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{ 騎士編 }

41. その微笑みの為に……

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あの時の彼女だった。

その髪は、夕陽に染まった茜色ではなく、晴天時の雲のように真っ白だったが……俯き加減の表情からでも分かる、その鼻梁と、唇……。
冷ややかで、剣のきっさきを思わせる、どこか排他的なその雰囲気……。

それは確かに、この目に焼きついた、あの人の姿だった。

膝をおり、顔を伏せ、儀礼にのっとった美しい所作で挨拶する様子に、心奪われた。
感激のあまり、声をあげそうになって、思わず口を手で覆う。
返事が出来ずにいると、彼女がそっと顔を持ち上げて、戸惑うように首を傾げた。

動揺を隠すように咳払いし、心を落ち着ける……。

「目下の者に、そのように礼を尽くすことはありません」

少し、上擦った声になってしまった……。

彼女はゆっくりと姿勢をただし、安堵したような表情を浮かべ、さも当たり前のように、答えた。

「先生ですから……」

皇族の恥とされ、宮殿の隅に打ち捨てられ……浮浪児のように生きてきたと聞いたが、とてもそうは見えなかった。
彼女の慎ましやかで可憐な受け答えに魅了された。

さらに彼女の従姉にあたる皇女の、軽薄で我儘三昧な暮らしぶりを見ているからこそ……似たような身分でありながらも冷遇され、また今になって、竜の国に捨てられるように送られる不憫な境遇に、心が締め付けられた。

初めは、強い憐れみから、努めて優しく接したが……それでもこちらに甘えるような事はなく、丁寧に言葉を交わしながらも、一線が引かれている事に、次第にもどかしく感じるようになった。

そして、筆記と単語は拙いものの、理解力と考察力は素晴らしく、学ぼうとする真摯な姿勢に、教えることの歓びまで感じるようになった。

いつの間にか、彼女が言葉を発するたびに、口元に釘付けになり、目が合うと胸が高鳴った。
いつもいつまでも彼女と言葉を交わしたい。
終わるとすぐに、次の授業が待ち遠しくなった。

これは、教師が教え子に抱く気持ちではないと……気付いていた。

ある日、小鳥達の騒がしい囀りに、目を向けると、窓辺の桟の場所取りで、小競り合いが起きていた。
それを見た、彼女の口元が緩み……あの庭園で目にした時と同じ、無邪気な笑みが広がった。

瞬間、周囲の空気がきらめいた。
時間が止まったように感じたその一瞬が過ぎ、彼女がまたゆっくりと自分の手元に視線を戻すと……
いつものように、どこか物憂げな表情で、ペン先を動かした。

先程の、光を吸い込み煌めいた瞳は、俯くと……雲に覆われた太陽のように、まつげの下に隠れてしまった。

彼女の微笑みが、脳裏に焼きつき、離れない。
自分の心臓の鼓動が高鳴ると同時に、強烈な欲求が湧き上がった。

(どうかこちらを見てください……目を合わせてください。
僕にも、微笑みかけてください……)

だが、彼女はそんな思いに気付きもせず、ただ書物に目を落とし続けた。
知っている……彼女は僕を気遣うが、ただそれだけ。
自分に対して、興味を持っていない事は明らかだった。

その湖のような瞳の奥には、いつも一抹の憂愁が漂い……覗き込もうと近づけば、その瞼を閉じる。
決して、感情を晒さず、その心の内は明かさない。

今まで、女性から言い寄られることは多々あった。
少し丁寧に接しただけで勘違いされ、しつこく付き纏われる事もあり……いつしか女性に対しては慎重を期するようになった。
だが、意中の人が出来たとて、こちらが好意を向ければ、難なく、それ以上の愛で返されるだろうと思っていた。
それなのに、彼女はどれだけ自分が好意を向けても、優しく接しても、特別な存在になりたいと願っても、いつも一定の距離を保って、離れている……。
この人の前では……自尊心が削られる。

どうしたら、彼女がこちらを見てくれるのか……。
これ以上、どうしたら良いのだろう……。

日を重ねて、流麗な字体となった彼女の筆記に目を留めると、ふとその手元が気になった。
彼女の細い指には、似つかわしくない、太く黒いペン。
時折、ペンを置き、指を揉み合わせ、持ち直している様子からも、手に合わないのだろう。

授業を終えてすぐ、城下に出た。
夕暮れを迎えた馬車の中で、青いリボンのかかった、純白の箱を撫でながら……彼女の喜ぶ顔を思い浮かべた。
きっと目を合わせて、微笑んでくれるはず。

まさか自分が誰かのために物を選び、喜ぶ顔を思い浮かべるなんて。
人が一喜一憂し振り回される、美しくも愚かな感情。
今まで、無縁に思えたその感情に振り回されている自分が……悪く無いと思えた。

彼女に、この気落ちを伝えることは、決して無いだろう……。
初めから、報われる事の無い、終着点が定められた恋だった。
だからこそ、綺麗な終わりを望んでいた。

彼女が皇国から去った後も、彼女の事を思い出しては、切なく思うだろう……。
だからせめて、彼女も……この贈り物を見るたびに、自分のことを思い出してくれれば良いと思った。
その淡い期待に縋って……
そして、この贈り物を受け取った時に浮かべるだろう、彼女の笑顔を思い出に残して。
この恋の結末としては充分だ。
そう思っていた……。
そして、時間の経過とともに、いつかこの気持ちも昇華され、次に進む事が出来るだろう。
そう考えていた……。

だが、翌日に授業を控えたある日、彼女が皇城から逃げ出したと知らされた。

そして、発見された彼女は、それ以降、自室に軟禁状態となり……やがて予定通りに、竜人族の王国へ送られていった……。
一目見ることも……叶わずに……。
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