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出たとこ勝負
空白2
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風が収まる。
フリーズしていた脳が動き出す。
よくよく考えてみたら僕と亜希の兄妹という関係は、多重人格の僕が現れてから複雑になっていた。
体は亜希の兄ではあるけれど、中身は全くの別人。
それなら亜希が僕に惚れるのは仕方がないのかもしれないし、いわゆる多様性の一つなのでアリかもしれない。
なーんて論理と倫理が成立するわけがなく。
その前に亜希の言う好きは、妹として兄が好きだと言っている可能性もあるわけで。
本人に確認してみよう。
「あー、その、亜希が言う好きは、妹として兄が好きだという意味だよな?」
「確かにヘタレ変態のお馬鹿兄さんは弄り甲斐があって好き。でも至恩くんはそれと違っていて、亜希のセカンドラブなんです」
なるほど亜希の気持ちが本気だということが分かった。
それとバッタもんは妹にオモチャにされていた事実を知る。
それを俯瞰的な立場で見ていたバッタもんは今なにを思うのか。
どうせ顔を真っ赤にして地面をゴロゴロと転がりながら「もう止めて俺のHPはゼロよ」と叫んでいるに違いない。
取りあえずバッタもんは一旦脇に置いといて。
さてはて亜希の告白をどう断るぺきか。
多重人格の僕からすれば亜希は妹ではなく一人の女性である。
こんな可愛い子に告白されたら普通の男子は小躍するくらいに喜ぶだろう。
実際僕も嬉しいわけだし。
もし僕という人格に体があったとしたら悩む必要なく、お辞儀して右手を差し出し「お願いします」と言うだろう。
けれど僕の多重人格で体はオリジナルの月島至恩。
付き合うわけにはいかない。
できるだけ亜希を傷つけずに断れるかだけど、そんな方法はないだろう。
僕が答えに困っていると。
「わかっているから至恩くん。亜希は至恩くんと付き合おうなんて思ってないから。困った至恩くんも少し可愛いかもフフフッ」
再び風が吹く。
風は亜希のショートボブをふわりとさらい、スカート裾をひらりとはためかせる。
亜希は髪とスカートを手で押さえながら、真っ直ぐな視線で僕に柔かに微笑んだ。
けれどその微笑が物悲しく見える。
亜希へかける言葉が思い浮かばない。
見つめ返す以外に手立てはなかった。
「ねえ手を繋ごうよ。兄と妹としてね」
亜希は左手をスッと差し出した。
僕は自然と右手が伸びて軽く手を握る。
しかし亜希は一旦手を離してから恋人繋ぎに変えて微笑んで言った。
「知らない人がすれ違ったら恋人に見えたりするかな?」
「多分だけど顔が似ているから仲の良い兄と妹にしか見えないんじゃないかな」
「至恩くんってノリが悪いのね」
亜希は頬を膨らませ、ジト目で僕を見ている。
僕は亜希をたしなめる。
「そんな目で僕を見ても事実は変わらない。それとな、僕はそういった不埒な交際は認めたりはしない」
「時々お父さんっぽいことを言うよね至恩くんは」
「父さん?」
「うん」
「……まあ多重人格だけど血は繋がった親子。似た言動や行動をするんじゃないかな」
「そうかもね」
亜希が短く答えてからしばらく沈黙が続いた。
気になって亜希を窺うと、どこか、ずっとずっと遠い場所を見ているような。
気になって訊ねた。
「どうした?」
「思い出してたの。中学生の頃にね、こうしてお父さんとこの道を手を繋いで歩いたことを。あの事故がおこる少し前で桜並木が秋色に染まり始めた頃だったわ。あの時の普通の日常が今では大切な思い出になってしまったの」
亜希は足を止めた。
少し前に出てしまった僕は振り返る。
亜希は遠い目をしたままで青々とした桜の緑葉を見上げていた。
「大好きだったお父さんと歩いた桜並木。そのあとに事故で死んじゃった。怒りと悲しみをどこにぶつけて良いか分からなかった。毎日泣いていた母さんにも、昏睡状態の兄さんも向けられない。だから亜希は大好きだった姉さんに向けたの」
僕も亜希の見ている緑葉を見ながら言った。
「だから恵さんに辛くあたっていたのか……」
「それも理由の一つだけど、それが一番の理由じゃないよ」
「どういうこと?」
「昏睡状態から目覚めた兄さん、正確には別の人格の至恩くんのこと。担当医から多重人格と言われて兄さんをも失ったみたいでショックだったんだ。これからは別人となった兄さんと暮らしていくのかなあと思うと憂鬱だった」
亜希はゆっくりと歩きだす。
僕は亜希の歩幅にあわせた。
「でもね、至恩くんは『記憶を取り戻すために、家族と元通りの生活を』とか言って、苦しいリハビリに耐えて頑張ってたよね。亜希はその姿をこっそりと見守っていたんだよ。知ってた?」
「知らなかった」
「亜希はね、記憶喪失で多重人格のハンデを持つ至恩くんの頑張る姿にだんだんと惹かれていった。気づいたら好きになってた。普通の女の子に無い感覚で、いけないことだと分かっていても感情は止められなかった。そして亜希は意地悪になった。恵ちゃんに至恩くんを取られたくなくて、会わせたくなかったのが一番の理由だったんだ」
亜希の隠された想いが詳らかになる。
これは亜希の記憶で僕の記憶を取り戻す手掛かりにはならないだろう。
けれど聴けてよかった。
亜希がずっと抱えてきたことを知れてよかった。
僕は心から素直な気持ちを伝えた。
「僕を好きになってくれてありがとう。僕と血が繋がってなかったら間違いなく亜希と交際してたと思うよ」
「そうだよね……血が繋がっているんだよね。血の繋がりのせいでファーストラブもセカンドラブも叶わなかったけどね」
「え、亜希の初恋の相手はまさか」
「お父さん」
屈託ないの笑顔を見せる亜希。
その笑顔になんとなく救われたような気がした。
亜希にとってお父さんの死は過去へ変わりつつ、その辛い過去から立ち直りつつあるんだなと感じた。
「ねえ止まって至恩くん」
僕は足を止める。
亜希は手を離してゆっくりと歩いて僕の正面に立った。
手を伸ばせば亜希に触れられるギリギリの距離にいる。
亜希は無言で僕の目をじっと見る。
僕も視線をそらさずにじっと見つめ返す。
亜希の目は潤んでいて儚げ。
僕と亜希との間に生まれた長い沈黙と微妙な距離感。
強い風が僕たちの間を事無げに吹き抜ける。
亜希は大きく息を吸っておもむろに口を開く。
「亜希はもう受け入れられたよ。お父さんのこと、兄さんのこと、そして至恩くんのことも。でもまだまだ過去に苦しんでいる人がいるのを知っている?」
「誰のこと?」
亜希の表情は崩れて涙が流れて落ちて行った。
「お願い……お願いだからお母さんを助けて。このままじゃお母さんが壊れちゃうよ。お願い、お母さんを助けて兄さん」
亜希は僕を初めて兄と呼んだ。
僕は駆け寄り亜希を抱き締める。
「ずっと抱え込ませてごめんな亜希。もうその重荷を一人で背負う必要はない。僕にも預けてくれ」
亜希は僕の胸の中で啜り泣く。
吹き続ける一陣の風は亜希の泣き声を掻き消した。
フリーズしていた脳が動き出す。
よくよく考えてみたら僕と亜希の兄妹という関係は、多重人格の僕が現れてから複雑になっていた。
体は亜希の兄ではあるけれど、中身は全くの別人。
それなら亜希が僕に惚れるのは仕方がないのかもしれないし、いわゆる多様性の一つなのでアリかもしれない。
なーんて論理と倫理が成立するわけがなく。
その前に亜希の言う好きは、妹として兄が好きだと言っている可能性もあるわけで。
本人に確認してみよう。
「あー、その、亜希が言う好きは、妹として兄が好きだという意味だよな?」
「確かにヘタレ変態のお馬鹿兄さんは弄り甲斐があって好き。でも至恩くんはそれと違っていて、亜希のセカンドラブなんです」
なるほど亜希の気持ちが本気だということが分かった。
それとバッタもんは妹にオモチャにされていた事実を知る。
それを俯瞰的な立場で見ていたバッタもんは今なにを思うのか。
どうせ顔を真っ赤にして地面をゴロゴロと転がりながら「もう止めて俺のHPはゼロよ」と叫んでいるに違いない。
取りあえずバッタもんは一旦脇に置いといて。
さてはて亜希の告白をどう断るぺきか。
多重人格の僕からすれば亜希は妹ではなく一人の女性である。
こんな可愛い子に告白されたら普通の男子は小躍するくらいに喜ぶだろう。
実際僕も嬉しいわけだし。
もし僕という人格に体があったとしたら悩む必要なく、お辞儀して右手を差し出し「お願いします」と言うだろう。
けれど僕の多重人格で体はオリジナルの月島至恩。
付き合うわけにはいかない。
できるだけ亜希を傷つけずに断れるかだけど、そんな方法はないだろう。
僕が答えに困っていると。
「わかっているから至恩くん。亜希は至恩くんと付き合おうなんて思ってないから。困った至恩くんも少し可愛いかもフフフッ」
再び風が吹く。
風は亜希のショートボブをふわりとさらい、スカート裾をひらりとはためかせる。
亜希は髪とスカートを手で押さえながら、真っ直ぐな視線で僕に柔かに微笑んだ。
けれどその微笑が物悲しく見える。
亜希へかける言葉が思い浮かばない。
見つめ返す以外に手立てはなかった。
「ねえ手を繋ごうよ。兄と妹としてね」
亜希は左手をスッと差し出した。
僕は自然と右手が伸びて軽く手を握る。
しかし亜希は一旦手を離してから恋人繋ぎに変えて微笑んで言った。
「知らない人がすれ違ったら恋人に見えたりするかな?」
「多分だけど顔が似ているから仲の良い兄と妹にしか見えないんじゃないかな」
「至恩くんってノリが悪いのね」
亜希は頬を膨らませ、ジト目で僕を見ている。
僕は亜希をたしなめる。
「そんな目で僕を見ても事実は変わらない。それとな、僕はそういった不埒な交際は認めたりはしない」
「時々お父さんっぽいことを言うよね至恩くんは」
「父さん?」
「うん」
「……まあ多重人格だけど血は繋がった親子。似た言動や行動をするんじゃないかな」
「そうかもね」
亜希が短く答えてからしばらく沈黙が続いた。
気になって亜希を窺うと、どこか、ずっとずっと遠い場所を見ているような。
気になって訊ねた。
「どうした?」
「思い出してたの。中学生の頃にね、こうしてお父さんとこの道を手を繋いで歩いたことを。あの事故がおこる少し前で桜並木が秋色に染まり始めた頃だったわ。あの時の普通の日常が今では大切な思い出になってしまったの」
亜希は足を止めた。
少し前に出てしまった僕は振り返る。
亜希は遠い目をしたままで青々とした桜の緑葉を見上げていた。
「大好きだったお父さんと歩いた桜並木。そのあとに事故で死んじゃった。怒りと悲しみをどこにぶつけて良いか分からなかった。毎日泣いていた母さんにも、昏睡状態の兄さんも向けられない。だから亜希は大好きだった姉さんに向けたの」
僕も亜希の見ている緑葉を見ながら言った。
「だから恵さんに辛くあたっていたのか……」
「それも理由の一つだけど、それが一番の理由じゃないよ」
「どういうこと?」
「昏睡状態から目覚めた兄さん、正確には別の人格の至恩くんのこと。担当医から多重人格と言われて兄さんをも失ったみたいでショックだったんだ。これからは別人となった兄さんと暮らしていくのかなあと思うと憂鬱だった」
亜希はゆっくりと歩きだす。
僕は亜希の歩幅にあわせた。
「でもね、至恩くんは『記憶を取り戻すために、家族と元通りの生活を』とか言って、苦しいリハビリに耐えて頑張ってたよね。亜希はその姿をこっそりと見守っていたんだよ。知ってた?」
「知らなかった」
「亜希はね、記憶喪失で多重人格のハンデを持つ至恩くんの頑張る姿にだんだんと惹かれていった。気づいたら好きになってた。普通の女の子に無い感覚で、いけないことだと分かっていても感情は止められなかった。そして亜希は意地悪になった。恵ちゃんに至恩くんを取られたくなくて、会わせたくなかったのが一番の理由だったんだ」
亜希の隠された想いが詳らかになる。
これは亜希の記憶で僕の記憶を取り戻す手掛かりにはならないだろう。
けれど聴けてよかった。
亜希がずっと抱えてきたことを知れてよかった。
僕は心から素直な気持ちを伝えた。
「僕を好きになってくれてありがとう。僕と血が繋がってなかったら間違いなく亜希と交際してたと思うよ」
「そうだよね……血が繋がっているんだよね。血の繋がりのせいでファーストラブもセカンドラブも叶わなかったけどね」
「え、亜希の初恋の相手はまさか」
「お父さん」
屈託ないの笑顔を見せる亜希。
その笑顔になんとなく救われたような気がした。
亜希にとってお父さんの死は過去へ変わりつつ、その辛い過去から立ち直りつつあるんだなと感じた。
「ねえ止まって至恩くん」
僕は足を止める。
亜希は手を離してゆっくりと歩いて僕の正面に立った。
手を伸ばせば亜希に触れられるギリギリの距離にいる。
亜希は無言で僕の目をじっと見る。
僕も視線をそらさずにじっと見つめ返す。
亜希の目は潤んでいて儚げ。
僕と亜希との間に生まれた長い沈黙と微妙な距離感。
強い風が僕たちの間を事無げに吹き抜ける。
亜希は大きく息を吸っておもむろに口を開く。
「亜希はもう受け入れられたよ。お父さんのこと、兄さんのこと、そして至恩くんのことも。でもまだまだ過去に苦しんでいる人がいるのを知っている?」
「誰のこと?」
亜希の表情は崩れて涙が流れて落ちて行った。
「お願い……お願いだからお母さんを助けて。このままじゃお母さんが壊れちゃうよ。お願い、お母さんを助けて兄さん」
亜希は僕を初めて兄と呼んだ。
僕は駆け寄り亜希を抱き締める。
「ずっと抱え込ませてごめんな亜希。もうその重荷を一人で背負う必要はない。僕にも預けてくれ」
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