君は煙のように消えない

七星恋

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 課題が終わらない。
 いや、実際のところ終わらせようと思えば直ぐに終わるのだが、この時の僕は終わらせたくなかったのだと思う。
 彼女と別れてもう二週間が経とうというところだった。
 取る講義のどれもに大量の課題が課されるのは我が学部では今日が終われば明日が来るのと同じくらいに当たり前だった。幸いにも自分は今学んでいる分野には興味がある方だし、そこそこに勉強は出来るので周りよりは首尾よくこなしているのだか、それにしてもあの教授陣にいつ毒を一杯盛ってやろうかと考えたことは一度や二度ではない。
 それでも今はその憎たらしい試練擬きですら手元から放したくなかった。藁どころか蕀にもすがる思いだった。何もしていないと、心のぽっかりと空いた隙間に彼女が居座る。何でもいい。とにかく型を埋めたかった。それができるのなら毒でも酸でも飲むだろう。
「進んでる?」
自習スペースで対面するように座る紗綾が僕に問いかけた。
「まあまあかな。」
「まあまあなんだ。」
つまらなさげに彼女は返した。
「どっちだったらよかった?」
「進んでたら教えて欲しかっただけだよ。」
 紗綾と仲良くなったのは自分がふられて二三日した時のことだった。それまでは、顔見知りではあるけど自発的に声を掛け合うことはなかった。そんな僕らがなぜ二人きりで向き合いながら課題をし、小言を挟むようになったのか。
 類は友を呼ぶだとか、同じ穴の狢と言うのはよく言ったものだ。簡単な話、紗綾も恋人に別れを告げられたのだ。それも、ちょうど僕と同じ日に。
 僕がふられた次の日に大学の食堂で廉にその話をしていると、隣の席で紗綾が女友達に彼氏にふられた話をしているのが耳に入った。
「紗綾もふられたの?」
「そうなのよ、聞いてよ。」
そういって紗綾は僕たちのもとへやってきた。そこからはお互いふられた経緯や、相手をどう思っているかという話をした。いつの間にか三人で飲みに行く約束までした。
 紗綾が付き合っていた男は同じ学部で一つ学年が上の優男だった。成績優秀なことで有名だったため、他学年との関わりのない自分も名前と顔くらいは知っていた。
 紗綾は簡単に言えば浮気をされた。別れるときは「好きじゃなくなった」と言われたのだが、後日彼の家に私物を取りに行ったときに、知らない歯ブラシが洗面所に置いてあったらしい。
 その話を居酒屋で聞いた僕は、彼女の計り知れない程に深くえぐられた傷に同情すると同時に、未だ捨てられず自室に残ったままの、あの子の歯ブラシを思いだし、自分にもそれだけの非情さがあれば少しは身を守れたのかもしれないと思い、未練がましく、その上で不謹慎な自分をまた嫌いになった。
「どこがわからないの?」
「ここなんだけど、読んでみて。」
 彼女が僕の方にパソコンの画面を向けた。お世辞でもなんでもなく、困り顔を浮かべる紗綾は恐ろしく可愛かった。これだけの女性をふって、別の女を抱く彼女の元恋人が腹立たしいが、同時に男として羨ましくも思った。
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