上 下
42 / 69
{ 騎士編 }

42. 女神の啓示

しおりを挟む
その頃の記憶は……あまり無い。
ただ、普段と何も変わらない平穏な日々を送った。
それは、彼女がいないだけの、静かな日常だった……。
皇女の護衛騎士として、任務をこなし、剣の鍛錬に打ち込んで……空いた時間は書物に目を向けた。

だが、その日は突然訪れた。
何秒か何分か……意識が不明瞭になり、徐々に視点が定まると……目の前に置かれた本の、開いたページが濡れていた。
自分の頬が濡れており、そこを伝って涙が滴り落ちていた。

また次の日、同じように、ふと我に返ると、目の前に剣先が迫り、頬を切り裂いた。
鍛錬中の怪我など良くある事……同僚に神性で治癒して貰えばいいだけだ。
だが、問題はそれだけで終わらなかった。
来る日も来る日も同じような事が起きた……。

次第に、集中が途切れるようになり、意識のない時間が増え……唐突に涙することが多くなった。
まるで、自分が自分では無いような、地に足がついていないような不思議な感覚だった。

やがて、夜も眠れぬようになり……ようやく眠れたと思っても、深夜に飛び起きた。
激しい動機と、酷い寝汗で全身が濡れていた。
何かの病かと思い、医者に診せても、問題は突き止められなかった。

原因も分からぬまま……日常は、呆気なく崩壊した。

そんな時、書棚に仕舞い込んでいた白い箱を、ふと思い出し手に取った。
箱を開くと、そこには、美しい羽ペンが収められていた。
真っ白で優美な羽……。
繊細な模様が彫られた金色の柄には、彼女の瞳と同色の蒼水玉が嵌め込まれていた。
瞬間、彼女と目が合ったような気がした。

「どうして、助けてくれなかったの?」
その瞳は……咎めるようにそう問いかけた。


これまで必死に蓋をして、隠し、押さえ込んだ感情が、渦となって自分に襲いかかった。

その場に崩れ落ち、声を上げてむせび泣き、懺悔ざんげした。

産まれた時から、一身に不幸を背負って、生きてきて……これから先も、竜の国で、延々と苦しみ続けるだろう彼女。
虐げられ続け……心を閉ざして、救いを求めることすら諦めていたのだろう……。
平気なそぶりを見せていたのに、本当は、竜の国になど行きたくはなかったのだ。
誰かに助けて欲しかったのだ。
彼女の事を、何も分かっていなかった。
苦しみに気づいてあげられなかった。

彼女への気持ちを隠し、ただ優しく振る舞うしか出来なかった、自分は……なんて愚かだったんだろう。

もっと言葉を交わしていれば……
正直に気持ちを打ち明けていれば……
いや、彼女を強く思うその気持ちのまま、縋りついていれば……
彼女もその心の内を僕に打ち明けて、共に寄り添い慰め合えた!それなのに!!

助けてあげたかった……!
彼女の救いになりたかった……!

贈り物も渡せず、微笑む彼女を見ることも叶わず、何も果たされずに、無惨に切り裂かれた初恋。

一晩中泣き明かした……。
自覚してからは、常に彼女を思い続け……胸が痛み、苦しくて、涙がこみあげた。
時間が経っても、胸に穿うがたれた穴は塞がることなく広がり、自らを飲み込んだ。
ふとした瞬間に襲ってくる、後悔と、憤りは、体を震わせ、立っている事も出来なくなった。

いつの頃からか、夢に出てくるようになった彼女は、悲しみに満ちた、諦めの表情で自分を見下ろした……。
必死に膝をつき、許しを乞う。
夢の中で、毎晩決まって行われる彼女への懺悔……慈悲と救いを求める懇願は、いつしか彼女の姿をした女神への信仰心へと変化していった。

それは、心を保ち、生き続けるための自衛の手段だったのかも知れない。
全てを捧げても、その慰めを得たいと思うその気持ちは……手の届かない、遥か遠くの地にいる彼女を、特別な神のような存在へと高めていった。

そんな時だった。竜の王国の戴冠式に、皇女の護衛として帯同の任を受けた。

それは、明らかに、遠く離れた地にいる彼女からの啓示だった。
輝きに満ちたまっすぐな道が、目の前に開けた……。
これは、彼女が……僕の女神様が示した道標みちしるべだ。

の地で、彼女はただひたすら耐えているだろう。
いつか誰かに助けてもらえるという望みさえ抱かぬまま……。
これは僕だけが出来る、僕だけに与えられた使命だ。
僕の女神を助け出し、そして、そして……。

確固たる信念が形を帯び、心の中の全てを占めていった……。

「待っていてください……。貴方様を救い出して見せます」

口に出したその決意は……身体を興奮で震わせた。

それから、夢に出てくる僕だけの女神は、後光を放ち、微笑みを浮かべて、自分を見下ろした。
まるで、待っているとばかりに、その両腕を広げて……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

溺愛の始まりは魔眼でした。騎士団事務員の貧乏令嬢、片想いの騎士団長と婚約?!

恋愛
 男爵令嬢ミナは実家が貧乏で騎士団の事務員と騎士団寮の炊事洗濯を掛け持ちして働いていた。ミナは騎士団長オレンに片想いしている。バレないようにしつつ長年真面目に働きオレンの信頼も得、休憩のお茶まで一緒にするようになった。  ある日、謎の香料を口にしてミナは魔法が宿る眼、魔眼に目覚める。魔眼のスキルは、筋肉のステータスが見え、良い筋肉が目の前にあると相手の服が破けてしまうものだった。ミナは無類の筋肉好きで、筋肉が近くで見られる騎士団は彼女にとっては天職だ。魔眼のせいでクビにされるわけにはいかない。なのにオレンの服をびりびりに破いてしまい魔眼のスキルを話さなければいけない状況になった。  全てを話すと、オレンはミナと協力して魔眼を治そうと提案する。対処法で筋肉を見たり触ったりすることから始まった。ミナが長い間封印していた絵描きの趣味も魔眼対策で復活し、よりオレンとの時間が増えていく。片想いがバレないようにするも何故か魔眼がバレてからオレンが好意的で距離も近くなり甘やかされてばかりでミナは戸惑う。別の日には我慢しすぎて自分の服を魔眼で破り真っ裸になった所をオレンに見られ彼は責任を取るとまで言いだして?! ※結構ふざけたラブコメです。 恋愛が苦手な女性シリーズ、前作と同じ世界線で描かれた2作品目です(続きものではなく単品で読めます)。今回は無自覚系恋愛苦手女性。 ヒロインによる一人称視点。全56話、一話あたり概ね1000~2000字程度で公開。 前々作「訳あり女装夫は契約結婚した副業男装妻の推し」前作「身体強化魔法で拳交える外交令嬢の拗らせ恋愛~隣国の悪役令嬢を妻にと連れてきた王子に本来の婚約者がいないとでも?~」と同じ時代・世界です。 ※小説家になろう、ノベルアップ+にも投稿しています。※R15は保険です。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています

平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。 生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。 絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。 しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?

婚約破棄された地味姫令嬢は獣人騎士団のブラッシング係に任命される

安眠にどね
恋愛
 社交界で『地味姫』と嘲笑されている主人公、オルテシア・ケルンベルマは、ある日婚約破棄をされたことによって前世の記憶を取り戻す。  婚約破棄をされた直後、王城内で一匹の虎に出会う。婚約破棄と前世の記憶と取り戻すという二つのショックで呆然としていたオルテシアは、虎の求めるままブラッシングをしていた。その虎は、実は獣人が獣の姿になった状態だったのだ。虎の獣人であるアルディ・ザルミールに気に入られて、オルテシアは獣人が多く所属する第二騎士団のブラッシング係として働くことになり――!? 【第16回恋愛小説大賞 奨励賞受賞。ありがとうございました!】  

神の子扱いされている優しい義兄に気を遣ってたら、なんか執着されていました

下菊みこと
恋愛
突然通り魔に殺されたと思ったら望んでもないのに記憶を持ったまま転生してしまう主人公。転生したは良いが見目が怪しいと実親に捨てられて、代わりにその怪しい見た目から宗教の教徒を名乗る人たちに拾ってもらう。 そこには自分と同い年で、神の子と崇められる兄がいた。 自分ははっきりと神の子なんかじゃないと拒否したので助かったが、兄は大人たちの期待に応えようと頑張っている。 そんな兄に気を遣っていたら、いつのまにやらかなり溺愛、執着されていたお話。 小説家になろう様でも投稿しています。 勝手ながら、タイトルとあらすじなんか違うなと思ってちょっと変えました。

【完結】生贄として育てられた少女は、魔術師団長に溺愛される

未知香
恋愛
【完結まで毎日1話~数話投稿します・最初はおおめ】 ミシェラは生贄として育てられている。 彼女が生まれた時から白い髪をしているという理由だけで。 生贄であるミシェラは、同じ人間として扱われず虐げ続けられてきた。 繰り返される苦痛の生活の中でミシェラは、次第に生贄になる時を心待ちにするようになった。 そんな時ミシェラが出会ったのは、村では竜神様と呼ばれるドラゴンの調査に来た魔術師団長だった。 生贄として育てられたミシェラが、魔術師団長に愛され、自分の生い立ちと決別するお話。 ハッピーエンドです! ※※※ 他サイト様にものせてます

転生悪役令嬢、物語の動きに逆らっていたら運命の番発見!?

下菊みこと
恋愛
世界でも獣人族と人族が手を取り合って暮らす国、アルヴィア王国。その筆頭公爵家に生まれたのが主人公、エリアーヌ・ビジュー・デルフィーヌだった。わがまま放題に育っていた彼女は、しかしある日突然原因不明の頭痛に見舞われ数日間寝込み、ようやく落ち着いた時には別人のように良い子になっていた。 エリアーヌは、前世の記憶を思い出したのである。その記憶が正しければ、この世界はエリアーヌのやり込んでいた乙女ゲームの世界。そして、エリアーヌは人族の平民出身である聖女…つまりヒロインを虐めて、規律の厳しい問題児だらけの修道院に送られる悪役令嬢だった! なんとか方向を変えようと、あれやこれやと動いている間に獣人族である彼女は、運命の番を発見!?そして、孤児だった人族の番を連れて帰りなんやかんやとお世話することに。 果たしてエリアーヌは運命の番を幸せに出来るのか。 そしてエリアーヌ自身の明日はどっちだ!? 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...