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{ 騎士編 }

49. 涙と慈悲 ※

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今日もまた、気の滅入る朝食が始まった。

水を飲もうと杯を持つも、腕に痛みが走る。
神性では、目に見える傷は治せても、疲労や身体の痛みは癒せないのだろう……。
今朝は酷い筋肉痛で身体を起こすこともままならず……結果、目の前に座る男に、介護されるように身体を支えられて、ここまで来る羽目になった。

「もう逃げるのはおやめください。またルミリーナ様が怪我をされては困ります」

まるで楽しむような笑顔で、そう言い放った男に、言い知れない怒りを感じた。
テーブルの下で拳を握りしめる。
この男が憎い、悔しい。

昨夜の出来事が次々と頭によぎり、更なる怒りが湧き上がった。

この人は、私を見ているようで、見ていない。
昨夜は、あまりに酷かった。
あの時、今まで感じていた違和感の正体にようやく気付いた。

あの屈辱的な治療の最中……神性で治癒されると、怪我の痛みが消えると同時に、身体の深部まで溶かされるような快感にひたされた……。悔しくて、必死に気を張りつめながら、心とは乖離したその快感に抗った。

だが、突然、神性の放出が止み……目を開けると、眼前に、こちらを見つめるその人の顔があった。
その眼は明らかに私を見ておらず……瞳は揺らぎ、視点の定まらないまま、恍惚とした表情を浮かべた矢先、崩れ落ち、何かに脅されたように、謝り続けた。

ーー許してください。救ってください。愛してくださいーー

男の台詞が頭によぎる。

あれは、まるで強迫観念に駆られた末の、強迫行為のように思えた。
この人は、いったいその目で何を見ていたのだろうか。
私の中に、私ではない何かを見ていた……。
それなのに、そのことにはまるで気付かず……私に一方的な理想を押し付けて、理不尽な愛で縛って、心を折って!……思いのままにしようとする……。

溜まりに溜まった男への怒りは、頂点に達し、口をついて言葉となった。

「こんな事をしても、私は絶対諦めない! あなたの求める何かにはならない! あなたのことを好きにはならない! 私は、カイラス様を愛しています! 私はカイラス様の」

「やめて下さい!」

卓を叩き、大きな音を立てて、男が立ち上がった。
杯が倒れ、こぼれた水がクロスに染みを広げていく……。

「もうこれ以上、その名を口にするのはおやめ下さい」

いつもの笑みは消えていた。
責めるような、何かを訴えるような目でこちらを見つめるも……途端に、その表情が崩れ、瞳が潤む……。

(そんな……今にも泣き出しそうな顔をして……。まるで、私が悪いみたいじゃないか。……辛いのは、泣きたいのは、私の方だ……)

歯を強く噛み締め、耐えた。

「あなたが必死に求めるものは……知っている! この短期間のあなたの態度で十分に!……でも、でも、その気持ちは受け入れられないし、その望みを叶えることは出来ない。どうか分かって! あなたが必死に縋りつき、求める人は、本当の私じゃ無い!」

男が、堪えきれないように、目を瞑る。

その時、足音と共に広間の扉が開け放たれ、執事服を着た老人が、狼狽えた様子で駆け込んできた。
扉の奥の通路には、数人の召使がこちらを不安気に伺っている。

人がいた!! 思わず安堵し、懸命に視線を送る。

男は手を伸ばし、使用人達を牽制した。

「ルミリーナ様は、部屋に戻っていてください」

そう言い、目尻を指で乱雑にぬぐうと、広間から出て行った。

戸惑いながらも、部屋に戻る。
途中、かすかな話し声と小さな物音が聞こえたが、それ以外は静かだった。

きっとあの人の意図しない何かがあったのだろう。それは私にとって良い事であるといい。
落ち着かず、部屋の中を右往左往しながら、窓の外に目を向けるも……そこには、変わり映えのしない、荒凉とした大地が広がるだけだった。

どれだけの時間が過ぎただろう。
いつもなら、本を抱えてあの人が来る頃だった。
何とも言えない不安感に僅かな期待が混じる。
両極端のその気持ちが攻めぎ合って……喉元が苦しい。

「ここか」

唐突な声とともに……扉が開かれた。

その途端、私を捉え続けた最大の恐怖が、形になって現れた。
もう2度と会うことはないと思っていた……皇国の皇太子。
嫌な予感の中でも、最悪の予感が的中した……。

「あぁ、やっと見つけた」

穏やかな微笑みを浮かべて、自分を見据える、紫紺の瞳。
この人と目が合うと、怖くて、怖くて……何もできない何も話せなくなる。

「いったい二人で何をしていたんだい? こんな僻地で……」

部屋を見渡すと、寝台に近付き、手を伸ばしゆっくりと敷布を撫でた。

その顔には、なんの表情も浮かんでいない。
衆人の前では、常に善良な顔を装うこの人は……私の前でその微笑みを失う。
男の口角が僅かに上がり、目を細めこちらを見る。
そう、そしてこの男が、こうして嗤う時、いつも私は酷い目に遭う。

危険を知らせるように、心臓が早鐘を打つ。
何を言っても意味が無い事は分かっているが、本能がそれを拒否する。

「無理やり……連れてこられたんです。逃げたんじゃ……ありません……」

振り絞って、声を上げる。

「探しにきてくれたのでしょう? ちゃんと……ちゃんと、竜の王国に戻ります」

黙ったまま何も言わない。

「階下の者を連れて来い」

冷めた声が響いた。

扉の側に控えていた皇国の兵士が、その命を受け部屋を後にする。
2人きりになった部屋で……その男は、目の前に立つと、唐突に片腕を上げた。

(殴られる!)

瞬間目を閉じ身構えたが、予想外の感触に驚き目を開けた。
首を傾げ……こちらを覗き込む皇太子と目が合った。
頬に添えられた冷たい手……その親指が唇に沿って、這うように動く。
繰り返し、繰り返し……。
不思議な緊張感をはらんだ、その行動の意図が分からず、ただただ鼓動が早くなる。
無表情のまま……徐々にその指先に込められた力が強くなり、唇に痛みが広がる。

その時、後ろで扉の開く音が聞こえた。

皇太子から顔を背け、そちらを振り向いた瞬間、声にならない悲鳴を上げた。
目の前の光景に戦慄し、駆けつけようとしたが、腕を掴まれる。
振り解こうとするが、びくともしない。

「なぜ? なぜこんなひどいことをするの!!?」

怒りとも悲しみとも分からない、胸を切り裂くような痛みに、我を忘れ絶叫していた。

「先生っ!!」

つい先程、食卓で笑みを浮かべた、その男の口からは、血が滴り……瞳のあったその場所には暗い穴だけがあいていた。
鮮血が、涙のように流れ落ちる。

「お前がなぜ怒る? 皇族を無理やり連れ去ったのだから、その身をもって償うのは当然だろう」

「でも、こんな、こんな残忍なことを!」

「残忍?」


--------皇太子は、首を傾げ、目の前で、惨めに泣き叫ぶ女を見下ろした。

顔はやつれ果て、そこには濃い苦痛の色が浮かんでいた……。
私はよく知っている。お前のこの無様な姿を……。

この状況がこの女の意図していない結果だという事に、満足すると共に……さらに痩せ細り、悲壮感の漂うその顔を目の当たりにして……強烈な不快感が身体をざわつかせた。

残忍だと?
お前をさらい、手に入れようとしたのであれば……これは受けて当然の罰ではないか。

その両目が無ければ、もうお前を見ることもないだろう。
舌が無ければ、話しかけることすら出来ないだろう。
……身の程知らずには当然の罰だ。
もっと時間があれば、お前に触れただろうあの両腕を、引きちぎってやれたのに……。

生かしたのは、確認するためだ。
お前がこの男に縋りつくなら、目の前で切り殺してやるつもりだった。

「庇うのか? やはりコイツをたぶらかして、一緒に逃げたのか?」

「……違います!」

泣きあえぎながら、はっきりと言い切る。
両目からは氷晶石のような涙がこぼれ、頬で輝きを放っていた。

あぁ、そうだ。この女はこうだった。
ただ単に、弱いものが傷つくと、泣いてそれに縋り付く。

「帰るぞ」
そう言い腕を掴み引き寄せた。

皇族専用の特殊な転送神具を手の平に載せる。
2人であれば、一度に皇城への転送が可能だろう。

「こ、この者は?」
兵が慌てたように問いかける。

「ここに捨ておけ」
そう言い、転送を開始させるため、女の腕から手を離し、向かい合わせに身体を抱き寄せた、その瞬間……女が身を翻し、奴の元に駆け寄った。

その後ろ姿に、胸を突き刺す痛みがはしる。
やはり……両方まとめて切り殺してやろうか。
剣を構えたその時だった。

膝をつき、手を伸ばした女の……男の顔に充てがった、その両手から……目が眩むほどの白銀の光の粒子が吹き出した。
それは部屋中に広がり、行き場を無くすと、巻き上がり、徐々に光の渦となった。

兵が驚愕の叫び声を上げる。

神性の発現が起きたのだ。
だが、これほどの激しいものは……!
まごう事なき、神性力により生み出された、白銀の粒子……それは部屋中を震わせ、吹き荒び、荒れ狂いながら、激しい輝きを放ち続けた。
だがそれにも関わらず……その神性は全く感じ取ることが出来なかった。
それが意味する事実は……余りに耐え難いものだった!

ーー強力な神性力を持つ者が発した神性は、それより劣る者には感じ取ることが出来ないーー


やがてその光は、空中に溶けるように薄れ、消えていき……徐々に視界が戻り、部屋の全貌が明らかになっていく……。

目の前の、光の発生源となったその場所には、目を閉じ、気を失ったように床に横たわる女と……その女に縋り付く男がいた。

先程まで、黒々と穴が開いていた、男の両目は大きく見開かれ、紺の瞳が一心に女を見つめていた。
そして、その男は……切り取ったはずの舌で、女に向かって明瞭に呼びかけた。


「……ルミリーナ様!」










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