41 / 69
{ 騎士編 }
41. その微笑みの為に……
しおりを挟む
あの時の彼女だった。
その髪は、夕陽に染まった茜色ではなく、晴天時の雲のように真っ白だったが……俯き加減の表情からでも分かる、その鼻梁と、唇……。
冷ややかで、剣の鋒を思わせる、どこか排他的なその雰囲気……。
それは確かに、この目に焼きついた、あの人の姿だった。
膝をおり、顔を伏せ、儀礼に則った美しい所作で挨拶する様子に、心奪われた。
感激のあまり、声をあげそうになって、思わず口を手で覆う。
返事が出来ずにいると、彼女がそっと顔を持ち上げて、戸惑うように首を傾げた。
動揺を隠すように咳払いし、心を落ち着ける……。
「目下の者に、そのように礼を尽くすことはありません」
少し、上擦った声になってしまった……。
彼女はゆっくりと姿勢をただし、安堵したような表情を浮かべ、さも当たり前のように、答えた。
「先生ですから……」
皇族の恥とされ、宮殿の隅に打ち捨てられ……浮浪児のように生きてきたと聞いたが、とてもそうは見えなかった。
彼女の慎ましやかで可憐な受け答えに魅了された。
さらに彼女の従姉にあたる皇女の、軽薄で我儘三昧な暮らしぶりを見ているからこそ……似たような身分でありながらも冷遇され、また今になって、竜の国に捨てられるように送られる不憫な境遇に、心が締め付けられた。
初めは、強い憐れみから、努めて優しく接したが……それでもこちらに甘えるような事はなく、丁寧に言葉を交わしながらも、一線が引かれている事に、次第にもどかしく感じるようになった。
そして、筆記と単語は拙いものの、理解力と考察力は素晴らしく、学ぼうとする真摯な姿勢に、教えることの歓びまで感じるようになった。
いつの間にか、彼女が言葉を発するたびに、口元に釘付けになり、目が合うと胸が高鳴った。
いつもいつまでも彼女と言葉を交わしたい。
終わるとすぐに、次の授業が待ち遠しくなった。
これは、教師が教え子に抱く気持ちではないと……気付いていた。
ある日、小鳥達の騒がしい囀りに、目を向けると、窓辺の桟の場所取りで、小競り合いが起きていた。
それを見た、彼女の口元が緩み……あの庭園で目にした時と同じ、無邪気な笑みが広がった。
瞬間、周囲の空気が煌めいた。
時間が止まったように感じたその一瞬が過ぎ、彼女がまたゆっくりと自分の手元に視線を戻すと……
いつものように、どこか物憂げな表情で、ペン先を動かした。
先程の、光を吸い込み煌めいた瞳は、俯くと……雲に覆われた太陽のように、まつげの下に隠れてしまった。
彼女の微笑みが、脳裏に焼きつき、離れない。
自分の心臓の鼓動が高鳴ると同時に、強烈な欲求が湧き上がった。
(どうかこちらを見てください……目を合わせてください。
僕にも、微笑みかけてください……)
だが、彼女はそんな思いに気付きもせず、ただ書物に目を落とし続けた。
知っている……彼女は僕を気遣うが、ただそれだけ。
自分に対して、興味を持っていない事は明らかだった。
その湖のような瞳の奥には、いつも一抹の憂愁が漂い……覗き込もうと近づけば、その瞼を閉じる。
決して、感情を晒さず、その心の内は明かさない。
今まで、女性から言い寄られることは多々あった。
少し丁寧に接しただけで勘違いされ、しつこく付き纏われる事もあり……いつしか女性に対しては慎重を期するようになった。
だが、意中の人が出来たとて、こちらが好意を向ければ、難なく、それ以上の愛で返されるだろうと思っていた。
それなのに、彼女はどれだけ自分が好意を向けても、優しく接しても、特別な存在になりたいと願っても、いつも一定の距離を保って、離れている……。
この人の前では……自尊心が削られる。
どうしたら、彼女がこちらを見てくれるのか……。
これ以上、どうしたら良いのだろう……。
日を重ねて、流麗な字体となった彼女の筆記に目を留めると、ふとその手元が気になった。
彼女の細い指には、似つかわしくない、太く黒いペン。
時折、ペンを置き、指を揉み合わせ、持ち直している様子からも、手に合わないのだろう。
授業を終えてすぐ、城下に出た。
夕暮れを迎えた馬車の中で、青いリボンのかかった、純白の箱を撫でながら……彼女の喜ぶ顔を思い浮かべた。
きっと目を合わせて、微笑んでくれるはず。
まさか自分が誰かのために物を選び、喜ぶ顔を思い浮かべるなんて。
人が一喜一憂し振り回される、美しくも愚かな感情。
今まで、無縁に思えたその感情に振り回されている自分が……悪く無いと思えた。
彼女に、この気落ちを伝えることは、決して無いだろう……。
初めから、報われる事の無い、終着点が定められた恋だった。
だからこそ、綺麗な終わりを望んでいた。
彼女が皇国から去った後も、彼女の事を思い出しては、切なく思うだろう……。
だからせめて、彼女も……この贈り物を見るたびに、自分のことを思い出してくれれば良いと思った。
その淡い期待に縋って……
そして、この贈り物を受け取った時に浮かべるだろう、彼女の笑顔を思い出に残して。
この恋の結末としては充分だ。
そう思っていた……。
そして、時間の経過とともに、いつかこの気持ちも昇華され、次に進む事が出来るだろう。
そう考えていた……。
だが、翌日に授業を控えたある日、彼女が皇城から逃げ出したと知らされた。
そして、発見された彼女は、それ以降、自室に軟禁状態となり……やがて予定通りに、竜人族の王国へ送られていった……。
一目見ることも……叶わずに……。
その髪は、夕陽に染まった茜色ではなく、晴天時の雲のように真っ白だったが……俯き加減の表情からでも分かる、その鼻梁と、唇……。
冷ややかで、剣の鋒を思わせる、どこか排他的なその雰囲気……。
それは確かに、この目に焼きついた、あの人の姿だった。
膝をおり、顔を伏せ、儀礼に則った美しい所作で挨拶する様子に、心奪われた。
感激のあまり、声をあげそうになって、思わず口を手で覆う。
返事が出来ずにいると、彼女がそっと顔を持ち上げて、戸惑うように首を傾げた。
動揺を隠すように咳払いし、心を落ち着ける……。
「目下の者に、そのように礼を尽くすことはありません」
少し、上擦った声になってしまった……。
彼女はゆっくりと姿勢をただし、安堵したような表情を浮かべ、さも当たり前のように、答えた。
「先生ですから……」
皇族の恥とされ、宮殿の隅に打ち捨てられ……浮浪児のように生きてきたと聞いたが、とてもそうは見えなかった。
彼女の慎ましやかで可憐な受け答えに魅了された。
さらに彼女の従姉にあたる皇女の、軽薄で我儘三昧な暮らしぶりを見ているからこそ……似たような身分でありながらも冷遇され、また今になって、竜の国に捨てられるように送られる不憫な境遇に、心が締め付けられた。
初めは、強い憐れみから、努めて優しく接したが……それでもこちらに甘えるような事はなく、丁寧に言葉を交わしながらも、一線が引かれている事に、次第にもどかしく感じるようになった。
そして、筆記と単語は拙いものの、理解力と考察力は素晴らしく、学ぼうとする真摯な姿勢に、教えることの歓びまで感じるようになった。
いつの間にか、彼女が言葉を発するたびに、口元に釘付けになり、目が合うと胸が高鳴った。
いつもいつまでも彼女と言葉を交わしたい。
終わるとすぐに、次の授業が待ち遠しくなった。
これは、教師が教え子に抱く気持ちではないと……気付いていた。
ある日、小鳥達の騒がしい囀りに、目を向けると、窓辺の桟の場所取りで、小競り合いが起きていた。
それを見た、彼女の口元が緩み……あの庭園で目にした時と同じ、無邪気な笑みが広がった。
瞬間、周囲の空気が煌めいた。
時間が止まったように感じたその一瞬が過ぎ、彼女がまたゆっくりと自分の手元に視線を戻すと……
いつものように、どこか物憂げな表情で、ペン先を動かした。
先程の、光を吸い込み煌めいた瞳は、俯くと……雲に覆われた太陽のように、まつげの下に隠れてしまった。
彼女の微笑みが、脳裏に焼きつき、離れない。
自分の心臓の鼓動が高鳴ると同時に、強烈な欲求が湧き上がった。
(どうかこちらを見てください……目を合わせてください。
僕にも、微笑みかけてください……)
だが、彼女はそんな思いに気付きもせず、ただ書物に目を落とし続けた。
知っている……彼女は僕を気遣うが、ただそれだけ。
自分に対して、興味を持っていない事は明らかだった。
その湖のような瞳の奥には、いつも一抹の憂愁が漂い……覗き込もうと近づけば、その瞼を閉じる。
決して、感情を晒さず、その心の内は明かさない。
今まで、女性から言い寄られることは多々あった。
少し丁寧に接しただけで勘違いされ、しつこく付き纏われる事もあり……いつしか女性に対しては慎重を期するようになった。
だが、意中の人が出来たとて、こちらが好意を向ければ、難なく、それ以上の愛で返されるだろうと思っていた。
それなのに、彼女はどれだけ自分が好意を向けても、優しく接しても、特別な存在になりたいと願っても、いつも一定の距離を保って、離れている……。
この人の前では……自尊心が削られる。
どうしたら、彼女がこちらを見てくれるのか……。
これ以上、どうしたら良いのだろう……。
日を重ねて、流麗な字体となった彼女の筆記に目を留めると、ふとその手元が気になった。
彼女の細い指には、似つかわしくない、太く黒いペン。
時折、ペンを置き、指を揉み合わせ、持ち直している様子からも、手に合わないのだろう。
授業を終えてすぐ、城下に出た。
夕暮れを迎えた馬車の中で、青いリボンのかかった、純白の箱を撫でながら……彼女の喜ぶ顔を思い浮かべた。
きっと目を合わせて、微笑んでくれるはず。
まさか自分が誰かのために物を選び、喜ぶ顔を思い浮かべるなんて。
人が一喜一憂し振り回される、美しくも愚かな感情。
今まで、無縁に思えたその感情に振り回されている自分が……悪く無いと思えた。
彼女に、この気落ちを伝えることは、決して無いだろう……。
初めから、報われる事の無い、終着点が定められた恋だった。
だからこそ、綺麗な終わりを望んでいた。
彼女が皇国から去った後も、彼女の事を思い出しては、切なく思うだろう……。
だからせめて、彼女も……この贈り物を見るたびに、自分のことを思い出してくれれば良いと思った。
その淡い期待に縋って……
そして、この贈り物を受け取った時に浮かべるだろう、彼女の笑顔を思い出に残して。
この恋の結末としては充分だ。
そう思っていた……。
そして、時間の経過とともに、いつかこの気持ちも昇華され、次に進む事が出来るだろう。
そう考えていた……。
だが、翌日に授業を控えたある日、彼女が皇城から逃げ出したと知らされた。
そして、発見された彼女は、それ以降、自室に軟禁状態となり……やがて予定通りに、竜人族の王国へ送られていった……。
一目見ることも……叶わずに……。
30
お気に入りに追加
367
あなたにおすすめの小説
【完結】たれ耳うさぎの伯爵令嬢は、王宮魔術師様のお気に入り
楠結衣
恋愛
華やかな卒業パーティーのホール、一人ため息を飲み込むソフィア。
たれ耳うさぎ獣人であり、伯爵家令嬢のソフィアは、学園の噂に悩まされていた。
婚約者のアレックスは、聖女と呼ばれる美少女と婚約をするという。そんな中、見せつけるように、揃いの色のドレスを身につけた聖女がアレックスにエスコートされてやってくる。
しかし、ソフィアがアレックスに対して不満を言うことはなかった。
なぜなら、アレックスが聖女と結婚を誓う魔術を使っているのを偶然見てしまったから。
せめて、婚約破棄される瞬間は、アレックスのお気に入りだったたれ耳が、可愛く見えるように願うソフィア。
「ソフィーの耳は、ふわふわで気持ちいいね」
「ソフィーはどれだけ僕を夢中にさせたいのかな……」
かつて掛けられた甘い言葉の数々が、ソフィアの胸を締め付ける。
執着していたアレックスの真意とは?ソフィアの初恋の行方は?!
見た目に自信のない伯爵令嬢と、伯爵令嬢のたれ耳をこよなく愛する見た目は余裕のある大人、中身はちょっぴり変態な先生兼、王宮魔術師の溺愛ハッピーエンドストーリーです。
*全16話+番外編の予定です
*あまあです(ざまあはありません)
*2023.2.9ホットランキング4位 ありがとうございます♪
心の中にあなたはいない
ゆーぞー
恋愛
姉アリーのスペアとして誕生したアニー。姉に成り代われるようにと育てられるが、アリーは何もせずアニーに全て押し付けていた。アニーの功績は全てアリーの功績とされ、周囲の人間からアニーは役立たずと思われている。そんな中アリーは事故で亡くなり、アニーも命を落とす。しかしアニーは過去に戻ったため、家から逃げ出し別の人間として生きていくことを決意する。
一方アリーとアニーの死後に真実を知ったアリーの夫ブライアンも過去に戻りアニーに接触しようとするが・・・。
あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。
ふまさ
恋愛
楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。
でも。
愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。
【完結】伯爵の愛は狂い咲く
白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。
実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。
だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。
仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ!
そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。
両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。
「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、
その渦に巻き込んでいくのだった…
アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。
異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点)
《完結しました》
もう長くは生きられないので好きに行動したら、大好きな公爵令息に溺愛されました
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユリアは、8歳の時に両親を亡くして以降、叔父に引き取られたものの、厄介者として虐げられて生きてきた。さらにこの世界では命を削る魔法と言われている、治癒魔法も長年強要され続けてきた。
そのせいで体はボロボロ、髪も真っ白になり、老婆の様な見た目になってしまったユリア。家の外にも出してもらえず、メイド以下の生活を強いられてきた。まさに、この世の地獄を味わっているユリアだが、“どんな時でも笑顔を忘れないで”という亡き母の言葉を胸に、どんなに辛くても笑顔を絶やすことはない。
そんな辛い生活の中、15歳になったユリアは貴族学院に入学する日を心待ちにしていた。なぜなら、昔自分を助けてくれた公爵令息、ブラックに会えるからだ。
「どうせもう私は長くは生きられない。それなら、ブラック様との思い出を作りたい」
そんな思いで、意気揚々と貴族学院の入学式に向かったユリア。そこで久しぶりに、ブラックとの再会を果たした。相変わらず自分に優しくしてくれるブラックに、ユリアはどんどん惹かれていく。
かつての友人達とも再開し、楽しい学院生活をスタートさせたかのように見えたのだが…
※虐げられてきたユリアが、幸せを掴むまでのお話しです。
ザ・王道シンデレラストーリーが書きたくて書いてみました。
よろしくお願いしますm(__)m
獣人の世界に落ちたら最底辺の弱者で、生きるの大変だけど保護者がイケオジで最強っぽい。
真麻一花
恋愛
私は十歳の時、獣が支配する世界へと落ちてきた。
狼の群れに襲われたところに現れたのは、一頭の巨大な狼。そのとき私は、殺されるのを覚悟した。
私を拾ったのは、獣人らしくないのに町を支配する最強の獣人だった。
なんとか生きてる。
でも、この世界で、私は最低辺の弱者。
好きな人の好きな人
ぽぽ
恋愛
"私には10年以上思い続ける初恋相手がいる。"
初恋相手に対しての執着と愛の重さは日々増していくばかりで、彼の1番近くにいれるの自分が当たり前だった。
恋人関係がなくても、隣にいれるだけで幸せ……。
そう思っていたのに、初恋相手に恋人兼婚約者がいたなんて聞いてません。
生まれ変わっても一緒にはならない
小鳥遊郁
恋愛
カイルとは幼なじみで夫婦になるのだと言われて育った。
十六歳の誕生日にカイルのアパートに訪ねると、カイルは別の女性といた。
カイルにとって私は婚約者ではなく、学費や生活費を援助してもらっている家の娘に過ぎなかった。カイルに無一文でアパートから追い出された私は、家に帰ることもできず寒いアパートの廊下に座り続けた結果、高熱で死んでしまった。
輪廻転生。
私は生まれ変わった。そして十歳の誕生日に、前の人生を思い出す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる