさに目を細めながら、身体を起こし、部屋を眺め、掘り起こした記憶の断片……。
……この部屋も、この大きな寝台も……前に見た事がある……。
広々とした部屋の、乳白色の壁には神話を題材にしたステンドグラスが規則的に配列され、そこから光が差し込んで、大理石の床を鮮やかに染め上げていた。

……その極彩色のゆらめきに……気持ちの悪い目眩を催した。
私は、これより前に……違う部屋で、一度目を覚ましたはず。
だがその時よりも、格段に気持ちが悪い。

俯き、頭を抑える……。その時、目の端で何かが動き、見ると、慌てた様子の召使が、扉の外に駆けて行った。

記憶をたぐる。
先生は……?
彼の顔に触れ、ただ強く願ったその後……彼の瞳が私を見つめて……そこから……目を覚ますと、あの部屋にいた。
そう、あの悪夢の部屋……。

そこは、この部屋付きの召使の為の部屋であり、私が竜の国に行くと決まってから、充てがわれた部屋だった。
主のいないこの空き部屋の、控えの間から続く通路の先……カビ臭く、薄暗いあの場所で目が覚めて……鎖に繋がれた足を見て、愕然とした。

すぐに医師が駆けつけて……尋常じゃない空腹感に耐えながら、召使たちに世話されて……
また放置されたと思ったら、食事が運ばれてきて……。
与えられたパンと果実水を飲み干した後……
……そこからの記憶がない。

まだ鼻腔の奥には、甘い果実水の独特の香りが残っていた。

掛布をめくると、それが夢では無い事を示すように、足首には、枷の跡が残っていた。
擦れ、瘡蓋となり、またそこが剥がれて、膿んでいる。

自分の両手を見つめ、ため息をつく。
……なぜ、神性では自分の傷は治せないのか……。
先生はご無事だろうか。最後に見た彼の顔には、元通りの瞳があった。
きっと大丈夫。あの時完全に、治癒出来たはず……。

この身体に備わった治癒能力が、精人族であれば当たり前に使える、神性によるものだと気付いたのは……前世の記憶を取り戻してからだった。
自らの怪我は治せずとも、この能力には助けられてきた。
幼い頃……命の概念さえ定かでなく、自分が何者かも知らず、ただ毎日を生存本能のままに暮らしていたあの頃……突如訪れた悪夢。
あの時、矢で射られた生物は、私の腕の中で苦しみもがき、やがてゆっくりと、身体の震えが小さくなっていった……。
それはとても悲しくて、怖くて……救いを求めて、必死に願い泣き叫んだ、その時だった……まるでその想いに応えるように、自分の中から何かが生まれ、吹き出して、それは掌からその生物に伝わって、気がつくと……腕の中で元気に動き、その矢傷は癒えていた。

その後も、何度も何度も、狩りと称した動物たちの虐殺で、手にした成果をこれみよがしに持ってきて……目の前に投げ捨て去っていった皇太子。
死んだものを生き返らせることは出来なかった。
結局、その命を救うことができたのは、1割にも満たなかった。
小屋の横に埋葬した動物たちのお墓が、私の住む小屋より広くなった頃…………突然、その行為は止んだ。

その頃には、不思議な力の扱いにも慣れていたが……あの人の、あまりに無惨な姿を見て、我を失い……限界を超えた力を使ってしまったのだろう。
いったい何日眠っていたのか……。

先生は、また酷い目に合っていないだろうか……。
血にまみれた凄惨な姿を思い出し、胸が苦しくなる。

「何を考えている?」

思わず小さく悲鳴をあげて、振り返る。
その男は、寝台の横に立っていた。

眉を顰め、怪訝な表情でこちらを見下ろす……。
突然の悪夢の襲来に……呼吸も出来ず、返事も出来ず、ただ苦しい。

「…………この者に食事の用意を」

命を受けて、召使が部屋を出て行く。

「良く眠っただろう……。気分はどうだ?」

「……あまり……良くはありません……申し訳ありません」

なんとか返事を絞り出す。

「どこまで覚えている?」

その問いかけの意図が分からず、戸惑う。
この人の求める答えを言わなくてはと、考えるも……分からない。

「……あの、あまり思い出せなくて、申し訳ありません……」

「いや、いい。……何か問いたいことはあるか?」

いつもの有無を言わせぬ口調とは違った声音に、真意を測れず……恐怖心だけが煽られる。
……けれど……尋ねなくては……。

「……彼は、フォルティス様は……」

「…………捕らえている。怪我一つない状態だ。罰を与えるも、放免するも……お前次第だ」

気怠げに首を傾げる。その瞳は……冷淡だ。

「……あの者がお前を拐ったという事はすぐ分かった。資産の行方を調べたら、一所に集中していてな……お前と暮らすために、大金をかけて屋敷を整備したようだ。……お前は、名で呼ぶほど、あの者と親しくなったのか?」

「そんなことはありません! あの屋敷から助けてくださって……ありがとうございます。ですが、先生には罰を与える必要はありません。……それで……あの、わたしは……竜の王国には、いつ戻るのでしょうか?」

「……審議中だ。あちらにはもうお前が無事であることは伝えた」

審議?何を審議するような事があるのか?

「王城での暮らしは、どのようなものだった?」

「…………」

「答えなさい」

「とても……静かに暮らしておりました」

「そうか、竜王には良くしてもらったか?」

続く、予想外の問いかけに、戸惑いつつも、必死に冷静を装う。
何か知っているの? どこまで知っているの??
計り知れないその魂胆……この人は、私が不幸であることを望んでいる……。
カイラス様の妻になるなど口にしてはいけない。

「……あの……竜の国に着いてすぐ、王の代替わりがあって……カ……現在の竜王陛下ともあまりお話しする機会もなく…………今は側室ではなく、客人として置いて頂いております」

どこか非難がましい、冷ややかな目を向けられる。
細い糸の上を綱渡りしているような、一瞬でも気を抜けない緊張感。
絶対にこの人の機嫌を損ねてはいけない……。

「お前は、竜の国に戻ることを望んでいるのか?」

「……それが、私の義務ですから」

無言でこちらを見下ろしながら……やがてその口元には、薄く笑みが浮かんだ。
何もかもを見透かして、私の事を苦しめようと考えているような……そんな笑みが怖くて、冷や汗が止まらない……。

「これからはお前がこの部屋の主だ」

「えっ?」

「もう誰も、お前に手荒なことはしない……」

そう言うと、突然、足元にその手を伸ばす……驚き足を引っ込めようとするも、右足首を掴まれる。

「っ……痛いです!」

恐怖と痛みで叫びそうになるも、必死に口元を抑える!
何を訴えようが、この男には何の意味もないはずだ。

「落ち着きなさい……」

その手から、煌めく光が溢れ、足首を包む……

「??」

あの屋敷で、先生に治癒されたその時より、格段に濃く強力に感じるその神性……それは傷口から体内に吸収されて、見る間に傷が癒えていく……。
完全に傷口が癒え、腫れが引いても、その神性の侵入が止まない。
身体が浮遊するような、解放感と共に……次第に全身が熱を帯び、体内をくすぐられるような刺激に、目を瞑り、堪えるも……鳥肌が立ち……。

「あっ!……いやっ! やめて!」
思わず足首を捩り、膝を折る。

(しまった!)
こんな態度を取れば、どんな酷いことをされるか!

その男は、驚いた様子で目を見張るも、意外にも口元を緩ませた。

「お前は、神性に感応し過ぎるようだな……」

笑いを含んだ、呆れたようなその表情に……悔しくて、恥ずかしくて……顔が熱くなった。

「手の平をこちらに」

唐突な指示に困惑するも……慎重に手を差し出す。

「神性を放出してみなさい」

「??……出来ません……」

「お前は神性があるだろう」

「それは……自分でも分かりません。いつも相手に触れて、願ったら治せたんです。
何もない状態では……どうすれば良いのか分かりません……」

「ハッ」

馬鹿にするように笑う。
もうこの人は、私に対し、容赦無くその酷い本性を曝け出す……。

「見なさい……」

唐突に広げた男の両手から湧き出した光の粒は……静かに丸みを帯びて、集まると、輝きを増しながら、圧縮するように小さくなっていった。
……そして途端に薄く広がると、ゆらめく壁となって男と私の間を隔てた。
それはまるでオーロラのように……光を撥ねて遊色を帯びる……。

「障壁だ。神性は錬成するほどに、強力になる。修練し、極めれば、その形さえ自在に変化させる」

私の出す神性は、いつも放出と同時に空気に溶けて消えていったのに……これは同じものとは思えないほど、まるでそれ自体が意思を持っているかのように動く……。

やがて、その薄い光のカーテンは渦を巻いて集まると、とても小さな球体となった。
それは、光の集合体などではなく、鉱物そのものの輝きだった。
途端、内部から炸裂するように弾けると、花火のように長く尾を引き光が落ちて……やがて空中に溶け消えていった。

あっけに取られ、光の消えたその場所に目をやりながら、瞬きする。

「ふっ」
?? 笑い声のような、ため息が聞こえ顔を上げる。
目が合うも、男は、取り澄まして無表情だった。

もう一度自分の手の平を見て、力を込めるも……全く何も出てこない。

「どうすればいいのか……分かりません。どなたかにご教授いただけるならば……習得に努めます」

もし障壁を作り出すことが出来れば、それは私の力になる。

「いや、お前には……そうだな……ではそのように手配しよう。……竜の国に立つ準備が整うまで、自由に過ごすといい。何か望みがあるなら言いなさい」

望み? 私の望みは一つしかない!

「あの……準備などでお手を煩わせる必要はありません。以前のように、この身ひとつで……すぐに送り出して下さって、問題はございません」

「…………」

その時、扉が開き、食事の載ったカートが運ばれてきた。

「先ずは充分に食べなさい……」

そう言うと、用が済んだとばかりに踵を返し、振り返る事もなく、静かに立ち去っていった……。

肩から力が抜けて、安堵する……。
なんとか、無事にやり過ごせた……。

寝台から降りようとするも、召使達に無言のままに立ち塞がれて……細長いテーブルが寝台に設置された。
黙々と食器類を並べる召使に目をやると、後ろには……運ばれてきた大きなカート。
その上下には……食事作法の授業の時でさえ目にした事の無い、豪華な料理が……湯気を立てて、所狭しと並んでいた……。
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