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Carbonium

第五十一話 灰土の地

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 明け方、自動馬車と化した荷馬車は平野から林へと突入した。
 荷馬車でも通れる程の雑草が生える道をひた走り、王都を出てからデバイスで確認する限り二十時間は経過していた。


「……あ、あのシン様」
「ん、どうした?」


 ここ数時間大人しかったルナが突然か細い声を真に向ける。
 その表情は何処か弱々しく、身体を縮こませ震えている様にも見えた。


「寒いのか?」
「い、え……その……あれが……」

 どうにも要領を得ないルナの途切れ途切れの言葉。少しばかりそんなルナに苛つきを覚えるが、ルナとしては真に言いづらい事なのだろう。
 ならばそれ即ち真に何らかの迷惑となる行動なのは明らかだった。

「おいシン、ちょっと馬車を停めるぞ。休憩だ」
「え、あ、あぁ」

「す、すいま、せん……」


 フレイはルナに代わり、荷車へ繋がる馬との連結部分を越えて馬の手綱を引いた。
 段々とスピードを緩めていく馬はやがて一つ鼻を鳴らすと林の真ん中でその歩みを停止させた。


「ルナ、大丈夫か?これを使え」
「わっ、あ、す、すみませんんっっ!」


 ルナはフレイが麻袋の一つから取り出した紙束の様な物を手に取ると、顔を真っ赤にしながら荷車を飛び出して行った。



「どうしたんだ……ルナは」
「……シン、乙女心がまだ分からないらしいな……全く……人間たる者、いや獣でも排泄は当然の行為だ。それともシン、お前も女は排泄をしない等と言う身勝手な理想を押し付けるタイプの人間か?女の旅と言うのは予想以上に大変な物なんだ……私も苦労したものだ……」


 なるほどと真は理解した。
 だがそこまで説教されるとは真として言い訳の一つもしたくなる所である。
 最早フレイの中では真が完全に鈍感系の人間と思われているが、真としてはその事柄が常識の範疇から外れている為理解に時間を少しばかり要すると言うだけの話だ。


 排泄、それは生物にとって重要な生体反応。
 摂取した栄養源から必要な栄養素を体内に吸収し、毒となる物質だけを外部に弾くと言う重要な役割である。
 ただ真のいた地球の固形栄養食、それに体にとっての不要な物は一切含まれない分子構造で作られている。
 万が一体内に毒素と成りうる物が溜まって体調を崩した場合もカプセルマシンの浄化システムがある為、排泄等の直接的な行為を行う者は存在しない。



「……ふ、それもそうだな。そんなのもあった」

 真は幼い頃、まだ地球に排泄用施設トイレなるものが存在していた事を思い出し懐かしい気持ちにさせられていた。


「な、何がおかしいんだシン、私だってな……そう言えば全くもようさないな……何かの病気にでもなったか」
「……すまないなフレイ。人間としてあるまじき事だが、多分もう二度とお前は排泄しない」

「なっ!?」


 真は若干の罪悪感を感じながらフレイにそう告げた。
 真がフレイのに送り込んだ細胞活性酵素は体内に遊離、結合する全ての毒素を分解浄化する。
 簡単に言えばカプセルマシンの機能の一部が体に存在すると言う事である。

 つまりこの世界で不要な栄養物をいくら摂取しようがそれは全て体内の酵素によって分解され、気化されると言う事だ。


「お前を助けるにはそれしか無かった。生物の意に反すると……言ったろ」


 フレイはそんな真の言葉に何を感じているのか俯き黙り込んでいた。

 真自身はそれでも構わなかった、人間として生きる事等どうでもよかったし地球の常識でもあったからだ。
 だがここに来て真は少しづつだが人間と言う物が何かを考えさせられていた。フレイが人間から外れていく事、それが自分の所為だと思うと申し訳ない気持ちにもさせられる。


「……すまない、フレイ。だがあの時はそれしか――――」
「ふ、ふははっ……そうか、そうだったな。やはり私は一度死んだんだな……本当に、人間では無くなってしまったのかも知れない」


 突如として高笑いを上げるフレイ、だがその表情に笑みと言える様な感情は見えなかった。
 何処か寂しげで、遠くを見るような目。

 それを見た真は自分が今まで考えてきた人間と言う物の概念を思い直すべきなのではないかと思い始める。
 フォースハッカーのメンバーが願った科学技術が発展する前の時代、それは争いが無い世界を目指すだけでなく、夏樹の考えていた人間のあるべき姿を取り戻す為の、そんな目的があったのだろうかと。



「……だがこれで今後の旅はかなり楽になるな、危険も減る。そう考えればやはりシンには感謝しなければならない、私は神に近付いたって訳だ」
「フレイ……」


 フレイの発する言葉に何処か違和感を感じる真。
 人間が人間でなくなる時、それはたがの外れた暴走機械と同じ危険性を孕む。
 真はフレイが人間でなくなってしまうかもしれないと言う不可思議な不安が脳裏を過り、気付けばふとフレイの肩を抱いていた。

「しっ、シン?」
「フレイ……お前は、人間だ。俺達は神じゃない……すまない、俺とは違う。フレイはフレイだ」


 自分でも分からなかった。
 自分自身人間かどうかも分からないそんな状況で、何故フレイが変わっていくかもしれない事にこんな不安を抱くのか。
 ただ今はフレイと言うそんな人間がいなくなってしまう事が少し恐ろしくも感じていた。


「シン……ありがとう。だが大丈夫、私は……私だ……少し調子に乗りすぎたか、心配するな」


 フレイはふと緊張を緩めながら真に身体を委ねていた。
 真はそんなフレイに過去の自分を見ている様な気分にさせられる。
 もしかするとあの時の夏樹もこんな感情を自分に対し持っていたのかもしれないと今なら少し理解出来た様な気がしたのだ。
















 林を抜けると今度は辺り一面に広がる灰白色の台地。
 小さな小山がいくつも乱立し、良く見ればその山の一つ一つに小さな穴が幾つも空いている様にも思える。


「今度はこの山の間を越えていくのか?」


 真は一帯に広がるそんな光景を目にし、街らしき物が無い事から旅はまだ続くのかと憂鬱な気持ちをフレイにぶつけた。


「……いや、おかしい。ここは灰地だったはず……噴火灰の砂地を越えてすぐだったのだが。まさかこの十年でここまで領地を……」
「小さい山ですね、何か家みたいです」


 フレイはどうやら広がる光景に違和感を感じたようで、荷車から馬の背に乗り移り辺りを見回していた。
 道を間違ったのだろうかとも思ったがどうやらそうでもないらしい。ザイールの街その物がフレイが訪れていない十年の間に大きくなったと言う所であろう。

 馬の歩みを緩めながら灰白色の小山が並び立つ台地を進む。
 どうやら小山は一つ一つが家屋の様になっているらしく、時折そんな小山に開けられた穴から人が顔を出しているのが見てとれた。
 様々な人が幅の狭い道を行き交い、何やら賑わいを見せている。


「凄いな、まるで古代遺跡だ」

 真は地球での有形財産に指定されていた古代遺跡、カッパドキアを脳裏に描く。
 真自身も実際にそれを見た事があるわけではないが、目の前に広がるその町並みはまさにそんな遺跡に人が住み着いたと形容したくなる。

「古代遺跡か?遺跡は地下に伸びる物だろう、ここの家屋は過去にファンデル山脈が噴火した際に降らせた噴火灰を水で固めて造った物だ。だがここまで大きくなっているとはな……しかしやけに賑やかだな。何かあるのか」

「水で固めて……?」

 噴火灰とは火山灰の事だろうが、それが水で固まり家屋を造る程の強度を保てる物だろうか。真はふとそんな疑問を抱いていた。
 反射的にデバイスを弄り辺りの元素を補足するが、Siが多く含まれる事からフレイの話もあながち間違いでないと判断する。

 だがならば水では無く熱を利用し造ったのではないか、そんな科学者紛いの思考が浮かんだが今更こんなオカルトな世界に地球の常識を持ち込む等愚の骨頂。
 真はデバイスをしまい、再び灰色の家屋と行き交う人々に目を向けていた。
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