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Nitrogenium

第八十一話 痛み分け

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 アリィの発言にサニアは開いた口が閉じられない様であるが、その横で少しの笑いを堪えるユーリを目に留め女とは何と恐ろしい物かと感じる。
 だが今はそんな言葉遊びをしている場合ではないのだ。


「確かにザイールの領主から一文でも貰ってくるべきだったな。ただザイールでガーゴイルが出たと言うの話は直ぐに回ってくる筈だ。その時に王都の戦力をザイールに回し過ぎない様にして欲しいだけだ。一応シグエー……ハイライトにも伝えておきたいんだが」


 真は知り合いとまで言えるか分からないがそれでも彼ならば、ハイライト=シグエーならばこの話を少しは憂慮してくれるかもしれないと考えていた。
 どうにもこの受付に話しただけではまともにこの件が通る気がしないからだ。


「シグエーの知り合い、なん、ですか?」
「あぁ、まぁ……そこそこ知ってる。アイツには少し世話になったから」


 ユーリの頑張った感のある敬語に真はシグエーとの一件を思い出しながらそう言葉を紡ぐ。


「シグエーは今居ないんです、えっと業務でその……」
「業務じゃないわよ、異動か昇進……昇進はないわね。ネイルまで会長に呼び出されたって事は恐らく何か問題を起こしたのかもしれないわ。あの二人噂されてたし」

「えっ!あの噂本当なの!?」
「……知らないわよ、ただリトアニアの会長がギルドに顔を出してたわ。碌な事じゃないのは確か……ユーリは知らないでしょうけど昔私は言葉遣いが気に入らないとかであの会長に連れだされそうになったわ。何をするつもりだったかは考えたくもないけど……その時庇ってくれた副ギルド長は、今はリヴァイバルに左遷」

「リヴァイバルって……あの治安の悪い所!?信じられない……私も言葉には気を付けないと」



 二人のそんな身内話が淡々と進む。
 だがシグエーは何かしらの事情で今は居ないのだと言う。
 この分ではいつ戻るのかも分からないのだろう、真は仕方なく先にルナの一件を済ませてからまた改めて報告し直そうと考え直す。


「いつ戻るかは分からない、って所か?ならまた来る。報告の件は上に回してくれてもいいし、とりあえずハイライトにも伝えておきたい」

「……分かりました。もしかしたらハイライト試験官はそのまま異動って事も考えられます、とりあえずこの件はギルド長の耳にも入れるよう配慮しますので」
「あぁ……頼む」




 いやに素直になったギルド臨時受付サニアだが、それならそれで有り難いと思いながら真はルナとアリィを連れてギルドを後にした。


















「はぁっ、全く最近の女は!やっぱりギルド員辞めて正解だったわ」


 ふと放たれたアリィの言葉に真はギルドへ入った時の言葉を思い出していた。

「そう言えばアリィ、お前ギルドが久しぶりって言ってたな。辞めたって事は前はギルド員だったのか」
「ぁへっ!?あ、いや……いやいや!えと、いや、違うの、やらなくて正解だったかなぁーと」

「お前の爆弾発言は今に始まった事じゃ無いが、王都に来るってなってから何か苛々してないか?」



 アリィの発言はいつも真っ当だ。
 誰もが心で思っている様な事をはっきりと言い放つ。
 真にしてもその気持ちは分かってしまうから何とも言い難い。 だがそれを言葉にする事で傷付く人間もいる。何より暴言は自分の心を酷く傷付ける物だ。
 大概にしてその人間の放つ暴言は自分に対する苛立ちの鏡でもあるのだと真はかつて古武術剣技を指南してくれた男の言葉を思い出していた。


「苛々なんて……してないよ。元々!アタシはこう言う人間なの!良いでしょ、心で皆文句言ってる。私はそんな皆の本音を代弁してるの!感謝してもらっても恨まれる謂れはないの」

「そんな……アリィさんの言う事は確かに正しい気もするけどそこまで言わなくてもって思うんです。皆が皆そんな悪い人じゃ――」
「何?ルナ、あんたは良いわね脳みそ平和で!アンタみたいな幸せ娘には分からないのよ!皆心では他の人間が不幸になればいいって思ってるの!自分だけ幸せならいいの!誰も助けてなんてくれないのよ!」

「そんな事無いです!私は……私はシン様に助けて貰った。もうダメだと思って死ぬかもしれないって思ったそんな時にシン様は」
「シン様シン様ってあんた煩い!!少しは自分で考えて行動しなよ!自分じゃ何も出来ないって事じゃ無い!?自分の力で全部何とかしなさいよ!いい子振ってアンタもそうやってシンちゃんを利用してるんでしょうが!」

「そんな、私は――」


「いい加減にしろッッ!!」

「「!?」」



 ギルドから少し歩いた家屋建ち並ぶ街路。
 言い争うアリィとルナ、いや寧ろアリィの一方的な自己顕示欲の発露に真は遂に抑えきれない感情がこみ上げていた。

「ご、ごめんなさい!!」
「いや、ルナお前じゃない。悪いが少し待っててくれ。アリィに話がある」

「し、んちゃ――」
「お前の生き方なんて知った事か!フレイもルナも、俺にも、他の奴等だって。苦労はある、死ぬ思いをする程心を削られても生きようとする奴だっている!お前がどれだけ辛い人生を歩んでいようがそれはお前の運命だ。それを他人にまで求めるな!」

「……っ、じゃあ何よ!アタシは辛い思いしたのに他にのうのうと生きてる奴はそれが運命だって言うの!?人の親を犯して殺して、それでいて今も楽しくやってる奴はそれが運命なのっ!?答えてよっ!」



 アリィの本音。
 真はずっと気になっていた。アリィには何か暗い過去がある。真にはそれが分かっていたからある程度の発言は広く受け止めてやろうと思っていたのだ。いつか自ら心開くまで。
 人は心を開かねばいつまで闇に閉じこもり、自分を見失う。
 過去に真がそうであった様に。
 柄にもなくお人好しな考えを出してしまった真だったが、フレイもルナも今となれば真のかけがえない仲間。
 自分はいいが、これ以上ルナとフレイまでアリィの校正に付き合わせる訳には行かなかった。


「不幸自慢か?今度はそうやって自分の過去に守られるのか?あぁいいさ、なら俺の苦労も自慢してやる。俺は生まれて平和だった、ただちょっと途中で親が二人共自殺した。それでちょっと人を殺した。他に生きる道が無いから人体実験に付き合った。それで次には愛した女を目の前で爆散させられて左手首が飛んできた。それでまた人を殺した。ついでに人体改造されて今じゃ脳味噌はぐちゃぐちゃだ。痛みも感じない、怪我したってすぐ治る。毒も飲める、眠気もない、排泄もしない。俺は人間かも分からない。それがどうした?だから何だ?それが他の奴と何の関係がある?」
「……シン様」

「何よ……それ、意味、分かんない」



 真は最早専門用語がアリィに伝わっているか等どうでも良かった。
 ただ一つ、アリィに言いたいのはただ一つなのだ。


「今を見ろアリィ!過去に縛られるのはお前の勝手だ、俺を利用するのも構わない、親の復讐でも何でも俺は付き合ってやるさ。ただルナは、フレイは、お前の仲間じゃない、俺の大切な仲間だ。お前が自分の苦労を押し付けていいのはそれを許した俺だけにしろ」


「ぅっ、うぅ……私だって……私だって」



 真の言葉は街路中に響き、反響し、やがて消えていく。
 そして膝を崩して蹲るアリィの号泣もまた、やけに静かなレンガ造りの町並みに染み渡る様にして飲み込まれていった。





「――アリィさん。私にもアリィさんの苦労を背負わせて下さい」
「……」

「ルナ、軽々しく人の人生に首を突っ込むな。人の苦労は人にしか分からない、それを背負うのは重い事だ」


 やがて泣き枯れ果てるアリィにそう言い放つルナへ真は忠告を促した。
 他人の苦労を背負うと言う事はその人間の業を分つ事だ。
 真はアリィに似た境遇を感じて放って置けなかったからこうしている。例えそれによってフレイやルナが離れてしまってもそれは仕方のない事、フレイやルナはこの世界でまだやって行けると考えているからだ。

 だが真はそうではない。
 そしてアリィもこのままではいつか果てる日は近いだろう。

 だからこそ真はこうしてアリィの本音を待ったのだ。


「シン様はそれを背負おうとしてるじゃないですか、私はシン様の仲間、なんですよね?それでアリィさんをシン様は助ける。なら私もアリィさんの過去を……背負いたいんです、平和ボケな私なんかに二人の様な苦労は分からないけど……それでも、私は、二人の仲間でいたいんです」

「ルナ……随分と大人になったもんだな」
「そ、それは……私だって、いつまでもお荷物は嫌ですから!」



 真はいつまでも蹲るアリィの肩をそっと叩いた。


「なぁアリィ、今を見てみろ。お前の側には何がある?誰がいる?お前はもう一人じゃない」

「……私の、辛さなんて……そんな、分かるわけ、無い。誰も、私は一人なんだ――ッ!?」

「!?」


 刹那。
 ふと顔を上げ、未だ殻に閉じ籠もるアリィの顔面にルナの平手打ちが飛んだ。
 その光景には流石の真も度肝を抜かれる。
 アリィも叩かれた角度のまま唖然としていたが、やがて我に返ったかルナへ反撃の平手打ちを返した。

「痛っい……わね何すんのよッ!」

「くっ、まだぁ!!」
「このぉ!!」

「まだ!」 
「何よ!しつこい、この馬鹿ッ!」
「貴女、もっ!」 


「……おいおい」


 真は流石にこの展開まで予測していなかった為、二人の平手打ち大会をただ呆然と眺めるしか無かった。




 どれ位の時間が経過したのか、時たま通り過ぎる人間達も何事かと通り過ぎる。中にはやれ何だと興味本位で集まりそれぞれを応援する人間が現れ出していた。
 気付けばアリィとルナの対決には細い街路を塞ぐ程の観衆。


「……はぁ、はぁ、何なのよもぅ」
「これ、で……痛み分けです。アリィさんは、もう、痛みを共有した……はぁ、はぁ、仲間です」

「そん、そんなの何の意味が……そもそも私、私の仲間になんかなって……アンタに。何の得が」
「損とか得とか分かりません!私は、シン様を慕っています。そのシン様がアリィさんを助けたがっている様に感じました。だから私もアリィさんを助けたいんです!!」



 ルナの言葉、それは何処か甘さを含む綺麗事とも思える物だ。たがしかし真にとってそんなルナの言葉はどこか心洗われる物だった。

 ここまで誰かに心の底から信頼された事があっただろうか、信頼出来る人間がいただろうか。
 真の思考はどちらかと言えばアリィ寄りであった筈で、基本的に損得勘定な所もある。
 だがルナがいくら真を慕っていたとして、アリィの苦労を共有する事に何のメリットも存在しない。
 この平手打ち大会も何ら意味があるとは思えない。
 それでもアリィにはルナの心の叫びが僅かにでも届いているのは確かに思えた。

 アリィの真っ赤に腫れあがった頬と、いつかのルナと同じ様に涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を見ればそう、ルナの純粋な想いはゆっくりとだが確実にアリィの胸に染み込んでいた。



 真は一つ息を吐くと真っ赤な顔の二人に歩み寄り、その腕でルナとアリィを引き寄せながらただ一言「お疲れ」とだけ呟いたのだった。
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