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{ 竜王編 }

20. 再び……

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部屋に戻る途中、竜王の側に控えていた男性が遠慮がちに話しかけてきた。
正確には、従者ではなく侍従で……名前はセディン。ハンナの兄であることが分かりとても驚いた。
でもどうりで!人懐こい笑顔がハンナにそっくりだ。
竜王の侍従というから、もっと生真面目な人かと思ったが……部屋へ着くまでの短い間に、ハンナ以上のおしゃべり好きだと分かった。

部屋に着くと、あの年配の召使は驚いた顔で私たちを出迎えた。
籠を渡すと、中の花を確認して、非難の混じったような顔で見返してきた。
セディンに何か物申そうとしていたが……先程までの和気藹々わきあいあいとした様相とは打って変わって、召使に対して無口な彼の態度に、やはり思い直したように諦めて……今度はまるで親の仇のように憎々しげに私を睨む。

(やはり私のことが嫌いなのね。何か気に食わなかったのかしら)

ソファに腰を下ろす。
温室の花の甘い香り……柔らかな椅子の座り心地を思い出す。
少し未練が残るが、もう2度と温室に立ち入るつもりはない。
召使は、無言で部屋を出ていったあと、いつまで経っても戻ってくることはなかった。
ユリスは水切りして、花瓶に挿した。

翌朝も、召使が来ることは無かった。
呼び鈴を鳴らしても反応がない。

昨日の昼はとても豪華だったが、あの時から24時間近く何も口にしていない。
流石にお腹が空いてきた。このままでは昼も抜くことになるだろう。
だが思い直してみると、大した問題では無かった。
(ハンナが帰ってくるまであと3日くらいかしら?耐えられるわ。皇国では……絶食の最長記録は4日だった)
空腹に耐える事には慣れていた。出来るだけ動かずソファに横たわりながら……何度目かの空腹の波と戦っていたとき、扉を叩く音がした。
まさかと思い、期待を込めて返事をすると……現れたのは、あの召使ではなく、見慣れない騎士だった。

騎士は腑に落ちない顔をしながら、部屋を見回した。
「午餐の準備が整いましたので、お越しください」
嬉しくて、ソファから立ち上がり、騎士に駆け寄る。

「ありがとうございます。では、ご案内ください」
そう返事すると、騎士は、私のことを上から下まで眺め回した。
何か言いたそうな騎士に、首を傾げたが……騎士はそれ以上言葉を発する事もなく、共に部屋を後にした。

てっきり食堂に案内されると思ったのに……騎士の進む道順に、嫌な予感がする。
そしてその予感は、壁に塗り込まれたように存在感のない扉の前に来て、確信に変わった。

中に入ると昨日と全く変わらない光景が広がる。
眩しいほどの緑と、極彩色の花々の甘い香り。
小径を進み、大岩を曲がると、そこだけがまるで昨日とは違う様相を呈していた。
昨日まで、四方形の木製テーブルが置かれていた場所には、一回り大きな円卓が置かれ、向かい合わせに2脚の椅子が据えられていた。
そして、名画を彷彿とさせる佇まいで、その1脚に腰掛ける竜王が、わずかに視線をあげこちらを見た。

『遅かったな』

「お待たせしてしまいましたか?!……も、も申し訳ございません」
慌てて謝る。

『いや、待っていない……』

「???」

手で座るように促され、また昨日のように向かい合わせの席に着く。
そこでふと違和感に気づく。滝の音がしない。
まさに目前の、高さ2メートルを超える人口の滝から、水音がいっさい聞こえないのだ。

唖然として滝を見上げる様子に気づいたのか、竜王が『遮音の魔具だ』と事もなげに答えた。
皇国では神具、ここ竜の国では魔具と略されるが、正式には神性魔具と呼ばれる……魔法道具のようなものだ。
滝のそばに置かれた、平たく小さな円形の装置の中心に、魔石が嵌め込まれ、青い陣が浮かび上がっている。

魔物の体内に存在する魔瘴石は、竜人だけが安全に取り出すことができ、その魔瘴石を精人が浄化したものが魔石となる。
魔石に陣を描き、神性を注ぎ込み作られた特殊な装置は……瞬間移動が可能な転送装置の他にも、発火や、発光などがあることは知っていたが、遮音装置まであるなんて……。
テレビを消音にして見ているような、不思議な光景に圧倒されていると……料理が運ばれてきた。

まさか昨日に続いて、このような形で食事をすることになるとは思ってもおらず、戸惑ったが……運ばれてきた料理を前にして思わず声が漏れた。

「素敵」

彩り豊かなリーフサラダの上に、ボイルされた様々な魚介が飾られ、さらにお皿の縁を小花が彩っている。
この一皿がまるで宝石箱のようだ。
ふっくらとした白いパンと、湯気を立てたスープも添えられている。
惚れ惚れして眺めていると……

『どうした。食べないのか?』
と尋ねられた。

竜王は食事の手を止めて、じっとこちらを見つめている。
黄金に輝く瞳は、何かを期待するように揺れていた。
今更ながら……その端正な顔立ちに魅入ってしまい、心音が速くなる。

「いいえ。いただくのがもったいなくて」

返事する声が上擦ってしまった。
彼の前では、いつも無様な振る舞いで、失態ばかりしてしまう。

『そうか。それならいい』
僅かに微笑んだように見えた。

相変わらず、竜王の席には次から次へと、胃もたれしそうな肉料理が運ばれてくる。
緊張で、食欲など湧かないと思っていたけれど、黙々と食事を進める竜王を見ていると……空腹感が蘇った。
カトラリーを取り、料理に手をつけた。
心地よい柑橘系の酸味と、オイルが合わさった絶妙なドレッシングが、新鮮な海の幸と素晴らしいハーモニーを奏でる。シャキシャキのサラダと相性も良い。

(内陸のこの地域でも、こんなに新鮮な魚介類が手に入るなんて。さすがだわ……)

『魚が好きなのか?』
「は、はい?」
突然の問いかけに、また失礼な返事の仕方をしてしまった。
慌てて口の中のものを飲み込む。

『……お前の故郷の皇城の近くには、港があるだろう。漁業も盛んだと聞いた』

確かに、皇城からは、海も近い。
荒れた日には潮風が香ることもあったが、私自身は皇城から1歩も外に出ることがなかったので、今世で一度も海を目にすることは無かった……。

「そうですね……。魚料理は好きです……」

皇城では……召使の食事の残り物が、私の食事だった。
野菜クズや、残飯が盛られた盆が、小屋の前に不定期に置かれていた。
だが稀に、大きな酒宴が催された際などに、召使も食べきれないほどの残り物が出て……そんな時だけ、魚の切り身などが混ざっていた。
当時の私からしたら、滅多に食べられないご馳走だった。

今世で初めて目にし口にする、ピンク色のとろけるような貝に、柔らかな白身魚。
前世のレストランと遜色ない、いや一流店にもひけを取らない素晴らしい一皿は、食べるのももったいなくて……一口ずつゆっくりと味わった。

そして、最後の一口を食べ終える頃……テーブルの中心に、昨日と遜色ないほど豪華に盛り付けられた、デザートのトレーが置かれた。

昨日に継いで今日まで……このような歓待を受けるなんて思ってもみなかった。
竜王が、自身の侍従の妹であり、身分も人柄も優れたハンナを私の専属侍女としてつけて下さったのも……『精人の姫』に対する配慮からなのだろう。
実は無価値な私などに、時間を割いて、このように分不相応なものを与えて……それがとても申し訳ない。
謝ることは出来ないが、せめてちゃんとお礼だけでも伝えなければ……と、顔を上げたその時だった。

目が合い、唐突に竜王が口にしたその質問は……私の感情を大きく揺さぶるものだった。
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