竜の手綱を握るには 〜不遇の姫が冷酷無情の竜王陛下の寵妃となるまで〜

hyakka

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{ 騎士編 }

44. 僕たちには時間があります

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目を覚ますと、寝台の上だった。
見慣れぬ天蓋が、陽を透かし、光の模様を描き揺れている……。
眩しさに目を細め、その定かでない記憶を、呼び起こそうと、瞳を彷徨わせた。

その時かすかに音がしてそちらを振り向くと、椅子にその人が腰掛けていた。
直前の記憶が、夢では無かったと知る。
その無邪気な笑顔が……今は狂気を孕んで見える……。

その人は、手に持つ分厚い書物を閉じると、眼鏡を外し、ゆっくりと側卓に並べ置いた。
几帳面で、丁寧な所作は、皇国にいた頃と何も変わらない。

「ご気分はどうですか? ルミリーナ様?」

眉を顰める。
カイラス様に呼ばれる度に、心温まった自分の名前が……今は冷たく響く。

身体を起こそうとしたその時、ある事に気づき、思わず声が出た。
「きっ! 着替え……あなたが脱がしたの?」

宴席で着用した青いドレスではなく、薄いナイトドレスを着用していた。

男はクスクスと笑い声を立てた。

「ご安心ください。召使です」

「……どうやって私をさらったのですか?」

「拐ったなんて人聞きの悪い」
まるで冗談めかしたように、楽しげに話す。

「お部屋から、良くお眠りになっていたルミリーナ様を抱いて運んだんですよ」

「なぜ私の部屋がわかったの?」

「簡単ですよ。鳥がたくさん集まるところ。そこがルミリーナ様のお部屋です」
事も無げにそう答える。

「貴方様が庭園に行けば動物が、授業を受けている窓辺には鳥が集まってきたでしょう?
つくづく不思議な力ですよね。昨夜も鳥が集まるバルコニーがあったので、すぐわかりましたよ。
それでは、質問に答えたお返しに、僕の質問にも答えてください……」

「僕の名前は覚えていますか?」

「覚えていません」
嘘だ。だが先生と呼んでいたその男の名を口にしたことはない。
それでも男は嬉しそうな表情を崩さない。

「では、改めて挨拶させていただきます。
インサニア伯爵家の三男、フォルティス・アルトゥム・インサニアと申します。
貴方様が『姫様』という敬称をお捨てになったのであれば、僕も、これから『先生』という敬称は捨てます。
ですからどうか、名前でお呼びください。フォルティスと……」


♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


夕陽が、まるで後光のように彼女の背に差している。
僕のお願いに、少し、頬を膨らませむきになって首を振る、その姿さえ愛おしい。

ここまで長かった……。
あらゆることに備え、準備を整えてきた。
そしてようやく迎えることが出来た……僕たちだけの場所に。

竜の国に入り、機嫌の悪い皇女に辟易しながら迎えた宴席で、竜王の腕を取り、広間の階段を降りてきた彼女を見て、あまりの神々しさに釘付けになった。

純白の髪は遊色に艶めき、淡色から濃紺へ変化するドレスには、金糸の刺繍がふんだんに施され……眩いばかりの光を放っていた。
レースの袖からは、白く細い腕が透けて見えた。

さらに美しくなって、輝くような威厳を放つ彼女の雰囲気に、陶酔した。
だが、その一方で……彼女のすぐ横で、彼女の首飾りと同じ、黄金の瞳で彼女を愛おし気に見つめる竜王に、吐き気が催されるほどの嫌悪感を感じた。
老王の側室として、送られたはずなのに……一体何があったのだ。
竜王が見初めて、彼女を囲い込もうとしている事は明らかだった。

彼女に気付いて欲しくて、一心に見つめたが、相変わらず彼女は周囲の視線など意に介さない。
何者をも寄せ付けない、媚びることのない、彼女の冷ややかな雰囲気に胸を撫で下ろしたのも束の間だった。

竜王が何か囁きかけると、そちらを見つめ、見たことのない微笑みを浮かべたのだ。
決して、自分に向けられることのなかった、温かな眼差しと、その微笑み……。

広間の中央で、2人が踊り始めた。
両肩から背中に垂らされた白いドレープが、彼女の背に沿い、穏やかな波のように揺れる。
竜王と手を繋ぎながら、美しくターンした直後……
拍手に包まれる中で、彼女を見つめた竜王が、その両腕に抱きしめるように彼女を引き寄せ……抱き上げると……2人が降りてきた階段を、駆け上がり消え去ったのだ。

あの時は……その後を追いかけたい衝動を堪えるのに必死だった。

あっけに取られる人々。
静まり返った広間に、一石を投じたのは、元国王の威勢の良いしわがれ声だった。

「ハっ! 若者は血気盛んで困ったモノだな!」

「相変わらずご子息は奔放なようですね。王位に就いても変わらぬようだ」
皇太子が落ち着いた声で返す。

人々の間に、笑い声が広がった。
演奏が再開され、周囲もまた和やかな雰囲気に戻り、各々グラスを傾けた。

その周囲の雰囲気とは裏腹に、怒りのような焦りのような感情が湧き上がる。
腕にふと力がかかる。顔を向けると皇女と目があった。
宴席では、皇女のエスコートはいつも自分の役目だった。
その瞳はどこか非難がましい……。

「私たちも、踊りましょう」

静かに息を吐き、気持ちの昂りを押さえ込んだ。
冷静に笑顔を作り、頷くと、広間の中央に進みでた。
だがその間も、先程の映像が脳裏に何度も何度も繰り返された……。
彼女の手を取り、気遣うようなそぶりを見せエスコートした竜王のその姿……。
身体を密着させ、捉えるように抱き上げて、彼女を見上げた竜王のその眼差し……。

言いようのない危機感に、冷や汗が止まらない。

「早く助け出さなくては」

拳を握りしめ、呟いた。

宴の終焉後、人波から外れ……窓から城壁を伝い、目的のバルコニーに到達するまでは、予想以上に簡単だった。
それよりも、恐れていた光景を目にすることが憚られて、バルコニーの外で躊躇したその時間、その緊張たるもの……。
だが、静かな部屋の中で、燭台の灯りに照らされた彼女は、ドレス姿のまま一人寝台に寝かされていた。
目尻は赤く腫れ……涙の跡が残っていた。
何があったかは分からないが……それは少なくとも、自分が恐れていたことではなかった。

はやる気持ちを抑えながら……胸元から取り出した小瓶の蓋を開け、その唇の隙間に、液体を滴らせた。
アナンの実を煎じたその薬は強い酩酊感を催す……しばらくは深い眠りの底に沈むだろう。
そしてようやく寝台から彼女を抱き上げ、その全体重を両腕に感じた時の、あの満ち足りた充足感は……今も身体の奥に残留している。


そして今、目の前で自分を見つめる彼女……その小さな拳を、両手で包み込んだ……。
その手は、僅かに震えている。
寝台の脇に座り、上半身を起こした彼女の側に体を寄せる。
体温が伝わってきそうなほど近く……吐く息が聞こえるほどの距離。

その瞳に、不快の色を浮かべこちらを睨む彼女。
ここまで長く視線を交わすのは初めての事だ。

感動が身を震わす。
慎重に、彼女の手を持ち上げて、自分の頬に寄せる。

やっと……やっと……。
どれだけこの瞬間を願ったか……。
彼女と見つめ合いながら……その身体に触れている。

暖かく柔らかな手の感触が……ゆっくりと身体中に染み渡る。

庭園で初めてその姿を見た時と同じ、夕暮れの薄紅色に染められた彼女を見つめる。
ここまで長かった。
今目の前で、冷たい瞳で、自分を見つめる、最愛の女性ひと……。

(大丈夫……ここから全て上手くいきます……)

「僕たちには……時間がたくさんありますから……」

そう呟き、その瞳に向けて、笑いかけた……。
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