君は煙のように消えない

七星恋

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2章

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「なんか、ごめんね。」
 冷めたカフェラテを一口飲んで、紗綾はそんな言葉を投げ掛けた。
「謝るなよ。僕の事心配して連れ出してくれたんだろ?」
紗綾は特に頷きもしない。相当負い目を感じているらしい。
「君って本当に優しいんだね。」
「なんだよ、急に。」
そう返すと一瞬の沈黙が生まれた。
 いつの間にか西日の位置は低くなり、東の空は暗くなっている。もうすぐ今開講されている講義も終わり、門の前は電車を急ぐ学生で埋め尽くされる。カフェ内の席は疎らに埋められ、彼ら彼女らの話し声がBGMと調和する。私ね、と言う紗綾が投げた一単語から主旋律が奏でられ始める。彼女の声が綺麗かと言われれば、あまりよくわからない。だがとても落ち着く声だ。
「次の彼氏にはお風呂上がりの髪の毛を乾かして欲しいんだ。」
何を言い出すのだろうか。意外すぎる言葉に僕は目を見開いた。
「君は彼女のお風呂上がりの髪拭いたことある?」
 僕は数度縦に首を振った。シャワーを浴びたあの子の姿を思い出す。濡れた髪、湿った頬がいつもより色気を増させる。それをバスタオルでわしゃわしゃと拭く。雨の中を散歩してきた子犬のような笑みを浮かべる。ドライヤーで乾かしてやる。日向に眠る子猫のような微笑みをくれる。出来上がり、僕がシャワーを浴びに行こうとすると少し寂しそうな顔をする。一連の流れの愛しさに、僕はつい彼女を抱き締める。
「だよね。私もそうしてほしくてさ、彼に言ったのよ。髪を乾かしてって。すると彼はさ、そのくらい自分でやれよ、だって。」
「きっと女の子の髪を乾かす楽しさを知らないんだよ。」
僕は笑ってそう返した。かもね、と紗綾も笑った。
「それに、女の子の髪って綺麗で、傷つけたくないんだよ。僕も、これでいいのかなっていつも不安だったよ。」
僕は一応紗綾の元カレの肩をもった。実際そう思っていた自分もいたし、紗綾がまだ彼の事を愛している以上、その想い人の否定をするのは気が引ける。だが、紗綾はこれを否定した。
「それはね、違うんだよ。そんな事は気にしないの。どんな歪な形でもいい。ちゃんと愛している事を示して欲しいの。髪を傷つけたくないならそう言って欲しい。そしたら、私が彼に髪の毛の乾かし方くらい教えるのに。」
 愛の証明。紗綾が欲しかったのはそういうものらしい。
「もちろん、自分勝手だってわかってる。でもね、ある意味そうゆうのを見せてほしくて付き合ってるって部分もあるんだよ。別に結婚をして、子供が居て、その子を育てるために一緒にいるわけじゃないでしょ。一般的にはさ、家族でもない他人とこんなに密度ある時間を過ごすってゆうのは長い人生の中で本当に僅かな期間なわけで、そうゆう時期だからこそ歯の浮くような恋愛をしてみたいものじゃない。」
結局ね、と言い彼女は続ける。
「最後の方はね、彼が私に好きって言ってくれたのはセックスをしているときだけだったの。」
 夕暮れのカフェ、回りには他の学生や外からの客が居るなかで、セックスという単語はあまりにも似つかわしくなかった。それでも僕は彼女の語りに耳を傾ける。
「もっと言って欲しかったの。好きとか、可愛いとか、愛してるとか。」
紗綾の声が震える。
「もっと見せて欲しかったの。私に向ける愛の形を。」
彼女の肩も震え出す。
「だからつい甘え過ぎちゃった。すると彼は浮気したの。」
 きっと彼女の別れ話は良くあることだ。ありふれた、それこそドラマなんかで見るベタな展開。それでも、当事者を目にするとここまで心が痛むとは。
「正直に言うとね、私は君の元カノさんが羨ましい。」
 紗綾が僕の目を見つめる。今度は僕も逃げない。真摯に話を聴いてくれた、僕を励まそうとしている紗綾の一挙手一投足に心を向ける。
「君は彼女の心の病から逃げず、愛をもって向き合った。その愛を色々な形に昇華した。手料理であったり、対話であったり、セックスであったり。別れる時も彼女の事を想い続け、その一ヶ月後の今でも、君の愛が止むことはない。きっとあの子にとって、君は誇るべき元カレだ。」
「そう言ってもらえるとありがたいよ。」
僕は紗綾に微笑みを向けた。きっと僕らは似た者同士だ。愛する他者からの愛が僕らの生きている事の証明。そんな彼女の言葉だからこそ、僕の死んだ心がうかばれる。
「感謝してね。」
「もちろん。」
「じゃあさ、カフェラテ冷めちゃったから新の買って。」
 ふざけるな、と僕は笑った。彼女も笑った。いつの間にか授業が終わるチャイムがなっていたようで、門の前には人だかりができている。
 こみあった電車が嫌いな紗綾の為に、結局僕はカフェラテを買わされた。
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