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{ 騎士編 }
46. 愛の形 ※
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考え込むような表情で、こちらを窺う彼女に……笑顔を向ける。
眉を顰め、こちらを睨む様子まで、愛しい。
皇国にいた頃とは見違えるように、素直な表情をみせてくれるようになった。
「あなたの勤は?」
それは僕個人へ向けられた初めての質問だった。
「騎士の任は辞じて参りました。これからは、この屋敷で研究に打ち込みます。……僕のことを気にかけて下さるんですか?」
眉尻が下がり……またとても愛らしい表情になった。まるで困ったような、非難するような……。
彼女が意図しているだろう表情の意味は分かる。だが彼女が新たな表情を向けてくれるたび、それがどのような意図を含んでいても、ただただ嬉しい。
「私は、ここであなたと過ごすわけにはいかないの。
今頃、竜王陛下が……カイラス様が……私のことを探しているはずよ。そのうちきっと見つかるわ」
彼女が口にした、その名に不快感を覚える。
(貴方は、その名を何度も口にするが……まだ僕の名前は一度も……)
「たとえ、竜王であっても、この場所を見つけるのは無理です」
それには確信があった。
国境を超えた僻地、黒針林からそう離れていない荒地の屋敷。
ここは、魔物の監視の任を受けた曽祖父がはるか昔に建てたものだ。
だが、監視体制の発達に伴い、この屋敷はその用を成さなくなって既に久しい。
忘れ去られたこの屋敷を見つけたのは、研究の一環で一族の系譜を遡っていた時だった……。
放置され、荒れ果てた屋敷を、この計画のために整えた。ここを知る者はほとんどおらず、大金を払って、雇用した使用人たちの口は固い。
いくら竜王とはいえ、皇国まで捜索の手を伸ばすことは不可能だ。
そして、もちろん彼女を捨てた、皇国側がその手を煩わせてまで彼女を探すことなど考えられなかった。
騎士としての任にも、何の未練もなかった。
皇女の護衛騎士などいくらでも代わりがいる。
あの皇女のことだ、また次のお気に入りを見つけているだろう……。
それよりも、貴方には僕しかいない。
僕だけが貴方の幸せを見つけることができる。
この先も、共に暮らし続けるに充分な蓄えもある。
人知れず、ここで愛を育んで、家庭を持ち、貴方をここに隠し続けたまま生きていく。
なんて幸せなことなんだろう。
貴方の感情が僕にだけに向けられ……その瞳は僕だけを見つめる……。
なんて尊いんだろう。
貴方のあらゆる表情全てが……愛おしい。
負の感情でさえ……魅力的だ。
貴方の全てを包み込み、受け入れられる。
(これが愛というものですね……)
---------------------------
夜を迎えた部屋で、ひとつの思いだけが頭を占める。
日を追うごとに、あの人はおかしくなっていく。
私が、睨んでも、嫌がるそぶりを見せても、意に返さず、ひたすら笑顔で見つめてくる。
ただただ怖い……。
何がしたいのかも分からない。
私をここに、永遠に閉じ込める気なのか?
彼は愛しているというが、その愛は私を苦しめ、心を殺していく。
たった1週間ほどで、思考はにぶり、重い疲労感と怠さに襲われた。
もう限界だった。
それに、あの人は、いつも笑顔でいながらも、張り詰めたような緊張感を孕んでいる。
何かのきっかけでその緊張の糸が切れたとき、どうなるのか予測もつかない。
ーー逃げなくてはいけないーー
ただその思いだけが自分を突き動かした。
暗がりの中で、寝台や天蓋から布を引きちぎり強く結え、鏡台の脚に先端を結び、反対の端を、窓から静かに降ろした。
その先端が地面についた瞬間、躊躇する事なくしがみつき、はやる気持ちを抑えながら、慎重に慎重に、同じ動作を繰り返した。
やがて、つま先が地面に着くと、力が抜け地面に倒れ込んだ。
夜風が体を撫でる。荒涼と広がる大地には、月明かりで照らされた石粒が、刺々しい陰影を作り出していた。
そこから真っ直ぐに見上げた夜空に、その星はあった。
いつもと変わらず、夜空で一番に強い光を放つ恒神星、それは北の地を示す明確な道標だった。
この道をまっすぐにいけば、彼に会える。
カイラス様に……カイラス様に……。
早く!早く!衝動のままに立ち上がり、駆け出した。
このまま真っ直ぐいけば、必ず辿り着けるはず。
とにかく走り続けなくては!
強固な意志が、自分の背中を押し続けた。
……もう一体どれだけ走ったかは分からない。
屋敷からどれだけ離れたか、見当もつかない。
ただ、恐怖に追われるように……振り返ることもしないまま走り続けた。
だが、走り続けても、ひたすら走り続けても、変わらぬ景色が周囲には広がる。
目の前の星は、一向に近づかない。大きくならない。それは当たり前のようでいて、心を削った。
(諦めないで! 足を止めては駄目!)
呼吸をするたびに、自分の息で喉が切り裂かれるように痛んだ。
口には血の味が広がる。
一度立ち止まれば、もう再度走り出すことなどできないだろう。
とにかく、身を隠せる場所を見つけなければ……。
走りながら、周囲を見渡そうと僅かに首を傾けたその時、何かに躓いた。
受け身を取る余力も残っておらず、身体の片側を強く地面に擦り付けた。
自分の呼吸音が、体内で響く。それは耳障りなほど大きく……息が止まりそうなほど、苦しい。
顔を上げ、また立ちあがり、走り出し……走り出そうとしたが、一歩踏み出すたび足首に激痛がはしった。
その時だった。恒神星のすぐ下に、もう一つ、同じ輝きを放つ星が出現した。
あるはずのないソレに自分の目がおかしくなったかと、呆気に取られ、瞬きするも、ソレは消えない。
思考が停止して、ただその一点を凝視し続けた。
ソレも、まるでこちらを見つめているようだった……。時間が止まったように感じたその後、気付くとその光は、明らかに輝きを増し、大きくなっていた。
ただ立ち尽くすしか出来ず……時間が流れ……視界が眩むほど大きくなった光の陰に……その人は立っていた。
体から力が抜け、地面に崩れ落ちた。
星だと思ったソレは、明るい光を放つ小さな神性魔具だった。
手の平でそれを弄ぶように転がしながら、こちらを照らすその人は、紛れもない、屋敷にいるはずの人だった。
「水も食料も持たず、この荒地を超えることは不可能です。無謀な事はおやめ下さい」
ゆっくりと……眼前に手が伸びてきた。
頭の中で、警笛を鳴らすかのように、思考が目まぐるしく駆け回る。
どうする?どうすれば逃してもらえるの?縋り付く?許しを乞う?
なんでも言うことを聞くからと、懇願すれば何かが変わる??
嫌!
嫌だ!
もうこんな人たちに弄ばれたくない。
私に心が無いかのように、自分勝手に扱い傷つける……
こんな人たちの思い通りにはならない!
腕を掴んだ手を払いのけ、立ち上がり、駆け出した。
だがいくらも経たないうちに、身体に衝撃を受け、地面に突っ伏した。
正体の分からない痺れが全身を駆け巡り、身体の上に何かが覆い被さる。
身体が、身体が動かない。
もがくほどに、全身に強い圧がかかり、押しつぶされる。
背中は無数の針に刺されたように、ひりつく。
あぁ、この痛みは……この痛みは、よく知っている。
逃げようと地面を掻くが、砂地に幾本もの細い筋だけが、無惨に残る。
いつの間にか力尽き……頬にざらつく、冷たい地面の感触だけが、この身体に感じる唯一全てになった……。
涙で滲んだ視界には、荒地が広がり……遙か遠くでは……恒神星が変わらず、明るく瞬いていた……。
その時、何かが視界を覆い隠した。
……ゆっくりとそれは方向を変え、先端をこちらに向けた。
汚れひとつない、綺麗に編み上げられた靴……。
「僕たちの屋敷に帰りましょう」
見上げたその男は……相変わらずこの場に不釣り合いな、笑みを浮かべていた。
眉を顰め、こちらを睨む様子まで、愛しい。
皇国にいた頃とは見違えるように、素直な表情をみせてくれるようになった。
「あなたの勤は?」
それは僕個人へ向けられた初めての質問だった。
「騎士の任は辞じて参りました。これからは、この屋敷で研究に打ち込みます。……僕のことを気にかけて下さるんですか?」
眉尻が下がり……またとても愛らしい表情になった。まるで困ったような、非難するような……。
彼女が意図しているだろう表情の意味は分かる。だが彼女が新たな表情を向けてくれるたび、それがどのような意図を含んでいても、ただただ嬉しい。
「私は、ここであなたと過ごすわけにはいかないの。
今頃、竜王陛下が……カイラス様が……私のことを探しているはずよ。そのうちきっと見つかるわ」
彼女が口にした、その名に不快感を覚える。
(貴方は、その名を何度も口にするが……まだ僕の名前は一度も……)
「たとえ、竜王であっても、この場所を見つけるのは無理です」
それには確信があった。
国境を超えた僻地、黒針林からそう離れていない荒地の屋敷。
ここは、魔物の監視の任を受けた曽祖父がはるか昔に建てたものだ。
だが、監視体制の発達に伴い、この屋敷はその用を成さなくなって既に久しい。
忘れ去られたこの屋敷を見つけたのは、研究の一環で一族の系譜を遡っていた時だった……。
放置され、荒れ果てた屋敷を、この計画のために整えた。ここを知る者はほとんどおらず、大金を払って、雇用した使用人たちの口は固い。
いくら竜王とはいえ、皇国まで捜索の手を伸ばすことは不可能だ。
そして、もちろん彼女を捨てた、皇国側がその手を煩わせてまで彼女を探すことなど考えられなかった。
騎士としての任にも、何の未練もなかった。
皇女の護衛騎士などいくらでも代わりがいる。
あの皇女のことだ、また次のお気に入りを見つけているだろう……。
それよりも、貴方には僕しかいない。
僕だけが貴方の幸せを見つけることができる。
この先も、共に暮らし続けるに充分な蓄えもある。
人知れず、ここで愛を育んで、家庭を持ち、貴方をここに隠し続けたまま生きていく。
なんて幸せなことなんだろう。
貴方の感情が僕にだけに向けられ……その瞳は僕だけを見つめる……。
なんて尊いんだろう。
貴方のあらゆる表情全てが……愛おしい。
負の感情でさえ……魅力的だ。
貴方の全てを包み込み、受け入れられる。
(これが愛というものですね……)
---------------------------
夜を迎えた部屋で、ひとつの思いだけが頭を占める。
日を追うごとに、あの人はおかしくなっていく。
私が、睨んでも、嫌がるそぶりを見せても、意に返さず、ひたすら笑顔で見つめてくる。
ただただ怖い……。
何がしたいのかも分からない。
私をここに、永遠に閉じ込める気なのか?
彼は愛しているというが、その愛は私を苦しめ、心を殺していく。
たった1週間ほどで、思考はにぶり、重い疲労感と怠さに襲われた。
もう限界だった。
それに、あの人は、いつも笑顔でいながらも、張り詰めたような緊張感を孕んでいる。
何かのきっかけでその緊張の糸が切れたとき、どうなるのか予測もつかない。
ーー逃げなくてはいけないーー
ただその思いだけが自分を突き動かした。
暗がりの中で、寝台や天蓋から布を引きちぎり強く結え、鏡台の脚に先端を結び、反対の端を、窓から静かに降ろした。
その先端が地面についた瞬間、躊躇する事なくしがみつき、はやる気持ちを抑えながら、慎重に慎重に、同じ動作を繰り返した。
やがて、つま先が地面に着くと、力が抜け地面に倒れ込んだ。
夜風が体を撫でる。荒涼と広がる大地には、月明かりで照らされた石粒が、刺々しい陰影を作り出していた。
そこから真っ直ぐに見上げた夜空に、その星はあった。
いつもと変わらず、夜空で一番に強い光を放つ恒神星、それは北の地を示す明確な道標だった。
この道をまっすぐにいけば、彼に会える。
カイラス様に……カイラス様に……。
早く!早く!衝動のままに立ち上がり、駆け出した。
このまま真っ直ぐいけば、必ず辿り着けるはず。
とにかく走り続けなくては!
強固な意志が、自分の背中を押し続けた。
……もう一体どれだけ走ったかは分からない。
屋敷からどれだけ離れたか、見当もつかない。
ただ、恐怖に追われるように……振り返ることもしないまま走り続けた。
だが、走り続けても、ひたすら走り続けても、変わらぬ景色が周囲には広がる。
目の前の星は、一向に近づかない。大きくならない。それは当たり前のようでいて、心を削った。
(諦めないで! 足を止めては駄目!)
呼吸をするたびに、自分の息で喉が切り裂かれるように痛んだ。
口には血の味が広がる。
一度立ち止まれば、もう再度走り出すことなどできないだろう。
とにかく、身を隠せる場所を見つけなければ……。
走りながら、周囲を見渡そうと僅かに首を傾けたその時、何かに躓いた。
受け身を取る余力も残っておらず、身体の片側を強く地面に擦り付けた。
自分の呼吸音が、体内で響く。それは耳障りなほど大きく……息が止まりそうなほど、苦しい。
顔を上げ、また立ちあがり、走り出し……走り出そうとしたが、一歩踏み出すたび足首に激痛がはしった。
その時だった。恒神星のすぐ下に、もう一つ、同じ輝きを放つ星が出現した。
あるはずのないソレに自分の目がおかしくなったかと、呆気に取られ、瞬きするも、ソレは消えない。
思考が停止して、ただその一点を凝視し続けた。
ソレも、まるでこちらを見つめているようだった……。時間が止まったように感じたその後、気付くとその光は、明らかに輝きを増し、大きくなっていた。
ただ立ち尽くすしか出来ず……時間が流れ……視界が眩むほど大きくなった光の陰に……その人は立っていた。
体から力が抜け、地面に崩れ落ちた。
星だと思ったソレは、明るい光を放つ小さな神性魔具だった。
手の平でそれを弄ぶように転がしながら、こちらを照らすその人は、紛れもない、屋敷にいるはずの人だった。
「水も食料も持たず、この荒地を超えることは不可能です。無謀な事はおやめ下さい」
ゆっくりと……眼前に手が伸びてきた。
頭の中で、警笛を鳴らすかのように、思考が目まぐるしく駆け回る。
どうする?どうすれば逃してもらえるの?縋り付く?許しを乞う?
なんでも言うことを聞くからと、懇願すれば何かが変わる??
嫌!
嫌だ!
もうこんな人たちに弄ばれたくない。
私に心が無いかのように、自分勝手に扱い傷つける……
こんな人たちの思い通りにはならない!
腕を掴んだ手を払いのけ、立ち上がり、駆け出した。
だがいくらも経たないうちに、身体に衝撃を受け、地面に突っ伏した。
正体の分からない痺れが全身を駆け巡り、身体の上に何かが覆い被さる。
身体が、身体が動かない。
もがくほどに、全身に強い圧がかかり、押しつぶされる。
背中は無数の針に刺されたように、ひりつく。
あぁ、この痛みは……この痛みは、よく知っている。
逃げようと地面を掻くが、砂地に幾本もの細い筋だけが、無惨に残る。
いつの間にか力尽き……頬にざらつく、冷たい地面の感触だけが、この身体に感じる唯一全てになった……。
涙で滲んだ視界には、荒地が広がり……遙か遠くでは……恒神星が変わらず、明るく瞬いていた……。
その時、何かが視界を覆い隠した。
……ゆっくりとそれは方向を変え、先端をこちらに向けた。
汚れひとつない、綺麗に編み上げられた靴……。
「僕たちの屋敷に帰りましょう」
見上げたその男は……相変わらずこの場に不釣り合いな、笑みを浮かべていた。
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