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Magnesium

第百三十五話 闇の誘い、インペルダムワンド

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「何で!何でなの!魔力よ……早く、お願い!言う事を聞いてよ、|風の流麗(ウィンドアシスト)!!」



 もう何回城壁にぶつかっただろう。
 もう何度地面に落ちただろう。
 身体が痛い、足が重い、腕にも力が入らない。

 ルナの魔力は既にあと僅かと言う所まで来ていたのだ。
 それはアリィから貰った、と言うより半ば無理やりに買わされたローブによる魔力増強で普段より多くの魔力を知らずのうちに消費していたから。
 ルナはそんな事とは知らず、否分かっていたとしてそんなもの等最早関係なかった。

 今、この壁の向こう側には絶対に失ってはならない友がいる。
 どれだけ辛辣な言葉を投げかけられたとしても、どんな過去を持っていたとしても、アリィはルナのかけがえのない友達なのだ。


 こんな所で諦める事など出来ない。
 そんなルナを嘲笑うかのように魔物の飛弾がルナを襲う。


「きゃっ!?ったた……こんな時なのに。早く行かなきゃならないのに、魔力よ、|水の光槍(ウォーターランス)――へっ、なんで」


 再度城壁から叩き落とされたルナは眼前に近づく鳥型の魔物に、使い慣れた水の魔力を放出する。
 だが、もう既にその魔物を撃ち落とせる程の魔力等ルナには残っていなかった。


 ここで終わりなのか、助けに行かなければいけない友がすぐそこに居るというのに、自分はこんな壁一つ超えられず朽ち果てるのか。

 勇者の傍で戦う?
 世界を救う?
 こんなちっぽけな自分にそんな事出来るはずが無かった。

 ルナは悠然と憚る城壁を背に、惨めな自分を殴ってやりたかった。


 アリィの言う通り、自分は一人じゃ何も出来ない。

 過去に諦めるほど絶望的な状況からあっさり自分を救った真なら、こんな魔物は一瞬のうちに切り捨て、こんな城壁など平然と越えていくだろう。

 フレイなら、どんな状況でも諦めずに立ち向かい魔を打ち倒すだろう。

 アリィなら、機転を効かせて凄い道具と知恵でこの状況から回避するだろう。


 なら自分は?
 自分には何が出来るというのだろう。いつも誰かに助けられてばかりの自分は。
 
 自分は無力だ。
 ルナは巡りゆく回想にただ、静かに目を瞑った。
 アリィがどうか無事でいることを願って。



――グゲェェェ!!


「オラァ!ちびっ子!!そんな所で寝てんじゃねぇ。援護がぱったり止んだと思ったらなんだ魔力切れか?まさか諦めてんじゃねぇだろうな、ああ!?」

「ゆ、勇者様……」


 突如耳に入るそんな罵声にルナは慌てて目を開けた。

 そこには先程まで前線で魔物を次々と打ち倒していた元勇者パーティの一人、光拳のベルクことベルク=ヒューイナスだった。

 ベルクはルナに飛弾を飛ばした魔物を踏みつけ、ルナに背を向けたままそう声を荒らげる。
 その背に諦めの二文字などまるで無いかのようにただ悠然と、そこにある。


「ご、ごめんなさい。私足でまといで……すみません、友達も、助けに行けない」
「ああ?んだよ、そういやさっきからぴょんぴょんしてたのはそういう訳か。っち!随分と王都内にまで魔物が行っちまってる……あのクソ鳥が、ガーゴイル運んでやがんのか。誰の指示だ、魔族か。くそ、アリエルの奴しっかりやってんだろうな――おいちびっ子!んなとこで諦めてんじゃねぇ、てめえは友達助けに行くんだろ?」

「でも、でも私……もう魔力が」


 ルナにはもう出せる魔力が身体に無いと悟っていた。心無しか全身の力持ち抜けてしまっている。
 魔力の放てない魔道士に一体何の価値があると言うのか。


「はっ!力が抜けて丁度いいじゃねぇか。いいか?魔力ってのは全身を駆け巡る血液みてぇなもんだ、てめぇが生きてる限りその魔力は幾らだって引き出せる。飛びてぇんだろ?足だけに意識を向けんな、魔力(マナ)だ。魔力に乗って上にスライドしてく自分をイメージしろ。目を瞑って、そのまま飛んでいけ」



 ベルクにそう言われたルナは唖然とした。
 今まで自分は魔力(マナ)の事をただそこにあるものだと考えていたからだ。
 ルナはもともとの才覚で、ただ感覚的に、人に頼るが如く魔力を操っていた。

 だが目の前の勇者は魔力を血液だと言う。
 自分の血液のように魔力を扱う、よく分からないがわかり易い。そんな魔道士であるルナだからこそ分かるその言葉に、勇者と言う偉大な存在から発されるその言葉をルナは鵜呑みにする事にした。



 身体の血液がルナを巡る。
 今まで外から得るように感じていた魔力を自らの身体が生み出すイメージで。

 ルナには解った。

 全身に光が集まる、高まる体内温度。自分の血液も細胞もその全てに魔力(マナ)がある事が。


 後はその魔力に身体を預け、上へ。
 この壁の向こうにいる友の元へ。


「飛べ、風の流麗」



 ルナの身体は次の瞬間、猛禽類が滑空するような速さで城壁の中腹まで飛んでいた。


「へっ、怖いねぇ。次の世代は、エミール、お前のアドバイスも役に立つもんだ……――行ってこい、ちびっ子!!」












 高く、高く聳える城壁。
 このまま空まで上がるのではないかと言う感覚と、もしここで魔力が途切れたらと言う恐怖がルナの心を覆いそうになる。
 それを必死で大丈夫と言い聞かせ、今はただ一刻も早くアリィの元へ行くことに集中する。

 魔力は血液、自分が生きている限りまだいくらでも湧き上がる。下になど落ちたりしない、大丈夫と。

 恐怖と葛藤しながらもこの城壁は一体どこまで続くのかと考えてしまう。長く感じるこの時間は焦りか、恐怖か。


 気付けばルナは遂に城壁の終わりを目にし、歩道回廊に身体ごと飛び込んでいた。


「はぁ、はぁ。やった……アリィさんは」

 
 自分が先程まで居た場所には勇者のベルクが未だ王都への進行をやめない魔物と格闘を続ける。その反対側にはアリィが居たはずだとルナは下を見下した。

 
 薄らと見える小さな赤い髪を目に止め、ルナはほっと胸を撫で下ろす。だが辺りの家屋には少しずつ火の手が回り、よく見れば黒い塊がアリィの傍で倒れているではないか。
 まさかアリィが魔物と格闘し、怪我でもしたのではないかとルナは不安な気持ちに駆られた。


「もう一度、もう一度だけ。大丈夫……今行きますからアリィさん!!」


 ルナは先程ベルクに教えられた魔力の扱いを反芻し、再びの滑空を試みる。全身を駆け巡る魔力に風の魔力を乗せ数十メートルの城壁を今度は一気に滑り降りた。
 滑らかに、それはまるで木の葉が落ちる時のようにだが最速で。
 昇ってきた時とはまるで違う体感速度は安堵からか、あっという間に城壁を乗り越える事に成功したルナは遂に友人アリィの姿をその視界に入れていた。


「アリィさんっ!!良かった、無事で!!私てっきり――――その……ぇ、アリィ、さん?」


 壁にもたれ掛かるようにして座るアリィの表情はとても穏やかに笑っているように見えた。
 これまで散々吐いてきた暴言等、夢だったのではないかと思えるほどの優しいその笑顔はだが、友人であるルナに向けられたものでは無いと言うを理解してしまいそうになってルナは慌てて首を振る。


 そう言えばアリィは赤い服を着ていたのだったか。特にお腹の辺りが少しダイナミックなグラデーションだが、その辺のオシャレにまで気を遣えるアリィは流石だと思ってしまう。



「や、やだなぁ。アリィさん、どこ見て笑ってるんです?ふふ、私はこっちなのに。そんなにちっさくないですし!あ、そう言えばさっきも勇者さんにちびっ子って呼ばれたんです!私そんなに小さいですかね?」


 そう言えばいつだったか、アリィは胸の大きさについて随分とフレイに突っかかっていた時があった。
 あれからその事については意外とルナも気にしている。だがアリィに比べたら年齢的にも自分にはまだ伸び代がある筈だ。


「まだ、その、あれですけど……私、大きくなれますよね?だってまだアリィさんより私三個も下だし。アリィさんは、小さいですもんね!」


 アリィには絶対禁句であろう言葉を掛けたのはルナのアリィに対する今までの意趣返しか、それとも本当は気付いて――――


「アリィ!!あ、アリィじゃないかいっ!?それに、ルナ……あんた」
「ぁ……ローズさ――」

「何してるんだい、此処は危ないんだ早く……ぁ、ぁ、そんな、なんで、なんでこんなぁぁ!!アリィ!!冗談はお止めっ!!目を開けるんだよっ!あ、あぁ……そんな」



 いつの間にそこに居たのか、城壁に寄りかかるアリィへ話しかけていたルナの前には魔力機(マナコア)屋の店主であり、アリィの祖母でもあるローズの姿があった。
 ローズはアリィに近づくなり身体を震わせ蹲るが、ルナはそんな状況に理解が追いつかなかった。


「ローズさん、どうして此処に。危ないです、此処は魔物がいますから。早く逃げましょ」
「何を言ってんだい……あんた?この娘を置いて、あたしに、逃げろって?はは――――馬鹿言うんじゃないよっ!!あんた、あんたが居ながらぁぁ!!」

 突如白髪の混じる髪を振り乱しながらルナに掴みかかるローズ。その目は狂気に満ちているようにも見えた。
 きっとローズもアリィを心配し、不安だったのだろう。ルナはローズを諭すようそっとその肩に手を置く。


「大丈夫です、もう私が来たんですから。ね、アリィさん?皆で避難しましょう。外は勇者さんが何とかしてくれます、やっぱりアリィさんの言った通りでしたね!全然私なんか役に立たなくて……あはは、やっぱり私ダメですね、あれ?アリィさんちょっと重くなりました?あはは」

「何、やってんだい、あんた!止めな、お止め!!もう止めとくれっ!!アリィが可哀想じゃないか」



 ルナはアリィの手を引き、その場を離れようとするがアリィの身体はダラりと垂れ下がったまま重力から逆らう事をしなかった。
 ルナがそんなアリィを引っ張る度、アリィの空いた腹部からまだ新鮮な赤黒い血がゴボリゴボリと溢れ出す。


「早くしないと、アリィさん」
「止め、止めとくれよ……この娘は、アリィはもう死んだんだよっ!!あんた!!しっかりしなっ!!」

「ぇ……何言ってるんです?ローズさん、おかしいです。ほら、アリィさんも笑ってるのに」
「おかしくなんかない!!これを、これを見な。アリィの血だよっ!この娘は、うっ、う……なんで、この娘がこんな目に合わなきゃならないんだ。あたしが、やっぱり止めるべきだった!!」


 泣き崩れるローズ。
 ルナはそんなローズの言葉に改めてアリィを見る。
 元々は何色だったかも分からない程に血塗れたその服は。

 項垂れる首は。

 自分がその手を引く度に空いた腹部から溢れる血は。

 ルナの避けていた現実をその目に突き付けた。


「そんな、訳、ない。アリィさんは、しんで、なんか……そんな訳――」
「ぁぐ」
「!?」


 混乱するルナの眼前で突如倒れるローズ。
 その後ろには漆黒の羽を持つ黒き物体。


――グゲ、グゲェ、コドモ。ニンゲンコドモ!!


「ぁ、ぁ、ぁ、そんな。ローズ、さん、あ、いや……アリィ、さん、死ぬ、嫌」



 悪魔族ガーゴイル。
 魔物は静かに、そして無邪気にまた一つその命を奪っていった。

 ルナはもう、限界だった。


「――いや、いや、いやいやいやいや!ぃゃぁぁぁぁぁ!!!!あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」



――グ、グゲ?



 紫煙が辺りを包む。
 ルナの身体を暗黒に染めていく。
 
 闇を吸い、膨大な力を得て使用者を侵すそれは――|魔樹禍の杖(インペルダムワンド)。

 悪鬼族によりいつの時代かに作られたその魔具は、今ルナの心に呼応し、ローズの命を軽くも奪ったガーゴイルを瞬く間に塵にする。
 
 空を飛ぶ鳥型の魔物、今にも王都へ進行しようとする魔物、他種族同士で小競り合いをする魔物が次々と紫黒色の塵と化し、その全てがルナの持つ魔樹禍の杖に吸い込まれていく。


「あ゛ああ゛ああ゛あ」


 ファンデル城からも立ち上る紫煙も、何もかもその全ての魔を吸い尽くさんとするその杖は、まるで意識を持った邪悪の権化。


 ルナ=ランフォートの心は、今、闇に呑まれた。
 
 


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