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{ 竜王編 }

27. カイラスside.その感情は

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彼女の瞳が色を失う。

激変していく彼女の様相に、呆気にとられ……見守るしかできなかった。
落ち着きを無くし、呼吸を乱し……喘ぐように語ったその内容はとても信じられないものだった。

数字だと?数字で呼ばれることが普通なのか?
いや、少なくとも、宴席で目にした皇女は名を呼ばれていた。

先程とは一転して、恥入るように身を縮め、僅かに肩を振るわせる彼女は……今にも泣き出しそうだった。
その肩を抱きしめたい……強い衝動に襲われたが、自分を押さえ込むように、椅子に背中を押し付けた。

(なぜだ? お前は一体なんなんだ?? お前をそこまで苦しめ、追い込む程の、何があった?)

目の前で、項垂れる娘の……その憐れな姿と、その背景にあるだろう不遇な人生に想いを馳せると……ひどく暗い感情が湧き上がった。
向けるべき対象の分からぬまま、湧き上がった憎悪が……沼のように、自身を捉え、沈めていく。
問い詰めたい気持ちを、必死に抑え込んだ。

ここで問えば、苦しむ彼女に追い打ちをかけることになるだろう。

何も言えず、何も出来ず……ただいきどおるしかない自分が情けない。
彼女の前では自分がどれだけ無力な存在か、嫌というほど思い知らされる。

この場の雰囲気を変えようと…
謝るように、自身の名を口にした。

『カイラスだ』

彼女の瞳が揺れる。

「えっ?!」
「あ、あのっ」
『どうした?』
「も、申し訳ございません。竜王様」

謝らせるつもりなどない。
この者の声を……ただただ聞いていたいだけだ。
近づいたように感じても、小さなきっかけで、また離れていく。
もっと、もっとこの娘に近づきたい。

『カイラスだ』
「カ、カイラス様……」
小さな水滴が、大きな波紋を広げるように……胸の中に暖かなものが広がる。
自分の名前を彼女が口にした、たったそれだけの事で、救われたような気持ちになる。

動揺を隠すように、咳払いし、彼女に目をやると、俯きながらケーキの切れ端を口に運んでいた。
未だに手が小刻みに震えている。
彼女が囚われているだろうその哀れな感情。
なんとか払拭してやりたい。

『名がないと不便だ。
何か希望の呼び名はあるか?』

「あっ……。
いえ、特には……」

『生まれはいつだ?』

「……冬です」

唐突に、頭に浮かんだその名前。
確かめるように、幾度も頭で反芻し……そして、彼女に語りかけた。

『ルミ……古の言葉で、雪のことを表す言葉だ。
ルミリーナ…… 冬の訪れを告げる、初雪はつゆきを表す。
……美しい言葉だと思う』

彼女は困惑したような、驚いたような表情を浮かべ、微動だにせずこちらを見つめている。
彼女を困らせてしまったかもしれない……。

幼い頃、母によく読んでもらった童話に出てきた冬の妖精。
深い雪に閉ざされて、冬が終わらぬ国を救うため……ある若者が妖精を探して旅をする。
魔物にさらわれ、深い森にとらわれていたその妖精。
結末がどうだったかはもう覚えていないが、母の名前の響きに似たその妖精が、好きだった。

『嫌か…?』


「い、嫌ではありません」

目が合い、慌てたようにそう言い切ると、また俯いた。
表情は伺えないが……唐突に響いた明るいその声は、彼女を取り巻く空気に、輝きを与えた。

『では、これからこの国では、ルミリーナと名乗るといい。
私はルミと呼ばせてもらおう』

相変わらず顔を赤く染め上げた彼女だったが、先程のようにひどく恥入り怯える様子はない。

初めてこの娘を目にした時は、達観し大人びた様相に強く惹きつけられたが……謁見以降、こちらの様子を伺い、戸惑い怯える彼女は、些細な事で砕け散ってしまいそうなほど弱々しく見えた。

まるで幼い少女のような、全てを見透かす神のような、その時々で大きく印象が変わる不思議な娘……気になって歳を聞いた。


「へっ?」


(へっ??)


「……おそらく……18かと」


(おそらく??)

ポカンと口を開け、まるで無垢な幼子のような返答をする娘に……
堪えきれず笑い声を立ててしまう。

成人を迎えた娘とは思えないような、あどけない表情で……だが、そんな娘に、こうも翻弄される自分が滑稽で、可笑しくて。

そして、先程まで、暗鬱な雰囲気を醸していた娘が、一転して、どこか間の抜けた、明るい表情を向けて来たことに……肩の荷が降りたように安堵した。

ふと思う。母がなくなって以来、こんなに声を出して笑うことはあっただろうか。
これまで長く、自分の感情を縛りつけてきたたがが……この瞬間、外れたように感じた。

彼女を眺める。
眉を下げ困り顔で、澄んだ湖面のような瞳を自分に向けている。

おそらく一切意図せず、こちらの感情を揺さぶり翻弄するこの娘……
微笑めば気持ちが満たされ、悲しめば身体が引きちぎられるような気持ちになる。

この感情について、もう認めざるをえないだろう。
愚かだとバカにして、自分には一切関係のないものだと思っていたその感情。

自覚すると、途端に胸が早鐘を打つ。
彼女に何気なく話しかけながらも……徐々に一つの想いが、大波のように打ち寄せ、全身を支配する。
感情の昂りが制御できず、目頭が熱くなり、戸惑う。
彼女には、自分の無様な姿は見せたくない。

『ゆっくりしていくといい』

そう言い席を立ち、背を向けた瞬間、堪えきれず頬に熱いものが伝う。
もうこの感情を無視するつもりも、秘めるつもりも無い。
自分の心の中だけではとても抑えきれない、自分を支配して揺さぶり苦しめるこの感情。

彼女にも、この感情を抱かせたい。
彼女にとっての唯一の特別な存在になりたい。
なんとしても。

そう決めてからは、全てが簡単だった。
彼女が喜ぶことだけを考えて行動した。

翌日もその翌日も、彼女を見ているだけで、心が満たされて自然に顔が綻んだ。

そして、いったい何が彼女にその様な変化をもたらしたかは分からないが……心を開いたように、優しく笑みを浮かべ、穏やかな眼差しをこちらに向ける彼女。

思う存分、彼女の頬や髪に触れたい……。

少し考えて、自身の口元を指でつついた。
期待通りに勘違いした彼女は、顔を赤くし、慌ててナプキンで口元をこする。

『そっちじゃない』
手を伸ばし、彼女の唇に指先を添え、そっとなぞる。
想像していたより滑らかで柔らかな感触に驚き、指先が僅かに震える。

彼女が戸惑うように、こちらを見ている。
長く見つめ返せば、またいつものように俯くだろう。
そうして欲しくはなかった。

無造作にスプーンで菓子をすくい、彼女の口元に差し出した。

『ルミ、これも食べてみるといい』

彼女の顔がみるみる赤味を帯びる。

しばらくスプーンとこちらの顔を交互に見ながら……ようやく決心がついたようだ。
熟した果実のような唇が小さく開き、スプーンの先を咥えた。

静かな興奮が広がり、徐々に血が沸き立つように、身体が熱くなった。

「……美味しいです」

そう呟いて、目を伏せた彼女。
心の内で、ひとつの言葉が湧き上がった。

(……愛してる)

生まれて初めて、理解した……その言葉の意味。
一滴一滴、確実に心に溜まり、限界を超えあふれたその想いは……
とどまる事なく流れ落ち、身体を満たしていった。
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