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{ 皇太子編 }
50. 不調和
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狭い通路を進んだ奥……こちらに気付き、顔を伏せた衛兵の前を横切り、部屋に入る。
その扉はいつもの如く、耳障りな音を軋ませ閉じられた。
その不快な音はいつまでも耳腔に残留し……湿った臭いが鼻に付く。
昼間にも関わらず薄暗く、狭い部屋の中央に据えられた……粗末な寝台。
それがこの部屋の唯一の家具だった。
その前に立ち、無気力に横たわった女を見下ろした……。
天井近くの小窓からは光が差し、十字の鉄格子の影を、その身体に投げかけている。
側に控える宮廷医師が、脈をとるも……首を振る。
もう3日が経った。気を失ったコレを運び、この部屋へ連れてきてから。
見慣れた部屋で、ただ違うのは、いつも目覚めて自分を出迎えたこの女が、眠っている事だった。
それは、この部屋の調和を著しく乱し、苛立たせた。
まるで、目を覚ますことを拒否しているかのように、固く閉ざされた瞼。
寝息だけが、こちらを焦らすように規則正しく穏やかだった。
「下がりなさい」
声をかけると、医師と衛兵は、鬱陶しいほど仰々しく頭を下げ、部屋を出ていった。
本当に眠っているのだろうか……。
二人きりになった部屋で……その顔を挟むように両手を寝台につき、見下ろす。
「おい、いつまで、そうしているつもりだ……」
銀色の髪が、その顔にかぶさり、流れるように落ちていく……が、その顔は微塵も動かない。
ため息をつき、姿勢を戻した。
整えられた寝着からは、細い足首がのぞいていた。
その右足首には、その白さと対を成すように、灰色の枷が嵌められ、鎖が寝台の下へと続いている。
こうして見ると、この女が皇城を去ってからの数ヶ月間が、まるで嘘のようだ。
鎖に繋がれ、横たわったその姿……。
変わらないその光景に、苛立ちは消え、心が満たされた。
気づくと、手を伸ばして……その頬に指先が触れていた。
聞きたい事は山ほどあった。
お前は、自らが持つその神性に気づいていたのか……。
神性の片鱗も感じさせないその身体。
それが、まさか、私より強い神性を秘めていたからだったとは……微塵も思わなかった。
穢れた血の半端な精人であるお前が……最も強い神性を秘めていたなど誰が思うだろうか。
そして……竜王とお前の関係は?
あの騎士と過ごした日々はどのようなものだった?
いったい何をされた?
辺境の屋敷で見つけた、あの日と同じように……唇を指でなぞる。
その口端には、擦り傷が瘡蓋となって残っていた。
ざらつく指先の感触……それは、あの日に触れたと同様に、今なお不快に感じられた。
いったい何があったのだ……。
それらは、全て、この女の口から直接聞かなければ気のすまないことだった。
結局、あの伯爵家の男は、連れ帰り、尋問し、牢屋に入れた。
あの男の、聞くに耐えないお前への懺悔の言葉……。
皇国一と評されたその剣技、知力にも優れた騎士が……いつも妹の横で、寡黙な態度を貫いたあの男が……
よくもまぁ、あそこまで狂えたものだ。
あの男から発せられる、理解し難い言葉の数々に、嫌気がさして……後の処分は、妹に投げた。
神性で八つ裂きにすれば少しは気が晴れただろうか。
だが……この女は目覚めてあの男の死を知れば、また惨めに泣くだろう。
あんな愚か者のために……。
この女が、自分以外の手によって、涙を流すことは許せない。
その涙の一滴でさえ……私のものだ。
この女の涙も、泣き叫ぶ姿も、この皇城で、私だけが目にすることが出来たものだった。
だが……
お前はその涙を、他の男にも見せたのだろうか……。
唇をなぞる指先に、力が入る……。
その時だった。その閉じられた瞼が、更に強く合わさって……堪えるように、眉根を狭めた。
息を飲む……。それは少しずつ少しずつ、長い時間をかけて僅かに開いた。
その瞼の隙間から垣間見えた、青の瞳は……震えている。
瞬間、おもむろに後ずさる。
身体を逸らし、軋む扉を開け、振り返りもせず部屋を出た。
まるで逃げるような、咄嗟の自分の行動に、衝撃を受け……後ろ手に扉を閉める。
「あの者が、目覚めた。医師を呼べ」
衛兵が駆け出していく。
口元を抑え、堪えていた息を吐く。
部屋からは、微かに、鎖の擦れる音が聞こえた……。
私は、アレが目を覚ましたら、なんと声をかけるつもりだったのか……。
荒地の屋敷を思い出す……。
扉を開けて、目が合った時……その瞳に浮かんだ恐怖……身構え、震える身体……上擦った声……。
それは、皇城で自分が求め続けたアレの理想の姿だった。
だが今、アレが目覚めた瞬間に浮かべるだろう、恐怖に満ちた表情と……強張る身体を想像すると……身体が冷え、胸が軋む。
なぜだ?
いくら考えても、自分の行動が理解できない。
私が求め続けた、あの女のそうあるべき姿。無表情・無関心な態度が気に食わなくて、屈服させ、手に入れたその姿。
その時、突如頭によぎったその笑顔。
……王国の宴で竜王に向けた微笑み。
それは、惨めさなど微塵も感じさせない、屈託のない笑みだった……。
どこか懐かしく、だが不快で、言いようのない不安感に襲われた……。
あの表情は、あの笑顔は、どこかで見た。
私もあの微笑みを目にしたことがあったはずだ。
必死に記憶を遡る……はるか昔に見たはずの、その笑顔を……たぐり寄せるように……。
その扉はいつもの如く、耳障りな音を軋ませ閉じられた。
その不快な音はいつまでも耳腔に残留し……湿った臭いが鼻に付く。
昼間にも関わらず薄暗く、狭い部屋の中央に据えられた……粗末な寝台。
それがこの部屋の唯一の家具だった。
その前に立ち、無気力に横たわった女を見下ろした……。
天井近くの小窓からは光が差し、十字の鉄格子の影を、その身体に投げかけている。
側に控える宮廷医師が、脈をとるも……首を振る。
もう3日が経った。気を失ったコレを運び、この部屋へ連れてきてから。
見慣れた部屋で、ただ違うのは、いつも目覚めて自分を出迎えたこの女が、眠っている事だった。
それは、この部屋の調和を著しく乱し、苛立たせた。
まるで、目を覚ますことを拒否しているかのように、固く閉ざされた瞼。
寝息だけが、こちらを焦らすように規則正しく穏やかだった。
「下がりなさい」
声をかけると、医師と衛兵は、鬱陶しいほど仰々しく頭を下げ、部屋を出ていった。
本当に眠っているのだろうか……。
二人きりになった部屋で……その顔を挟むように両手を寝台につき、見下ろす。
「おい、いつまで、そうしているつもりだ……」
銀色の髪が、その顔にかぶさり、流れるように落ちていく……が、その顔は微塵も動かない。
ため息をつき、姿勢を戻した。
整えられた寝着からは、細い足首がのぞいていた。
その右足首には、その白さと対を成すように、灰色の枷が嵌められ、鎖が寝台の下へと続いている。
こうして見ると、この女が皇城を去ってからの数ヶ月間が、まるで嘘のようだ。
鎖に繋がれ、横たわったその姿……。
変わらないその光景に、苛立ちは消え、心が満たされた。
気づくと、手を伸ばして……その頬に指先が触れていた。
聞きたい事は山ほどあった。
お前は、自らが持つその神性に気づいていたのか……。
神性の片鱗も感じさせないその身体。
それが、まさか、私より強い神性を秘めていたからだったとは……微塵も思わなかった。
穢れた血の半端な精人であるお前が……最も強い神性を秘めていたなど誰が思うだろうか。
そして……竜王とお前の関係は?
あの騎士と過ごした日々はどのようなものだった?
いったい何をされた?
辺境の屋敷で見つけた、あの日と同じように……唇を指でなぞる。
その口端には、擦り傷が瘡蓋となって残っていた。
ざらつく指先の感触……それは、あの日に触れたと同様に、今なお不快に感じられた。
いったい何があったのだ……。
それらは、全て、この女の口から直接聞かなければ気のすまないことだった。
結局、あの伯爵家の男は、連れ帰り、尋問し、牢屋に入れた。
あの男の、聞くに耐えないお前への懺悔の言葉……。
皇国一と評されたその剣技、知力にも優れた騎士が……いつも妹の横で、寡黙な態度を貫いたあの男が……
よくもまぁ、あそこまで狂えたものだ。
あの男から発せられる、理解し難い言葉の数々に、嫌気がさして……後の処分は、妹に投げた。
神性で八つ裂きにすれば少しは気が晴れただろうか。
だが……この女は目覚めてあの男の死を知れば、また惨めに泣くだろう。
あんな愚か者のために……。
この女が、自分以外の手によって、涙を流すことは許せない。
その涙の一滴でさえ……私のものだ。
この女の涙も、泣き叫ぶ姿も、この皇城で、私だけが目にすることが出来たものだった。
だが……
お前はその涙を、他の男にも見せたのだろうか……。
唇をなぞる指先に、力が入る……。
その時だった。その閉じられた瞼が、更に強く合わさって……堪えるように、眉根を狭めた。
息を飲む……。それは少しずつ少しずつ、長い時間をかけて僅かに開いた。
その瞼の隙間から垣間見えた、青の瞳は……震えている。
瞬間、おもむろに後ずさる。
身体を逸らし、軋む扉を開け、振り返りもせず部屋を出た。
まるで逃げるような、咄嗟の自分の行動に、衝撃を受け……後ろ手に扉を閉める。
「あの者が、目覚めた。医師を呼べ」
衛兵が駆け出していく。
口元を抑え、堪えていた息を吐く。
部屋からは、微かに、鎖の擦れる音が聞こえた……。
私は、アレが目を覚ましたら、なんと声をかけるつもりだったのか……。
荒地の屋敷を思い出す……。
扉を開けて、目が合った時……その瞳に浮かんだ恐怖……身構え、震える身体……上擦った声……。
それは、皇城で自分が求め続けたアレの理想の姿だった。
だが今、アレが目覚めた瞬間に浮かべるだろう、恐怖に満ちた表情と……強張る身体を想像すると……身体が冷え、胸が軋む。
なぜだ?
いくら考えても、自分の行動が理解できない。
私が求め続けた、あの女のそうあるべき姿。無表情・無関心な態度が気に食わなくて、屈服させ、手に入れたその姿。
その時、突如頭によぎったその笑顔。
……王国の宴で竜王に向けた微笑み。
それは、惨めさなど微塵も感じさせない、屈託のない笑みだった……。
どこか懐かしく、だが不快で、言いようのない不安感に襲われた……。
あの表情は、あの笑顔は、どこかで見た。
私もあの微笑みを目にしたことがあったはずだ。
必死に記憶を遡る……はるか昔に見たはずの、その笑顔を……たぐり寄せるように……。
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