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夏の幻影
思い出話1
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たくさんの思い出を作った午前。
海の家で昼食を取る。
店内は大広間と言っていい。
小上がりには草臥れた藺草のござが並べられ、長方形のテーブルが規則正しく並べられていた。
たくさんの小上がりの中で案内されたのは浜辺と海が見える角の席。
長方形のテーブルは七人で座ると少し手狭だ。
テーブルを囲うように座る。
僕を挟む形で右は恵さん、左は麗さん。
正面に亜希、亜希の右を鈴村、左は母さんが座る。
上座という形でテーブルの側面にポツンと白井先生が座った。
白井先生から見て右は母さん、左は恵さんであった。
それぞれ好きな物を注文して、食べ終えてから本題に入る。
「僕の記憶や思い出話を聴かせて下さい。何か知っている人は?」
誰も語る者はいない。
普段から色々と訊ねていたので、あらためて話すようなことはないのだろう。
あるとするなら一昨年の海水浴での思い出くらいか。
それすら午前中だけで全てを消化してきた。
もう意味がないと判断して質問の受付を閉めようとした。
「一つだけ良いかしら?」
母さんが小さく右手を上げていた。
僕が頷くと、母さんは遠い目をして語りだした。
「あれは至恩が小学校二年生で、亜希が保育園の年長組だった頃の話よ。二人は離岸流に巻き込まれたの。二人とも浮き輪をしていたから溺れずに済んだけれど、どんどん沖へ流されて行った。いち早く気づいた英二さんは離岸流に飛び込み、流れを利用して泳いで二人の元に辿り着いた。英二さんとあなた達は離岸流に流されながらも、英二さんは岸と平行に泳いで窮地を脱したの。あの時の事を思い出すと今でも生きた心地がしないわ」
母さんはアイスコーヒーのストローを咥えて吸った。
僕は正面の亜希へ目で「知ってた?」と訊ねた。
亜希は首を左右に振った。
母さんは視線を落とし、口紅のついたストローでアイスコーヒーをかき混ぜながら言った。
「至恩も亜希も思い出せなくても仕方がないのよ。特に亜希は何かの遊びと勘違いして喜んでいたからね。亜希は『お父さんもう一回』とせがむ程だったから、印象に残って無いのかも」
小さな笑いが起きた。
でも母さんは間を空けずに続ける。
「被害がなかったからこうして笑い話となっているわ。後になって何で危険な行為をしたのよと英二さんを叱ったわ。そしたら英二さんはなんて答えたと思う?」
母さんはここにいる全員の顔を見渡してから続けて言った。
「大切な家族だから。自分の命を引き換えにしてでも家族を守りたいと言ってた。英二さんはそういう人なの。それを至恩と亜希に伝えたかったの。できれば英二さんから直接聞いて欲しかったけどね……」
海、浜辺、海の家、それぞれの喧騒が聞こえる中で、僕らが座るこの席だけは喧騒のボリュームを絞られているような、それでいて夏なのに少しだけ涼しく不思議な感覚に陥っていた。
そして浜風が揺らす風鈴の音がどこか寂しげで、父さんの御霊に捧げるお鈴のようだった。
「母さん、父さんはあの事故からも僕を守ってくれたと思う」
「何か思い出せたの?」
母さんは僕をじっと見ている。
多分だけど、僕の中に居ると思っている父さんの魂に問い掛けたものだと僕は感じた。
僕はそこには触れずに答えた。
「あの事故はほんの僅かな差で生き残れたと思っている。これは僕の想像だけど、父さんはトラックと衝突する直前にハンドルを切ったんじゃないかな。避けられない危機の中で自分の命を犠牲にしてでも僕を守ろうとしたのかも。母さんが語った人物像ならきっとそうしている。だから僕は父さんへ『守ってくれてありがとう』と伝えたい。届くかどうかは分からないけど」
少し間が空いてから。
「ありがとう英二さん」
母さんの言った後に、なぜか皆も「ありがとう」と続いた。
不思議に思った僕は皆へ訊ねた。
「何で皆がありがとうを?」
それに答えたのは麗さんだった。
「親父さんが至恩を守ってくれたから、私は至恩と出会えた。こうして海水浴に来れたんだ。だからありがとうなんだ」
確かにその通りだ。
僕は生きていたから、こうして皆と出会えた。
オリジナルのトラウマから生まれたコピーでしかない僕にも、大切な人たちとの繋がりがあって今日の海水浴で思い出も作れた。
もう充分だ。
僕は生きた証を残せたのだから。
最後にもう一度訊ねる。
「僕に記憶や思い出とかあった教えて下さい」
皆の顔を眺める。
そして最後に恵さんと目と目があった。
恵さんは何かを言いかけて口を小さく開いたけれど、何も言わずにそのまま視線をテーブルに落とした。
気になったので訊ねた。
「恵さんは何か話したいことがある?」
「……いいえ、無いわ」
「……そうか。みんな協力ありがとう。午後は帰る時間まで自由に過ごそう」
話は終わって解散した。
一人で考え事をしたくて海の家に残る。
麗さんも残っていた。
「ちょっとツラ貸せよ至恩」
麗さんの後をついて行くと、海の家の前で立ち止まった。
海を眺めながら麗さんは言った。
「恵の様子がおかしいと思わないか?」
麗さんも何か気づいているようだった。
「さっき何か言いかけてやめたね」
「恵は私に気を遣ってるんだろ。それにな、至恩意外に聴かれたくない話があるんじゃないか。至恩の方から誘って話を聴いてみろよ」
「でもそれは……麗さんが」
「気にするな。一応恵とは至恩を半分こにしようと取り決めてあるんだ。ま、お互い様ってことだな」
「……いつの間に。わかったよ。恵さんを誘ってみる」
僕が渚に向かって歩き出すと、後ろから麗さんに呼び止められた。
振り向くと、麗さんは目に涙を浮かべ、流れ落ちないようにぐっと堪えていた。
「あのよ、もう最後になるかもしれないからよ、至恩にちゃんと伝えておく。出会えて良かった。好きになって良かった。ありがとう至恩。何か急に走りたくなって来た。砂浜で走ると下半身が強化されると聞くし。ちょっと走ってくるわ」
麗さんは人気の無い所へ走り去って行く。
僕は走る麗さんの後ろ姿を目で追いかけた。
どんどん小さくなる麗さんのは、やがて揺らめく陽炎の中で溶けて消えた。
海の家で昼食を取る。
店内は大広間と言っていい。
小上がりには草臥れた藺草のござが並べられ、長方形のテーブルが規則正しく並べられていた。
たくさんの小上がりの中で案内されたのは浜辺と海が見える角の席。
長方形のテーブルは七人で座ると少し手狭だ。
テーブルを囲うように座る。
僕を挟む形で右は恵さん、左は麗さん。
正面に亜希、亜希の右を鈴村、左は母さんが座る。
上座という形でテーブルの側面にポツンと白井先生が座った。
白井先生から見て右は母さん、左は恵さんであった。
それぞれ好きな物を注文して、食べ終えてから本題に入る。
「僕の記憶や思い出話を聴かせて下さい。何か知っている人は?」
誰も語る者はいない。
普段から色々と訊ねていたので、あらためて話すようなことはないのだろう。
あるとするなら一昨年の海水浴での思い出くらいか。
それすら午前中だけで全てを消化してきた。
もう意味がないと判断して質問の受付を閉めようとした。
「一つだけ良いかしら?」
母さんが小さく右手を上げていた。
僕が頷くと、母さんは遠い目をして語りだした。
「あれは至恩が小学校二年生で、亜希が保育園の年長組だった頃の話よ。二人は離岸流に巻き込まれたの。二人とも浮き輪をしていたから溺れずに済んだけれど、どんどん沖へ流されて行った。いち早く気づいた英二さんは離岸流に飛び込み、流れを利用して泳いで二人の元に辿り着いた。英二さんとあなた達は離岸流に流されながらも、英二さんは岸と平行に泳いで窮地を脱したの。あの時の事を思い出すと今でも生きた心地がしないわ」
母さんはアイスコーヒーのストローを咥えて吸った。
僕は正面の亜希へ目で「知ってた?」と訊ねた。
亜希は首を左右に振った。
母さんは視線を落とし、口紅のついたストローでアイスコーヒーをかき混ぜながら言った。
「至恩も亜希も思い出せなくても仕方がないのよ。特に亜希は何かの遊びと勘違いして喜んでいたからね。亜希は『お父さんもう一回』とせがむ程だったから、印象に残って無いのかも」
小さな笑いが起きた。
でも母さんは間を空けずに続ける。
「被害がなかったからこうして笑い話となっているわ。後になって何で危険な行為をしたのよと英二さんを叱ったわ。そしたら英二さんはなんて答えたと思う?」
母さんはここにいる全員の顔を見渡してから続けて言った。
「大切な家族だから。自分の命を引き換えにしてでも家族を守りたいと言ってた。英二さんはそういう人なの。それを至恩と亜希に伝えたかったの。できれば英二さんから直接聞いて欲しかったけどね……」
海、浜辺、海の家、それぞれの喧騒が聞こえる中で、僕らが座るこの席だけは喧騒のボリュームを絞られているような、それでいて夏なのに少しだけ涼しく不思議な感覚に陥っていた。
そして浜風が揺らす風鈴の音がどこか寂しげで、父さんの御霊に捧げるお鈴のようだった。
「母さん、父さんはあの事故からも僕を守ってくれたと思う」
「何か思い出せたの?」
母さんは僕をじっと見ている。
多分だけど、僕の中に居ると思っている父さんの魂に問い掛けたものだと僕は感じた。
僕はそこには触れずに答えた。
「あの事故はほんの僅かな差で生き残れたと思っている。これは僕の想像だけど、父さんはトラックと衝突する直前にハンドルを切ったんじゃないかな。避けられない危機の中で自分の命を犠牲にしてでも僕を守ろうとしたのかも。母さんが語った人物像ならきっとそうしている。だから僕は父さんへ『守ってくれてありがとう』と伝えたい。届くかどうかは分からないけど」
少し間が空いてから。
「ありがとう英二さん」
母さんの言った後に、なぜか皆も「ありがとう」と続いた。
不思議に思った僕は皆へ訊ねた。
「何で皆がありがとうを?」
それに答えたのは麗さんだった。
「親父さんが至恩を守ってくれたから、私は至恩と出会えた。こうして海水浴に来れたんだ。だからありがとうなんだ」
確かにその通りだ。
僕は生きていたから、こうして皆と出会えた。
オリジナルのトラウマから生まれたコピーでしかない僕にも、大切な人たちとの繋がりがあって今日の海水浴で思い出も作れた。
もう充分だ。
僕は生きた証を残せたのだから。
最後にもう一度訊ねる。
「僕に記憶や思い出とかあった教えて下さい」
皆の顔を眺める。
そして最後に恵さんと目と目があった。
恵さんは何かを言いかけて口を小さく開いたけれど、何も言わずにそのまま視線をテーブルに落とした。
気になったので訊ねた。
「恵さんは何か話したいことがある?」
「……いいえ、無いわ」
「……そうか。みんな協力ありがとう。午後は帰る時間まで自由に過ごそう」
話は終わって解散した。
一人で考え事をしたくて海の家に残る。
麗さんも残っていた。
「ちょっとツラ貸せよ至恩」
麗さんの後をついて行くと、海の家の前で立ち止まった。
海を眺めながら麗さんは言った。
「恵の様子がおかしいと思わないか?」
麗さんも何か気づいているようだった。
「さっき何か言いかけてやめたね」
「恵は私に気を遣ってるんだろ。それにな、至恩意外に聴かれたくない話があるんじゃないか。至恩の方から誘って話を聴いてみろよ」
「でもそれは……麗さんが」
「気にするな。一応恵とは至恩を半分こにしようと取り決めてあるんだ。ま、お互い様ってことだな」
「……いつの間に。わかったよ。恵さんを誘ってみる」
僕が渚に向かって歩き出すと、後ろから麗さんに呼び止められた。
振り向くと、麗さんは目に涙を浮かべ、流れ落ちないようにぐっと堪えていた。
「あのよ、もう最後になるかもしれないからよ、至恩にちゃんと伝えておく。出会えて良かった。好きになって良かった。ありがとう至恩。何か急に走りたくなって来た。砂浜で走ると下半身が強化されると聞くし。ちょっと走ってくるわ」
麗さんは人気の無い所へ走り去って行く。
僕は走る麗さんの後ろ姿を目で追いかけた。
どんどん小さくなる麗さんのは、やがて揺らめく陽炎の中で溶けて消えた。
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