竜の手綱を握るには 〜不遇の姫が冷酷無情の竜王陛下の寵妃となるまで〜

hyakka

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{ 竜王編 }

36. 後悔と反省 ※

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春を迎えたとはいえ、城の地下は……吐く息まで凍てつかせるほど寒く、異様な臭気が立ち込めていた。

その昔、野蛮族との小競り合いが頻発した頃、捕虜から情報を引き出すために作られた、地下の訊問じんもん室。
訊問室とはいえ、そこで行われた手口は、語るに及ばない。
既に使用されなくなって久しいが、壁面に残された錆びた鎖と、等間隔に固定された手枷は……この城の陰惨極まる歴史を伝えていた。

だが今は……この場に似つかわしくない、小綺麗な召使服を着たひとりの女が……ほこりと染みの残る床にひざまずき……目の前に立つ、主君を見上げていた。



------侍従は、つい先日、召使長に昇格したこの女が、精人族の姫に向けた、悪意に満ちた表情を思い出した。

長身で体力のあるウォルフォ族は、旅や魔物狩りの同行者として重宝されている。
老いて引退する前任者に代わり……この女が召使長の座を勝ち得たのも、ひとえに種族の献身の賜物たまものだ。

だが、この女本人を取り巻く、暗い噂は聞き及んでいた。
種族の特性が強く出たようで、順位づけにこだわり、目下と判断すれば、高圧的に振る舞い、目上のものには尻尾を振る。
また……陛下のいく先々に、ウォルフォ族の伯爵家の令嬢が先回りして姿を現し、すり寄るのは……この者の手引きによるものではないかと疑惑があった。

周遊の出立直前に、陛下の命を受けて……『精人の姫様に、全身全霊でお仕えするように』と城内に通知を出した。
だが、陛下の寵愛を得た姫様を、敵視する者達にとっては……その通知はかえって、その敵意を増長し……悪意のある行動を煽る結果となってしまったのではないか?
召使を束ねるこの女だ……何でも出来ただろう。

あぁ……自分の考えが至らなかったせいで……姫様だけでなく、陛下まで苦しめてしまった。

半刻ほど前、衛兵が連れてきた初老の男を思い出した。
夜中に叩き起こされて、寝間着姿のまま、城下から転送装置で呼び寄せられたらしい仕立て屋に……陛下から質問が飛ぶ。

『俺は彼女のドレスの注文に際して、こう言ったはずだ。肌は隠せと……。だが、あの背中はなんだ?』

知っている。自分も横で聞いていたから。
それはおよそ2週間前、周遊に出立する前夜のことだった……。
仕立て屋を呼び、姫様のために宴席用のドレスを仕立てるよう命を出した。
陛下の注文はシンプルだった。
姫様の瞳の色の布地には、自らの瞳と同色の金糸の刺繍を。
そして極力、肌を隠すように伝えたのは……おそらく、あの姫様を衆目には晒したくないという気持ちの表れだったのではないか。
妹を真似して「ルミリーナ様」と一度だけ、陛下の前で呼んでみたところ……締め殺されそうなほど睨まれたのだ。
尋常じゃない姫様への独占欲……。

そして、仕立て屋に、希望のモチーフはあるか聞かれた時、一瞬考え込んで、まるで何かを思い出したかのように優しい微笑みを浮かべ 『蝶』 と答えた……。

それなのに……

「め、め、召使長様が、改めて、ドレスの仕様の変更書をお持ちになられましたっ!
ゎゎゎ私は、ですので、ですので、そのように仕立てました。ど、ど、どうかお許しください~」

仕立て屋は、悲鳴に近い声を上げながら、小刻みに身体を震わした。
目の前の若き竜王は、この男を斬ったところで、何の咎めを受けることもなく、またその心に何の罪悪感も抱かないことは万人の知るところだ。

だが……ただ沈黙のまま、暗い表情を浮かべ、手を振り払い、去れと命じた。


『彼女の傷跡を知っていたな。……あのドレスはお前の計略だろう』

憂いを帯びた、暗い声が訊問室に響いた。
女は身体を震わしながら、両手の平を重ね、許しを乞うように陛下を見上げた。

「あ、あ、あの女は………陛下を騙しているのです!
前国王陛下の夜伽の準備の時です! その時にあの醜い傷跡を見つけました!
あ、あれは、皇国で罪人への罰として行うものです!
あの娘は、処刑される代わりにこちらへ送り込まれたのです!
どうか、どうか、目をお覚ましください!
陛下には、もっとふさわしい方がいらっしゃいます。
どうか、どうかお聞き入れください……」

平伏し、懇願する。

『お前如きが……私の最愛の存在を、そのように侮辱するのか……』

恐ろしいほどの沈黙が流れる。



------跪くその女を見下ろしながら……男は深く後悔し、反省していた。

あえて、傷跡をさらけ出すように仕立てられた、あの悪意のある、ドレス。
彼女の傷を知っていた何者かが、策略で貶めようとしたことは紛れもなかった。

俺からの贈り物として、喜んでくれているものと思っていたのに……きっと、辛かっただろう。
控えの間でルミを出迎えた時、あまりに眩しくて、美しくて、考えが及ばなかった。
よく見れば、まるで取って付けたような急拵えの覆い布に、今は、はっきりと違和感を感じる。

自分の注意が足りぬばかりに、このような愚か者のつけ入る隙を生んでしまった……。
救いようのない浅はかな自分が嫌になる……。
ルミは、何も語らない……俺は何も悟れない……。
ただ慰め、愛を伝えるしかできない。

過去も現在いまも、彼女を取り巻き、傷を負わせる者たちが……憎くて、憎くてたまらない。
ルミ、守れなくて、すまなかった…………。



------侍従は、何が起きたのか分からなかった。

何かが目の前の二人の間を、横切ったように見えたその瞬間……
床に平伏していた女が、跳ねるようにその身体を大きく後ろに逸らした。

蒼白な顔で、主君を見上げ……左腕を抑えた女は……
いや、女が抑えているその部分には……あるはずの腕がなかった。

「あっ、あっ」
女が声にならない嗚咽をあげる。

跪く女のその陰に、その片腕が転がっていた。
女の腕の切り口からは、血が流れることもなく……ただブクブクと魔素が黒く泡立っていた。

「ああああああああああああ」

絶叫が空気を切り裂いた。

陛下の手には、いつの間にか魔素で具現化された魔剣が握られていた。
その剣は黒々とした魔素を放ちながら、濡羽色に輝いた。

竜人族以外の者が魔剣で傷を負うと……魔素がその切り口の細胞を、喰らうように侵食していく。
精人族の能力でしても完全な治癒は困難だ。
……やがて、そこに留まった魔素が消えるまで、想像を絶する痛みが延々と襲いかかり、死を懇願するほど苦しむと聞く。

『次は舌か、残った腕か……どちらを選ぶ』

主君は何の躊躇いもなく、剣先を女に向けた。
その途端、女は口端に泡を吹き、失神した……。

その手元から、空気に溶けるように魔剣が消えていく。
実体の剣を必要とせず、魔素だけでここまで精度の高い魔剣を具現化することができるのは、カイラス様だけだ。

幼い頃から、時に横暴さを隠しもせず、その超越的な力で、周囲の者を従えてきた。
姫様を愛し、僅かに変化したと感じたのは、全くの思い違いであった。
元来、人を寄せ付けない、感情を見せない、冷徹な方だった。
姫様ただ一人だけに向けられた、陛下の新たな一面は、その本来の性質に何ひとつ影響を及ぼしていなかった。

召使長の愚かな企ては、陛下の独裁的で残虐な一面をあらわにし、姫様への執着心を深めただけだった。

『ソレは、召使どもの寝所に吊るしておけ。
今後、彼女に無礼を働いた者は、これ以上の罰を受け死ぬと、城の者全員に伝えろ』

侍従は、後ろ手に、震える腕を押さえつけながら、言葉を絞り出した。

「承知いたしました!」
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