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05 見上ゲル ソラ
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00年8月31日
それが、「ワタシ」がこの「チキュウ」という惑星に降り立った日。
00年9月1日。
「ニンゲン」たちが「ワタシ」を調べ始めた日。
00年9月2日。
「ワタシ」のカラダは削られた。
それから「ワタシ」の意識は2つに分かれ始め、一方は死、もう一方は生へと向かっている。
00年9月16日。
女の姿を視なくなった。「ニンゲン」たちが、女の中の「わたし」の存在に気づいたのだ。けれど「ワタシ」には、姿の視えない女の様子が手に取るようにわかった。
ただ空を見上げるだけの「ワタシ」自身のことは、もうほとんどわかっていないのに。
意識が傾いていく。
女の名は、「ユキ」と言った。歳は24。隕石――「ワタシ」を調査するための組織の研究員として、夫「スグル」と共に「ワタシ」の元に来ていた。
「スグル」は26歳。
2人共、まだ年若い。
「ユキ」が不調を起こし、検査が行われた。
宇宙から飛来した「ワタシ」が、未知の病原菌を運び込んだ可能性はゼロではない。そう考えた「ニンゲン」たちは、「ユキ」を調べ始めた。そして検査を終えた「ユキ」は調査から外れることが決まった。「ユキ」の胎内には、「わたし」――小さく新しい命が宿っていることを「ニンゲン」たちは知った。
けれど、「ワタシ」は知っていた。
「ユキ」の不調の原因が、「ワタシ」にあるということを。
「ユキ」の胎内にいる子供は既に、普通の「ニンゲン」とは異なる存在となっていたのだから。「ユキ」と「スグル」が「ワタシ」のカラダを削り、「ワタシ」の中の何かが、「ユキ」の胎内の子供に触れたあの瞬間から――
ソラを見上げる。
「ワタシ」はあと何度、このソラを見上げることができるだろう。
青く澄んだソラ。もう、暖かさは感じないけれど、降り注ぐ太陽の光。流れていく、白い雲。沈む太陽と、夕焼け。
夜には月が、ソラを照らす。星々がソラを飾る。
その先に、「ワタシ」は宇宙を夢見る。
かつて、「ワタシ」が渡り続け、旅した宇宙。「ワタシ」の故郷。何モノにも捕らわれず、縛られず、自由であった「ワタシ」の独り旅。
もう2度と戻ることのない日々。
地上での日々も、悪くはなかった。
失われたと思った、生命の息吹はわずか数日で甦りを見せた。荒野と化したこの場所も、小さな花がポツリポツリと咲き始めている。常に「ニンゲン」たちが傍に居て、片時も離れない。
ヒトリではない時間は、悪くない。
けれど、「ワタシ」はソラを見上げる。かつては自由だったソラが、今はこんなにも遠い。
雲がかかり、雨が降る。初めて、水を浴びた。すべてが洗い流される。この何とも言い表すことのできない感情も、洗い流してくれるといい。
今日も「ワタシ」はソラを見上げる。
今日は、ソラが見えそうにない。
「ワタシ」はあと何度、このソラを見上げることができるだろう。あと何度、その向こうにある宇宙を――故郷を、夢見ることができるだろう。
「ワタシ」の時間はもう残り僅かだ――
00年9月30日。
「ユキ」の容態が急変した。血を吐いたユキは医療センターへと搬送され、「スグル」も「ユキ」の付き添いとしてセンターへと同行した。
そしてもう1人、「イイダシュウエイ」という男も。
「イイダシュウエイ」は、調査隊の指揮官であり、「ユキ」の父親と呼ばれるものであった。我が子を案ずる父親としての行動。誰の目にもそう映ったはずだ。「イイダシュウエイ」は、自らの手で娘である「ユキ」の検査を行った。医療の知識ある者として、研究者として、あらゆる手を尽くし、そして突き止めた。
「ユキ」の容態が急変した原因がその子供にあるということに。
「ワタシ」の内から出た何かが、子供を人ならざるモノに変化させている。
その力は、「ニンゲン」たちには決して持ち得ることのできない力。その力に、子供が耐えられるはずもない。たとえ、耐え生き延びたとして、それが普通の「ニンゲン」でいられるはずがない。それは母体である「ユキ」も同様だ。
親として、「ニンゲン」として、「イイダシュウエイ」がとるべき行動は2つ。
子供を殺すか、母体から取り出すか。
「ユキ」の子供はもはや人間ではなく、この「チキュウ」に存在する生物の何にも当てはめることができないのだから、「チキュウ」に生きる生物を保護するために殺すべきだ。
「ニンゲン」たちが、他の生き物たちにしていたようにすればいい。
それが嫌だというのなら、子供を母体から取り出せばいい。母体がなくとも、子は育てられる。リスクを伴いはするけれども彼らには、その技術があるのだから。
けれど、「イイダシュウエイ」はどちらの選択肢も選ばなかった。
「問題ない」と、全ての事実を伏せ、「ユキ」自身に子を産ませようとしていた。
我が子の命よりも、未知の可能性を秘めた子供のより安全な成長を選んだ。
「ユキ」の身体は耐えられない。日に日に、「ユキ」の身体は弱っていく。
それでも「イイダシュウエイ」は、自身の選択を変えることはなかった。
「ユキ」の子の力は強くなり、「ワタシ」の存在は弱くなる。消えかける意識の中で、「ワタシ」は悟る。
もう長くはない、と。
「ワタシ」という存在は、「ユキ」の子が完全な自我を持ったとき、消える。
それは、もう間もなくのこと。
「ワタシ」は、今日もソラを見上げる。
これが最期のソラになるかもしれないと、もうほとんど視えなくなった視界でソラだけを見る。
初めて地上から視たソラは、青く美しく澄んでいた。あの美しい景色を、「ワタシ」は最期まで忘れないだろう。最期の最期、完全に「ワタシ」という存在が消滅するそのときまで。
もうすぐ「ワタシ」は自由になる。
消滅という形で、「ワタシ」を捕らえる「チキュウ」という惑星から解き放たれるのだ。
何モノにも縛られず、捕らわれず、自由に旅をする「ワタシ」を、「ワタシ」は取り戻す。
今日のソラは美しい――
それが、「ワタシ」がこの「チキュウ」という惑星に降り立った日。
00年9月1日。
「ニンゲン」たちが「ワタシ」を調べ始めた日。
00年9月2日。
「ワタシ」のカラダは削られた。
それから「ワタシ」の意識は2つに分かれ始め、一方は死、もう一方は生へと向かっている。
00年9月16日。
女の姿を視なくなった。「ニンゲン」たちが、女の中の「わたし」の存在に気づいたのだ。けれど「ワタシ」には、姿の視えない女の様子が手に取るようにわかった。
ただ空を見上げるだけの「ワタシ」自身のことは、もうほとんどわかっていないのに。
意識が傾いていく。
女の名は、「ユキ」と言った。歳は24。隕石――「ワタシ」を調査するための組織の研究員として、夫「スグル」と共に「ワタシ」の元に来ていた。
「スグル」は26歳。
2人共、まだ年若い。
「ユキ」が不調を起こし、検査が行われた。
宇宙から飛来した「ワタシ」が、未知の病原菌を運び込んだ可能性はゼロではない。そう考えた「ニンゲン」たちは、「ユキ」を調べ始めた。そして検査を終えた「ユキ」は調査から外れることが決まった。「ユキ」の胎内には、「わたし」――小さく新しい命が宿っていることを「ニンゲン」たちは知った。
けれど、「ワタシ」は知っていた。
「ユキ」の不調の原因が、「ワタシ」にあるということを。
「ユキ」の胎内にいる子供は既に、普通の「ニンゲン」とは異なる存在となっていたのだから。「ユキ」と「スグル」が「ワタシ」のカラダを削り、「ワタシ」の中の何かが、「ユキ」の胎内の子供に触れたあの瞬間から――
ソラを見上げる。
「ワタシ」はあと何度、このソラを見上げることができるだろう。
青く澄んだソラ。もう、暖かさは感じないけれど、降り注ぐ太陽の光。流れていく、白い雲。沈む太陽と、夕焼け。
夜には月が、ソラを照らす。星々がソラを飾る。
その先に、「ワタシ」は宇宙を夢見る。
かつて、「ワタシ」が渡り続け、旅した宇宙。「ワタシ」の故郷。何モノにも捕らわれず、縛られず、自由であった「ワタシ」の独り旅。
もう2度と戻ることのない日々。
地上での日々も、悪くはなかった。
失われたと思った、生命の息吹はわずか数日で甦りを見せた。荒野と化したこの場所も、小さな花がポツリポツリと咲き始めている。常に「ニンゲン」たちが傍に居て、片時も離れない。
ヒトリではない時間は、悪くない。
けれど、「ワタシ」はソラを見上げる。かつては自由だったソラが、今はこんなにも遠い。
雲がかかり、雨が降る。初めて、水を浴びた。すべてが洗い流される。この何とも言い表すことのできない感情も、洗い流してくれるといい。
今日も「ワタシ」はソラを見上げる。
今日は、ソラが見えそうにない。
「ワタシ」はあと何度、このソラを見上げることができるだろう。あと何度、その向こうにある宇宙を――故郷を、夢見ることができるだろう。
「ワタシ」の時間はもう残り僅かだ――
00年9月30日。
「ユキ」の容態が急変した。血を吐いたユキは医療センターへと搬送され、「スグル」も「ユキ」の付き添いとしてセンターへと同行した。
そしてもう1人、「イイダシュウエイ」という男も。
「イイダシュウエイ」は、調査隊の指揮官であり、「ユキ」の父親と呼ばれるものであった。我が子を案ずる父親としての行動。誰の目にもそう映ったはずだ。「イイダシュウエイ」は、自らの手で娘である「ユキ」の検査を行った。医療の知識ある者として、研究者として、あらゆる手を尽くし、そして突き止めた。
「ユキ」の容態が急変した原因がその子供にあるということに。
「ワタシ」の内から出た何かが、子供を人ならざるモノに変化させている。
その力は、「ニンゲン」たちには決して持ち得ることのできない力。その力に、子供が耐えられるはずもない。たとえ、耐え生き延びたとして、それが普通の「ニンゲン」でいられるはずがない。それは母体である「ユキ」も同様だ。
親として、「ニンゲン」として、「イイダシュウエイ」がとるべき行動は2つ。
子供を殺すか、母体から取り出すか。
「ユキ」の子供はもはや人間ではなく、この「チキュウ」に存在する生物の何にも当てはめることができないのだから、「チキュウ」に生きる生物を保護するために殺すべきだ。
「ニンゲン」たちが、他の生き物たちにしていたようにすればいい。
それが嫌だというのなら、子供を母体から取り出せばいい。母体がなくとも、子は育てられる。リスクを伴いはするけれども彼らには、その技術があるのだから。
けれど、「イイダシュウエイ」はどちらの選択肢も選ばなかった。
「問題ない」と、全ての事実を伏せ、「ユキ」自身に子を産ませようとしていた。
我が子の命よりも、未知の可能性を秘めた子供のより安全な成長を選んだ。
「ユキ」の身体は耐えられない。日に日に、「ユキ」の身体は弱っていく。
それでも「イイダシュウエイ」は、自身の選択を変えることはなかった。
「ユキ」の子の力は強くなり、「ワタシ」の存在は弱くなる。消えかける意識の中で、「ワタシ」は悟る。
もう長くはない、と。
「ワタシ」という存在は、「ユキ」の子が完全な自我を持ったとき、消える。
それは、もう間もなくのこと。
「ワタシ」は、今日もソラを見上げる。
これが最期のソラになるかもしれないと、もうほとんど視えなくなった視界でソラだけを見る。
初めて地上から視たソラは、青く美しく澄んでいた。あの美しい景色を、「ワタシ」は最期まで忘れないだろう。最期の最期、完全に「ワタシ」という存在が消滅するそのときまで。
もうすぐ「ワタシ」は自由になる。
消滅という形で、「ワタシ」を捕らえる「チキュウ」という惑星から解き放たれるのだ。
何モノにも縛られず、捕らわれず、自由に旅をする「ワタシ」を、「ワタシ」は取り戻す。
今日のソラは美しい――
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