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存在X
真実
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緊張が僕のところまで伝わってくる。
恵さんは麗さんと白井先生へ目配せし、同時に頷いた後、恵さんから「話を続けて」と亜希を促した。
亜希は机に視線を落とす。
時間にしてほんの僅かな沈黙だったと思う。
けれど待つ方はとても長く感じた。
亜希は長いため息を吐いてから、重い口を開いた。
「お兄さんは解離性障害、分かりやすく言えば記憶喪失です。もう皆知っているよね。実は記憶喪失以外にも病気があってね……それは解離性同一性障害よ。つまり多重人格なの」
想定の範囲を超えた事実だった。
けれど衝撃的な告白にも関わらず冷静というか、他人事のように思えて実感がわかない。
むしろ夢の中に現れるもう一人の僕の正体が判明して「なるほどね」と心の中で納得した。
問題なのはどちらがオリジナルかコピーかだ。
ハッキリしているのは、バッタもんには記憶が戻り僕には戻らないという事実がある。
だから夢の中のバッタもんがオリジナルで、現実の僕がコピーなんだと思う。
僕は本当の意味でパチもんになってしまった。
そう考えると複雑な心境になる。
けれど絶望するとか悲しいとかそういう感情はない。
ひょっとしたら作られた人格だからだろうか。
いや、そんなことはない。
僕にも喜怒哀楽はある。
こうも感情が動かずに落ち着いていられるのは、もっと別の理由があるに違いない。
残念ながら今の僕にはそれを知る術はない。
とりあえずは分からないことを考えても仕方ないので、一旦横に置いといて部室の様子を窺う。
僕があれこれと考えている間も皆の反応はない。
無言のままで固まっていた。
僕以上に皆の方がショックを受けているようだ。
そんな中、恵さんは挙手をして「いいかな?」と言った。
皆のいる場所から入り口までは少し離れているけれど恵さんの手は微かに震えていた。
亜希は小さく頷き「どうぞ」と恵さんの発言を促した。
「私たちは至恩から記憶喪失だと聴いていたわ。今ここで亜希ちゃんから多重人格だと聴いて正直戸惑ってる。もしかしてだけど今の至恩の人格は私の知っている頃の至恩とは別の人格でいいのかな?」
「理解が早くて助かるわ恵さん。今の表に出ている人格はお兄さんではなくて別人です。亜希はその人のことを『至恩くん』と呼んでます」
「なるほどね。亜希ちゃんが至恩のことを他人行儀に呼んでいる理由がわかったわ。それで『覚悟して聴いて』という理由はこれであっているのかしら?」
「半分正解ですね。本当の覚悟はまだ先の話。続けていいですか?」
「ええ、続けてどうぞ」
恵さんは余裕があるように装っていた。
震える手をこっそりと机の下へ隠すのを僕は見逃さなかった。
それを知らない亜希は話を続けた。
「お兄さんの症状は希なケースだそうです。担当医は兄さんが凄惨な事故現場を目の当たりにして、記憶喪失と多重人格になったと言っていました。お兄さんの人格を覚醒させるには、トラウマ、記憶喪失、別の人格の全てを解決しなければならないのです」
亜希は淡々と語る。
静まり返る部室。
亜希が話していなければ、時計の秒針が聞こえそうなほど、静かだった。
三人は固唾を呑んで亜希の話を聴いていた。
「担当医はお兄さんの人格と、至恩くんの人格に、多重人格であることを伝えず治療を続けています。トラウマを抱えたままのお兄さんに配慮して。担当医は直接対話が可能な至恩くんの『記憶を取り戻したい』という強い意思を利用して、お兄さんの病気を治そうとしいているわ。幸いにも至恩くんは協力的だった。予定通りとは言えないけど、治療は少しずつ進んでいるわ」
亜希の話が途切れるのを見計らって、ずっと口を開かずに聴いていた麗さんが挙手をしてから質問した。
「どこまで治療が進んでいるんだ?」
「その前に……良い報告と悪い報告をさせて」
「報告とはなんだ?」
白井先生が質問した。
亜希はためらう素振りを見せ、恵さんへチラリと視線を送る。
察した恵さんは頷く。
「ここまで来たら引き返せないわ。ちゃんと受け止めるから最後まで話して」
「良い方から。担当医がカウンセリングして得た情報によれば、お兄さんの少しずつ記憶が戻っていて、至恩くんの人格が弱くなっているらしいの。お兄さんの記憶が完全に戻った時、至恩くんは役目終えてお兄さんの人格と統合されて一つになるらしいわ」
「それ本当なの?」
「はい恵さん。もう少しの辛抱……かもしれない」
「私の知っている至恩にもうすぐ会えるのね!」
恵さんは勢いよく立ち上がり、その流れで麗さんと白井先生にハイタッチして回った。
まるでボーリングでストライクを決めたかのように。
普段は大人びた雰囲気を持つ恵さんが、飛んだり跳ねたりとはしゃぐ姿に正直驚いた。
同時に僕の心に芽生える傷心。
恵さんが喜んでいる相手はコピーの僕ではなく、オリジナルの僕の方。
恵さんからすればオリジナルの僕が目覚めた方が嬉しいに決まってる。
僕は僕に負けた。
失恋したような気分。
複雑すぎる人間関係に、鼻で笑って誤魔化す以外に手立てがなかった。
壁に凭れてゆっくりと床にへたり込んだ。
僕は恵さんに問いたくなった。
コピーである僕がオリジナルの僕の人格と一つとなって消滅したら「悲しんでくれますか?」と。
体育座りで俯く。
ワックス効いた廊下の床に僕の顔がおぼろげに映っていた。
なんとも冴えない表情。
僕はこいつに負けたのだ。
自分の顔をじっと見つめて物思いに耽っていると。
「いい加減にして下さい恵さん」
突然の亜希の怒鳴り声。
気になって引き戸のガラス窓からそっと覗く。
亜希は麗さんに羽交い締めされていた。
恵さんは麗さんと白井先生へ目配せし、同時に頷いた後、恵さんから「話を続けて」と亜希を促した。
亜希は机に視線を落とす。
時間にしてほんの僅かな沈黙だったと思う。
けれど待つ方はとても長く感じた。
亜希は長いため息を吐いてから、重い口を開いた。
「お兄さんは解離性障害、分かりやすく言えば記憶喪失です。もう皆知っているよね。実は記憶喪失以外にも病気があってね……それは解離性同一性障害よ。つまり多重人格なの」
想定の範囲を超えた事実だった。
けれど衝撃的な告白にも関わらず冷静というか、他人事のように思えて実感がわかない。
むしろ夢の中に現れるもう一人の僕の正体が判明して「なるほどね」と心の中で納得した。
問題なのはどちらがオリジナルかコピーかだ。
ハッキリしているのは、バッタもんには記憶が戻り僕には戻らないという事実がある。
だから夢の中のバッタもんがオリジナルで、現実の僕がコピーなんだと思う。
僕は本当の意味でパチもんになってしまった。
そう考えると複雑な心境になる。
けれど絶望するとか悲しいとかそういう感情はない。
ひょっとしたら作られた人格だからだろうか。
いや、そんなことはない。
僕にも喜怒哀楽はある。
こうも感情が動かずに落ち着いていられるのは、もっと別の理由があるに違いない。
残念ながら今の僕にはそれを知る術はない。
とりあえずは分からないことを考えても仕方ないので、一旦横に置いといて部室の様子を窺う。
僕があれこれと考えている間も皆の反応はない。
無言のままで固まっていた。
僕以上に皆の方がショックを受けているようだ。
そんな中、恵さんは挙手をして「いいかな?」と言った。
皆のいる場所から入り口までは少し離れているけれど恵さんの手は微かに震えていた。
亜希は小さく頷き「どうぞ」と恵さんの発言を促した。
「私たちは至恩から記憶喪失だと聴いていたわ。今ここで亜希ちゃんから多重人格だと聴いて正直戸惑ってる。もしかしてだけど今の至恩の人格は私の知っている頃の至恩とは別の人格でいいのかな?」
「理解が早くて助かるわ恵さん。今の表に出ている人格はお兄さんではなくて別人です。亜希はその人のことを『至恩くん』と呼んでます」
「なるほどね。亜希ちゃんが至恩のことを他人行儀に呼んでいる理由がわかったわ。それで『覚悟して聴いて』という理由はこれであっているのかしら?」
「半分正解ですね。本当の覚悟はまだ先の話。続けていいですか?」
「ええ、続けてどうぞ」
恵さんは余裕があるように装っていた。
震える手をこっそりと机の下へ隠すのを僕は見逃さなかった。
それを知らない亜希は話を続けた。
「お兄さんの症状は希なケースだそうです。担当医は兄さんが凄惨な事故現場を目の当たりにして、記憶喪失と多重人格になったと言っていました。お兄さんの人格を覚醒させるには、トラウマ、記憶喪失、別の人格の全てを解決しなければならないのです」
亜希は淡々と語る。
静まり返る部室。
亜希が話していなければ、時計の秒針が聞こえそうなほど、静かだった。
三人は固唾を呑んで亜希の話を聴いていた。
「担当医はお兄さんの人格と、至恩くんの人格に、多重人格であることを伝えず治療を続けています。トラウマを抱えたままのお兄さんに配慮して。担当医は直接対話が可能な至恩くんの『記憶を取り戻したい』という強い意思を利用して、お兄さんの病気を治そうとしいているわ。幸いにも至恩くんは協力的だった。予定通りとは言えないけど、治療は少しずつ進んでいるわ」
亜希の話が途切れるのを見計らって、ずっと口を開かずに聴いていた麗さんが挙手をしてから質問した。
「どこまで治療が進んでいるんだ?」
「その前に……良い報告と悪い報告をさせて」
「報告とはなんだ?」
白井先生が質問した。
亜希はためらう素振りを見せ、恵さんへチラリと視線を送る。
察した恵さんは頷く。
「ここまで来たら引き返せないわ。ちゃんと受け止めるから最後まで話して」
「良い方から。担当医がカウンセリングして得た情報によれば、お兄さんの少しずつ記憶が戻っていて、至恩くんの人格が弱くなっているらしいの。お兄さんの記憶が完全に戻った時、至恩くんは役目終えてお兄さんの人格と統合されて一つになるらしいわ」
「それ本当なの?」
「はい恵さん。もう少しの辛抱……かもしれない」
「私の知っている至恩にもうすぐ会えるのね!」
恵さんは勢いよく立ち上がり、その流れで麗さんと白井先生にハイタッチして回った。
まるでボーリングでストライクを決めたかのように。
普段は大人びた雰囲気を持つ恵さんが、飛んだり跳ねたりとはしゃぐ姿に正直驚いた。
同時に僕の心に芽生える傷心。
恵さんが喜んでいる相手はコピーの僕ではなく、オリジナルの僕の方。
恵さんからすればオリジナルの僕が目覚めた方が嬉しいに決まってる。
僕は僕に負けた。
失恋したような気分。
複雑すぎる人間関係に、鼻で笑って誤魔化す以外に手立てがなかった。
壁に凭れてゆっくりと床にへたり込んだ。
僕は恵さんに問いたくなった。
コピーである僕がオリジナルの僕の人格と一つとなって消滅したら「悲しんでくれますか?」と。
体育座りで俯く。
ワックス効いた廊下の床に僕の顔がおぼろげに映っていた。
なんとも冴えない表情。
僕はこいつに負けたのだ。
自分の顔をじっと見つめて物思いに耽っていると。
「いい加減にして下さい恵さん」
突然の亜希の怒鳴り声。
気になって引き戸のガラス窓からそっと覗く。
亜希は麗さんに羽交い締めされていた。
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