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出たとこ勝負
解き放て亡霊を2
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僕は一世一代の大嘘をつこうとしている。
多重人格者の僕がオリジナルの月島至恩の体を間借りし、さらに月島英二に成り済まして、月島花楓の心に巣食う亡霊を祓おうというのだからなんとも痛快である。
夕食を終え、僕と母さんはリビングのソファーに座り向かい合っていた。
僕の左隣に座っている亜希の右手が僕の左手に触れる。
微かに手が震えていた。
安心させようと手を繋ぐと、亜希はぎゅっと握り返してくる。
亜希の震えが治まったのを見計らって話を切り出そうとしたものの、出たとこ勝負のノープランだったため、どう話していいか分からず悩む。
妙な間が生まれリビングは静寂に包まれた。
聞こえてくるのは時を刻む時計の秒針と、幼少期から共に年輪を重ねて旧式となったエアコンの稼働音。
音が大きいだけで青色吐息のような冷風が僕の体をやんわりと撫で、テーブルの上の白いティーカップから立ち昇るコーヒーの湯気を揺らめかせた。
僕はティーカップの取っ手を掴み、コーヒーを一口飲んで喉を潤す。
母さんが豆を挽いて入れたコーヒーはとても美味しく、口から鼻へ抜ける香りまで絶品である。
ティーカップを受け皿に置いてから「旨い」と呟いた。
母さんは満面の笑顔で言った。
「英二さんがコーヒーの挽き方と入れ方を教えてくれたの。もうあの日がとても遠い日の思い出に感じるわ。少しは上達したと思うの」
母さんもコーヒーを飲み「美味しい」と自画自賛して喜んだ。
僕は夫婦との間にある記憶は当然知らない。
当人同士の思い出だから。
なので記憶喪失という状況を利用して、母さんとの会話を進めることにした。
「僕はね、至恩ほどではないけど、所々に記憶の欠落があるんだ。でも花楓が入れてくれたコーヒーの味は覚えていた。僕が入れたコーヒーよりもずっと美味しくなっているよ」
母さんは少し寂しそうに微笑みながら言った。
「もう、どうせお世辞でしょ?」
「そんなことはない。コーヒーの味が格段に上がっているからね。僕がいなくなってから研鑽をつんでいたんだね」
母さんは一瞬驚いた顔をしたけれど、目を閉じてから右手を胸に当てて、喜びを噛み締めながら俯いた
やがて閉じた両目からポロポロと涙が流れ落ちて行く。
静かなリビングに時計とエアコンの音に、母さんの啜り泣く声が加わった。
そして僕の手を握る亜希の手の力が増した。
僕は話を続けた。
「至恩の体に僕の魂が宿った理由は分からないけど、至恩の魂が日増しに強さを増しているのを僕も感じる。もう至恩の目覚める時は近いのかもしれないね」
よくもまあ、こんなデタラメが言えるものだと自己嫌悪に陥る。
母さんを救うためとはいえ、父さんと母さんの大切な思い出を踏みにじるようでつらい。
でも父さんの魂が僕の中で生きてるという母さんの妄想は絶ち切らないといけない。
父さんの亡霊を宿しているのは僕の体ではなく、母さんの心の中だからだ。
母さんの心から父さんの亡霊を解き放ちたい。
故人を利用することに後ろめたはを感じるけれど、もう引き返すことはできない。
最後まで嘘を貫き通すしかなかった。
「きっと僕には成仏できない理由があったんだね。未練と言うべきかな。ひょっとしたら悲しみと絶望に沈む家族を見捨てて天国へ行くことにためらいがあったのかもね」
母さんは目を閉じたまま返す。
「私は英二さんの存在をずっと近くに感じていたわ。ベッドに眠る至恩、元気のない亜希、毎日泣いてばかりの私。皆を励ましているような気がしたの。病室の中で私だけが一方的に話してたのを覚えているかしら?」
「ごめん花楓。そこら辺の記憶は少し曖昧なんだ」
「覚えていなくても構わないわ。こうして私の求めに応じて英二さんが家族を救ってくれたのだから」
母さんは泣き崩れる。
亜希は母さんの右隣へ移り、母さんの肩を抱いて一緒に泣き出した。
僕は嘘を重ね続けた。
「花楓にとって辛い報告をしなければならない。聴いてくれるかい?」
母さんは赤く腫れた目で僕を見る。
嗚咽をあげて泣く母さんはもう会話になりそうもない。
隣に座る亜希が「続けて」と促しきた。
僕を頷き、嘘の上に嘘を積み重ねて言った。
「至恩が目覚めたら、僕は至恩の体に留まることは出来ないだろう。この世に残した未練が無くなるから。だから旅立つ前に伝えおきたいことがあるんだ」
母さんはただ泣きながら小さく二度頷いた。
慎重に言葉を選びながら言った。
「花楓と出会えて本当に良かった。ありがとう。そして至恩と亜希に巡り会えた僕は幸せだったよ。僕がこの世に留まれる時間は多分あと僅。これらは家族三人で力を合わせて生きて欲しい。僕は三人の幸せを空から見守っている」
「……はい英二さん。でも、もう一度強くで抱き締めて下さい」
「分かった」
僕は立ち上がり母さんの元へ。
母さんは待ちきれないといった感じで駆け寄って来て、僕の胸の中に飛び込んできた。
母さんは僕の胸の中で子供のように泣いた。
僕は母さんを後頭部を撫で慰めながら言った。
「花楓は頑張り過ぎた。少し精神的に疲れている。至恩が通院する日に一緒に診て貰った方がいいよ。僕が安心して旅立つためにもね」
「はい、英二さんのためなら」
母さんは素直に従ってくれた。
亜希に視線を移すと、涙を指で拭ってからサムズアップして微笑んだ。
僕らの出たとこ勝負は上手くいったかに見えた。
* *
病院の帰り道の車中、ルームミラーに映る母さんを左後部座席から見ていた。
助手席の亜希と会話をしている。
母さんは憑き物が取れたような晴々とし表情をしていた。
それとは逆に僕の心は、今日の曇天の空みたいに晴れない。
きっと亜希もそう感じているはず。
僕らは納得していない。
母さんの診断結果が正常だったことに。
ルームミラーに映る母さんと目と目が合った。
母さんの妖艶な眼差しに背筋が凍った。
多重人格者の僕がオリジナルの月島至恩の体を間借りし、さらに月島英二に成り済まして、月島花楓の心に巣食う亡霊を祓おうというのだからなんとも痛快である。
夕食を終え、僕と母さんはリビングのソファーに座り向かい合っていた。
僕の左隣に座っている亜希の右手が僕の左手に触れる。
微かに手が震えていた。
安心させようと手を繋ぐと、亜希はぎゅっと握り返してくる。
亜希の震えが治まったのを見計らって話を切り出そうとしたものの、出たとこ勝負のノープランだったため、どう話していいか分からず悩む。
妙な間が生まれリビングは静寂に包まれた。
聞こえてくるのは時を刻む時計の秒針と、幼少期から共に年輪を重ねて旧式となったエアコンの稼働音。
音が大きいだけで青色吐息のような冷風が僕の体をやんわりと撫で、テーブルの上の白いティーカップから立ち昇るコーヒーの湯気を揺らめかせた。
僕はティーカップの取っ手を掴み、コーヒーを一口飲んで喉を潤す。
母さんが豆を挽いて入れたコーヒーはとても美味しく、口から鼻へ抜ける香りまで絶品である。
ティーカップを受け皿に置いてから「旨い」と呟いた。
母さんは満面の笑顔で言った。
「英二さんがコーヒーの挽き方と入れ方を教えてくれたの。もうあの日がとても遠い日の思い出に感じるわ。少しは上達したと思うの」
母さんもコーヒーを飲み「美味しい」と自画自賛して喜んだ。
僕は夫婦との間にある記憶は当然知らない。
当人同士の思い出だから。
なので記憶喪失という状況を利用して、母さんとの会話を進めることにした。
「僕はね、至恩ほどではないけど、所々に記憶の欠落があるんだ。でも花楓が入れてくれたコーヒーの味は覚えていた。僕が入れたコーヒーよりもずっと美味しくなっているよ」
母さんは少し寂しそうに微笑みながら言った。
「もう、どうせお世辞でしょ?」
「そんなことはない。コーヒーの味が格段に上がっているからね。僕がいなくなってから研鑽をつんでいたんだね」
母さんは一瞬驚いた顔をしたけれど、目を閉じてから右手を胸に当てて、喜びを噛み締めながら俯いた
やがて閉じた両目からポロポロと涙が流れ落ちて行く。
静かなリビングに時計とエアコンの音に、母さんの啜り泣く声が加わった。
そして僕の手を握る亜希の手の力が増した。
僕は話を続けた。
「至恩の体に僕の魂が宿った理由は分からないけど、至恩の魂が日増しに強さを増しているのを僕も感じる。もう至恩の目覚める時は近いのかもしれないね」
よくもまあ、こんなデタラメが言えるものだと自己嫌悪に陥る。
母さんを救うためとはいえ、父さんと母さんの大切な思い出を踏みにじるようでつらい。
でも父さんの魂が僕の中で生きてるという母さんの妄想は絶ち切らないといけない。
父さんの亡霊を宿しているのは僕の体ではなく、母さんの心の中だからだ。
母さんの心から父さんの亡霊を解き放ちたい。
故人を利用することに後ろめたはを感じるけれど、もう引き返すことはできない。
最後まで嘘を貫き通すしかなかった。
「きっと僕には成仏できない理由があったんだね。未練と言うべきかな。ひょっとしたら悲しみと絶望に沈む家族を見捨てて天国へ行くことにためらいがあったのかもね」
母さんは目を閉じたまま返す。
「私は英二さんの存在をずっと近くに感じていたわ。ベッドに眠る至恩、元気のない亜希、毎日泣いてばかりの私。皆を励ましているような気がしたの。病室の中で私だけが一方的に話してたのを覚えているかしら?」
「ごめん花楓。そこら辺の記憶は少し曖昧なんだ」
「覚えていなくても構わないわ。こうして私の求めに応じて英二さんが家族を救ってくれたのだから」
母さんは泣き崩れる。
亜希は母さんの右隣へ移り、母さんの肩を抱いて一緒に泣き出した。
僕は嘘を重ね続けた。
「花楓にとって辛い報告をしなければならない。聴いてくれるかい?」
母さんは赤く腫れた目で僕を見る。
嗚咽をあげて泣く母さんはもう会話になりそうもない。
隣に座る亜希が「続けて」と促しきた。
僕を頷き、嘘の上に嘘を積み重ねて言った。
「至恩が目覚めたら、僕は至恩の体に留まることは出来ないだろう。この世に残した未練が無くなるから。だから旅立つ前に伝えおきたいことがあるんだ」
母さんはただ泣きながら小さく二度頷いた。
慎重に言葉を選びながら言った。
「花楓と出会えて本当に良かった。ありがとう。そして至恩と亜希に巡り会えた僕は幸せだったよ。僕がこの世に留まれる時間は多分あと僅。これらは家族三人で力を合わせて生きて欲しい。僕は三人の幸せを空から見守っている」
「……はい英二さん。でも、もう一度強くで抱き締めて下さい」
「分かった」
僕は立ち上がり母さんの元へ。
母さんは待ちきれないといった感じで駆け寄って来て、僕の胸の中に飛び込んできた。
母さんは僕の胸の中で子供のように泣いた。
僕は母さんを後頭部を撫で慰めながら言った。
「花楓は頑張り過ぎた。少し精神的に疲れている。至恩が通院する日に一緒に診て貰った方がいいよ。僕が安心して旅立つためにもね」
「はい、英二さんのためなら」
母さんは素直に従ってくれた。
亜希に視線を移すと、涙を指で拭ってからサムズアップして微笑んだ。
僕らの出たとこ勝負は上手くいったかに見えた。
* *
病院の帰り道の車中、ルームミラーに映る母さんを左後部座席から見ていた。
助手席の亜希と会話をしている。
母さんは憑き物が取れたような晴々とし表情をしていた。
それとは逆に僕の心は、今日の曇天の空みたいに晴れない。
きっと亜希もそう感じているはず。
僕らは納得していない。
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