桜1/2

平野水面

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記憶のない少年

教室の支配者3

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 気付けばさっきまで聞こえていたグラウンドの喧騒はいつの間にか消えていた。
 静寂の中、ニコニコとしている浜口から圧力を感じていた。
 数日前の僕なら、浜口から受ける圧力を跳ね返せずに怯えていたかもしれない。
 でも今の僕は決して一人ではない。
 校門で交わした約束があるから。
 恵さんと白井先生は何かあれば僕を助けてくれるし、協力を惜しまないと言ってくれた。
 こんなにも心強いことはない。
 恵さんと白井先生が僕の心の支えになっていた
 そして今は二人の存在を身近に感じている。
 だからこんな理不尽には負けられない。
「僕は浜口のいじめも犯罪行為も一切認めない。僕は警察に通報する」
「そういう正義ごっこは他人へ迷惑をかけるわよ」
「浜口の迷惑なんて関係ない」
「そうね、私には。でも周りの同級生たちは迷惑よ。私の一存で女子の生着替えの画像や動画が全世界に拡散したり、男子は痛い目にあうわね。て言うか周りを見て。同級生は迷惑そうよ」
「……」
 周囲を窺う。
 同級生が僕に向ける視線は、人形の目のような無機質で精気が感じられなかった。
 唯一、町田だけは浜口を睨んで反抗する意思を表していた。
 浜口は得意気に語る。
「これが皆の意思よ。君が素直にいじめられていれば、このクラスの皆は救われるし安全よ。君一人が犠牲になれば皆が助かるの。分かるかな? ここにいる全員はね、君がいじめられる事を望んでいるの。自分たちだけ助かりたい一心でね。理解したかしら」 
 僕は理解した。
 このいじめは簡単に解決できるものではないと。
 でもこれを覆せる方法がある。
 僕一人では難しいけれど。 
 今ここで決着をつけなければ、その機会を逃してしまう。
 そして僕にできることは少しでも時間を稼ぐこと。
 浜口に自首を促す。
「良心の呵責があるのなら、いじめと犯罪行為の事実を学校側に説明し、警察に自首して自らの罪と向き合って反省して下さい」
「いじめと犯罪行為? ばれなきゃそれは合法よ」
 浜口の表情から笑顔は消え去り、悪霊に取り憑かれたような形相で僕を睨んでいた。
「もう一度言います。自首して下さい」
「自首、自首、自首とうるせえんだよシャバ僧が。最近覚えたばかりの単語かよ記憶喪失野郎が。気が変わったわ。竹田、木下、この記憶喪失野郎をベランダから落として殺せ」
 竹田と木下は「殺せ」の命令に困惑して後退りした。
 武田と木下の様子を窺う。
 互いに目を合わせ、「どうする?」と動揺している。
 二人が行動に移す気概はないようだ。
 所詮は群れて弱い者をいじめる程度の小物なんだろう。
 けれど人としての良心が残っていたことに少しだけ安心した。
 浜口は指示に従わない二人に罵声を浴びせる。
「ふざけるな包茎早漏野郎共が。ゴム無しで好きな場所、好きな時間にさせてやったのを忘れたのかよ。その恩に報いろよ!」
 竹田と木下は浜口の迫力に気後れして後退りする。
 浜口は舌打ちしてからギャル三人組に指をさして叫んだ。
「ならお前ら三人が殺れ、従わないと生着替えの動画と画像を拡散するぞ」
 浜口はギャル三人を睨んで脅す。
 空かさず反応したのは町田だった。
 机を叩いて立ち上がって叫ぶ。
「お前にはウンザリしてんだ。このクラスの女子全員は浜口には従わないよ。恥ずかしい動画や画像が拡散されたとしてもね。殺人を犯すような恥ずかしい人間になりたくないわ。皆そうだろ?」
 町田の凛々しい姿に感化されたのか、仲間のギャル二人も「私も」と言って立ち上がった。
 それが呼び水となり、他の女子も「私も」と次々立ち上がり、気づけば女子全員が浜口に刃向かっていた。
「俺も暴力には屈しないぞ」
 男子にも伝播して、竹田と木下以外の男子全員が浜口に反旗を翻す。
 浜口の目は血走り、奇声を上げながら歯軋りをしていた。
 状況が変わったらしい。
 浜口はやり過ぎたのだ。
 教室で浜口に従う者は竹田と木下のみ。
 浜口は自分の感情を制御できずに自滅したのだ。
 この教室は悪魔の支配から解放された。
 僕はゆっくりと立ち上がり、浜口へ最後の機会を与える。
「自首して人生をやり直して下さい」
「うるさいロダン」
 浜口は教壇の両脇を掴んで揺らしてガタガタとさせながら金切り声で叫ぶ。
「お前が逆らわずに素直にいじめられていたら、こんな事にはならなかった。何で私の言う通りにしない。ああ、そうか、そういうことか」
 急に静かになった浜口。
 スカートスーツの上着のポケットをまさぐる。
 ポケットから取り出したの折り畳み型のナイフ。
 浜田は完全に目が据わっていて、裏返った声で発狂する。 
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
 浜口ら物騒な言葉を連呼して迫り来る。
 僕は危険を感じたが逃げだそうにも体が言うことをきいてくれない。 
 まるで地面に足がくっついているようだった。
 浜口の放つ禍々しい殺気が僕を拘束して体の自由を奪うような感覚。
 死を覚悟した刹那。
「助けに来たぞ月島あああぁぁぁ」
 男の野太い大声。
 同時に教室の前の引き戸が吹っ飛んだ。
 出入口の手前で足刀蹴りした白井先生の姿がそこにあった。
 蹴飛ばされた引き戸は同級生の頭上を飛び越えて浜口に直撃。
 引き戸の敷きになった浜口は白目を向いて気絶していた。
 嘘のような出来事に僕は救われた。
 体操着姿の恵さんが教室の出入口からキョロキョロしていた。
 僕と目と目が合うと駆け寄って来る。
「どうしたのその怪我は? 大丈夫なの至恩」
「……大丈夫です。死にかけましたけど」
 安心した僕は全身の力が抜けて椅子にストンと座り込んだ。
「来てくれて助かりました。投げた鞄に良く気づいてくれましたね」
「同じクラスの子が見つけたの。授業中に突然降ってきた鞄に皆が驚いて中を確認したの。そして出てきたのがあの憎たらしいケースのスマホ。授業中に至恩の鞄が降ってくるなんてあり得ないから、至恩の身に何かあったと思って白井先生と一緒に駆けつけたの」
「恵さん似のアーティストに救われましたね」
「救ったのは私と白井先生だって事を忘れないでね」
「ありがとうございました 。事後処理に追われている白井先生にも後でお礼を言います。それにしても人は見掛けによらないものですね。今回で身に染みました」
「その本質を見抜いていた私の目は確かなものよね。そう思わない?」
「はい、凄いです」
 恵さんは僕の席の脇で胸を反らして誇らしげにニッと笑う。 
 僕はその姿を見上げながら「本当はヤキモチだったくせに」と言いたかった。
 けれど恵さんの機嫌を損ねてはいけないと、この胸の中に留めておくことにした。
 多くのことを忘れてしまった僕だけど、空気を読むことを忘れてはいないのだ。
 
 一限終了のチャイムが鳴る。
 僕へのいじめが終りを告げるかのように。
 そのチャイムに混じって微かに聞こえるパトカーのサイレンが学校へ近づいていた。
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