上 下
43 / 69
{ 騎士編 }

43. ただひとりの騎士として…… ※

しおりを挟む
揺蕩たゆたった暗い意識の中で……徐々に小さな光りを感じたが……まだ目は開けない。
いつものように、瞼を固く閉じて、目覚めを拒否する……。それは毎朝の習慣だった。
自分にとって、眠りは逃避であり、目覚めて目を開ける事は、苦痛に満ちた1日の開始の合図だったから。
この無力な身体で生きるには、この世界は余りに過酷だ。
だがこの日は、その名が頭に浮かんだ瞬間、その日常に逆らうように、瞼を開いた……。

(カイラス様……)

そこは……小さな部屋だった。
明るい陽射しに包まれた空間で……身体は怠く、頭は霧がかかったように不明瞭だ……。

ここは、まだ夢の中?
寝台で眠っていたはずなのに……
この振動は……馬車だ、馬車の中だ。
それよりも、なぜ……なぜ、この人がここにいるのか……。

落ち着き払った様子で、座面に腰掛け……頬杖をつき、こちらを見つめる。
端正な顔立ちに、人懐っこい笑みを浮かべた……皇国の教師。
私の事を蔑む人しかいなかった、皇国で、ただ一人、私に丁寧に接して下さった人だ。

でも……懐かしさより、理解の出来ない現状に戸惑う。
考えようとするも、気持ちの悪い目眩に襲われ、また座面に倒れ込みそうになったが……その人の手に支えられ、必死に身体を起こした。

「先生……?」

ただ黙って、私を見つめるだけの彼に、焦りだけが募る。

「安心してください……。助けに来ました。もう心配入りません……」

場違いに感じる、その微笑み……。
まるで、こちらを思いやるような優しい眼差し……。
全てに、得体の知れない違和感を感じる。

「……どういうことですか?」

「驚きましたよね……。
でもこれからはもう辛いことは起こりません。
僕が貴方様のことをお守りします。
どうか、ご安心ください」

恐ろしい予感が浮かぶ。

「……今、皇国に向かっているのですか!??」

どうして? なぜ? カイラス様は側に置いてくれると約束してくれたのに!
……やはり嫌になって?
……寝ている間に送り返されたの?

不安と恐怖に襲われ、両手を強く握りしめた……。
だが、目の前の男は、混乱する私とは正反対に、落ち着き、この現状を楽しむように笑っている……。

「いいえ。もう大丈夫です。
これからは何も悪い事は起きません」

そう言い、また明るく笑んだ。
その態度に、困惑する。

私を見つめる、深い紺碧の瞳は……どこまでも澄みきっていた。
この人は、初めて会った時からずっと、変わらぬ笑顔を向けてくる。
波打つ金色の髪は、柔らかな輝きを放ち、まるで夜空に輝く星のようだ。
いつも、その髪を、触って撫でてみたいと思っていた……。
教師陣の中で、侮るでも、不遜な態度をとるでもなく、ただ親切に接してくれた唯一の人。
彼の授業の間だけは、穏やかな時間を過ごすことが出来た。

だが、今は、なぜかその笑顔に、言い知れない恐怖を感じる。
何かが違う……。

「では……どこに向かっているのですか?」

「詳しくはお話できませんが、安全地帯です。僕たちがこれから住む屋敷もありますよ。
小さいですが、僕と姫様、そして子供達数人くらいなら、余裕で暮らせます」

「??」

「姫様……救出が遅くなり、申し訳ありませんでした。
あぁ、ようやく救い出しました……。
お辛かったでしょう……。
でももう大丈夫です。
何も心配入りません。
これからは、僕が姫様をお守りいたします。
姫様のことを誰よりも一番に理解しております。
いつも、いつも、姫様の幸せだけを考えています。
心から、貴方様の事を大切に思っています。
ですから、これから先ずっと……僕と共に生きて行きましょう……」

「??」

「ああ! 本当に! 救い出せて良かった!
本当に、本当に、良かった!
死ぬまで姫様を愛し幸せにいたします。
姫様、僕の女神様。
これから力を尽くして、貴方様の幸せの為に生きます。
貴方様と……夫婦となり、貴方様を心から慈しみ、大切にし、共に生きていくと誓います」

正気じゃ無い……。
息着く暇もなく、捲し立てられた内容の、半分も頭に入らなかった。

教師らしい落ち着きと、知的な雰囲気を纏いながらも……偉ぶることなく、いつも無邪気に微笑みかけてくれたその人は……
紺色のローブの教師服ではなく……今は、皇国の白い騎士服に身を包み、灰色のクロークを身に纏う。

騎士の称号を持つとは聞いていたけれど……。
その身体に沿った、騎士服姿からは、鍛え上げられた体躯が見てとれる。

眼鏡を外し、前髪を後ろに流した今は……額が露わとなり、意志の強そうな濃紺の眼が、正面から自分を見据えていた。

閉じられた、2人きりの空間に……恐怖を感じる。

「お、王国に……城に帰してください」

「ああ、哀れな姫様。竜の国で脅されて、よほど怖い思いをされたんですね。
でもここまでは誰も追ってこれません。
誰も貴方様に危害を加えたり、脅したりすることは出来ません。
もう姫様は自由の身です!
だからご安心ください。ご自身のお気持ちに正直になってください」

言葉が通じない……。
何を言っても、まるで伝わらない。

「わ、私はもう皇国の『姫様』ではありません……。
彼が……カイラス様がつけてくれた名前があります。ルミリーナです。
私はカイラス様の妻になります。だから、王国に戻して下さい」

「あぁ……産まれてすぐに、名前さえ奪われた不憫な姫様……。
貴方様が、その名をお気に召されたなら、僕は構いません。
美しい響きですね……ルミリーナ様」

まるで、確認するようにその名を口にし頷くと、また嬉しそうに目尻を下げて、こちらを見た。
皇国にいた頃と、全く同じ笑顔と声だが、今は……その時とはまるで別人だ。

その目を真っ直ぐに見返した。

「もう一度言います……。
私はあなたと共にいる事は出来ません。
夫婦になんてなりません!
早く、引き返して下さい!」

「分かりました。夫婦となる必要などありません。
ただ、ルミリーナ様のことは僕が幸せにいたします。
ルミリーナ様一人に仕える騎士として……ただ貴方様、ひとりの為だけに生きて行きます」

その狂気じみた瞳が……怖くて怖くて、たまらない。

突然、その男の手が伸びてきた。

「やめてっ!!」

身をかわしその手を避けると、窓の景色に目をやった。
考えるより早く身体が動き、勢いに身を任せ、扉に体当たりする。
大きな音と共に空中に投げ出され、激しい衝撃が身を貫く。
地面に打ち付けられ、転がり、体が切り裂かれるような痛みに襲われた。

必死に顔を持ち上げあたりを見回すと、そこは、はるか先まで延々と続く荒地だった。

無我夢中で身体をおこし、駆け出した。
だが、数秒も立たないうちに、強く髪を引かれ、後ろに引き倒された。
地面に身体を打つ衝撃に身構えたが……何かにもたれ掛かる。
恐る恐る後ろを見上げると……そこには予想した通りの顔があった。

「はなしてっ!!」
貼り付けたような笑顔に手を伸ばし、引っ掻き抵抗するがびくともしない。

「うっ、くぅ」

力の限り、暴れる。

「僕も手荒なことはしたく無いのです。
どうか分かってください」

その言葉と共に、両手首を掴まれ、地面にうつ伏せに押し倒された。

「逃げないで。落ち着いてください。助けるためなんです」

吐息が耳元にかかる。

「おかわいそうに。洗脳されているんですね。
安心してください。全て時間が解決するでしょう……」

その言葉を最後に、首に衝撃を受け、視界が暗く沈んでいった……。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

悪役令嬢に転生したので、やりたい放題やって派手に散るつもりでしたが、なぜか溺愛されています

平山和人
恋愛
伯爵令嬢であるオフィーリアは、ある日、前世の記憶を思い出す、前世の自分は平凡なOLでトラックに轢かれて死んだことを。 自分が転生したのは散財が趣味の悪役令嬢で、王太子と婚約破棄の上、断罪される運命にある。オフィーリアは運命を受け入れ、どうせ断罪されるなら好きに生きようとするが、なぜか周囲から溺愛されてしまう。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

もう長くは生きられないので好きに行動したら、大好きな公爵令息に溺愛されました

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユリアは、8歳の時に両親を亡くして以降、叔父に引き取られたものの、厄介者として虐げられて生きてきた。さらにこの世界では命を削る魔法と言われている、治癒魔法も長年強要され続けてきた。 そのせいで体はボロボロ、髪も真っ白になり、老婆の様な見た目になってしまったユリア。家の外にも出してもらえず、メイド以下の生活を強いられてきた。まさに、この世の地獄を味わっているユリアだが、“どんな時でも笑顔を忘れないで”という亡き母の言葉を胸に、どんなに辛くても笑顔を絶やすことはない。 そんな辛い生活の中、15歳になったユリアは貴族学院に入学する日を心待ちにしていた。なぜなら、昔自分を助けてくれた公爵令息、ブラックに会えるからだ。 「どうせもう私は長くは生きられない。それなら、ブラック様との思い出を作りたい」 そんな思いで、意気揚々と貴族学院の入学式に向かったユリア。そこで久しぶりに、ブラックとの再会を果たした。相変わらず自分に優しくしてくれるブラックに、ユリアはどんどん惹かれていく。 かつての友人達とも再開し、楽しい学院生活をスタートさせたかのように見えたのだが… ※虐げられてきたユリアが、幸せを掴むまでのお話しです。 ザ・王道シンデレラストーリーが書きたくて書いてみました。 よろしくお願いしますm(__)m

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...