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{ 竜王編 }

29. カイラスside.危うい関係

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温室に彼女の足音が小さく響く。
いつもよりゆっくりとした歩みで、時折、立ち止まる……。
その足音が近づくに伴い、早くなる鼓動を落ち着かせようと……足並みに合わせるように、呼吸を整える。
すぐ側で立ちどまる気配を感じた。
だが昨夜から自分をさいなむ、彼女を哀れたらしめる様々な想像が頭によぎり……振り返ることが出来なかった。

足元に、影がさし……俯く視線の先で、宝石に縁取られた小さく華麗な靴が動きを止める。
顔を上げると、そこには、非の打ちどころのない所作で、ゆっくりとお辞儀をする彼女がいた。
伏し目がちでも分かる、歓びに満ちた明るい瞳……。
僅かにこちらを見あげると、その口元に優しい微笑みが広がった。

途端、重く沈んでいた気持ちは……急浮上した。

おそらく今朝、彼女に届けられたのだろう、その贈り物。
丁寧に礼を述べる彼女に魅入りながらも……激しく心は揺さぶられ、動揺し、興奮する。

(綺麗だ。可愛い。愛してる)

彼女に出会うまでの人生で、一度も発したことのないような言葉が、次々と頭に浮かぶ。
それらの言葉を、思う存分彼女に浴びせ、その欲求のままに彼女に触れたい。
だが……必死に心を落ち着かせ、言葉を絞り出す。

『あぁ。……よく似合っている』

淡い黄色のドレスが、体の線に沿って流れるように美しい曲線を描いていた。
胸元には細工の施された氷晶石が輝きを放っていた。

だが、何よりも、彼女の凛とした、美しい佇まいに見惚れた……。
こちらに穏やかな視線を送り、目を細め、その顔に微笑をたたえて……。
思わず目を逸らしてしまった。
眩しく感じるほどの彼女の笑顔に照らされて、自分の心に生じた影までも見透かされ、その光に溶けていくようだった。

彼女は、洗練された優美な動きで、侍従がひいた椅子に浅く腰掛けた。

心の中で彼女を貶めたのは、誰でもない、この俺だ。
彼女を惨めな存在だと決めつけ、勝手な推測をして、哀れな像を作り上げた。
そんな自分に嫌悪感を抱く。

例え、彼女が過去にどれだけ辛い経験をしたとして、いま目の前にいる『ルミ』は今まで目にしたどんな女性より清廉としていた。
彼女の過去に思いを馳せ、捕らわれて、目の前の彼女を見ようとしなかった。
共に食事をとるようになった頃……常に自信なさげに項垂うなだれていたが、その時でさえ、いつも思いやりに満ちた声で、一言一言、誠意のこもった言葉を紡いでいた。

哀れな境遇は、ルミの根本的な芯の強さを揺るがすことは無かったのだろう。
弱々しく、儚げに見えた彼女が……今は思いやりに満ちた女神のように感じる。

昨夜は、いっそ、この機に離れれば、少しは彼女に対する熱も冷めるのではないか……と思ったが、そんな事は不可能だ。
周遊先で、彼女を想い、どれだけ欲するか……考えるだけでも苦しくなった。
そして、自分がいない間に、彼女の中で自分の存在が薄れてしまうのではないかと、恐ろしかった。

その時、ふと、こちらに何か話しかけようとする彼女の様子に気づいた。

「あ、あの、な、何か無礼がありましたでしょうか……」

震える声で、不安げに口にしたその言葉に、打ちのめされる。
未だ、彼女がその瞳に恐怖の色を浮かべて、こちらの機嫌や表情を伺うようなそぶりを見せる。
その事実に愕然とする。

(なぜ伝わらない? 俺がお前にどれだけ心囚われているか……。
お前のためならどんな事でもしてやれるのに。なぜそれが分からない?!)

『そんなことはない。いちいち気にするな』

感情のままに発した否定の言葉が、彼女を傷つけることは予測できた。
だが辛かった。そのような態度を目の当たりにするたび、心が打ちひしがれる。
意図せず、激しく心を揺さぶり打ちのめす彼女を、憎み突き放すことが出来たら、どれだけ楽か……。

薄氷の上に立つ、彼女と自分の危うい関係を、まざまざと実感した。
何より先ずは、彼女の信頼を得なければいけない。
突然去ってしまえば、彼女は蔑ろにされたと感じるかもしれない。
明日、出立することを伝えなければ……。

少量の果実を食べ終え、フォークを皿に置き、俯きじっとしている彼女。

『少し歩かないか?』

立ち上がり、手を差し出すと……戸惑いながらも、その手の平を重ねてくれた。
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