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{ 竜王編 }

22. 侍従は決心する

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竜王の侍従は、精人の姫に付き添い歩き、たわいも無いお喋りに興じながら……そっとその横顔に目をやった。

どこか浮世離れした不思議な雰囲気を纏う……精人族の姫。
だが、それだけではない……俯き、言葉少なく、内気に見えるこの姫は……我らが偉大な主君である竜王の前に立ち、まるでただの人と相対するように接することができる、数少ない人物だ。

精人族の宝物が運び込まれる中、先頭でただ一人臆することなく歩を進めていたこの少女は……
夕暮れと燭台の灯りで黄金色に染められた広間の中で……ただその存在だけが染まることなく、白く浮き上がって見えたのを覚えている。
まるで、予想していた精人の姫とは違う……得体の知れない異質な少女に投げかけられた「不具者」という言葉は言い得て妙だった。
だが、あの時披露された舞は……皇国から贈られたこの少女が、紛れもない姫であり、神の子孫として敬われるべき存在であることを、明確に示した。

今また、謁見時と同じように、滑るように歩を進める少女は、どこか危うげで……ふとした拍子に倒れ砕け散ってしまいそうな、そんな不安な気分にさせる……。

精人族の女とも、どの種族とも違う……何かが、根本的に違うのだ。
時折、説明のしようも無い、得体の知れない気持ち悪さも感じる……。

だが……付き纏う女性全てに害虫を見るような目を向ける、あのカイラス様が……心を傾け、歓心を得ようとする。

4日前、温室の椅子に腰掛けた姫と、ユリスの入った花籠を目にした時の、戦慄が蘇った。
無断で温室に立ち入り……ましてやユリスの花を切っていた。
あの場で殺されていてもおかしくは無かった。

立ち入りが厳しく制限される温室は……カイラス様の亡き母上が、構想から設計まで携わり、生涯をかけて慈しみ育《はぐく》んだものだと聞いている。
大陸中、果ては野蛮族の住む未開の地から集められた貴重な植物。
中には、大金をはたいても手に入らないほど貴重で高価なユリスの花もある。
その花を、切ってしまうなんて……。
他の者であれば、問答無用で斬り殺され、命が助かっても五体満足ではいられなかっただろう。

妹は、見合い話を進めるため、領地に戻り、不在にしているはずだったが……
一歩間違えば妹にまで火の粉が飛ぶ。あの瞬間はまるで生きた心地がしなかった。

人の侵入を防ぐために、出入り口の扉は目立たぬよう設計されている。
偶然立ち入ったわけではないだろうと思っていたが……醜悪な顔で姫を睨みつけた、あの召使を思い出す。

「姫様、こちらに住まわれていかがですか?何かご不便はございませんか?」

「いえ……。特には……」

こちらを見上げた姫は、どこかぼんやりとした、あどけない表情を浮かべている。

「お気遣いいただいて……ありがとうございます。セディン様」

そう言うと、その目尻が下がり、口元に柔らかな微笑みが広がった。

「さ、さまは……つけないでください」

カイラス様との食事の席では決して見せることの無かった、屈託のない笑顔にどきりとする。
背徳感でジワリと汗が滲む。


ここ連日続く、カイラス様と姫との午餐……。
甘い物など、目にするのも不快でしかないはずの主君が、この姫のために……あんな指示を出すなんて。

『急ぎデザートを用意しろ。豪華にな』

あの日すぐにお出しできる菓子などはなく……
転送魔具で城下にとび、一番人気のパティスリーで急遽買い揃えてきたのだ。
また、姫のための翌日の食事のリクエストなどは、料理長も命懸けだったろう……。

『新鮮な魚介類を用いた料理を用意しろ。酸味のあるものが好みのようだ。見た目にもよく注意するように料理長に伝えろ』

姫に話しかける声とは違う、いつもの鋭く冷たい声音で、無理難題を命令する。

海から遠く離れた内陸に位置するこの地域には、新鮮な魚などあるはずもない。
畜産や狩りで、あらゆる極上の肉が簡単に入手できる地だ……わざわざ魚など食べる必要がないのだ。
城で唯一、魚料理の経験のある料理人が、出身地の北海まで転送移動し、仕入れた魚介類。転送魔具の消耗も著しい。

宝石箱のように美しい一皿は、まさに宝石と同様の価値がある魔具をいくつも消耗し、作られていることを……この姫は知らないだろう。

おまけに、遮音の魔具まで使用するとは……。
本来であれば、魔物の討伐時に、足音を気取られないよう使用されるものだ。
それが、まさか……この姫との会話に邪魔な滝音を消すために使われるなんて……。

どの魔具も、込められた神性が尽きれば魔石も壊れ使用できなくなる。
魔具自体は……精人の技術と神性なしには作りえない。
それだけが、竜人族が精人族と対等な関係を結んでいる理由だ。
だが、魔具を得る対価として……その倍の魔瘴石を精人に提供することに納得しない輩も多い。
魔瘴石を魔物の体内から取り出すのは、熟練した魔素のコントロールが必要であり、危険を伴う。
そのため、竜人族の犠牲の上に成り立つ魔具の使用に、異を唱える者も多いのだ……。

それなのに、まさか精人族の姫のためだけに、貴重な魔具をこうも沢山消耗することになるなんて……。
このことが広まれば、カイラス様の王としての資質を問う者が出てくるかもしれない。
まぁ、カイラス様は、そんな者の事など気にも留めないだろうが……。

姫に向けられた、主君の微笑みを思い出す。

王家の血筋の、呪いのようなさがは、物語にもなる程有名で、大陸中のものが知っている。
竜人族の新たな王に、その対象が出来たと……今頃は城外にも噂が広がっているだろう。


そんな事を考えるうちに、姫の部屋の前に着いた……。
ドアを開けると、姫の専属侍女であるハンナが、満面の笑みで姫を出迎えた。

(はぁ、妹よ。お前もか……)

兄の存在に気づきもせず……嬉しそうに姫に話しかけるハンナ。
先程、カイラス様に、姫を部屋まで送り届ける役目を願い出たのは……帰城したであろう妹に会うためでもあった。
願い出た瞬間、重く暗い瞳で睨みつけられて……許しを乞うように理由を述べてまで姫に付き添い、会いに来たのに……。
最後まで、兄である自分の存在など気にも留めず、楽しげに姫に話しかけながら、後手に扉を閉められたのだから……たまったものではない。

妹まで、たった数日のうちにすっかり精人の姫に魅せられていた。
魅了の力でもあるのだろうか?ふと疑念が湧く。

数日前、姫との午餐の席で見た、声を立てて笑う主君の姿を思い出す。
これまで、カイラス様の心許せる存在になれるよう、努力してきたのだ……。
結果、一番の側近として、また一番の理解者としての立ち位置を確立した……そう思っていたのに……。
自分にも向けられたことのない、いや、今まで見たことすらないカイラス様の笑顔と、穏やかな声。
姫に対して、僅かに嫉妬心が芽生えたのも事実だ。

だが、カイラス様にこのような一面が芽生えたこと自体は……非常に嬉しい。
冷徹で無関心で、気に食わない相手には平気で残虐に振る舞う。

それがたった一人の女性に……あのように執着し、その気持ちを隠そうともせず慈しむ。
だが、あの姫は……戸惑い、身をすくめるばかりで……何を考えているのか分からない。
あの姫は、カイラス様の気持ちを受け止め切れるだろうか……芽生えた僅かな不安と心配を拭うように、首を振った。

カイラス様の意向に沿うことが自分の使命であり、歓びだ。
姫が、カイラス様の気持ちに応え、カイラス様も姫にとっての至上となる。
それが今の最優先事項であり、その為に自分が出来る事があるはずだ。
妹にも話しておこう。2人で協力すれば、よりうまくいくだろうから……。

そう決意すると、使命感に胸が高鳴った。

まずは、姫様について気になっていた事をカイラス様に進言しよう!

侍従は期待を胸に……心から敬愛する、主君の部屋の扉をノックした。
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