君は煙のように消えない

七星恋

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1章

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 「それっていいものなの?」
机の上に出ていた煙草を指差し、何の気なしに聴いてみた。
 「いいよ。」
廉は素っ気なく答えた。大学から徒歩二分ほどの場所にあるカフェチェーン店で男二人が向かい合いながら、僕は本を読み、彼はパソコンでなにやら作業をしていた時の話だ。廉はリズム良く文書作成ソフトに文字を打つ。所々に挟まれるエンターキーを強く弾く「タンッ」という音が、人によると思うが、僕は好きだ。タタタッ、タタ、タンッ。
「いる?」
「何が?」
「何がって、」
僕の顔など一切見ず、画面と向き合いながら、自分から会話を切り出す彼の器用さは見習いたい。
「煙草だよ。興味あるんじゃないの?」
え?っと一瞬戸惑ったが、確かに心の奥底では少し試してみたいと思ったのかも知れない。
 今までたくさんの愛煙家を見てきた。両親は今でも煙草を吸っているし、地元の友達や、大学の同期にも小さな紙の筒から出る煙を肺に入れ、それをまた吐き出すという非生産的にしか見えない行為を行うやつらはたくさんいる。「喫煙者は生きづらい」と言われているこのご時世によくやるものだと思っていた。だが、この時みたいに、わざわざその行為の感想を求めたのは初めてだ。
「まあ、無いこともない、かも。」
「なんだよそれ。まあいいよ。後で吸ってみな。一本あげるから。」
そういうと廉は結露したグラスの中に入ったアイスティーの残りをストローで一気にすすり、また作業をし始めた。滴る水滴が底に敷いた紙ナプキンを湿らせる。パリッとしていた一枚の紙は、上から降る涙を優しく受け止めているうちにずいぶん弱ってしまったらしい。
 僕も冷めたホットコーヒーの残りを胃の奥の方にぐっと押し込んだ。コーヒー自体は大好きだし、夏のアイスコーヒーはまさに至福の一杯だ。なのに、どうして冷めたホットコーヒーというやつはここまで美味しくないのだろうか。最後の一口を飲む度にいつも浮かぶ小さな疑問を例のごとく考えながら、僕は読んでいた本に向かわず、カップの底とにらめっこしていた。こびりついたコーヒーの染みを見て「ひどいジョークだね」と笑いそうになった。
 きっとこのカップは僕たちが帰り際にトレーを返した後に食洗機にかけられる。洗剤入りの熱湯と蒸気に揉まれ、ゾッとするほどの灼熱地獄を経験したこの繊細な割れ物は、そこから解放される前に、染みと後腐れなくお別れするのだろう。いや、無理やり引き剥がされるだけなのかも知れないが。
 では僕はどうだろうか。僕の心に居座る君は、どんな地獄を味わえば消えていってくれるのか。はたまた天国の方がよろしいか。いや、居座らせているのは僕の方で、君はもう、とうの昔からこんな場所から離れたくてウズウズしているのかもしれない。
 二人ともある程度の作業を終え、僕らはトレーとグラス、カップを返却棚に戻し、店を出た。体はそのまま道を挟んだとこにあるコンビニに向け動き出した。外には吸殻を処理するためだけにおかれた腰ほどの高さの銀の筒がおかれてある。
「ほい。」
廉は僕に一本の煙草を渡した。
「咥えて。」
言われるがままに僕は上下の唇で吸い口を挟む。不思議と抵抗感はなかった。
「いいよって言うまで。ストローを使う感じで、その部分を吸って。いいよって言ったら口を話して深呼吸するんだ。」
廉が煙草の先にライターの火を近づける。僕はさっき彼が飲んでいたアイスティーを思い出しながらストローとは全く別物の、白い小さな円柱を吸った。鼻の先の方で赤く灯った。
「いいよ。」
僕は口から煙草を離し、大きく息をした。すると、僕の喉をなにかが通っていくのを感じた。それまでの人生で一番たくさんの煙が肺に入った瞬間に、僕の体はびっくりしたのか、それを外に出そうと僕は汚く噎せた。
「ヤバい、気管が焼けそう。」
そう言っている僕をニヤニヤと見ながら、廉は自分の吸うタバコに火をつけていた。
 二口目も噎せた。三口目は吹かした。四口目は口から綺麗に煙が出た。
 煙は秋の肌寒い空気を割りながらフワフワと上がり、そのまま何事もなく消えていった。
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