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Nitrogenium
第七十二話 【地球】
しおりを挟む重苦しかった食堂の空気も、レスマリアが席を外して少しも経てば殆ど何事も無かったかの様に自然と話題は明日の本選へ出場する選手の話に切り替わっていった。
若い警備員達とメイドも肩の力が抜けたのか、先程までの話は自分達の手に負えない物だと思考の外に追いやっている様であるが全く別の話題が飛び交ったお陰か、フレイの表情も何処か和らいで見えた。
やがて夜も更け始めた頃になると食事会は自然とお開きになり、ルナを空き部屋へと案内すると言うクローアの言葉を皮切りにして場は解散した。
そうして真は例の宿屋へと戻る事になっているので、自宅に帰るというアリィと共にフレイの実家を後にする事にしたのだった。
「シン、その……」
「ん?どうした」
屋敷の敷地内、手入れされた広い芝庭。
見送りに付いて来たフレイが突如真を呼び止めた。
先を歩いていたアリィは此方にふと視線を向けたが、そんな真とフレイを気にする事なく門に向かって歩いて行った。
「いや……何でもない。その、負けるなよ?」
「まぁ、どうだろうな」
一瞬フレイの表情が翳ったのを真は見過ごさない。笑顔を作り真の明日の戦いを応援する様な言葉を絞り出してはいるが、きっと内心は他の事で渦巻いているのだろう。
真は一間置いて、真なら大丈夫だと口にするフレイに歩み寄っていた。
「不安か?」
「へ……」
「心配……しなくていい。魔族とやらも俺が……倒してやるさ、お前は一人じゃない……俺も――――」
フレイは真のそんな言葉に目を見開いたが、自分の不安が真に伝わっていた事に気付くと静かに真を抱きしめたのだった。
「……不安が和らいだ、ありがとうシン。やはりお前には敵わないな」
「危なくなったら逃げればいい。残された人間の末路は酷い物なんだ」
真はフレイに絶対に死ぬなとそう言っているのだ。
それはかつてのあの死により自分がどれ程変わってしまったかを今なら思い出せるから。
とてもではないが次に同じ事態になった時、真も自分自身がどうなってしまうかは想像もできない。
だからこそ真はフレイを絶対に守るつもりだった。
「それは私も同じだ。シンこそ危なかったら辞退していいんだぞ?」
「……ふ、これでも俺は今まで負けた事がないんだ。心強いだろう?」
「ふふ、そうか。そうだな……ありがとう、シン」
そんな軽口を言い合いながら、名残惜しそうにも見えるフレイにまた明日と言い残し、背後にフレイの視線を感じながらまた門へと歩き出したのだった。
門を出て宿屋へ向おうとした所、ふと木陰から出てきた赤いツインテールが真の腕を抱え込む。
「あ・い・じ・んッ」
「……暇だな、お前は」
真の胸元程度しかない身長のアリィはピタリと真に身体をつけるとそう茶化してくる。
それを軽く引き剥がそうとしながら真とアリィは円形に灯る家屋の光を頼りに灰土の地を歩いていた。
「何であんな事を言った」
真は視線を前方に向けたまま、歩きながらふとそんな事を呟いた。
「ぇ、何の事ぉ?もしかしておっぱいをイジメた事かな?それはアレよ、嫉妬ってやつ?シンちゃんの一人占めはズルいしぃー」
「自覚はあるんだな……まぁそっちじゃない、魔族を倒すって方だ」
アリィがフレイに対して当たりがキツイのは今に始まった事では無い。それにアリィの言ってる事は最も適切とも取れる。
それより真が疑問に感じたのはわざわざ魔族討伐を買って出た事だ。
相場より数段安いとは言え、それを真にやらせるなら確かにアリィにとっては良い儲け話だろう。
だがアリィの言葉は何処かレスマリアを責めている様であった。まるでアリィはレスマリア自体を嫌っている様なニュアンスが言葉の節々には有ったのだ。
にも関わらずそんな相手に商売を持ち掛けるアリィには一体どう言う意図があったのか、真が少しながら気になっていたのはそんな所である。
「何でって……それは、いい儲け話じゃない。しかもシンちゃんに任せて私にリスク無し!」
「白金貨一枚でな……そんなに金が必要か」
「何言ってるのシンちゃん!お金は大事よっ、お金ですべて買えるんだから、お金を稼ぐ、それが生きる上で一番大事!」
「そこまでの執着がある割には露店商で収まってるのか?本気で商売したいなら店舗の一つ位持っていてもおかしくない気もするけどな。お前、店はあるのか?」
「そ、それはその……」
アリィが真の的確な指摘に口籠る。
獣の皮の様な物に数種類の装備品を並べているだけの露店。アリィがここまで商売気を出す様な、本気で金だけが全てと考えて生きている様な人間ならばこの年で未だ店の一つも持てないのは余程……才能が無いか、もしくは理由が他にあるかの二択だと真は思っていたのだ。
他にもアリィの行動には何処か統一性が感じられなかった。
真に好意がある、もし本当にアリィがそうであればやはりフレイやルナの様な態度になるのが自然だろうと感じる。
だがアリィは口では真に好意があると言いながら、何処かそんな風では無い。
つまり真に言い寄る理由はもっと単純で、そして他に何か深い理由があるのではないかと。真はここまでの間でアリィが何かを抱えている様に思えて仕方がなかったのだった。
「まぁいい、どうせもう任務外だしな……俺を利用したければ好きにしろ。俺は俺のやりたい様にしかやらないが」
「へっ……え、えと……え、任務外?任務外って何?ギルドの?」
「いや、何でもない。気にするな、兎に角あまり自分を責めると碌な事にならないぞ。俺も最近解った事だから教えとく……それと報酬はこの装備一式を貰うでいいんだよな」
これ以上の話が面倒になった真は自己解決で会話を強制終了させると、体を離して立ち止まるアリィをその場に残して宿へと歩き出した。
「自分を責めると、ね…………自分じゃないし……有難く利用、させて貰うね……シンちゃん」
離れた距離でそう呟くアリィの言葉を、真は研ぎ澄まされた聴力で確かに聞き入れていた。
(……アイツも、似たり寄ったりか)
◆
最初こそ珍しいと思えた白い小山の町並みも今は随分と見慣れて来ていた。
中心部らしき場所では所々扉の無い家屋から明かりが溢れ、中では数人の人間達が楽しく酒を飲み交わしている。
真が契約している宿屋はこの賑やかな一帯から一度脇道へ入ってすぐの所にあった。
ファンデル王都で迷子になっていたのが夢の様に思える程すっきりした脳内で帰り道を組み立てて灰土の道を進む。
――――てめぇのせいで俺はリトアニア商会から見放されちまったんだ、その補填はして貰うぜ!
――――へへ、訳のわかんねぇ魔力を使うらしいがな。もう通用しねぇよガキ?
殆ど月明かりでしか照らされていない暗がり、真は自然と光源反射板を調整し三人の男達に囲まれる一人の少年を視界に入れていた。
「ふぅ、またモブか。本当ありきたりなパターンだね。今時ゲームでもこんな展開無いのになぁ……それより全然ヒロインフラグは回収できないし」
「訳のわかんねぇ事をグダグタと抜かしやがって……余裕ぶってんじゃねぇぞ、もう魔力は使えねぇ。魔力吸収の魔力機マナコア、てめぇをいたぶる為に結構な投資をしてやったんだ、感謝しな!」
杖を両脇に抱えながら、所々包帯の様な物を巻いた男は恐らくフレイと対戦していた奴であろう。他の二人は見た事が無いのでその男の仲間だと思われた。
そして状況の割には冷静さをまるで見失っていない黒髪の少年。真はその少年にも見覚えがある様な気がしていた。
この世界で黒髪と言うのは真以外にあまり見かけない。
そしてまだ十代半ばであろう幼さ残る顔立ちは真の脳裏に僅かな記憶として残っていたのだった。
「へへ……先ずはやっぱりパンツ一枚にして酒場にでも放り投げるか?」
「そりゃいい、おらぁッあ!?」
「ふぅ……遅すぎるよ、あんたら。SPD80とそっちが120か……でおっさんが250、へぇ、おっさんが一番マシでそれでもその数値か。話にならないね」
一人の男が少年に近づきふざけた動作で短剣を振るうが、それが少年に掠る事は無かった。
男の剣捌きも酷く適当ではあるが、少年の動きはその男が例え本気で剣を振るったと仮定してもそれを数段上回る程速かった。
それに逆上した男は今度は本気で少年に斬り掛かる。だがやはりそれは虚しく空を切り、逆に少年の拳一撃で地面に沈む事態となっていた。
少年は確実に男達の動きをその目で捉えて見・ている。
その戦力の差は正に見るも明らかだった。
「ば、バカなッ……コイツの魔力は確かにこっちに吸収されて……っ、は、はれ?」
「おい、デヴィどうなってる!何も吸収されてねぇじゃねぇか、魔力無しであんな動きが出来る筈ねぇ……」
「掴まされ、た……いや、そんな訳――――」
「もういいよ、モブさん。出番は終わりだ」
男達は何かに慌てている様子だったが、少年がそう言い終わるや否やそれ以上に慌てる必要は既に無くなっていたのだった。
「魔力結石マナマイトなんてダサくて使ってられないよ、僕は異世界の勇者だしね」
「……随分余裕だったな、魔力無しでやったのか?」
「ん?……あ、おま、君は……あの時の弱いくせにハーレムしてる勘違いさんじゃないか。何だ、いらないイベントだなぁ……で、何?僕がボコボコにされそうだから助けようみたいな?残念だけど僕は君達と生きる世界が違うからさ。気にしないでいいよ」
ふと声を掛けた少年から発されるそんな言葉に真は特に苛立ちは感じない。
ただ生きる世界が違うと言う発言に、真はあの時フレイが少年に投げ掛けた単語を思い出していた。
「異世界の……勇者だったか?そんな物があるなら是非とも俺も使ってみたいがな」
異世界からの勇者召喚、この世界とは違う何処かの世界から呼び出した者はとてつもない力を持ち過去の歴史で魔族や魔物を統べる王をも打ち倒したと言う。
仕組みは分からないがその話をフレイから聞いた時、真はそんな事が出来るのなら自分を地球へ送り返してみろと言いたくなったのを思い出す。
「あ、そうか……君はあのお姉さんの知り合いだっけ。じゃあ身元が割れてる訳だ……まぁでもこっちの世界の方がいいと思うよ、僕は戻る気なんて全然無いし。平和だけどつまんない所だよ地球なんて……って、言っても分かんないか。もういいかな、悪いけど男と話すイベントはもうお腹一杯だから」
「待て…………」
真は今久しく自分の脳内以外で発される筈の無い単語を耳に留めていた。
それは聞き慣れた、確実にただ一人の真にのみ通じる単語。
倒れる男達を気にした風もなく、早々にその場を歩き去ろうとする少年を真は思わず呼び止めていた。
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