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Lithium

閑話 霧崎真の過去

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 霧崎夏樹。
 旧姓、夛田夏樹は他の連盟国を置き去りにして科学が進歩しすぎる日本に一抹の不安を感じながらもそんな科学を発展させる為のプロジェクトに参加していた。


 フォースハッカー、それは世界を科学の力で支配せんと企むクラッカー組織に対抗して作られたレジスタンスである。
 豊富な科学、化学知識を持つ人間、プログラム言語知識を持つ人間、医学に通ずる人間に様々な戦闘術を知る人間と優秀な人材を集めて結成された組織。
 そんな中でフォースハッカーは一つのプロジェクトを推し進めていた。











 BPPバイオプログラムプロジェクト-1、国連でも秘密裏に開発されていた生物兵器開発バイオプロジェクトを対人間で行いそこへデータプログラムを組み込むと言った最早生物でも機械でもない物の製造である。
 だがこれには優秀な遺伝子組織を持つ検体ニンゲンが必要不可欠であり、その人材集めには一苦労した。

 様々な人間達を世界平和の為に集えと言った謳い文句と安定的生活確保を対価に集めに集め、様々なテストを繰返しながら人選していく。
 僅かな希望を頼りに数千人がそれに参加し、残った数百人がBPPの先駆けとなるある治験にかけられる事になっていた。

 霧崎真もそんな数百人の中に残った一人であり、治験の日まではあらゆる戦闘訓練を課せられその体を順応させていく。


「霧崎さん、今日の訓練はどうだった?」
「……どうもこうも別に、大した事はない」

「そう、流石ね。10代で総合格闘技の世界大会に優勝してる位だものね、他の人達は案外辛そうよ?」


 夛田夏樹はこのプロジェクトを運営する側の一人として、参加する検体の管理を任されていた。
 その中でもこの霧崎真と言う男は様々なテストで好成績を残し、全てを諦めて逃げ出す人間すらいる戦闘訓練にも平然と着いていったのだ。
 何ならこのままフォースハッカーのメンバーの一人として迎えたいとも組織内で囁かれる程だった。


「……俺には関係ない、それより何故俺に構う。他にも実験台は腐るほどいるだろう?」

「実験台って……そうね、否定はしないわ」


 これに参加する者達は自らが実験台になる事を知っている。
 それでも尚、それで世界が救えるなら、安定的な生活が手に入るなら、もっと強くなれるならと、それを理解した上でここにいる。

 だが夏樹はこのプロジェクトが本当に世界を救う事になるのか疑問でしか無かったのだ。
 今回行うのはBBP-1、つまりBPPの第一段階である。
 あらゆる格闘技データを収容したコンピュータチップを脳内海馬に埋め込み、シナプスを介してそのデータと体感記憶を連動させると言う物。
 これを行う事に成功すれば頭脳を辞書化するのも容易いが、それは最早人間では無くなるのではないかと夏樹は考えていたのだ。


「貴方は……自分が人間でなくなってもいいの?」
「人間…………か。機械と人間の間にどんな違いがある、俺は……もう失う物なんて何もない」


 霧崎と言う男は幼くして両親を無くしている。
 こんな時代だ、流れについて行けず職を無くし命を絶つ者も珍しくはなかったが夏樹は年の近いこの霧崎真と言う男が不憫でならなかった。











 それから半年後に行われたBPP-1は一人の犠牲も出さずに最高の結果を残すに至った。
 次なる段階へとプロジェクトは進み、眼球の改変から人間らしい感覚中枢の排除と様々な治験が行われていく。
 だが数々の治験の中でそれに順応出来ず命を落とす者も出てくる様になった。
 あくまでも参加者は検体であり、それに着いてこれない者はそれまで。死体はまるでゴミの様に粒子分解され大気中に消されていく。
 プロジェクト関係者はその事を隠してはいたが、参加者の中では人間が減っている事に気づく者が出てきていたのもまた事実だった。




「ねぇ真……今度のBPP、辞退……しない?」
「……今更辞退してどうするんだ?俺にはそれしか道なんてない」


 真と夏樹はいつからか行動を共にする事が増えていた。
 主に夏樹が積極的に真へと近付いていたのだ。理由としては優秀な人材である事、そしてそれ以上にいつからか不憫で仕方がないと言う気持ちが恋心から来る物だと夏樹自身が気付いてしまった事だろう。

 検体と運営者の恋、それはある筈のない、有り得てはいけない関係だったかもしれない。
 ましてや優秀な検体を治験から外す様提言するなどコンプライアンス違反も甚だしい物だが、それが恋心の弱味とも言える。


「貴方なら……真なら今のままでもフォースハッカーの一員として十分な能力があるわ、そう言ってる人も多いし戦闘術指令官の人達も真を随分と買っていた……何なら私から推薦してもいいわ!だから――――」
「お前の立場が悪くなる。夏樹、最近俺との関係が噂になってるらしいのは知ってるか」

「……」

「今度の治験が危険なのは知ってる。もう何人も消えてるからな、と言うか成功したなんて話はまだ一度も聞いてない」
「だったらっ!」

「だからこそだ、この治験を止めればお前の立場は増々悪くなるんだ……大丈夫。俺は、絶対成功して見せる」


 夏樹は俯きながらも真の言葉にそれ以上何も言えなくなっていた。
 これが最後の二人で居られる時間かと思うと踏み出す一歩一歩がとても切なく、愛おしく感じた。






――――警報シールド第二区域破損……警報シールド第二区域破損


「……何ですって!?」
「シールド第二区域……此処じゃないか」


 そんな刹那、全区域に緊急警報が響き渡る。
 突然の事態に夏樹と真は辺りを見回した。

 フォースハッカーの研究施設は日本の中心部から10万㎞㎡の敷地面積を持つが今までに外部からの無断浸入を許した事等無い。
 中でも人気の少ない此処第二区域はあまり研究施設に関係するものがなく、真と夏樹にとって唯一訳隔たり無く密談出来る憩いの場でもあった。
 万が一にも反対勢力のデスデバッカーによってその防御シールドが破られたとして、此処を狙う理由等とても見当たらなかったのだ。


 だが今はそんな目的などどうでもいい事である。
 シールドが破られた事により外部からの磁性粒子分解攻撃に晒される危険性が出る。
 いざそう言う時の為にここにいる人間達には指輪型の反磁性粒子分解装置を身に付けてはいるが、それ以外の攻撃にまで対応出来る訳でもない。
 この第二区域が危険な場所に突如変わってしまった事は紛れもない事実なのだ。


 区域を緊急閉鎖するプログラムが敷地内で作動し始める。


「そんなっ……馬鹿な」
「夏樹っ!ぼやっとしてる暇はないっ、走れ、此処はもう孤立するっ」


 あまりの有り得ない緊急事態に困惑し立ち竦む夏樹の手を引き、真は閉鎖隔離しようとする第三区域まで走った。

 幸いにも第三区域までは数十メートル、体を鍛えていない夏樹を連れても十分に間に合う距離だった――――筈だ。
 突如として目の前に現れたの巨大な金属の塊を見るまでは。

 真と夏樹はその仰々しいまでの機械兵器に目を取られていた。


「こ、れは……何だよ」

「そん、な、まさか……アンドロイドキルラー……開発されていたの……でもそんな……防御シールドが破られるなんて……」


――――補足……排除……

「不味いっ、夏――――」


 刹那、煌めく一筋の光が夏樹の体を射貫いたと思えば目映い光と爆風に真は弾き飛ばされていた。


 慌てて真は体を起こすが、そこに夏樹の姿は無い。あるのはただ無機質に首だけを半回転させ此方に狙いを定める金属の塊だ。
 再びの光線銃が真に向け放たれたが、それが届く事は無かった。

 シールドがその攻撃を防いでいたのだ。
 そう、気づけば真は一人第三区域に入っていた。
 シールドは緊急事態にやむ無く出力を最大限にしたのか音すらも第二区域から遮断している。

「夏……き、ぃ!?」


 ふと真は足元に無造作に転がる白々しく華奢な手首を見付けた。
 透き通る様な爪はそのままに、赤みを帯びて無惨にも千切れたそれは飼い主を無くしたただの肉塊。
 何の意思もなくそこにあるだけの手首でしかなかった。



 真は無意識の中でそれを手に取り、ただ震えた。

 それは怒りか恐怖か悲しみか、はたまた感情と言う名の人間としてあるべき物が消え去った、そんな時に起こる反射なのか。



 それを夏樹の物だと認識する事が出来たかどうかは分からない。
 ただ真は何を思ったのか粒子分解を防ぐ為の自らの指輪を抜き取ると、ぼんやりとする頭でその血濡れた手首の指にゆっくりとそれを嵌めてただその場でシールドの向こう側にいた筈の夏樹を見つめ続けていた。



 享年27歳、霧・崎・夏樹はその人世の幕を呆気なくも閉じたのだった。

 夏樹と言う人間の死が、愛する者を人間でも機械でもない、ただ復讐の鬼と化す事態にするとも知らずに。
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