竜の手綱を握るには 〜不遇の姫が冷酷無情の竜王陛下の寵妃となるまで〜

hyakka

文字の大きさ
上 下
21 / 69
{ 竜王編 }

21. 私の名は……

しおりを挟む
『名はなんという?』

突然の問いかけに、冷や汗が背中を伝う。
何か答えなければと考えれば考えるほど、呼吸が乱れる。

竜王が、いぶかしげに目を細める。

「……あ、あの!……名はありません。母も父も、産まれてすぐに亡くなってしまったので。あっ、でも!……幼い頃、近いもの(召使)からは『ロク』と呼ばれておりました。前代の皇帝の、六番目の孫だったので……」

(他にも、罪の子とか、穢れた子とか、皇城のウジ虫とか言われていたけれど……それは名前とは言えないはず)

つい何か答えなければと、焦ったあまり……無様な事実を話してしまった。
適当な名前や、せめて前世の名前で嘘をついた方が良かったのかもしれない。
自分の支離滅裂な返答を思い返し、後悔するが、手遅れだ……。
まともに竜王の顔が見れない。

恐る恐る顔を挙げると、不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、私をじっと見つめる目と目があう。

またあの顔だ……。
謁見の時にも見せた、非難するような、何か堪えるような、あの表情。
支援軍の対価として送られてきた精人の姫が、名前もない、無価値な者だとバレて……いい気がするわけがない。
竜王は、小さく咳払いし口を開いた。

『そうか』

『私は…カイラスだ』

「えっ?!」

「あ、あのっ……」

『どうした?』

「も、申し訳ございません。竜王様……」

『カイラスだ。』

「カ、カイラス様……」

そう呼ぶと、竜王はまた咳払いをしながら、足をおもむろに組み替えた。

『謝ることなど何もない』

無言で紅茶を飲み進める様子に、私も顔を伏せてケーキをつつく。

気まずいまま何分経ったか分からない……。
ケーキの最後の一口を口に運んだ時だった。

『名がないと不便だ。何か希望の呼び名はあるか?』

まるで、先程の私の失態など我関せずのように、ただ穏やかに問いかけられたその質問に、虚をつかれた。

「あっ……。いえ……特には」

『生まれはいつだ?』

昨年の、成人の儀を思い出す。
皇族の18歳の誕生日に、大神殿で祖先からの祝福を受けるために執り行われる伝統的な儀式だが……竜の国に送られる予定がなければ、私などはその儀式さえ受けさせては貰えなかっただろう。
そしてその時初めて……自分が真冬に生まれた子だと知った。

「……冬です」

竜王は……何かに想いを馳せるように、遠くを見た。
一瞬目を閉じると、どこか悩ましげな瞳をこちらに向け、口を開いた。

『…………ルミ。古の言葉で、雪のことを表す言葉だ。
ルミリーナ……冬の訪れを告げる、初雪はつゆきを表す。
……美しい言葉だと思う』


「…………」

沈黙の後、竜王の口から、詩を詠むように紡がれたその言葉に……心を奪われて、返事ができなかった。

『嫌か…?』

竜王が私を見つめる。
思わず目を逸らして、俯いてしまう。

「い、嫌ではありません!」

上目遣いで見上げると、竜王が少し微笑んだように見えた。

『では、これからこの国では、ルミリーナと名乗るといい。私はルミと呼ばせてもらおう……』

落ち着いた静かな声で、そう告げられた。


『歳は?』

「へっ?」
また予想外の質問に驚いてしまう。

「おそらく……18かと」

『クッ……ハハッ』

「?!」

竜王が、笑った?
あまりに突然の事態に、唖然として見つめてしまう。

『プッ、ハハッ……ハハハ! ルミ! お前はお前のことを良く知らないのだな! もっと幼いのかと思ったが……良かった』

竜王は、先程の不機嫌な様相とは打って変わって……無邪気な笑みを浮かべ、愉しげにこちらを見返す。
一般より小柄な方であることは自覚しているが……そんなに幼く見えたのだろうか?良かったって、どういう事?

『もっと食べろ。そして大きくなるといい……』

よほど面白かったのだろうか、まだその言葉尻に笑いを含む。

『はぁルミ……笑わせてもらったよ……』

そのままじっと自分の事を見つめ続ける竜王に、どう返事をして良いかも分からず……ただ時折伺うように目と目を合わせていると……突然、竜王が顔を逸らし立ち上がった。

『ゆっくりしていくといい』

そう言い残すと、踵を返し立ち去った。
最後までこちらを振り返る事もなく……。

後にひとり残され、ボーッと滝を眺めながら……
「ルミリーナ」
そう小さく言葉にした途端、胸がきゅうっと締め付けられた。

2度目の人生では、生まれてからずっと、名前のない人生を送ってきた。
竜の国に送られることが決まってからでさえ「姫様」「お前」「アイツ」などと呼ばれていた。
誰もが、私の正式な名前がないことに、違和感なく過ごす。
その理由は、小説の中での私の存在が……名前さえ記されないまま斬り殺され命を落とした端役だから。
小説の中でも、現実でも、名前を呼ぶ価値さえない存在だから……そう思っていたのに。

『ルミリーナ……冬の訪れを告げる、初雪を表す。……美しい言葉だと思う』

そう言いながら、懐かしむような目をした竜王の……穏やかな顔が蘇る。

私を殺すはずの竜王が……私に名前を与えてくれた。
まるで、今ようやくこの世界に、自分の存在を認められたような……生きることを許されたような……。

前世の記憶が蘇ってからは、ずっと胸に杭が打たれたようだった。
その杭が、今抜かれ……代わりに温かな何かが満ちていくようだった。

この物語で死ぬしかないと思っていた私の運命が変わったのだ。
その確信が……次第に大きな歓びとなり、全身を満たす。

人は嬉しくて涙することがある……知ってはいても、自分の人生でそんなことが起こるとは思ってもいなかった。

部屋に戻ってからも、その名前を、心の中で何度も何度も繰り返した。



----------


いったいこれは、なんのご褒美なのだろう……。
無価値で無様な精人の姫だと、もう分かっているはずなのに……無下に扱われる事も覚悟していたのに……。
竜王との食事は4日目を迎え……素晴らしいもてなしが続く。

『ルミ、その果物が好きなのか』

『ルミ、この菓子は新作だそうだ』

口数は多くないが……話しかけられる際には、必ず名前を呼んでくれる。


『ルミ』
呼ばれて顔を上げる。
竜王が、口元を指差す。
(あっ)
慌てて膝上のナプキンを手に取り、自分の口元を拭う。
「そっちじゃない」
流れるように手が伸び、口元にその指先が触れると……ゆっくりと、唇に沿って撫でられた。
あまりに突然のことに驚き、心臓が爆発する。

竜王は何のことはない、落ち着き払った様子のまま……スプーンを手に取りムースを掬い取ると、今度はそれを迷いもなく私の口元にさし出した。

『ルミ、これも食べてみるといい……』

先程かろうじて破裂は免れたものの……経験した事がないほど、激しく早鐘を打つこの心臓の音が……
どうか竜王に聞こえていませんように……そう願いながら……目の前のスプーンを、思い切って口に入れた。
花の香りのゼリーと、柔らかなムースが口の中でとろけていく。

何か言わなければと、慌てて飲み込んで……言葉を絞り出した。

「美味しいです……」

耳まで赤くなっているだろう自分を想像すると、机の下に潜り込みたくなる。
これではまるで、餌付けされているような……。

命の危険を感じることも、恐怖心に駆られる事もない……竜王とののどかな食事を終えて部屋に戻ると、ハンナが満面の笑みで迎えてくれた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

「白い結婚の終幕:冷たい約束と偽りの愛」

ゆる
恋愛
「白い結婚――それは幸福ではなく、冷たく縛られた契約だった。」 美しい名門貴族リュミエール家の娘アスカは、公爵家の若き当主レイヴンと政略結婚することになる。しかし、それは夫婦の絆など存在しない“白い結婚”だった。 夫のレイヴンは冷たく、長く屋敷を不在にし、アスカは孤独の中で公爵家の実態を知る――それは、先代から続く莫大な負債と、怪しい商会との闇契約によって破綻寸前に追い込まれた家だったのだ。 さらに、公爵家には謎めいた愛人セシリアが入り込み、家中の権力を掌握しようと暗躍している。使用人たちの不安、アーヴィング商会の差し押さえ圧力、そして消えた夫レイヴンの意図……。次々と押し寄せる困難の中、アスカはただの「飾りの夫人」として終わる人生を拒絶し、自ら未来を切り拓こうと動き始める。 政略結婚の檻の中で、彼女は周囲の陰謀に立ち向かい、少しずつ真実を掴んでいく。そして冷たく突き放していた夫レイヴンとの関係も、思わぬ形で変化していき――。 「私はもう誰の人形にもならない。自分の意志で、この家も未来も守り抜いてみせる!」 果たしてアスカは“白い結婚”という名の冷たい鎖を断ち切り、全てをざまあと思わせる大逆転を成し遂げられるのか?

42番目の妾妃は宮廷専属調香師

甘糖むい
恋愛
孤児の少女・テテは、村では親のない子供として肩身が狭く、ついには皇帝への献上品として都へ送られることになる。 皇帝の妾妃となったテテ。 だが、42番目の妃という立場は限りなく低く、宮廷内での扱いは召使いと変わらない物だった。 そんなテテが侍女のふりをして1人気ままに生活していた時に見つけたのは、宮廷の隅でボロ屋となった調香室だった。 少しずつテテの腕が噂になり、それは帝弟、ジェルヴェの元にまで届いてしまい……

親切なミザリー

みるみる
恋愛
第一王子アポロの婚約者ミザリーは、「親切なミザリー」としてまわりから慕われていました。 ところが、子爵家令嬢のアリスと偶然出会ってしまったアポロはアリスを好きになってしまい、ミザリーを蔑ろにするようになりました。アポロだけでなく、アポロのまわりの友人達もアリスを慕うようになりました。 ミザリーはアリスに嫉妬し、様々な嫌がらせをアリスにする様になりました。 こうしてミザリーは、いつしか親切なミザリーから悪女ミザリーへと変貌したのでした。 ‥ですが、ミザリーの突然の死後、何故か再びミザリーの評価は上がり、「親切なミザリー」として人々に慕われるようになり、ミザリーが死後海に投げ落とされたという崖の上には沢山の花が、毎日絶やされる事なく人々により捧げられ続けるのでした。 ※不定期更新です。

麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。

スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」 伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。 そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。 ──あの、王子様……何故睨むんですか? 人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ! ◇◆◇ 無断転載・転用禁止。 Do not repost.

旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。

アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。 今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。 私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。 これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

処理中です...